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2021-08-23 45:50

#23 処暑の巻!ゲスト回♪移住してギャラリー10年:手島美智子さんに聞く「やっぱり人がおもしろい!」

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夏っぽくない夏ですが。処暑は、暑さがとまるころ、って意味らしい? さて、今回は初の村人ゲスト!! 昨年、80歳を機に、村の現代アートギャラリーを閉じ、ただいま新たな出発を計画中の手島美智子さんをお迎えしました(我が家のキッチンへ!)。 大阪のギャラリー時代、移住であわや離婚危機!?から、移住した南山城村のギャラリーでの発見と喜び、村の絵画サークル「といろの会」のこと、そしてこれからやっていきたい挑戦のこと。たっぷり語っていただきました。 手島美智子さんのGallery Den mym(現在は閉鎖されていますが、WEBで記事が読めます) http://galleryden-mym.com/ たねと暮らすでは、おたより・感想を募集しています♪どんなふうに聞いてくださったかな?何か響くところがあったかしら?よかったらお声を聞かせてください。 tanenotoshukan@instagram tanenotoshukan@gmail.com

00:06
たねと暮らす 書書です。
よっ 書書知ってますよ。
知ってますの? 知りません。
早かったね。書書というのは、
書って止まるっていう意味があるそうです。
ので、暑さが止まる
ということから、書書だそうですよ。
確かに。 止まりましたね。
止まったというか、おかしいけどね。
あまりにも雨が多いし、
梅雨が帰ってきたみたいになっちゃったね。
そう、ここ一週間。
うちの近くもね、ここは、
一応、南山城村の中でも大河原っていう、
本当に川の近くなんだけれど、
まあ、だいぶね、増水して濁流ですね。
まあ、そんなわけで、
ちょっとあんまり、なんか夏らしさは、
なくなってしまってるんだけれども。
もう、だってお盆の最中でさ、雨で気温も上がらずだったんで、
なんか、今までの照りつける太陽みたいな夏っぽさは、
全く感じず、
絶対やもう、ほぼなかったね。
まあ、引っ越してからね、
そんな朝は結構涼しいから、あんまりやけど、
昼間の暑さみたいなのなくす。
雨だけ、雨だけ我慢。
なんか、夏野菜とかも、
トマトも全部割れるみたいな事件が起こってて、
水にあたってね、割れちゃったり。
雨が多すぎて。
ちょっと異常な気象やなっていうのはあるね。
まあでも、その最中でもね、
村は結構いろんなことが盛り上がってて、
ちょっと僕がたまたま誘っていただいた、
そのトイロの会っていう、
ただ絵を描くっていう、
誰かが教えてとか、っていうことは全くなく、
好きに描き、好きにしゃべるみたいな、
その集まりの作品展が、
開催されてますね、今ちょうど。
何日も、でもこの放送がされる23日には、
終わってるんですね。
あ、そうかもしれない。
この本編では、大物ゲストがやってまいりますので、
これはちょっとみなさんお楽しみいただきましょう、ということで。
03:06
今日はですね、初めてかな、
村で移住された方のゲストをお迎えしました。
僕がちょっとこの間、7月ぐらいに初めて誘っていただいた、
トイロの会っていう、
絵を描く会が南山城前にあるんだけども、
そこを主催されてる、手嶋美知子さん。
今日ちょっと、
今日実はそのトイロの会の、
展示会っていうか作品展をですね、
年に1回やるんです。
そう、明日から開催する。
で、今日その準備、設営をしてきて、
その会に、うちの上にちょっと寄っていただいたんですけれども、
ちょうど今日、せっかく来ていただいたので、
突然、設営以外。
ラジオにちょっと。
初めて呼んでいただきました。
いやー、ありがとうございます。
こっちも楽しみに、
ね。
来させていただきます。
すごい。
手嶋さん、確か10年前に移住されたってことで、
きっかけは、どういうきっかけでしたか?
きっかけはね、
主人もお年行って、
ご主人とお二人ですね、確かね。
アレスとして、リタイアして、
これから先、俺は、
人間の原点で暮らしたいって言い出したんですよ。
彼がね。
その人間の原点って何?って聞いたら、
土と共に暮らすんや。
土と共に?
何をするの?って。
もちろん、畑を耕して、
古くなった家を改装して、
そういうことをして、
この村で、死んでいきたいんや。
別は、私はその頃、大阪でギャラリーをしてました。
現代アートのギャラリーを、まだ元気でやってましたのでね。
そんな山奥へ行ったら、
私のギャラリーができなくなるじゃないの?って、
私に大反対したんです。
私は行きません。
あなただけ行きなさいよ。
ここでひょっとしたら、二人で、
お前は離婚か?って言うぐらい喧嘩しました。
えー、そうなんですか。
そんな一大事件だったんですね。
村に移住するというか。
終わりかな?っていうぐらいに。
私は、ギャラリーは必死でしたしね。
そうですね。
でも最後は、みちこさんは譲り張ったんですね。
結局ね、娘も、
お母さん、そんな言わんといっぺん、
お父さんが譲っているとき、行ってみたら?っていう、
娘のアドバイスとか、いろいろあってね。
行ってみたら、今なのコミカですよ。
まだ何も手が入ってない。
床は全部落ちてました。
うわー、すごい。
こんな家でどうやって暮らすのよ。
06:01
私は絶対無理って。
結局そこにね、大工さんに入ってもらって、
まあ、主人も一緒になって、彼、大工さん。
小西幸男さんって、この村では有名な大工さんですよ。
そうですね。
もうすぐお亡くなりになったんだけどね。
その方に助けてもらって、
もう主人も一生懸命、
小西幸男さんって言ったとおりに、
一緒にやって、床張り直して、いろいろやりましたね。
天井あれ、全部あそこに断熱剤を入れてるんですよ。
普通はそんなことしないですけどね。
主人はそれもしました。
とにかくこの家を立派な家に作り替えた。
元々は立派なお家やったみたい。
なんとかっていう村長さんが住んでたんですって。
私も名前もそんな忘れてしまいましたけどね。
その方が住んでたほど立派なお家やったのに、
まあ、人手に渡って、
なかなかそういう家を維持していく人が次々見つからなくて、
いつの間にか人の手に離れてしまったら、
こういう有様。
屋上の家屋っていうのはそういうね、
放っておくと、どんどんダメになっちゃうんですよね。
それだけで結婚?
だから私はずっと伏見郡、伏見郡?伏見郡にいたんですよ。
京都ですか?
京都の。そこで暮らしてました。
あ、そうですか。
だから私が時々ここへ伏見から通ってくるっていう形だったんです。
で、彼はその今の屋形の離れに、
まあどうにか、今彼が採用してる部屋ですよね。
あそこにちょっと小さい小部屋があって、
そこにはテュアブル部活があったりとか、
ちょっとした泊まったりできる、どうにかそこで泊まるっていう、
仮住まいみたいな。
そう、仮住まいでした。
で、そこで彼は仮に住んでたんですよね。
あやかやしながら。
何年ぐらい?
それはまあ2、3年の話ですけどね。
大変でしたね。
私はだから通いました、2、3年。
わー、それでもやっぱり2、3年かかって。
その頃一番つらかったっていうのはまあね。
じゃあ10年前に移住してから、新たに。
そうですね、これでまあどうにか住めるよという段取りがついたのが10年前。
それでやっとこちらへ移ってきて、ここにギャラリーも落としたんですよね。
そういうときなんて無理ですしね。
最初はこんな山奥に、その作家も嫌がるだろうり、
誰もお客さんなんて絶対来ないと思い込んでましたけど、
開いてみたら、素晴らしい景色、素晴らしい空気、
こんなとこで絵のお店の中にさせてもらえるのかっていう。
むしろ作家が喜んだんですよ。
またその作家に連れられてきたお客さんも、
09:00
いいとこですね、都会では信じられないような、
この空気は何ですかっていう、そういう感じで。
もう私が感動しましたね。
こんだけ、こんなとこ、人が植えてるんですね。
あの現代、都会に住んでる人たちが、
みんな現代人が植えてるものを持ってたんですよ、ここが。
驚きましたね。
そこから一生懸命、今までやってたギャラリー活動をやってました。
すぐ離れた、歩いてそうですね、あれ10分かかりますよね。
青い家は行かれたことあります?
実はその、僕らは引っ越した今年なので、
もう終わってたか。
青い家自体も終わってるんですよ。
今まだ見に行けますから行きましょう。
行きます。
嬉しい。
私も時々行って、あそこでお茶飲んだり。
ただし、もう引き払いましたので、
電気、ガス、水道、何もみんな切って出す。
だからそういうものはないから、持っていかないといけないんですけどね。
持って行ったら、あそこ鍵はもうちゃんとありますし。
住んでる家からすぐ近く?
そうですよ、でも10分かからないですよ、歩いて。
7本。
あ、そういうところに。
青い家、青い家って。
だからギャラリーイベントっていうのは、もちろん本館もやけど、
本館と青い家と2つ並行してやってたのはそれなんですよ。
あるでしょ?
あ、先ほどそう。
なんで2つになってるかっていうと、
1つは本館、見てください。
1つは青い家の作家。
だから同時に2つできたから良かったんですよ。
ここのお客も来る、ここのお客も来る。
この作家さんのお客さん、青い家のお客さん。
別の企画を同時でできたり?
どうやってもいいんですけど。
だから作家を選ぶときに、本館のホワイトキューブです。
まあ本館というかね、そっち側に合う作品が。
青い家はちょっと面白い造形とかがパチッと似合うんで、
こっちに合う作家かなっていう選択をして2人を選ばせてもらった。
そしたら僕は青い家が良いとか、本館がやりたいっていう、
その、そういうのを。
なるほど、内部の空間がちょっとテイストが違うから。
ちょっと違うんですよ、テイストが。
そこが面白かったですね。
だからこの2つを同時に並行してやったのが正解でした。
面白い。
なんとものすごいことに、そこの広見ひろむさんっていう方の、
もともとそのお家だったんですよ、普通の。
私よくウォーキングしてそこら辺歩くのあるので、
ある日行ったら、電源ついてない。
あ、そこは空き家やなと思って、何回か通ったら。
ある日通ってると電気ついてるね。
あら、お人がいるんかしらと思って。
12:00
帰ってきて、こっちで都市行った、よくご存知の方に聞いてみた。
あの家はどうなってんの?
あ、そこない。
行ったはんやけど、もう若い人もこんなとこ嫌々言って出てしもて、
で、コーナーさん、もうそこにニュータウンってあるやん。
はい、四季五世ニュータウンですね。
あの方に、うつっちゃって引き払ってしまって。
あ、そうなんですね。
それで、あの方だけ時々心配なので、
ひろみひろみさんだけが覗きに来てる形なんやって聞いたんです。
暮らしてみたって思って。
私はもう早速その方に紹介してもらった。
高校でイヤラリをやりたいんだけど、ここを貸していただくわけにいかんかった。
もう飛び上がって喜び張って、この家を救ってくれるんかって。
要するに、使徒が入って、使わないと木造の家屋は朽ちていくんですよ。
で、使ってくれるんなら、たらでいいってやったの。
やっと話がなかったの。
どうぞ使ってくれやったんです、ひろみひろみさんが。
ないって喜び張ったよ。
それで私、やってる頃に一度、ひろみさん見に来てよ、こんなのやってますって。
庭に立って、作家がいろんなことやってるの見てて、本当にぽろっぽろなきゃった。
私の家がこんな風に使ってもらってるんか、ありえません。
ひろみひろみさんはいい方だったよ。
そこら中でみんなに好かれてた。
何年かのうちに浪水で。
みんなに作家さんで、あそこ好きな作家がいたのよ、あの家のたたずまよ。
ここもいらんやけど、あんた次借りたらどう?って私、提案したこともあったけど。
みんなも、え、そりゃ嬉しいってこうなんやけど、子供さんいてたらこんなとこから学校行かずっていうの大変なことやしとか。
そういう生活っていうことになってくるとね、ちょっと考えるなーって言って。
あと入りたいっていう人が見つからなかったんです。
それもあった。今もおとりが浮いてます。
浮いてます。
あれだけ持ってんね、電気ガス。
やろうと思ったらできるんですね。
いつでも使えます。
そういう状態で今、青い家は。
なってるんですね。
まあ、見には来てください。私を通してくださったら。いつでも鍵持ってますので。
そのギャラリーも去年閉めてしまったんですね。
そうですよね。
その閉めた理由ってのは何かあったんですか?
いろいろあるんですけど、嫌になったとかじゃなくて、
今年3月、私3月生まれなんですけど、今年の3月で80歳。
15:04
80ですよ。
お若い。
お若いですよ。全然だったくらい。
そんなこと聞こうかって言ったんじゃない。本当にまず80なんで。
あ、80歳が来るなって。
え、そうなんですね。
これは何があったわけでもないし、今までもずっと続けてきたこと。
ここで、いつか嫌んなんなっていうのはあるわけでしょ。そういうことやる以上、責任。
しめ。
80歳、ちょうどいい日だなって思って。
それで実は、こういう歌なんですけど、もう昔、その話はしたことあるいますよね。
大学をどこにしようと思った時に。
言ってましたよね。
もともと文学が好きで、確かに文学やってたけど、特に文学の中でも演劇の、
アメリカ文学はね、あの頃、演劇もずっと盛んで、本読んで、いろいろやってたんですよね。
演劇の勉強がしたいっていうのが、大学入るときあって。
それで、日本中探したら言うとき、演劇ばったのは早稲田大学だけやったんです。
それで、早稲田生かしてくれって、父親に泣きついたんですよ。
女田寺に、ものすごい父親は厳しい人やってね、女田寺に下宿ならなものって言われて。
泣く泣くやめたんですよね。しょうがないんだなって父親にどなられて。
父は愛してくれたけど、そういう愛し方しか言わせんかった。
決まった。
女っていうのはこう生きるんやとか、そういうことの厳しい人やったから。
それで結局諦めてたんですよ。その見果てぬ夢がどっかにこの辺にあってね。
それで、いけないを収めたら、よしこの見果てぬ夢を開花さすんやと思って。
演劇や、あと演劇をやらんと私は死なれへん。
演劇だ!と思ったんです。
この話面白くてね。本当に。素晴らしい。
もうこれで80歳で切って、来年演劇調べます。
いろんなところで今どんな演劇の勉強できるか。
そしたらやっぱりここにいるよりも、大阪にマンション持ってるんですけど、
兵庫県やらあそこに至る方がいろんな学校っていう演劇関係の
まだどこで決まってないんですけどね。
そこに大阪へ住み着こうと思ってるんですけど、マンション持ってますので。
ところがね、コロナでしょ。大阪ものすごい悪いじゃないですか。
よいかないんですよ。大阪のマンションまでもよいかないのまだ。
これはどうなるか時間の流れを見てみてるとしょうがないなって思ってるところです。
18:00
すごいね。
さすがに半世紀を元が見させてもらって。
ギャラリー自体は大阪時代からどれくらいですか?20年ですか?もっとですか?
30年。ちょうど30年になります。
市内でギャラリーを開かれてから。
20年やって向こうで。大阪で20年やって。楽しかったですね。
いろんな作家と喧嘩もし、いろんなことをやりました。
だから作家が、こう言ったらいいように聞こえるけれども、
どうして信用してくれるの?あの人は本当のことしか言わない。
だから本当のこと同士っていうのはぶつかったときもあって、作家とも喧嘩しましたし。
要するに作家と一緒にちょうちょう走ってやってきましたね。
現代とかを好き?
別に現代とかは特にと思っていない。
やってるうちに、すごい時代を流れてやってきてる人は固まってるんですよ。
固まってるってわかる?
そのスタイルというか。
表現するいろんなことに、もう出来上がってしまって固まってしまって。
それをまだ固まらんと拘りしてるのは若い人なんですよ。
なんでそんな若い人ばかりが好きなんて聞かれる。
違う。若い人は、まだその作家は自分自身苦しんでるわけね。
作品作りの悩みするのに、まだ出来上がってないという。
これが面白いなと思ったんですよ。
だからもう、若い人と異なったわけじゃないんだけど、どうしても若い人になりましたね。
なるほど。
若い方が。
道子さんの持ってるコレクション、今度売るっていうことをお話しされてたと思うんですけどね。
その辺ちょっとお伺いしたいんですけどね。
コレクションって、要するに30年、この若いアーティストたちの作品を
その中の、これがいい、これと思うのを自分で貯めてきた作品が
割合とたくさんなったんですけど、じゃあこれを一体どうしようかと思った時に
この作品と共に墓場に入ってもしょうがないでしょ。そう思ったのよ。
で、この作品たちを活かすのはどうすればいいか。
そうだ、この作品をもう一度欲しいと思う人に買ってもらう。
値段をどうか落として。買ってもらって。
その頂いたお金よ、これはこの人たちが一生懸命買いできたアートの値打ちがそのお金になる。
21:06
この先、今、アートでいきたいけれども、本当にアーティストってね、お金がなかなか手に入らないんですよ。
苦しい生活なさってんの。でも彼らを支援したいの、私。
これから若いアーティストに頑張ってやろうねって。
その人たちに全部寄付しようと思ってます。そういう道も探ってます。
これは兵庫県立美術館のユーメンさん。美術館の学員さん。
彼女も割とそこに、伊賀の方にいらして。
そういうことで、今、出席させていただいて。
今度、コレクション展やるときに、ユーメンさん必ず入ってもらって。
ユーメンさんのCMを貼ろうと思って。ユーメンさんも賛同してくださって。
一緒に売る段取りとか、手伝いますからって言ってくださってんの。
ユーメンさん、それから作家さん。3人。これはもう、イエーイです。
イエーイです。
本当に思ってやっていただかないね。この人。思える人。
その趣旨を、コレクション展のときに、趣旨をユーメンさんに書いてもらって。
こういう趣旨で売りたいんやとなったら、買ってくれる人も増えるんちゃうかと。
確かにそうです。
その作品自身も手に入るけれども、そのあなたの出すお金が、次の作品を育てるんやと。
そういうことを歌ってもらおうかなと思って、私が書くよりもユーメンさんに。
それは言ってたユーメンさんに。
そういう我を出せば、ある程度お金になるんじゃないかなって。
つい先日、別大阪のギャラリーにコレクション展を見に行ったんですね。
友達が関わっているということで。
いろんな人のコレクション展だったんです。
一つのギャラリーがあるんですけど、そこに関わるアーティストがいて、そこに関わるお客さんというか、そういう人たちがいるんですけど。
そのお客さんたちが持っている作品を展示しようということで。
絵がある暮らしとか、自分自身も少し欲しいよなと思える。
それも同じように趣旨みたいに書いてあったんですね。
そのお客さんが、なぜこの作品がいいと思ったかとか、作品との出会いもちょっと載ってて。
そうすると、どういうシチュエーションだったのかとか。
作家さんをずっと見てきているお客さんやから、これが初期ですよとか、変わってきているのがわかりますとかっていうのも一緒に追体験できる感じで面白かったです。
暮らしの中に絵とかアートみたいなものがあるって、素晴らしいよって単純に思えるものだなって思ったので。
24:12
みちこさんのコレクション店とかもね。
前世を一緒に運んでみてください。まだ場所も決まっていないので。
決まりましたらまたお知らせいたします。
わかりました。
またね。
あと私、といろのかいのことをもう少しお聞きしたいなと思って。
といろのかいは移住されてきてすぐ始まったんですか?
全然。
結構最近立ち上げ?
最近ということではないですけど、そういえば絵のかいやってたなと。
意外とやってみたら、最初はえ?え?え?なんてとてもって言ってたけど、新聞にはもてはやされて、京都新聞に載ったんですよ。
そうですか。
そうなんですね。
京都新聞の記者さんって言ってくれて、こういうことを考えてるっていうこととかも書いてもらったりして。
一人増え二人増え、とにかく今日結構来てたでしょ。
すごい、本当に住人といろのかいですね。
みんなそれぞれの味わいと。
あれだけいるから面白いっていうのはあるでしょ。
そうですね。
何か一つのアート作品をめがけるのじゃなくて。
いろんな人がいろんな表現、同じものを見て書いてもいろんな人がいろんな表現すれば、え?え?ってことは面白い。
そういうかいね。
といろのかいとしたら住人がといろ思ってるなって。
ここが面白いとこじゃない?
素人の素人ですよ。
いつも楽しみにね、夫が行くのでね。
といろのかい。
自分も。
一緒だから絵描かなきゃって。
絵なんか習ってなくてもね。
地元のおばさま方が多い?
参加されてる方。
多いですね、やっぱり。
多いですよね。
結構男性もいるなっていう。
そうやね、私ね、最初。
男の人はきっと嫌がるだろうと思ってた。
なんかそういうイメージあるけど。
半分くらい男性いるんじゃないですか?
半分はないけど、とにかく男性が増えたんだよ嬉しいんですよ。
すごい。
いいですね、ずっとゆるり続けてる感じだなと思って。
第5回作品。
月1でしょ。
12回経ったら1年に1編作品でやりましょうって。
野次雅さんみたいな人が出てきて、
27:02
ああいう場所、あれもただなんですよね。
いいですよね。
野次雅さんすごいね。
すごい。
そっか、そうですね。
ありがたいことよ。
村人のための場所。
こういう交流の場所になればいいって言って。
拍手本ですよ。
みちこさん移住されて10年経ってギャラリー30年間やって、
人と一応占めて、また次のステップに進んでいくかと思うんですけどね。
ここ南に山城の村のね、
10年住んでたらね、いろんなこと見えてると思うんですけど、
いかがですか?
本当にね。
これは良いとか悪いとかっていうよりもね、
どっちか言ったら都会人でずっと都会でやってるんでしょ。
都会の面白さっていうか良さはね、
他人とは割と聞いてるんですよ。
独立してるっていうか、あんまりベタベタしてない。
悪く言えば冷たいわけ。
そういう関わりで都会の人は生きてます。
ここに来てやってきたのは、
あたたかい。
もうね、主人が畑そこらじゅうやってますよね。
通りかかったら必ずね、
テシマさん、テシマさん、それはこの方がいいや。
その種だったら持ってきてるわ。
もうさーっと取ってくれる。
もうなんていうの、
ずーっとみんな親戚以上かな。
そういうあたたかいものが村には流れてる。
それを叶わんと思う人もいるわけよ。
何もかもうるさいっちゃうるさいわけよ。
ほっといてもくれないから。
さわやかにぱっと見て、ぱっとこっち向いてスランプしていく。
それじゃなくて、必ずどうしたんやとか、こうしたんやとか。
それを嫌がる人もいるやとは思います。
でもあたたかいです、それは。
どんだけ主人も助けられてますか、そのお作業の問題とか。
今度はこんなアンネで、あんなアンネで。
必ず声かけるしな。
これはもう村の、何て言うんだろう、人と人の温かさやね。
私たちやっぱり不安もあってきましたし、
ずーっと都会暮らしですからね。
どうなんやろって、私なんか思ってましたけれどもね。
わかります。
それで私なんか特に、主人が言ってたんだけど、
何もがろう、何も村の人に見向きをせへんぞって言ってたけど。
あるおばさんなんかね、
30:03
それも難しい絵じゃないんですよ。
不思議な造形の。
インスタレーション。
インスタレーションですね、造形の。
そこへ来てね。
私、この四、五日何をクサクサ考えてたんやろ。
これ見てスーッとしたわ。
すごい。
おばちゃんが。
私それ聞いたとき、びっくりして、その言葉そのままその作家に伝えた。
こんな言うてあったよ。
作家も喜んだ。
何をクサクサ考えてたんやろ。
全部クサクサが吹っ飛ったわ、私はさ。
素晴らしい。
それほど正直な答えないでしょ。
ほんとそうです。
一番の。
なんかアートを感じるとか、そのアートのどれ。
そういうへちゃこちゃ言うたんじゃないんだよ。
彼女はおばさんよ。
そんなこと言うて、はーって言うて、座り込み張った。
その場所に。
それがね、考えてみたらね、
ピュアーなんですよ。
あの人こんなもので、こんな作品やから。
そういう知識でその作品を見てるわけじゃないんです。
もっぱたかよね。
何にも知らんと思う。
ただ作品とパチャーと、素のままでおったわけでしょ。
そういうものを感じてくれたっていうのは、私も嬉しい。
そうですね。
これがやっぱりね、ほんとのアートの原点じゃないかと思ってます。
それがそんなとんでもない言い方やけど、ただのその辺のおばちゃんが言われたから、びっくりよね。
面白い。
面白いの?
村に来てね、やっぱりそういうアートの本質というか、芸術の本来の姿ですね。
吸い取ってくれるとか、感じ取ってくれる人もいるってことで。
これは都会におろうと、どこにおろうとね。
感じ取ってくれる人は感じ取ってくれるし。
ということで、やっていくしかない。
すべての人間同士がそういう風にして分かり合えるって言うんでもないけどね。
そんな簡単なことでもないけれども。
大事にしましょう。
いい気持ち。
いいことしててよかった。
確かに。
そうでしょ。
なるほど。面白い。
なんか勇気づけられません?
確かに。そうですよ。
いいなって。人っていいなって。
私、基本人が好きなんですよ。
これ以外のものはない。
人。人ほど面白いものはない。
人は神さんじゃないもん。
ここが面白いんだよね。
みんなのことで怒るし、みんなのことで泣くし、みんなのことで嫉妬するし。
人間ほど汚らしいものはない。
この人間が面白いのよ。
面白いのよ。
33:04
俺がみんな神様やってみ?何の面白いことある?
神様じゃないから面白い。
だからお互いにやっぱり手差しの出会いしようよ。
そこでしょ。
それは僕らも引っ越してきてね。
色んな人と関わるようになって、すごく感じるところ。
本当に温かいなと思うし。
こんなに付き合いが深いっていうかね。
それそれ。
色々気にかけてくれはったりとかっていうのね。
だからそういう意味で嘘つかないとこ。
嘘はやめとこって。
この環境、村っていうかね。山の中っていうか。
それを育んだものじゃないかなっていうのはね。
わずかの時間ですけどね。
よくわかるなっていう気がします。
今日はありがとうございます。
ありがとうございます。
すごかったでしょ。
みちこさん。
てしまみちこさん。
我が家にまさかのキッチンで。
そうですよ。
録音させていただきまして。
ワールドでしたね。
あのね、
実際去年にもギャラリーは終わってしまったから、
ギャラリーやってたことみたいなことは、
実際見てないし、僕たちは。
知らないんだけど、
ホームページとかで過去にやってた情報っていうか、
アーカイブみたいなのを見てると、
なかなかやっぱり面白そうというか、
質の高いアーティストとかが展示をしてたんだなっていうのもわかるし、
それに伴うイベントとか。
そういうものに触れ合ってるっていうのもあるんだけど、
やっぱりみちこさんすごく若い感覚っていうか、
見た目もそうなんだけどもちろん。
やっぱりそのプロとしての美意識とさみやらの情熱。
そこってのは本当にパワフルな感じがしたかな、話も聞いてて。
すごい面白い会社の社長みたいな感じなの。
聞いてて。
だから話しか面白いから聞いちゃうし、
聞き入れるな。
36:00
自分で作ってるものじゃないんだけれども、
そこに対する愛情とか、責任感みたいなものっていうの。
それは確かに。
そういうものが思わず引き入らせるっていうか、
そういうパワーが、ギャラリーやる人ってこういう感じかみたいなね。
そうかもしれないね。
その人自身がアートなんだけども、
その人が扱ってるものはまた違うカラーもあって、
両者が出会ったから生まれる化学反応みたいなものの面白さを、
すごくこう、突き詰めていった中で、
こういう山中の村で起こってたすごく面白いものの、
なんかちょっと面影を私たちは見たし、
今起ころうとしている新たな化学反応っていうか。
なんか最後にちょっと言ってたんだけど、
ギャラリーが閉まったことで、
みちこさんがこれからやろうと思ってた演劇の道に、
もし早く行っちゃってたら、
もう大阪に行ってはって私たちとは会えなかったかもしれなくて。
面白いね。
必ず自分で見たものしか信じないっていうか、
そういうものしか絶対ギャラリーで取り扱わない。
自分で見て、自分で感じて、
それを素晴らしいと思って作品を展示する。
そういうアーティストたちを必ず支援していきたいみたいな。
最終的にコレクションを売ってアーティストに貢献していきたい。
その一連の流れみたいなのが全て物語な気がするし、
島に、島じゃない村に来たことも含めて。
そのバックには出島先生、旦那さんがいらっしゃる。
それも面白かったね、夫婦関係っていうかね。
影が絶対ある。
お互いの同じ興味を分かち合うわけではなく、
それぞれの本分があるんだけど、
それが戦い合う時もありつつ、
なんかね、響き合ってる感じっていうのは。
うん、そう。洋ちゃん言ってたけど、
出島先生のその戦犬の目じゃないけどね、
その人間の根本に変えりたいとかさ。
道子さんのその美意識、
その人間の根本に変えりたいとかさ。
39:01
うん。
そういうのがね、
そういうのがね、
そういうのがね、
そういうのがね、
道子さんのその美意識。
銀座まで4時間かけて、
毎日行く。
毎日通うみたいな、
知らせませんか、根性みたいなところですね。
目利き。
そうね。
妥協しない目利き感とかがね。
今回ちょっと旦那さん、
出島先生はちょっといらっしゃらなかったので、
またどっかの機会でお話をね、
伺いたいなと思ってますけど。
聞いてくださってるそうですしね。
ラジオやら。
私たちのポートキャストを聞いてくださったということで、
実はお手紙までいただいてて。
種のお話し会にも参加してくださって、
そういうこう、
全部自分の手で作るっていう生活をされている中で、
田んぼとか畑とか、
動物も飼ってはるし、
そういうことを本当に取り組んで、
いろんな人と一緒にやってき合った中で、
種のこともすごく興味あるっていうことで参加してくださったりして、
学ぶっていうこととか、
繋がるってことに対してすごくオープンな方だなって。
そうね。
ぜひまたお話聞いてみたいなと思ってます。
まだまだ村人、
面白い方がたくさんいらっしゃるので、
ゲストに呼びたい方もたくさんいるので、
その時その場面どう思ってるかとか、
その人の思いとか人柄、
なんかそういうものをこのラジオを通して紹介していけたら
素敵だなとかって思ってるので、
またちょっといろいろ続いていくかもしれません。
ってことでじゃあ、
てしまみちこさんの回答だったね。
とても素晴らしい方、
素敵な方でした。
ありがとうございました。
次回。
次回、はくろ。
白い梅雨です。
いつですか?
9月の7日がはくろですね。
42:01
で、これは
昼夜の気温差が大きくなって、
朝夕に梅雨を結ぶ梅雨が出てくる。
ということから昔の人がそういう風に名前を付けたそうです。
で、それと
陰陽、応揚説の中で
秋がその白の色に割り当てられていたというのも
そのはくろの由来じゃないかっていう風に書いてあるのを読みました。
もうじゃあかなり秋っぽい
なってくる
感じかね。
今年のこの異常な感じでどうなるか。
はくろどころかも。
逆に猛暑かもしれない。
猛暑?
猛暑が帰ってくるかもしれない。
だってこの間も棚畑の話してたのに
全然晴れないじゃんみたいな感じだったもんね。
昔の
旧暦だと晴れるんですよねみたいな話をしてましたが
もう
なんのこっちゃ?
なんのこっちゃ?
そんな
ことですけど。
どうなるか。
でも実りの季節って書いてます。
もう早くも新米が
出だす頃かな。
全国各地。
そうだそうだ。
その頃には210日あって
台風がよく来るので
農家さんたちは警戒心を高める時期だっていうのは
その辺りなようです。
次回はそんな
頃になりそうですが
実は今回
種のお話し会っていうのを
ひなみやましろ村で
8月の16日に開催したんですけど
もともとは種の取材を
もともとは種の図書館を作れたらいいなっていうので
ちょっと興味ありそうな人が
集まってお話できたらなって言ってたのが
ちょっと2、3人くらいかなと思ってたら
なんと15人くらい
聞いてくださって
いろんなとこからね。
その時のイベントの様子も
ラジオで
撮らせて
録音してあるものがあるので
それとか
あと今後ちょっとまた村で
種の図書館とか
種のお話し会っていうのもまた続けていきたいっていうところから
ちょっとそういう機会を作ることも考えてるので
次回はそういうお話もできたらなって思ってます。
そうですね。
で、次回はたぶんうっちゃんの畑報告も
45:01
久しぶりに聞いてるんじゃないのかな?
そうですね。
秋巻きの時期ですからね、実は。
9月入ると。
種が巻ける時期に入ってきますので。
なるほど。
秋冬野菜。
ちょっとサボり気味でした。
すいません、最近。
じゃあまたその時にね。
そうですね。
ということで、ありがとうございました。
いやいや、また。
次回ですね。
そうですね。
じゃあまた会いましょう。
はい、またねー。
45:50

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