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2024-01-08 08:18

#27 鉱石ラジオを作りたい | TanaRadio黎明期

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TanaRadio黎明期では,TanaRadioの公開配信が始まった2024年2月以前に,ある大学教員のコミュニティ(MOSTコミュニティ)内限定で配信していた時期のTanaRadioのエピソードを(一部)編集して公開します。日付は,実際に限定公開した日付をつけています。

内容:
・小林健二さんの本『ぼくらの鉱石ラジオ』に魅せられる
・鉱石ラジオはコンヴィヴィアリティのための道具ではないか

参考:
#1 ラジオやりたい | TanaRadio黎明期
小林健二『ぼくらの鉱石ラジオ』筑摩書房,1997
イヴァン・イリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』ちくま学芸文庫,2015(引用はpp.48-49)

#TanaRadio黎明期 #学びのなんでも相談室 #自由な学び #イリイチ

サマリー

このエピソードでは、小林健二氏の著書『ぼくらの鉱石ラジオ』を読んで鉱石ラジオを作ってみたくなったこと、また鉱石ラジオがイリイチのコンヴィヴィアリティのための道具の一例として考えることができるのではないかと述べられています。

鉱石ラジオへの興味
第1回配信で、私は、ラジオをやりたいというテーマでお話をしました。
その時、このラジオをやりたいということの意味は、インターネットラジオの配信をやりたいということだということで、今もTanaRadioをやっているんですが、最近、別の意味でラジオをやりたくなりました。
どういうことかというと、ラジオ受信機を作ってみたいということです。
特に、鉱石ラジオというラジオがあるんですが、これを作ってみたくなりました。
それは、アーティストで小林健二さんという方がいらっしゃるのですが、その方の本、『ぼくらの鉱石ラジオ』という本が昨日届きまして、そこに掲載されている様々な鉱石ラジオの写真を見まして、
また、そのラジオを作る作り方もこの本に書いてありまして、私にも作れるのではないかというふうに思って、そんなことを思ったということです。
ということで、TanaRadio、第27回始めたいと思います。
今回のテーマは、「鉱石ラジオを作りたい」ということなんですけれども、
このことは、私がこれまでこのTanaRadioでお話してきたことと少し関係があります。
第19回の配信で、イヴァン・イリイチについて言及しました。
また、その回の配信に対するお便りで、佐伯胖先生の論文が紹介され、そこにはイリイチのコンヴィヴィアリティのための道具という本についての研究がありました。
このコンヴィヴィアリティという概念が、私はとても大事だと思っていまして、
私が作りたいと言っている鉱石ラジオは、まさにコンヴィヴィアリティのための道具の一例なのではないかというふうに思うようにもなりました。
このコンヴィヴィアリティという単語自体が非常にわかりにくくて、日本語でも自立共生とか共愉とかいうふうに訳されてはいますが、
訳語を聞いても今一つピンときません。
私が感じていることを素直に日本語にしますと、それは「ゆったりとした生活」くらいの意味ではないのかなというふうに考えています。
それをまた英語で訳してみますと、「スローライフ」とでも言えるようなそういうことではないかと思うんですね。
スローライフというのは、ファーストライフに対する考え方、ファーストフードに対するスローフードというのと同じように、
急がずゆっくりとその行為自体を楽しむ、また材料も十分吟味する、また人との関係も大事にする、そういうような感じかと思うんですが、
そういう生活を送るための道具、これは高度に発展し、専門家しか使えないような、そういうようなものではなくて、
素人でも少し訓練をすれば誰でも使えるような、そういうような道具ということなのだと思うんですね。
この鉱石ラジオもそういった類の道具なのではないかなというふうに思ったわけです。
ここでイリイチの『コンヴィヴィアリティのための道具』という本の中から、一節をちょっと引用して紹介したいんですけれども、こういう文章があります。
「産業主義的な道具は、それ自身の歴史と文化を持つ都市の風景に、
均一化の刻印を押す。
ハイウェイ、病院の建物、校舎、事務所のビル、アパート、商店は、どこでも同じ外観をもとる。
均一化の作用を持つ道具はまた、同一の性格類型を発達させる。
パトロール・カーに乗っている警官やコンピューターを操作している経理士は、世界中どこでも同じように見えるし、同じように振る舞う。
一方、警棒やペンを用いている彼らの貧しいいとこたちは、地域ごとに異なっているのだ」。
そしてちょっと飛ばしますが、
「道具に限界を設定し、公共福祉を自立共生的なものにする多元主義の立場は、自然的に生活スタイルの多様さを促さずにはおかぬだろう」
と言っています。
ここで「自立共生的なものに対する多元主義」というのは、コンヴィヴィアルなものということですね。
そういう元の言語を訳しているんだと思いますけれども。
ここで言っていることは、高度な道具、ここでは産業主義的な道具と言っていますが、
そういう近代的な道具はですね、均一化の作用を持つ。
それを使う人は誰でも同じようになってしまう。
また同じような使い方しかできないということなのかもしれません。
それに対して限界を設定された、それほど高度ではない、そういう道具は生活スタイルの多様さを促すというふうに言っているんですね。
この鉱石ラジオということを考えてみますと、先ほど小林健二さんの本の話をしましたが、
そこには実に様々な形のラジオが載っています。
まさに多様なんですね。
構造が単純だからこそ、いろんな工夫の余地がある、そういうものだと思うんです。
またそういうものを考える、あるいは作ってみるということにも楽しさがあるのではないでしょうか。
高性能な機器を高いお金を出して買ってくるのは簡単ですが、
そこに楽しみというものはそれほどありません。
けれども、ありあわせのものをうまく利用していいものができれば、それはそれで非常に大きな喜びになるだろうと思うんですね。
ということで、この鉱石ラジオに私はちょっと夢中になっているということなんですけれども。
ということで、また何か進展がありましたらば、ここでご報告したいと思います。
それではまた。
08:18

このエピソードに言及しているエピソード

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