2024.10.7設置。柳瀬陽介さんの動画から学びます。動画下の書き込みは,私のメモ。
参考:158 日記 | AI時代の教育のあり方 (2024.10.3)
教育実践を科学的に再現可能な操作と認識することは、実践と科学の両方を損なう(Zoomシンポジウム「外国語教育研究の再現可能性」2021年9月12日)2021.9.10
- 2024.10.7視聴。
- 私は,もともと再現可能性についてあまり重視していなかったので,同感同感という感じで観ていました。
- 教員養成学部で教科教育を教えていたという経歴は私と同じ(私は理科教育)。その後,自分で教育の実践者になろうと職場を変えたところも似ています(私は科学史教育)。年齢も同じくらいなので,結構共感できるところが多いのではないかと思いつつ,今後のビデオからまた学ばせて頂きたいと思っています。
- ネコ・コメントが面白い。
授業というコミニケーションの計画性と偶発性(言語教育ラウンドテーブル「コロナ禍で変容したコミニケーション:これからの教育を見据えて」2021年9月25日)2021.9.22
- 2024.10.7視聴。
- 対面と非対面(オンライン)を対立的・断絶的に捉えすぎているように思えます。
- オンラインにもグラデーションがあり,対面・非対面の様々なコミュニケーションは連続的なものであると考えられないでしょうか?
- 計画性だけでなく,偶発性も必要だという主張には同感です。
機械翻訳によって、異文化の問題は前景化するのかそれとも後景化するのか:一般学術目的の英語ライティング授業からの考察(京都大学創立125周年記念シンポジウム「転換期の大学言語教育-AI翻訳とポスト・コロナへの対応-」2021年11月4日)2021.11.27
- 2024.10.7視聴。
- 機械翻訳によって英語支配が強まるというような主張ですが,機械翻訳は英語以外の言語にアクセスしやすくなるため,むしろ非英語圏との交流が強まる可能性もあるのではないでしょうか?
- 英語のアカデミックライティングのあり方を一面的に捉えているように思えます。他者の声を十分聴くように指導している教科書もあります(Graff & Birkenstein, 2024)。
機械翻訳が問い直す知性・言語・言語教育—サイボーグ・言語ゲーム・複言語主義—(LET関東支部研究大会,2022年6月18日)2022.6.18
- 2024.10.9視聴。
- 機械翻訳が出てきたことにより,これまでの知性・言語・言語教育に関する考えを変える必要があるということに全く同感。
- 問題は,機械翻訳を道具として(身体の一部として)いかに使いこなすか。
英語教育の意義(why)・原則(what)・指針(how):AI時代の再定義(未来の先生フォーラム招待講演,2022年8月2日)2022.8.8
- 2024.10.9視聴。
- 英語教育の再定義といっていますが,ここで言われていることは,人文社会系の教養教育一般についてもそのまま当てはまるような気がします。
- 機械翻訳を英語教育に積極的に取り入れる方法を,教養教育にAIを積極的に取り入れる方法の参考にしたいと思います。
学習者の人格を尊重する英語教育(公開シンポジウム「人を育てる英語教育・田尻悟郎の授業は大学生の人生にどのような影響を与えているのか」2022年8月20日)2022.8.22
つづく
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