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短歌でおしゃべり、北詰若菜です。
このポッドキャストは、好きな歌人の方の短歌や、自分で作った短歌について、勝手にあれこれ想像しながらおしゃべりしています。
今回は、夏の概念がギュッと詰まった短歌をご紹介します。
それでは、今回の短歌をご紹介します。
あの夏の数限りなき、そしてまた、たった一つの表情をせよ。
はい、今回は小野秀樹さんのあの夏の数限りなき、そしてまた、たった一つの表情をせよをご紹介します。
小野秀樹さんは、すごく昔ですね。
40年、50年くらい前にも、すでに若い時に交通事故で亡くなられている方なんですけれども、
その方の歌で、この歌を見たのは多分、短歌の本で、永田和弘さんの作家のヒント、作家っていうのは歌を作るのを作家のヒントっていう本の中で確か紹介されていたと思うんですけれども、
この歌自体は、40年とか50年とかそれくらい前の歌なんですけど、この歌の夏の概念っていうのは、今も相変わらず一緒なのかなと思って、
この歌を読んだ時に、小野秀樹さんがそんなに古い方だっていうのは知らなかったので、なんか割とそんなに昔じゃない、割とこう最近の感じの歌なのかなっていう風に最初は思いました。
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あの夏の数限りなき、そしてまたたった一つの症状を背負って、
夏の感じ、夏に自分が感じることの全てがこの歌。
そもそも、すごく簡単にこの歌を解釈した時の意味。
で、夏に誰かが見せた表情。髪の毛では数限りなきって言ってるんですね。あの夏の数限りない表情。
これって、例えば何でもなく笑いあったとか、夏に何度も何度も繰り返されるような光景、何度も目にするような表情で、
だけど下の句で、そしてまたたった一つの表情を背負って言ってるんですよ。
何度も何度も繰り返された似たような表情なんだけど、
あの夏の数限りなき全てが同じ笑顔であったとか、全てが同じいつもの顔であったっていうわけではなくて、
似てるんだけどちょっとずつ違って、
そのたった一つの表情って、何かその似たような表情の中でもすごくドキッとするような、
この人のこの瞬間のこの顔はきっと一瞬忘れないと思うようなエピソードとかその場面とかによって、
きっと何かそういうたった一つっていう瞬間が生まれて、
しかも夏って一生の中で何度も何度もやってくるんだけど、
たくさんある夏の中であの夏っていうのはたった一つだけなんですよね。
日本には春夏秋冬式があるけど、
何か私はこの歌を歌うときに夏の特別感ってあるなっていうのがすごく思って、
この歌ってきっと夏じゃないと成立しないんだろうなっていうふうに思いました。
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あの春の歌って、
あの夏って言った途端に、
夏休みがあるからそこにおるのかな、
あの夏にいっぱい一緒にそばにいて、いっぱい一緒にいろんな体験をして、
いっぱい一緒に歌って、いっぱい一緒に歌って、
いっぱい一緒に歌って、いっぱい一緒に歌って、
あの夏にいっぱい一緒にそばにいて、いっぱい一緒にいろんな体験をして、
数限りない経験を一緒にしたんだけど、
その中であの瞬間のあの人のあの表情っていうのは、
あの夏だけのものですごく特別なんだっていう、
まあノスタルジーですよね、なんですけど、
夏だけの感情っていう感じがして、
私はこの歌はすごく一生の中で一度っきりの体験、
すごく貴重な瞬間を読んだ歌なんだろうなっていうふうに思いました。
なんか、そういう経験ってきっと誰にでもあるんじゃないかなと思います。
夏の経験ってどういう、きっとみんなの中に一つだけの数限りない、
そしてまたたった一つの表情っていうのは、きっとこの歌を読んだときに、
何かちょっとでもいいからぼんやりと思い浮かぶ瞬間ってあると思うんですけど、
なんかそういうのを皆さんの数限りなくてまたたった一つの瞬間っていうのを聞いてみたいです。
もしよかったらファンから声スメッセージもくれるので、ぜひ教えてください。
私はこの歌を繰り返し読んでるときに、なんとなくうっすら脳裏をよぎる夏の話があって、
子供の頃、夏休みは何もやることないんで、
だいたい午前中は夏休みの宿題とかやって、
午後はだいたい友達がマカナちゃんって遊ぼうってやってきて、
友達と一緒に遊ぶんですね。
大体は近所の公園でボールを蹴ったりして遊ぶんですけど、
たまにちょっと自転車で行く、ちょっと離れたところにある市民プールみたいなところに行くときがあって、
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友達同士で冒険ですよね。
今思っても大人の足でもちょっと離れたところにあるようなプールだったので、
みんなで自転車詰まって、自転車を置いて片道30分とかけて行くわけですよ。
プールの目印になる未焼却場の煙突みたいのがあって、
その近くに温水プールがあったんですけど、その焼却炉の煙突目立ちに行くわけですね。
みんなで自転車で。
ちょっとした冒険ですよね。子供で自転車で30分くらい行って、
プールに入ってみんなで遊んで、
プールに上がったら疲れてお腹空くじゃないですか。
プールの跡独特の眠気とお腹空いてる感じと。
だいたいお小遣いを持たされていくので、
そこでケンジャラーメンっていう、
志村県のミニカップヌードルみたいな子供用のおやつのすごくちっちゃいカップラーメンがあるんですけど、
それをみんなで買って、売店でお湯を入れて冷やかして、
みんなで食べて、ちょっと腹ごしらえして、
また30分かけてお家に帰るっていう。
そのケンジャラーメンを食べてる感じというか、
私はこの歌を読んだ時にすごく思い浮かんで、
会う時に友達と並んで、みんなでくだらない話しながらケンジャラーメン食べたっていう、
友達の表情とか、覚えてないんですよ。
ぼんやりしちゃって誰と言ったかも曖昧だし、
その時友達がどんな表情をしてたか、
私がどんな顔をしてたかっていうのは、
そんなに鮮明には思い出せないんですけど、
なんかああいう瞬間が家族にいれなくて、
そしてまたたった一つの表情だったんじゃないかなっていう風に思います。
みんなでプール行ってケンジャラーメン食べたって、
ケンジャラーメン食べたって本当に、
数年何度も何度も夏を経験した中で、
本当に一、二回の夏だっただけですね。
夏、一年経った後の夏って全然過ごし方が変わっちゃうんで、
特に子供の時なんかそうですよね。
小学校6年生の時で過ごせますと、
中学校1年生で過ごせますと全然違うし、
なんかたった一回の夏、夏は何度も来るけど、
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あの夏っていうのは一回だけって、
なんか思いました。
ケンジャラーメンの話をすると、
なんとなく年齢がこれくらいなんだろうなって分かりますよね、きっと。
たぶんあまり若い人はケンジャラーメンなんてなかったんだろうなと思います。
はい、いかがでしたでしょうか。
今回は夏の概念がぎゅっと詰まった小野茂樹さんの単館。
あの夏の数限りなき、そしてまたたった一つの表情性をご紹介しました。
なんかでおしゃべり、今回はこの辺で終わりにしたいと思います。
また聞いてくださいね。バイバイ。