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2024-06-10 15:08

92 日記 | 薬学生のポッドキャストとオッペンハイマーの評伝

6月10日月曜日の声日記。寝床で,薬学生が始めたポッドキャストを聴きました。また,オッペンハイマーの評伝をやっと読み終えました。

藤永茂『ロバート・オッペンハイマー ――愚者としての科学者』ちくま学芸文庫,2021年(初版,朝日選書,1996)

#声日記 #薬学生 #オッペンハイマー #藤永茂

Summary

6月10日から、新しいポッドキャストのエピソードが始まっています。今回のエピソードでは、薬学生の日常生活について話題にされており、薬学生を応援する番組となっています。

新しいポッドキャストの始まり
6月10日月曜日の声日記です。
今朝、朝早く起きて、寝床で、今日から始まったポッドキャストを聞きました。
そのポッドキャストのタイトルは、『薬学部(ではなくて,薬学生)の空きコマ』というもので、
副題が、「日々と未来を照らすラジオ」というふうになっています。
この番組のコンセプトは、薬学生を応援する番組ということで、現役の薬学生が日替わりで投稿するという、そういう番組のようです。
薬学生の日常が語られまして、大学の教員をやっている者としては、とても興味深いものがあります。
今の大学生、どんなことを考えているのか、どんな風に生活しているのか、どんな風に勉強しているのか。
私が教えている学生とは専門がちょっと違いますけれども、
でもやはり、同じ時代を生きる学生として共通点もあるだろうなと思って、
私が授業をするときの参考になるのではないかと思って聞いていました。
今後の番組、とても期待しているところです。
さて、今日のエピソードでちょっと気になったところがありましたので、ここで少し話しておきたいと思います。
それは、全授業が録画されて、それを学生が見ることができる、そういう授業があるようです。
それの良い点と悪い点が述べられていました。
良い点があるというのは分かりやすいのですが、悪い点というのは何かと言いますと、
これが録画があると安心してしまうというのでしょうか。
しっかりと勉強できないということのようです。
やはり教室へ行って、そこで聞かないと聞き損なうという、
そういうある種の緊張感が、しっかりと勉強するためのモチベーションになるということなんですかね。
そういう話がありまして、
やはり対面でないとうまく勉強ができない人もいるんだなというふうに、改めて思わされたところです。
私はオンデマンドのビデオを使って講義を聞いてもらうということを試していて、
それなりにうまくいっているような気はしているんですけれども、
でもやはりこういうやり方には合わない人もいるんだなと。
ですので私の授業も、履修登録しても初めの頃に辞めてしまう人、
あるいは途中で辞めていく人少しいるんですけれども、
やはり私の授業のやり方が合わないのかなというふうに思っているところです。
さて、大体私は朝の5時頃に目が覚めて、6時頃に寝床から起きるんですけれども、
その後午前中は1コマ授業がありまして、その後午後は事務作業をやって終わってしまいました。
私は学会の会計の係をやっているんですが、
昨日の理事会で私がまとめました昨年度の決算が承認されまして、
ほっとしたところでこの書類を今度は監事の方に送って監査をしてもらうということの準備などをしていました。
この会計の仕事も10年以上やっているんじゃないでしょうかね。
ずいぶんやっていて慣れたことではあるんですが、
やはりとても気を使うし、数字が合わないと非常に焦って、果たして数字が合うのだろうかと心配になるのは毎年のことです。
さて、今日はもう一つ区切りになったことがありまして、
オッペンハイマーの評伝について
それは久しぶりに一冊の本を読み通したということで、
藤永茂さんという、科学者の方だと思いますが、が書きました
『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』というタイトルの本です。
朝日選書、朝日新聞社が出している選書ですね、
それの一冊として1996年に出版された本で、もうずいぶん前に出た本で、
私が買ったのは出版から10年以上経った2009年なんですけれども、
それでも今からまた10年以上前の話ですけれども、
やっと読み終えたということで。
なんとなく読み始めても途中で中断してしまったんですけどね。
やはり映画『オッペンハイマー』を観たということで、
オッペンハイマーに対する関心が高まったところで読んでみますと、
なかなかいろんなことを教えられましたし、考えさせられたなという感じがします。
この本は、オッペンハイマーの評伝なんですけれども、
オッペンハイマーをどう描くかというと、
どちらかというと、世間の悪いイメージを払拭して少し持ち上げるという感じでしょうか。
ですのでオッペンハイマーに対してかなり好意的な描き方がされています。
オッペンハイマーは「原爆の父」ということで、恐ろしい兵器を作った科学者ということで、
あまりよく言われないことが多かったわけですけれども、
オッペンハイマーにはいろいろ問題はあったかもしれませんが、
でも基本的には非常にいい人だったと言っていいと思います。
少なくともオッペンハイマーを知っていて親しくしていた人たちは、
オッペンハイマーを悪く言う人はほとんどいなかったようですね。
いわゆる人柄が良かったんだろうと思うんです。
ですが、いくつか欠点と言いましょうか、問題があった。
いろんな言い方ができるでしょうが、私なりの言葉を使えば、
お人良し、あるいは世間知らずということなんでしょうか。
人に騙されたり利用されたりしやすい人だったということなのかもしれません。
この本の副題で「愚者」という愚か者という言葉が使われていますけれども、
この言葉自体はオッペンハイマー自身が使った言葉で英語で言うと
idiotという言葉ですけどね。
何と訳すか、何と解釈するかはなかなか難しいところですけれども、
思い切って意訳すれば「子供」ぐらいの感じでしょうか。
つまり大人になっていない子供、世間知らずの子供、そんな感じだと思います。
大人が普通持っているような思慮分別がないという感じですかね。
オッペンハイマーは特にそのことがかなり強く出ていたような人だったと思いますけれども、
でもそういうところは、科学者は多かれ少なかれ持っている。
だからこの副題が「愚者としての科学者」というふうになっているんだろうと思います。
おそらくこれを書いた藤永さんも思い当たるところがあるんではないでしょうか。
こういう私もですね、多少は思い当たるところがあります。
ですので、オッペンハイマーが特別どうのこうのというよりは、むしろ科学者が、
社会の中でどういう立場に置かれているのか、そういったことを議論している本なのかなと思います。
オッペンハイマーが原爆を作り、世界を変えたというような言い方がよくされますけれども、
この本の著者はそういう見方を否定しています。
決してオッペンハイマーが原爆を作ったのではない。
だからオッペンハイマーにその原爆の罪をすべて負わせるということは不当だということですね。
では原爆を作ったのは誰かというと、著者の言葉を使えば「私たち人間」ということになるわけです。
いきなり「人間」まで広げてしまうのはどうかなと私は思うんですけれども、
でも要するに、原爆というものはオッペンハイマー一人で作れるわけではないわけですよね。
特にマンハッタン計画というのはものすごく大きなプロジェクトで、
莫大なお金や資源や人員を投じて行われたものです。
当然オッペンハイマーが調達できるものではない。
それは国家しか提供できなかった。
ということはそれを提供した国家というものが非常に重要なわけで、
言ってみればその国家の巨大なマシーンの中のオッペンハイマーは一つの歯車であったと、
その歯車は非常に重要な歯車であっただろうと思いますけれども、
でもやっぱり全体の中ではごく一部を占めていたに過ぎない。
そういうふうに見ることもできますね。
ですので、オッペンハイマーがもしいなかったとしても、それに代わる歯車は他にもいる。
実際、戦後水爆開発をするときには、オッペンハイマーはそれを拒否しましたけれども、
オッペンハイマーの代わりに、テラーというマンハッタン計画にも関わった科学者ですが、
そのテラーが水爆開発を進めていくことになるわけでして、
必ず代わりが出てくるんですね。
ですので、問題は科学者というよりは、その科学者を利用する国家というものが問題だという、
そういう話になるのかなというふうに思いました。
ということで、この本現在、ちくま学芸文庫でも出版されていまして、
結構の分量はありますが、読みがいのある本ですので、
ぜひ多くの人に読んでもらいたいなというふうに思いました。
ということで、今日の声日記、終わりにします。
それではまた。
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