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わたなべ夫婦のふたりごとは、動画クリエイターで不動産投資家の結婚5年目夫婦が、自分らしい幸せをテーマに、日常生活での気づきや工夫をシェアする番組です。

ゆみのお父さんのお話なんですけど、まさに先月あった話で、入院されてね、なかなかちょっと大変ないろいろあったということで、そこでの出来事とかね、気づきとか、そういうものをまさにシェアさせていただこうかなという回なんやけど。

はい、よろしくお願いします。

大変やったね。

私はね、そんなに大変じゃないねんけど、お母さんと実家にいるお兄ちゃんがめちゃくちゃ大変そうやって、今回話したいのは、私が後悔したことと、後はその高齢者の方のこの時期の入院についてちょっと言いたいことがあって、
そうやね。
ラジオ収録ちょっとしようかなと思って。

今現在はその大変やった時期も乗り越えてね、普通に話せて元気そうではあるからな。

そうなんです。

そういう意味では安心なんやけど。

需要を追って説明すると。

考えながらじっくりでいいよ。ゆっくり喋ってくれて。

この話ラジオ収録していい?って全然お母さんとか聞いてなくてさ。
でもお母さんとお兄ちゃんもスタンドFMに移行してから離脱したって聞いてるから、今安心して喋ってんねんけどさ。

離脱したユーザー。まあでもそんななんか、そこまでプライベートに踏み込むような話ではないやろうし。
まあまあいいんじゃない?話せる範囲で。

知り合いの方とかでもし話聞いてない方とかいらっしゃっても、ラジオで聞いたら内緒でお願いいたします。
じゃあ順を追って説明すると、まず私のお父さん70代でスーパー行って一人で、スーパーから帰ってくる時に道で転んで骨折をしてしまいましたと足。
で、あまりに痛がるから病院に連れて行ったら多層アロタ。
そのまま入院ということになってしまって、手術もします、入院してリハビリもしますってなって、だいたい1ヶ月ぐらいがめどやったんやけど、
今ってやっぱコロナやから、お母さんですら会われへんらしくて。

家族も会われへんねんな入院して。

そう、面会一切不可。

なんかさ、パーテーションを区切った。

ダメやね。

そんなもダメなんや。
そう。
もう一切会われへんねや。

そう、で、なんかすごいお父さん落ち込んでたらしくてさ、で、お母さんから連絡来て、お父さんに電話してあげてって言われたんよ。
でも、私ってお父さんとうまくしゃべってた記憶が今までなくって。
まあ、なんかこうあるやん。
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思春期でさ、お父さんなんか嫌みたいな。
で、なんかそのままずるずる大人になって、大人になってからも、だからお父さんといっぱいしゃべった記憶もなかったから。

嫌いとかじゃなく、なんかもう話し方忘れたみたいなね。

恥ずかしいみたいな。

何しゃべろ的なね。

だから、電話してって言われた時も恥ずかしがって、メールだけ寄ったんよ。
大丈夫?みたいな。
そう、ほんで入院しはって、で、最初の頃はリハビリも頑張ってたらしいねんけど、
ある時、突然お兄ちゃんから連絡が来て、お父さんが認知症が一気に進んで、言葉がしゃべれなくなりましたって来て。
で、お父さんって結構他にもいろんな体の病気抱えててさ、
で、言葉もしゃべれへんくなって、ご飯も食べられなくなって、コミュニケーションがまず取れないらしくって。
で、コミュニケーション取られへんから、ご飯も食べられへん。
で、体が悪い上に天敵で補ってるから、最悪このまま死んでしまうかも、みたいな。

もう食べられへんってなったらね。

そう、っていう連絡が急に来てさ、
で、ちょっと家に電話してさ、どういうことになってんの?って言って。
でも、そしたらお母さんが電話したときにはもう言葉が一切しゃべられへんくなってたらしくって。
入院してからまだ2週間とかのときよ。
そうやな、それぐらいやな。
でも、なんか電話も取り方もわからへんくて。
で、看護師さんにつないでもらったけど、ずっとあーあー言ってるみたいな。
あーあーうわーみたいな。
でも、会話ならへんらしくって。
で、それを聞いてさ、
そのときに認知症が進んだっていうふうに聞いてたからさ、
もうしまったって思って、私。
めっちゃ後悔して。
なんで電話せえへんかったやろって。

まだ元気にしゃべってたときにね。

また泣けてきた。今はしゃべれるんやけど。

もう結果大丈夫やってんけどな。

ただなんか、ほんまに後悔して。

もしこのままね、コミュニケーションを取れへん、
自分、娘に会って認識してもらえへんような状態やったとしたら、
最後に交わした言葉ってなんやったっけっていうね。

そうやね。

そうやな。

だから、あの、
あ、そう、だからじゃなくて、続きをいきますけど。
で、すごい後悔した日々が続いて、
ただなんかその、ちょっと冷静になって考えてみたら、
その、認知症があまりにも急すぎるっていうのは思ったよ。

急すぎると思う。

そう。で、なんかお母さん曰く、ちょっと電話したときとかに、
お母さん一切面会行ってないのにさ、
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お父さんがお母さんに対してな、
病院の部屋のテレビのリモコンあんた持って帰ったやろとか、
なんか、いつ迎えに来るんや、今日って言ってなかったっけとか、
なんかちょっとボケてる感じの発言は多々あったらしいねんけど、
まあ、なんかにしても急すぎんなと思ってて。
で、なんかその、よくよく調べたら、
まあ、結論それは、認知症じゃなくて、入院専門っていう、
あの、入院のストレスで、頭が一時的に、そうやって認知症みたいになってしまうっていう症状があったらしく、
で、お父さんもそれやって。
ただね、あの、高齢者の方が、その入院専門になるっていうのすごい多いらしくって、
で、特に、やっぱりコロナ禍で、誰も面会にけいへんっていうそのストレスと、
まあ、入院生活の寂しさとか。

うん、やっぱストレスかなりかかってるんやな。

とにかくそのストレスで、今なる人がほんまにめちゃ増えてるらしくって、
だから、あの、もしご高齢のご両親の方とか、おじいちゃんおばあちゃんが入院されて、
急に認知症になったって、なったとしたら、
多分それは認知症じゃなくって、入院専門の可能性がありますっていうのを、
まず一つ、情報として皆さんに共有したい。

ねえ、それまで普通に元気やし、頭もさ、
で、コミュニケーションも全然普通に取れてる中で、2週間でっていうのは、さすがに早いな。
うちもね、あの、おじいちゃんおばあちゃんがちょっと認知症抱えたりとかするけど、
やっぱりゆっくりゆっくり進行していくからさ、普通に日常生活してたら、
だから、ほんまに一時的やったんやろうなって思うけど、見分けってなかなかつかへんもんね。
特にね、コミュニケーション取れへんってなったら、
そうやな。

家族もびっくりするしな。
見分け方としては、認知症は大君が言ってくれた通り、ゆっくり進むのと、
入院専門は一気に来る。
急に言葉も喋られへんってなるから、そこが結構一つのポイントみたい。
ただなんか、それでビシッと言われへんかったからさ、お医者さんから入院専門です。

まあまあ、なかなか診断もね、断定は難しいかもしれんな。

もう脳にいっぱい菌が入ってるかもとかさ、怖いことばっかり聞くからさ。

ああ、そうやな。会いに行かれへんしな。
自分で確かめるコミュニケーションを取ることもできひんから、余計不安が募るよね。
そうそう。

そうなりましたって聞いてもね。
まあ、そんでやな、そういうことになって、
一時期、マジで喋られへんってなっててんけど、
あ、そうそう。で、それの原因の一つに、
ん?
尿の管みたいなのあるやん。
寝たきりの人ってさ、病院でその管通して血あるやんか。
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そっからちょっとばい菌入ってたらしくって、
で、先生がそれ気づいてくれて、それを改善したら、ちょっと喋れるようになったんよ。
で、ちょっと喋れるようになったときに、

このまんまうちに入院するか、精神科のほうに入るか、
二択どっちにしますかってお母さんが聞かれたときに、ごめんなさい、なんかちょっと話飛んでるんですけど、
あの、もう一回うちに連れて帰りますってお母さんが、
もう強く申し出たらしくって、
で、それで、一旦うちに帰ってくることになったのね。実家に。
で、その日がちょうど9月の頭とかで、
で、お母さんに事前に、一回実家に帰ってきて、介護も自分でやってみるけど、
ちょっともうその入院専門がよくなるかもわからへんし、
で、そのときの当時の介護レベルって言ったらいいんかな。

うん、なんか認定のね、あるよね、段階が。

そう、段階はもう5でマックスやったの。
月きりで誰かがいないといけないっていう。
もうもちろん拝接も自分でできないし、歩くことも喋ることもできませんっていう状態。

足がまだ悪いし、しかもこうね、コミュニケーション取れへんっていうダブルでね。

そう、で、まあ一回やってみるけど、もし傷そうやったら、
もうあの施設に入ってもらうとかも考えてるからって言われてさ、
施設に入ったらさ、またコロナで会えへんやんか。

会えへんね。

だからさ、もうその日が私にとってラストチャンスかもと思って、
お父さん最後に見れるね。

うん、その退院した日ね。

そう、なんでもう退院するっていう日に、もうおうちに行って実家に。
で、実際に会ってきましたと。
ただ、会った感想としては、その入院してたど真ん中の時よりもだいぶ改善してて。

思ってたよりもだいぶ良かった。

そうやね、ちゃんと自分の言葉で喋ってたし、
まあもちろん体は全然動かへんから車椅子にはなってしまってたけど、
コミュニケーション取れて、ほんまに良かったなと思って。

そうやな。

そう、なので、
なのでもまだちょっとお預けして、
ほんで、そのおうち帰ってきて、やっぱりその入院線もすごい良くなってて、
で、今はちゃんと喋れるようにもなったし、
で、あと一、二歩やったら歩けるぐらい復活もされたそうで、

まあ良かったなっていう、そんなことがありました。
当初はさ、まあ転んじゃって足骨折して、
で、それ手術して、入院してリハビリして、
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まあ一ヶ月後普通に帰ってきて元通りの生活っていうふうに思ってたもんね。

そう、だからなんかその電話とかも恥ずかしいから、
家帰ってきてから大変やったねって喋ったらいいかと思ってたよ。
まあね、あのほんまに今回のことで学んだのは、
もういつまでも両親は元気じゃないよってことよね。
で、喋れる、今両親が生きてて喋れるってほんまに奇跡で、
この今まで恥ずかしいと思って避けてたことをもう絶対今後は避けへん。
もっと実家にもちゃんと帰るし、
もっとコミュニケーションとっていこうって思わせてくれるきっかけになったかな。

うん、そうだな、確かにな。先のわしにしちゃうよね。

これ聞いてはるみなさんの中にもね、
ちょっと両親喋ったりとか、実家帰ったりとかしなあかんな、
でもいいか、今度でって思ってはる人も。

また忙しいしとかね、いや思っちゃうよ。

そう思う方も多いと思うし、私もそう思ってたけど、
もうね、喋れなくなってから後悔してもほんまに遅かったから、
もうそう、今を大事に生きたいなと思います。
でね、何が言いたいかっていうと、
まず多分冒頭、途中でもちょっと言ったと思うんですけど、
比較的そのご高齢の方が今、この時期に入院したときは、
やっぱりね、積極的に電話をどんどんしてあげてほしいなと思ったよ。
私は一切せえへんかったし、
お母さんも最初こそちょこちょこやってたけど、
入院専門になったときはもう1週間ぐらい空いてたらしくて、電話が。
それで電話したら、もうあああああ言ってて、会話になれへんくて、
ってなってたんで、やっぱりすごい寂しかったんやと思うね。

お父さんもさ、スマホとかパソコン使いこなして、
今の流行りをけっこうウォッチしてっていう感じの人ではなくてさ、
どっちかというと、本読んで新聞読んで、お酒飲んで楽しんでみたいなさ、感じやから、
病院で入院したらもう全部取り上げられちゃったって感じで、

ほんまにだから日中寂しかったやろうし、

やることもなくって感じやったんやろうなって思う。

いや、そうやね。
だからね、寂しかったら入院専門になるリストックも高まっちゃうから、
連絡はしてほしいなって思うのが、

そうやな。

一つと、あとはやっぱりいつかこう両親とちゃんと喋らなきゃって思ってるそのいつかはもう、今。
今やるべき。
ほんまに数週間ぐらいあったけど、
ね、後悔したね、ほんとに。

そうやな。今となってはほんまに過去の話というか、
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いや大変な時期もあったよねって話せてたけど、
そのまさにね、過中の時はほんまにどうなるかわからんかったもんね。
どう転ぶかもわからんかったしっていう、
それはすごい不安やったし、後悔の気持ちに変わっていったりもするし。

ね。
まあでももうほんま生きててくれてて、あと喋れるようになってもう感謝しかないわ。

感謝ですか。

感謝ですね。
まあどんどん時間にかけてもうちょっと喋ろうと思いました。

そうやな。

はい。
以上です。

まあありがとうこうやってね、喋ってくれて。
なんかすごい、ほんまに思ったことをそのまま伝えられたような気がするんですけど、
すごくね、自分ごととして聞いていただいてる方も多いんちゃうかなと思う。
この時期やからこそっていうのもあるし、
特にこの家族とかさ、
両親への声かけとかコミュニケーションとか感謝とかね。
両親への感謝とかはちょっと恥ずいもんやっぱり。

あー。

恥ずいとか思っちゃう気持ちあるけど、
でもまあこういうことを一緒に体験したから、
特におじいちゃんおばあちゃんとかね。
そうやね。
場合の場合はまだ元気にもう90ね、超えてたりするけど、
おじいちゃんは。
まあね、ちょこちょこ会える範囲で会ったりとかしないとなーなんて改めて思ったし。

うん。

うん。

以上です。

ありがとう。
えー、なんかこうちょっとね、しっぽり。

しっぽりでしたね。

しっぽりして話はしてるんですけど、
まああのね、今のところ元気にね、回復してくれたので、
それはほんまによかったよね。

ほんまによかった。

うん。
なんでその点はまああのね、鍋堂のみなさんご心配なくというか、
はい、まあ元気でね、過ごしていらっしゃるので、

うん。

よかったと。
まあまたちょっと時価とか買おうだそうや。

そうやね、ちょっと今までさ、ほんと1年に1回しか時価変えてなかったよね。
そうやな。
お正月だけ。

とかね。

そう、なんでね、それはちょっと改めようと思って。

あー。

1ヶ月に1回ぐらい今後は変えろかなって思ったよね。

うん。

なんかその、誕生日の日にプレゼント送ったりとかしてたけどさ、
あー。
やっぱ直接渡した方がいいよね、その。

まあ確かにね。

そう。

そうやな。
帰れるしなんで、関西追ってさ。

うん、そうやね。

車でバーって走ったら帰れるやんか。

うん。
うん。

いやーでも。

だからそれぐらい帰らなあかんな。
ほんまびっくりしたわー、まじで。

ね。
まあこのお話がね、鍋堂のみなさんの何かこうちょっときっかけになればいいなと思って話さしてもらいました。

まあ私にとってはすごいあの、何よ、一瞬はすごいつらかったけど、
うん。
こうなったらすごいいいきっかけやった。

うーん、強烈な体験やったよね。
うん。

こう喋るの恥ずかしいって思ってたお父さんにも恥ずかしいなんてどうでもいいから、
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うん、そうやな。
コミュニケーション取れるうちにいっぱい取っとこうって思わせてくれるきっかけやったかな。
うん。
今はもう恥ずかしがらずに電話できます。

あー、ちょこちょこ電話したりしてるよな。
うん。
鍋堂のみなさん最後までねお聞きくださりありがとうございます。
いいね、コメント、レターもお待ちしていますのでお気軽にどうぞお寄せください。
それではまた次回の放送でお会いしましょう。
ほな。

ほな。