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こんばんは、北詰至です。
このポッドキャストは、毎週一つの短歌を取り上げて、短歌の世界の楽しみ方をお話ししています。
毎週金曜、夜8時に配信しています。
今回は、みんなに平等に訪れる生と死についての短歌をご紹介します。
短歌がもっと楽しくなる15分です。
僕たちは、生きる、笑う、食べる、眠る、変に明るい共同墓地で。
今回は岸原沙耶さんの、僕たちは生きる、笑う、食べる、眠る、変に明るい共同墓地でという短歌をご紹介します。
この短歌は岸原沙耶さんの声、あるいは音のようなという歌手に収録されています。
最初この歌のイメージとして、すごく優しい穏やかな短歌なのかなって思うんですけど、最後に変に明るい共同墓地でっていう言葉が来るところがドキッとさせられますよね。
この変に明るい共同墓地って何のことを言ってるんだろうって考えた時に、
きっと私たちが住んでるこの世界のことを変に明るい共同墓地で表現してるんだろうなと思いました。
僕たちは、生きる、笑う、食べる、眠る、変に明るい共同墓地で。
最初すごく穏やかですよね。
僕たちは、生きる、笑う、食べる、眠る、
普通の健康的な生活、みんなの日常なんですけど、それがどこで行われているかというと、実は変に明るい共同墓地で。
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最初の生活の穏やかさと、最後に来る、あ、穏やかなんだけど、私たちが生きてる世界って変に明るい共同墓地なんだって気づいた時の、このイメージの落差がすごくあるので、
なんかより最後の変に明るい共同墓地っていう言葉が強烈な印象を与えているなと思います。
しかも、墓地に対して明るいっていう言葉が付く意外性もありますよね。
普通墓地って言うと、暗い、悲しい、寂しい、怖い、みたいなイメージがあると思うんですけど、
それを明るい、しかも変に明るい共同墓地っていう風に言ってるところが、意外性があって面白い歌だなと思いました。
私、今回この歌を初めて見た時に、久しぶりに心臓がドキドキしたんですよ。
なんか、自分が日々思ってたことの確信をついてくれたというか、
あ、そうだ、なんか私がこの世界に対して感じる違和感って、この歌のことなのかなって思いました。
私が普段生活していて思うのは、この歌の通りまさに、
僕たちは生きて笑って食べて眠ってっていうすごく優しい世界、
生きてるっていうことを実感できる日々を過ごしているんだけど、
でも、みんなこの世界に生きているものすべてが平等にいずれ死んでいくわけですよね。
で、私ね、世界って平等であることが理想だけど、
まあ、だいたい不平等じゃないですか。
それは男女の差とかもあるし、
豊かとか貧しいとか、まあ、そりゃ心の面もそうだし、物理的な面もそうだし、
あとは生まれた国によっても平等さ、公平さって違いますよね。
例えば日本に生まれたら、みんなほとんどの人が等しく教育を受けられる。
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それはすごく恵まれているけれども、
生まれた国が違えば教育も受けられないっていう不平等さが実際にあるわけですよね。
だから平等は理想なんだけど、どうしても埋まらない不平等さってある中で、
唯一、私たち人間の共通の平等さって、
生きてるっていうことと、いずれ死ぬっていうことなんですよね。
その二つだけは、完全に等しく平等で、全員に訪れるんですよね。
お金持ちが延命治療しようが、延命治療するだけのお金がなくて、
本当に日本だったら助かるような、ちょっとした怪我や病気で死んでいこうが、
でも、いつかは死ぬんですよ、みんな。タイミングの違いだけで。
私はそれはずっと子供の時から思っていて、
この世界の平等なことっていうのは、
生きてるっていうことと、死んでいくっていう二つだけだっていうふうに思っています。
その公平さと、それ以外の不平等さっていうのは、
常に違和感として、
ちょっとこの世界の気持ち悪さとして、ずっとまとわりついているんですよね。
常にそれに対して思い悩んでいるほど重いわけじゃないんだけど、
赤ちゃんが羊膜に包まれているような、
べっとりと薄く張り付いているような感じは常にあって、
その気持ち悪さ、息苦しさみたいのを、
この岸原沙耶さんの、
僕たちは生きる、笑う、食べる、眠る、変に明るい共同墓地で、
っていう歌が見事に表現してくれたなって思いました。
まさにこれなんですよね。
この歌、読む人によっても全く捉え方が違うと思うんですね。
この歌ね、ぜひ文字でも見てほしいんですけど、
僕たちは生きる点、笑う点、食べる点、眠る点、変に明るい共同墓地で、
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っていう風に、生きる、笑う、食べる、眠るの後に等点がついています。
で、この等点がすごく効いていて、
読み手側に、私たち、自分の生きるってどういうことだろう?
自分の笑うってどういう場面だろう?
自分が食べるってどういう気持ちになってるだろう?
自分が眠る時何を思ってるだろう?っていう、
自分自身の生きる、笑う、食べる、眠るについて、
考える隙間をくれてるんだと思いました。
で、この等点があることで、
みんながそれぞれの生きる、笑う、食べる、眠るを想像して、
で、最後に、でもこの世界ってみんな共通で変に明るい共同墓地なんだよ。
私たちはいずれみんな死んでいくんだよ。
っていう風に総括してるっていう風に感じました。
で、それぞれ感じる、生きてる、笑ってる、食べてる、眠ってるって、
みんな想像すること違うと思うんですよね。
その人なりの生きる、笑う、食べる、眠るっていうのがあって、
そこは不平等な世界だと思います。
例えば笑ってることが本当にたくさんあって毎日楽しいっていう人もいれば、
前回いつ笑ったっけ?って思い返す人もいると思うんですよ。
食べるにしても、毎日贅沢三昧ですごく美味しいご飯が食べれるっていう人もいれば、
雑草を食べてなんとか生き延びてるっていう人もいると思うんです。
だから最初のこの僕たちは生きる、笑う、食べる、眠るっていうのは、
すごく不平等な世界なんですよね。
生きてるっていうことは等しく同じなんだけど、
その中身っていうのはまるで全く違くて、
いい言い方をすると多様性があるっていうことなんだけど、
多様性ってイコールではないけど、
裏を返せば不平等であるっていうことにもつながるかなって思います。
そんな不平等な性を生きている私たちも、いずれ平等に共同墓地で眠る。
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私たちはみんな等しく死んでいくっていうその不平等な世界から、
完全に平等な世界へ行くっていうところがすごく深くて、
私のこの長年のモヤモヤを一つの短歌で言い表してくれたなっていうふうに思っています。
だから私は結構この短歌最初読んだ時、久しぶりに心がドキドキしたし、
なんか長年のその体にまとわりついてた羊水の膜みたいなものがちょっと薄くなった気がしました。
でね、あとね、死って怖いじゃないですか。
死を恐れない人なんていないと思うんですよね。
どんなに勇敢な兵士とかでも、
やっぱり実際死ぬってなったらすごく怖いと思うんですよね。
だけどなんかこの歌の優しいところっていうのは、死を怖いものとして書いてないというか、
死に対してちょっとこう安心させるような気遣いがあるなって思ったんですよ。
で、それはこの最後の句で墓地のことを共同墓地っていうふうに言ってるところなんですね。
墓地って言うだけで言われると、なんか一人で死んでいくっていうその怖さや悲しさがあるんですけど、
墓地って言ってくれることで、みんなで死んでいくんだよね、みんな死ぬんだよねっていう、
私たちは人死んだよね、誰にでも死が訪れるんだよねっていう、
自分だけじゃない心強さみたいなものを感じました。
そう考えるとなんか死が優しいものに思えるというか、
まあきっと怖いんだろうけど、でもみんなが経験するんだって思えば、ちょっとこう死への怖さが安らぎませんか?
私は死ぬ時にどう思うか本当に想像つかないけど、
なんかその、あ、平等だ、やっと一緒だって思えるんじゃないかなってこの歌を読んで思いました。
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なんかね、私は結構こだわりが強いので、なんか共感の範囲がすごく狭いんですね。
で、なんかその、あ、わかるわかるそうだよね、同じ気持ちだっていうのが、なんか本当に同じなのかなって結構疑っちゃうんです。
なんか表面上、大くくりにすると一緒なんだけど、突き詰めていくと、なんかその、どこかでちょっと違ってたみたいなことが、
まあ大体そうだと思うんですけど、そういう違いがすごく気になって、
あ、本当にこう深い深海のレベルで人と共感することは無理なんじゃないかなって思う時が、
まあ多々あります。
それがすごく私は寂しくなるし、絶望的な気持ちになることもあるんですけど、
まあだからタンカが好きっていうのもあるんですけどね。
なんかそういう深海レベルの共感をずっと求めてるっていうか、いつかタンカの世界でたどり着けるんじゃないかなっていう。
なんかタンカの世界ってそういう希望があるので、なんかそれが好きでタンカを自分で作ったり、
人が作ったタンカを読んだりしてるんですけど、なんかね、でも死ぬ時にきっと、
あ、やっとみんなと一緒だって思えるんじゃないかなって、なんかこのタンカを読んで思いました。
なんかもしかしたら私は死ぬ時ハッピーかもしれない。
やっとなんかみんなと同じ気持ちになれたっていうような、なんか救いみたいなシーンになるんじゃないかなって思いました。
これ別に死にたい願望とかないですからね。私は生きたい願望しかないですけど、
なんかそういうふうに迎えられるんじゃないかなっていう希望が持てるタンカでした。
はい、いかがでしたでしょうか。
今回は岸原沙耶さんの僕たちは生きる、笑う、食べる、眠る、変に明るい共同墓地でをご紹介しました。
タンカの世界の歩き方は毎週金曜夜8時に配信しています。
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また来週金曜夜にお会いしましょう。
それではおやすみなさい。