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先日のワークショップでいろんなことを感じました。(中略)
自分が最高の学び手になるにはどうすればよいかというワークの中で発言されたことですが、
大人になって体系的に何かカリキュラムに従って学ぶような経験はないんだけれども、
体系的に学ぶということに良さがあるのではないか、体系的に学んでみたいというような、そういう趣旨の発言だったと思います。
これは私はずっと学びというのは自由であるものだと、その自由を体系という縛りによって制限してしまうのは良くないのではないかと思っていましたので、
どうしてそう思うのかとても気になりました。
話を進めるうちに、私なりの結論としては、体系的に学ぶことによって自分の関心には引っかからなかった、ある意味で抜けているような部分、
そういうものを発見することができるのではないか、それは自分にとって新たな出会いになるのではないかということで、
これはまなパタの「縁カウンター」というパターンがあるんですが、「偶然の出会いを楽しむ」という、そういう出会いを求めるというものの延長線にあるのではないかなというふうに、私なりに解釈して腑に落ちたわけですけれども、
このことから、体系的に学ぶということについて、さらに私の考えていることを話してみたいと思います。
それでは、TanaRadio第3回始めます。
体系的に学ぶということは、もちろん意味があると私は思うんですけれども、
しかし、体系的に学ぶということには、適切な時期というものがあるような気がするんですね。(中略)
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学校のカリキュラムというものが、そういった知識などの体系に基づいて教えられているわけですから、当然体系的なわけなんですけれどもね。
でも子供の時は、そんな体系なんて意識せずに、ただ与えられるものをそのまま学んでいくだけなんですが、
でも大人になっていろんなことを知って、その上で学校の勉強を見ると、自分がこれまで学んだり経験したことが非常に体系的に教えられているなというふうに感じるんだと思うんですね。
その感覚というのは、先ほど言いましたけれど、子供には多分ないものだと思うんですね。
ですので、子供が体系的な学びをしても、その体系はわからない。というか、体系の意味とか体系の良さというものがわからない。
押し付けられたもの、自分の関心とは全くかけ離れたものであっても、体系の上で組み立てられたカリキュラムに沿って教えられるということになるわけですよね。
ですから、体系的に学ぶということの良さはどこにあるか、あるいはその適切なタイミングはいつかというと、やっぱりこれはある程度いろんな知識を学んだり経験を積んだりした後なんだろうなというふうに思うんですね。
だから大人こそ、あるいはある程度いろんなことを学んだ専門家こそが体系的な学びをするべきというか、その良さを実感して学ぶことができるのであって、
逆に子ども、初心者、そういった人たちは体系的な学びではなくて、まずは自分の関心に従って自由にいろんなことを学んでみるというのがいいのではないかなというふうに私は思うんですね。
ということで、私がずっと最近こだわってきた自由な学びということと、それから体系的に学ぶということ、これ一見反するようなものかなと思ったんですけれども、実はそうではなくて、ちゃんとつながるものであったということ。
このことが先日のワークショップからいろいろ考えてたどり着いた結論になります。
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それでは今日はこの辺で失礼します。