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2022-04-20 23:05

#041 限定シリーズ😆 #2年3ヶ月ぶりの日本 Day15

Mo
Mo
Host
日本の寒暖差/ 日本に住んでる人エライ/ お墓参りに行ってきました/ いとこありがとう/ 再会の儀/ 父を偲ぶ会Vol.3 /食道癌になった父/ 大事な人になるがあった時自分の決断を受け入れてもらえるか?/ とにかく話をして!/ 家族や、親戚、相互理解/ そんな時メタ認知と忍耐力を発揮したらどうだろ?/ 認知症は、どんな人にも起こるよ
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00:01
こんにちは、Moです。おはようございます。こんばんは。
みなさんお元気ですか? おかげさまで私は元気です。
昨日、キリンビールを1杯…1本? 缶ビール1本だけしか飲まなかったので、朝はスッキリ起きれました。
でも、何ですかこれ。すっごい寒いんですけど。 今日はあんまりいつも日付とかは言わないですけど、
もうバレてるから言うとくと、 今日は2022年4月20日です。
寒い。何ですかこれ。寒い。 さっきいとこが来てて、いとこに、
いやー、南国から来たら何でも寒いでしょ。 ははーって言われてしまいましたけれども、
それにしても寒い。 本当に日本にいる人って偉いなと思います。
こういう寒暖の差を乗り越えて、 毎日働いて、
それは季節があるから自然楽しめたりとか、 本当に美味しいものがあったりとか、
着るものとかも、 私ブーツとかモコモコの冬の服とかが好きなんですけど、
そういうのも楽しめたりとか、 めちゃくちゃ繊細な感覚とか、
六感?五感?五感とか、 そういうのってやっぱりこういう自然の中から生まれて、
自然とかね、こういう季節の移り変わりとかから 生まれてくるのはわかるんですけど、
寒い。だってでも、 先週はすごい暑くてTシャツ1枚で良かったのに、
ということで、前置きが長いんですけど、 本当にいい加減にしてください。寒すぎです。
今日はね、私がこっちに来ているということで、
いろいろ外交関係というかね、 外交って言っちゃおかしいけど、
なんていうのかな、親戚関係とか、 あとはお世話になっている人関係とかに、
いつも妹だけじゃできないようなお礼をするというのが、 私の役割というか、
があるんだなぁって、 だいたいこの2、3日でわかってきたんですけど、
妹から、この人にも電話したとか、 あのおばちゃんにも電話したとかって、
おばちゃんって親戚ね、してなかったしなきゃね、 みたいな感じでしたんですけど、
そしたら、昨日突然ですね、
私がいる間にだったら、明日しかないと言って、 急に今日、お墓参り、うちの父のね、お墓参りも兼ねて、
父のお姉さんが来てくれるということで、 来てくれると言っても、もう80何歳なので、
一人じゃちょっとなかなか無理なんでね、 結局はやっぱり、息子くんのいとこがね、
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やる気になってくれてないと、無理なことなんですけど、 その息子くんが、
私のいとこですけど、いとこが、 あ、じゃあ明日行くよとか言って、
すごいもう超アクション早くて、 で、朝来てくれたんですけどね、
それでお墓参り行って、 じゃあお墓で合流しましょうと言ったら、
私もちょっと今まで父のお墓に、 行けてなかったので、
それもきっかけとして、 一緒にね、行ってきて、
母も連れて行くこともできたんでね、 なんか良かったなぁと思って、
で、まぁ、あのー、そうですね、 そんな感じで、
で、これからあともう一方ね、あの、 夜はね、他の方が、
あのカップルで、うちの父と母の、 長い付き合いの友達なんですけど、
まぁね、たぶんなんだけど、 私家族と行く以外で、
あのー、一人でね、他の家族に混ざって、
小学校6年生ぐらいの時に、 スキーに連れて行ってもらったことがあるんですけど、
そのご夫婦ですね。 今思い返すとね、
なんか歴史ですね、本当にね、 こういうの皆さんもそれぞれ、
終わりになると思うんだけど、 もう、思い出す、
今ね、きっかけがなければ思い出さなかった、 さっきまで覚えてなかったんだけど、
今話してたら思い出した。 で、それ一番初めの時そうだな、
苗場に行ったんですけどね、 私はもともと、
その頃からスキーが好きだったんですけどね、
なんで好きかはよくわかんないんだけど、 いいですね、今はスノボに帰ってますけどね、
そういうのもあり、 なんか懐かしい思い出がありますね。
私もおじちゃんおばちゃんって呼んでる人たちですけど、
やはりご近所系の、 うちの父と母の友達系ですけど、
なんて呼べばいいんだろうね、そういう人たちね。
おじちゃんおばちゃんたちが、 行くわよ行くわよって言ったら、
あとでもうちょっとしたら、 来てくれると思うんですけど、
今日はなんかやっぱり、 転や物というか、
なんか撮ることになっちゃうかな、 中華とか撮ることになっちゃうかな、
と思うんだけど、
そういう、なんか久しぶりに会うんでね、
何にしようかなって、 今考えてるところです。
で、今ね、なんか私やっぱり、 忘れないように話しとこうと思って、
今日、今日の朝も、 同じ内容で話を、
撮ったんですけど、 なんと間違えて、
消しちゃったんですよね。 で、今ね、ちょっと、
本当は昼寝をしたい。 ちょっと朝からバタバタしてたから。
でも、それでも昼寝と、 ちょっとこれ話すのとどっちか、
ちょっとだけ後に残ることかなと思って、 やっぱりちょっとここに撮っておいた方がいいなぁと思って、
今話してます。 何を話したかったかというと、
どんだけ親と、なんていうのかな、
生前というんじゃなくて、
親が、本当に正気の時というか、
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普通の時にね、普通というか、 通常の時に、
年を取りすぎてない時に、 自分の判断がきちんとできる時に、
たくさんたくさんいろんな話をして、 あと、
そのお父さんお母さんとかの、 老後というか、
末期っていうかね、自分の末期。 そのね、人生の最後の方は自分はどうしたいかっていうことを、
きちんと聞いとくことって大切だなぁって、 ちょっと昨日ぐらいから思っていて、
大切だったなぁみたいな。 で、たまたまね、それ、私もこのおしゃべりなのも、
皆さんわかってると思うけど、 めちゃくちゃおしゃべりだし、それ、うちの母もそうだし、父もそうなんだけど、
なんか一緒に、やっぱ飲んだりしてね、 毎日お祝いなんで、大体毎日お祝いしてたんですけど、
お祝いしながらもやっぱり、なんとなくね、 酔っ払ってくると、これから年を取ってからどうするんだろうね、
みたいな話とかになったり、 あとはテレビとか見てると、そういうね、
なんかそういう老後の話とかになったりとか、 ずっともうね、結構何十年もしてきてたんですよね。
で、一緒に住んでないとはいえね、なんか休みの旅に、 ずっと一緒に過ごしてたし、
で、そういう中で必ずね、ちょっとまぁ、酔っ払うと話になってて、 で、どうすんの?っていう、どうすんの?じゃないな、
私が聞くんじゃなくて、向こうがね、親がやっぱり、
なんかボケちゃったりしたら、もう私たちのことは構わずに、 迷惑のかからないように、
私とか娘たちで決めてね、とかいう話をずっと聞いてたんですよね。
それで、それのおかげで今ね、いろんなことがサクサクできてるというか、
うちの父はね、食堂ガンっていう、これね、ちょっと、 こういう話を本当にするのって、
本当、なかなかね、みんな簡単にすることではないかと思うんだけど、
私は、このいろんな人の話を聞くことによって、 自分がこれからベターな、
皆さん、聞いてらっしゃる皆さんが、なんか関係するような事態に陥った時に、
こんなこと言ってる人もいたなぁ、みたいな感じで思い出してもらえればいいなぁと思って話します。
うちの父はね、食堂ガンだったんですけど、見つかった時には、多分末期というか、もうステージ3ぐらいだったんじゃないかと思ってます。
今ね、素人なんですけど、全然あれですけどね。
だけど、父はすごい意識はしっかりしていたので、判断能力もあったし、自分としては治療をしてもらいたかったので、
病院にすぐ行って、抗がん治療を始めました。抗がん剤治療を始めました。
そのうちね、抗がん剤をなんかちょっと強くしたりして、もうだんだん食べれなくなってきたんですけど、
水も吐いちゃうような状態で、そういうのもメモがね、残ってたのがちょっと最近あったりとかして、ちょっと日記みたいにどういう状況、症状が出たのかっていうのは、父もメモしてたみたいで、そういうのも出てきてますね。
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で、最後までね、あの、諦めない、戦うこと諦めないっていう、なんかこう立場だった、本人は立場だったので、それを尊重して、
あと、まあちょっと難しいじゃないかと思ってたんですけど、私はその時はね、
放射線治療をしたいっていうんで、放射線治療ができる病院にね、あの、移ったりとか。
で、その時に父が言ったのはね、
ああ、あの、なんだっけ、ドクターXがいればなーって言ってね、来て治してくれないかなーとか言ってね、言ってて、
そしたら、ちょうどその頃ね、その父が入ってた病院で、ロケがあったりとかしてね、なんか、なんか皮肉だなーとかって思いましたけど、
まあそれはそれでね、ここでドクターXとってみたいだよ、みたいなことを父と話した、そういう思い出にもなったし、
まあ家族の中では、泣き笑い話というか、そんな感じで残ってますね。
で、まあとりあえず、で、結局ね、やっぱり放射線も効かなくて、効かないんですよって言われて、
それでもう、なんか、こう死の宣告ですよね、それはね。
で、だったら最後ね、やっぱり自分の家の近くの病院の方がいいし、
あのそのね、近くの病院というのは結構その、建てるときに、その病院が建つときに、いろんなこう死の活動とかで関わってた病院だったので、
じゃあそこに、そこだったらね、なんとなく、いいでしょっていうことで、そこに最後、
移って、で、ナースステーションの一番近いところにいさせていただいてね、何かあったらすぐ駆けつけていただくっていう感じで、
それで最後、ね、亡くなっていったんですけども、それ最後まで結構、父はね、意識があったので、自分の意識で動けたっていうのがあったなと思って、
それを私たちも聞けるだけ聞いてできたので、まあ、
まあいろんなことを考えれば、ああだったりした方が良かったのかなとかも思うんだけど、でも、
まあこういうふうにいけたことは良かったのかな、良かったというか、まあ私とか妹とかはやるだけのことだったかなって思ってます。
で、もう一つね、あの、だから、まあそうだね、聞いてあげられたっていうことはすごい良かったなって思ってます。
あとはですね、今じゃあ、今直面している問題なんですけど、うちの母の問題で、
えっと、今ね、介護が必要なぐらいで、今ね、認知症の度合いがどんどん上がっているみたいなんですよね。ちょっと、
トイレとかの場所もわからないんでね、今うちの中で、それがどういう仕組みでわからなくなっているのかわからない。
ちゃんと行けるときはいけるし、行けないときはいけないみたいな感じで、まあ細かく言うといろいろ症状はあるんですけど、
で、そういう中で、あの2年半前ぐらいだったかな、に、えっと、肺がんだっていうことがわかったんですよね。
で、もうその時も、あの認知症が出ているのはわかってたので、あの治療は難しいって、やっぱりお薬とかでやることはできるかもしれないんだけど、
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手術とか、そういったあの、全身麻酔が伴うような治療は難しいってちょっと言われたこともあって、
それはじゃあ積極的なね、アプローチはしない、積極的な治療はしないっていうふうに、私と妹で決めて、一応放置してたんですよね。
で、その時になぜ私と妹が、妹はだいたい私が決めたことを同意してくれるんですけど、
一応ね、私も理由があってそうにしてるので、そうすると私は、
が決められた原因として、原因というか、理由としては、母とずっと話をしてきてるし、えっと、私が決めたことを母はきっとね、あの本当に正気であったと、認知症でなかったとしても、
あの尊重してくれる人だっていうの自信があるんですよね。で、その自信っていうのは、
いっぱい話したからかなとか、いっぱい父と母のことを知ってるからかなって思ってます。
で、これって本当異文化交流とか、私がいつもこだわってるものと同じだと思うんですけど、
人のことを知ってるってことはすごいこう、その人の代わりに決断をしなければいけない時に、
役に立つんですよね。
で、それは今、いろんな、まあそのね、母に対しての思いとかはいろいろこう、
あるわけだけど、今一番彼女にとって重要なのは、これからどうするかということを決めてあげることだというふうにちょっと思っていて、
で、決めてあげることだと思っているのか、ちょっとごめんね、
だけど、いろんな判断を突き詰められるんですね。
一昨日もお医者さんに呼ばれて、どうしますかって言われて、病院に入れるんですか、それともうちで見るんですかって言われたんですけど、
で、じゃあ見る場合にはどういうリスクがありますかっていうのを、今度お医者さんが教えてくれるわけじゃないんですよ、みんなこれすごい気をつけなきゃいけないんですけど、
お医者さんがそういうことを教えてくれるわけではなくて、私の場合だと決断を責められて、そこでわかりませんとか言ってると、病院に連れて行かれちゃうんですね。
で、たまたまですね、私は先生の言う通りにしようと思ったので、病院でもしょうがないのかなって思ってたんですけど、
ちょっと熱が出ちゃったりとかしたので、治療しましょうということで病院に入院してくださいって言われたんですけど、
病院が見つからなかったんですよね、今ね、やっぱりコロナの影響で、そんなに重症なわけじゃないので、うちの母の場合はね、見た目というかもう本当に普通に倒れちゃったりしたわけではないので、熱が出ただけなので、
だから受け入れてもらえなかったんですね、7個聞いてくださったそうなんですけど、病院受け入れてもらえない。
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私ちょっと心の底では良かったなって思ったんですよね、今ね、できることいっぱいあるんですよ、お家の中で、だけどそのお家の中でできること、あと食べること、私たちに話しかけてニコニコしてとか、
トイレに行ってお風呂も私が入れたりとかできるし、あとはちょっとそのお熱さえ下がれば、またケアホームに通ったりとかできるんですよね。
そういうのとか、病院に入っちゃったら全部取られちゃうんです。今だと多分面会とかできなくなるので、母の可愛らしい笑顔とかも見られなくなるし、でもそれってすごい決断なんですよね。
近所のおばちゃんとかは、そのお友達のね、母のお友達のおばちゃんとかは、それが一番ベストなんですかって聞いてくるんですよ。
そういうことってないですかね、その愛があるというか、本当に大切な人だからっていう意味で聞いてくるんですよ。
私もそこで揺らいじゃったりとかしたら、ここでこんなね、なんか何人、なんか結構たくさんの人に聞いていただいてるやつなんかところで、自信持ってこういうの話せないんですけど、これ本当にシェアしたいのは、
だから自分が下さなければいけない決断をするために、一番必要なことは、本当に皆さん、大事な人とはいっぱいいっぱいいっぱいお話をするとかして、本当にその人がどうなっちゃった、例えばうちの母のようになったときに、どうやって判断を下すか。
下して周りからいろんなことを言われても、それがベストだったというふうに言えるかどうかだなーって、つくづく思っています。
いろんな言うんです、いろんな人は、周りの人は、近ければ近いほど言いますね。
それがね、ご兄弟とかで、うちはたまたま本当にね、うちの妹がこういった決断を下す場合の信頼をね、私にくれているので、すごいやりやすいんですけど、中にはね、ご兄弟の中で気持ちが合わないとかっていうこともあると思うんですけど、じゃあなぜ気持ちが合わないのかっていうのも、それももう本当にお互いのね、相互理解ですよね、いろいろな人の都合があるわけですよね。
そのご兄弟だろうが何だろうが、本当に違うんですよね、都合がね、あとに特にもうそれぞれがご家族を持ってたりすると、そういったところで、もうこれ聞いていただいている方ね、なんか本当に古典の方とかが多いわけだから、なんかその時こそ、そのなんかメタ認知とかね、そういうのを発揮してね、
あの、まあ多くの人が知らないことかもしれないんだけど、相手のその立場とかをなんかもうめちゃくちゃ考えて、めちゃくちゃ深掘りしてとか、あと一番話すのが重要なんですけど、話に乗らない人だっていますよね、時間がないとか忙しいとか、そんなの話したってわからないとかって言ってくるご家族とかご親戚とかいると思うんですよ。
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でももうひたすらね、なんかこう粘って話とかして、で一番時間もかかることもあるかもしれないんだけど、そういう問題が起きてしまったらその粘りでね、なんかやるしかないなっていうふうに心から思っているし、あとは今全然私みたいな問題を持ってないとしても、もう問題、私も問題とはあまり思ってないんだけど、
あの状態になった時に、待って、なってない人、なってない人はとにかく今一番大事な人で、この人に言ってることよくわかんないなとか思いながら毎日を過ごしてたりとか、なんかお父さんとお母さんの話聞いてないなとか、もしお父さんとお母さんがね、急に何かあった時に自分は何をしてあげられるだろうとかってちょっと想像した時に、
お父さんとお母さんが何を望んでいるかとかわかってないとね、あの後でちょっとやっぱり気持ちの悪いことがになると思うんですよ。だからちょっとね、その辺を、私が全てちゃんとできてるってわけじゃないんだけど、今こうやってサクサクいろんなことができちゃってるのってその辺のことがあるので、よーくね、なんかこうお父さんとお母さんの話聞いて、
あのどうしたいかね、あの本当例えば具体的に言うと認知症なんていうのはどんな人にも起こることなのでね、あの
うちは大丈夫だって思ってね、本当でもあの、本当ね、わかんないでしょ、本当みんな健康でいられればいいんですけど、あの心配症の部分だけ言ってますけど、あの私のね、心配症の部分が出て言っておいてるわけなんだけど、本当にお父さんとかお母さん、あとはまあご家族ね、いつもね、自分が何かあった時にこっちが判断しなきゃいけない時に、その人に対、なんていうの、その大事な人にとっての一番のね、
ベスト、ベストは難しいけど、ベターなね、チョイスがしてあげられるような状況に、というか意見交換とか、その人の気持ちをね、わかってたらいいんじゃない、わかってるぐらい話をきちんとしておいた方がいいんじゃないかなとかって、
ここちょっと2日ぐらいで、つくづくつくづく思ってます。ということでちょっとヘビーですけど、あの、私のね、本当の、なんかこうライブな感じで、2年3ヶ月本当帰ってきてなくて、コロナだし、すごくエモーショナルな期間なので、えっと、あえてね、ちょっとあの、話させてもらってます。
いつもはね、なんか、楽しい話の方がいいなと思って話してるんですけど、これってすごく重要なので、話してもらって、話させてもらってます。あの、こういうのをね、話したりとかしても、まだ私も元気でいられるのは、ね、直近で言うと、本当にね、この数日間とかでも、あの、お達者クラブの皆さんでしょ?なんか、ツイッターのね、あと、
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もちろん中高年クラブの皆さんが、こう、いつも支えてくれていて、あとは、最近だと、ゆきさん、北海道のゆきさんがコメントくれたり、あじゅさん、ひろろさん、いざさん、えっと、読書術研究家さん、えっと、コロラドからいくこちゃん、もうみんなね、あの、くれていて、あと、たかぴさんは安定で、いつも感想くれたりして、
まだ他にも、いろいろ、支えてくださる方がいるんですけど、オンラインで、こうやって支えてくれてる、くださる方がいるおかげで、本当に、目の前の問題に対して、前向きに取り組むことができています。
こういうことで、今日も聞いていただいてありがとうございました。忘れてる人いないよね。コメントくれた人、
コメントくれた人かいって言ったんだけど、ごめんね、もしも私が見逃していたらごめんなさい。ということで、今日はちょっと寒くて、ちょっと不機嫌ですけど、こういうことで、また皆さんにもいい1日になりますように、とりあえず今日1日終わったら乾杯はします。
あと、餃子とか、たけのことか、食べながら、落ち着いたらね、たぶんシンガポールに帰ってから、なんかみんなでズーム飲み会できたらいいなーって思ってます。ということで、今日は終わりにします。じゃあね、バイバイ。
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