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地宮みさとの、たとえばこんなスピリチュアル、地宮みさとの、たとえばこんなスピリチュアルとは、なんだか曖昧で分かりづらいなというイメージをもたれがちなスピリチュアルに関して、
実は日常の中にも、そういうところがあって、特別なものでもなんでもなく、気軽に実践したりとか、学んだりとか、していけるものなんだよ、というところを、
私自身の具体例などを交えつつ、ゆるーくお話ししていくような番組でございます。
みなさんこんにちは、あるいはおはようございますか、こんばんはか、おやすみなさいかもしれませんが、ソウルリライトリーダー、地宮みさとです。
今回も前回、前々回と引き続いて、二羽の祈りについて取り上げていきたいと思っておりまして、
今回のタイトルは、その二羽の祈りの最後を占める、変えられないものと変えられるものを区別する賢さを、というタイトルにしております。
前回、前々回もお話しした通り、この言葉自体が非常に真理をついている、素晴らしい祈りの言葉だと私は思うので、
あえてこれの解説っていう形でやるというよりかは、あくまでその言葉を聞いて、私が今感じていることについて、
所感みたいなもんですかね、そういうのを伝えていくっていう形でやっていきたいと思っています。
で、この最後の、変えられないものと変えられるものを区別する賢さ、という話なんですが、
まあ確かに、この区別ができないことには、まず前の2つの変えられないものを穏やかに受け入れることも、
変えられるものを勇気を持って変えていくこともできないわけです。 それだって分かんなかったらね、まず行動できないですからね。
どっちにやればいいのかという判断もできないわけですから。 なのでここはやっぱり、
ここもなんですけど、かなり重要な部分で、 使命に持ってこられるぐらい、
前提になるところなんじゃないかなと思うんですけど、 とはいえ、ここで問題になる、問題というか、
そうですね、 一種考えなければいけないのは、
その基準が何なのかということだと思うんですよ。 で、これは、
これも私の意見なんですけど、 結論から申し上げますと、
個人によって違う、その人によるっていうところだと思うんですよね、正直。 これ言っちゃったらもうね、大体のことがもうその人によるっていうか、
個人の感想ですみたいな感じになっちゃうんですけど、 でも結局そういうなんじゃないかなと。
変えられるものと変えられないものっていうのも、結局どこまでそうなのかっていうのは、 その人によって違うじゃないですか。
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なんならその人自身でも、 その人が今どういう立場にいるかとか、
どういうね、社会的な立場としてどういう立場にいるかとか、 あとはその人の
身体的な部分もあれば精神的な部分もあるし、 いろんな要素が、
こう、いろんな要素によって決定されるわけじゃないですか。 自分がどれだけこう、
物事を変えていけるかというか、どの範囲の物事を変えていけるのかっていうところっていうのは、 ね、しかも、
刻々と変わっていくというか、 いつどういう風に変わってもおかしくないっていう感じではありますから、
それがずっと続くというわけでもないっていう感じなんで、 柔軟にね、自分のあの
基準として考えていくっていうところが大事になってくると思うんですよね。
じゃあその自分の中で変えられないものと変えられるものの基準をどういう風に 決めていくのかっていう話なんですけど、
これ前回にちょっと話したように、なんか変えられないものに、 なんていうの対処していくと逆説的に何かそこら辺の基準がわかってくるかもみたいな話をしたんですけど、
これも 一つの方法だと私は思ってて、
要するに、実際にその物事にぶつかってみた時に、 とりあえず、
仮に決定する。 だから一旦こっちかもっていうぐらいの仮決定をした上で、実際に行動してみて、
で、間違ってたら修正すればいいし、 合ってたらそのまま行くみたいな、
まあある意味なんか、
そうですね、現場で学べみたいな感じになっちゃうんですけど、 なんかそういう感じで自分の経験値を蓄積していくっていうのは
一つの手だし、ある意味それが一番確実っちゃ確実なんですよね。 確実というか時間はかかるし、
まあちょっと他のね、リスクとか損失みたいなのもあるかもしれないけど、 でもそうやって
実際の経験を通じた学びというのが非常に
身につきやすいので、多分そういうふうにやって、 こんなことで自分の中の基準というのが強固になっていく
っていうのはやっぱりあると思うんですけど、 まあそれはそれとして、やっぱりできる限り損失をしたくないじゃないですか、人間ね。
私だけしかしたくないですから。 なんか無駄なその損失というか、本当に無駄なことっていうこの世の中はないと言っちゃえばないんですけど、
でもそれはそれとしてなんか、やっぱりね、必要以上の犠牲みたいなのとか、損失みたいなのってやっぱりできる限り出したくないじゃないですか。
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そういう場合にどうしたらいいのかっていうふうなのをちょっと今考えてたりもしてるんですけど、
でもこれもやっぱりなんか、 自分の中の仮決定を定めた上で、ちょっと他の人の参考にしてみるっていうのがいいのかなと思います。先人のね。
重要なのは、ここでも自分のその軸を仮に定めておくということだと思います。 これをやらない状態で、こう他人の
基準を考えようというか、他人の基準を取り入れようとすると、結局そこはなんかコピーみたいな感じに、
コピー&ペーストみたいな感じになってしまうかなと思う。 それが結局自分に合ってるかどうかっていうのはまた別の話なので、
そこでズレが生じてしまう可能性もあるんじゃないかなと思うんですよね。 その人にとってその基準がベストだからといって、
他の人にとってそれがベストだとは限らないし、むしろそうじゃない確率の方が多分高いと思うので、 だから
自分の基準を仮に設定するじゃないですか。 まあ一応自分にとっては多分こういう基準がいい感じなんじゃないかなっていうふうに今までの経験とか
ちょっと思い出しながら、一応設定しておいて、 まあ自分の経験というか、今後の自分の経験プラスの他の人の経験を吸収していくみたいな。
それでいろいろブラッシュアップしていければ、まず基本的にはいいんだと思います。 なので自分一人の経験だけで何とかこう積み上げようとというか、
設定しようとしていくわけでもなく、だから他者のものを丸々取り入れて、ただ鵜呑みにしていくっていうだけでもなく、 そこらへんのバランスを取っていくっていうのが非常に大事になってくるんじゃないかなと
思うわけですね。 なのでそこのバランスもね、結局その人次第っていうところはあるんですけど、まずは
先陳の、自分がなんか尊敬できるなっていうか、この人はなんかかっこいいなとか素敵だなって思える人の、なんかそういうちょっと
例えば今は本当にSNSとかで個人が発信を気軽にしている時代なんで、 SNSとかやってる方であれば、そこらへんでそういう肌基準というのを一つ見ることもできるから、
そういうのを見つつ、なんかこう、この人はもしかしたらこういうふうに なんか変えられるものと変えられないものの区別をしているのかもな、みたいな垣間見える形、まあはっきり出してる人はそんなにいないと思うんですけど、
なんか垣間見えるところがあったら、それを部分的にちょっと 自分ではどうだろうっていうふうに考えてみる。取り入れる前にちょっとワクションを置いて考えてみるっていうところから始めていくと
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こう、より効率的に自分の基準、変えられるものと変えられないものを区別するための賢さっていうのを得られやすくなるというか、
より賢くなりやすくなるんじゃないかなというふうに思うわけですね。
で、そのSNSで取り入れるっていうのが、まあ今は本当にそれが気軽にできる時代ではあるんですけど、
ただ、ここもちょっと注意しておいた方が良さそうなことがあるなとは思ってて、
というのも気軽に発信できるということは、その気軽に発信の方向性を変えられるというか、発信の仕方を変えることができるということでもあるんですよね。
何が言いたいかというと、嘘はついてないかもしれないけど、 物はいいよみたいなところが出てくる場合があるんですよ。
だから結局良いところしか見せたくないというか、見せられる範囲しか見せない人がほとんどだと思うんですよね、SNSって。
だからあくまでその人自身が、それこそ自分の中で見せられそうなものと見せられなさそうなものの基準を持った上で、
その人独自の基準なんで、それが世間一般の常識だったり倫理だったりに必ずしも沿っているとは限らないですけどね。
でもその人が持っているものっていうのを基準で判断して、SNSに載っけるか載っけないかっていうことをやってると思うんで、
そこはね、完全にその人自身の基準というものを反映したとは限らないっていうところは、ちょっと抑えておく必要性があるかなと思いますが、
でもとはいえ、やっぱり昔よりかは、そういうインターネットとかが全くなかった時代よりははるかにその人の考えっていうのを気軽に取り入れやすくなっている時代ではあるので、
そこに飲み込まれないようにしつつ、うまく活用しつつ、なんかどんどん自分のね、基準の可能性っていうのかな、あくまで可能性を広げていくっていう風に考えていったらいいんじゃないかなというふうに思うわけですね。
なので、この時代においても、こうインターネットとかでいろいろね、世界が広がりまくっている情報が増えまくっているような、触れられる機会が増えまくっているような今の時代においても、この2番の祈りというのを非常に覚えておくと、とても心の支えになるというのかな。
なんか、何かの表紙に、ちょっと心が救われるような気持ちになることもあるんじゃないかなと思うので、
前々回も言いましたけど、本当に最近いろんなことが起こってますので、世界中で、そういう情勢も含めて、なんかこの言葉を私の感想みたいなのを交えながら伝えていくっていうことを、
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まあこのタイミングちょうどいいんじゃないかなというふうに思ってやってきました。
全部で3回やってて、前回と前々回とも直接繋がってはないんですけど、微妙に繋がっているので、もしまだ聞いてないという方はぜひ聞いていただけましたら嬉しいです。
あと私は一応そのポッドキャスト以外にも、SNSだったりブログだったりで情報発信しておりますので、
まあもしこれで興味を持っていただけたら、なんかそこらへんもたどってくださったら、もっともっと嬉しいっていう感じですね。
そんなわけで今回はこのあたりで、また次回からは別のテーマでお話ししていきたいと思います。
それではここまでご視聴くださりありがとうございました。バイバイ。