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2024-07-31 15:14

2024-07-30: 感情変化の総量と家族

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つらいときに家族と寄り添うこと、家族は感情の変化のもとになってるのでは、みたいな話をしました。

#声日記 #声活

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おはようございます。たなけんです。
2024年7月30日、火曜日の夜です。
夜といっても深夜24時50分なので、まあ31日と言っても過言ではないというか、実質31日なんですけど、30日の夜ということで配信をしましょう。
今日さっき実はですね、一度収録したものを配信したんですけど、ちょっとね、音声がうまく入ってなくて、配信した後に削除しちゃいました。
なので、もしかしたら、ポッドキャストクライアントなどで聞いている方、そのリスンのウェブブラウザ上ではなく、RSSフィードを元に各端末の方でアプリケーションの方で聞かれている方とかは、消す前の音声がね、もしかしたらお手元に届いちゃったかもしれないんですけど、
そちらはね、ほとんど音が入ってないと思うんで、聞き流していただいて。
で、それはですね、ジム、先ほどまでジムに行ってまして、ジムで撮ってたんですけど、ヘッドセットじゃないけど、なんて言うんだろうな、
イヤホンをつけてて、マイク付きのイヤホンなんで声拾うかなと思って、耳につける、骨伝導じゃないけど耳につける、SHOCKSのオープンフィットっていうやつを耳につけて、ジムで体を動かしてたんですけど、
体を動かしながらね、喋るっていうのをちょっとトライしてみて、やってみたんですけど、うまく音が拾えてなくて、断念したという感じだったんですよね。
はい、で、ジムではね、ゴルフをやってて、普通のトレーニングジムなんですけど、ゴルフレンジがあるというところでね、はい。
この話もしたかな。で、せっかくなんで、ゴルフのショットの練習をしながら、喋ってみようということでやってみたんですけど、残念ながら失敗したと。
まあまあ、そんな日もあるでしょう。で、暑いな、ちょっと冷房を。
で、何の話をしたかというと、最近ですね、僕の身近な友人であったり、知り合い、先輩にあたる人だったり、後輩だったり、親族だったり、
で、人々の大切な人、その、友人の家族だったり、親だったり、子供だったり、兄弟だったりっていう方々が、病気になられたりとか、入院をされたりとか、
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亡くなられたりとか、そういうことをね、たまたまなんですかね、ここ半年ぐらいでよく聞きまして、
で、まあなんだろうな、病気だったり命に関わることがすごい身近に感じるようになったなと思っていて、そんな話をちょっとしてみようかなと。
で、例えば我が家で言うと、4月に愛犬のラテちゃんが亡くなったりとか、そういうこともあったんでね。
で、家族だったり、身近な人が亡くなったりとか、病気になったりとか、そういうシチュエーションになったときに、みんなが口をそろえて言ってるのが、
僕の周囲の人がみんな言うのは、本当にその友人だったり、家族だったりの身近な人に支えられたなっていうのをみんな言ってるんですよね。
例えば、僕の友人の例だと、友人の兄弟が病気になって、すごく不安だったけれども、親とかパートナー、ご結婚されているパートナーとかが一緒に時間を過ごしてくれて、
それで、すごく気持ちが落ち着いたというか、気持ちを支えてもらったということを言っていて、
それは多分、友人自身もそうだし、友人のパートナーであったり、親であったり、お互いに近くに寄り添って過ごすことで、お互いにお互いを支え合っているみたいなところがあるよなと、そういう話を聞いてて
それが各所でね、それぞれの人がそれぞれの視点で同じようなことを言っているなというのをすごい感じるんですよね。
で、僕もそうだったし、直近でラテちゃんが亡くなった時も、本当に妻と一緒に時間を過ごせたから、すごく救われたというか、支えてもらえたみたいなところがあるんでね。
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多分きっとそれはお互いそうだなって感じているし、ということがあるよなと思って。
で、そういうことを考えると、例えば今、将来的にね、自分が亡くなる、自分が死んだという時に、自分の周囲の人が支え合う人が多い方がきっといいんだろうなとかって思ったんですよね。
で、そんな時にやっぱり、友人というよりは、本当に血がつながっているとか、育ててもらって一緒に長い時間過ごした、本当に家族だと思える人間関係の人が多く近くにいるっていうことがすごく支えになるんだろうなと思って。
そう思った時に、今、自分の我々夫婦、自分の家族、家では子供を生きる予定はないし、今のところいないし、今後も子供を生きる予定はないんですけども、
自分が歳をとって何十年後か、もしかしたら数年後かもしれないけど、10年後、20年後、30年後、40年後、50年後とかに、自分が亡くなった時に妻がまだ残っていて、自分が亡くなったと。
で、妻は誰に支えてもらうんだろうなぁとかって思うんですよね。そういう時に、子供がもしいたら妻を支えてくれる、そういう関係になりやすいのかなっていう風に思ったりしたんですよね。
で、たぶん、仮に例えば50年後僕が亡くなるってなったら、僕の親はおそらく生きてないだろうし、妻の親もきっと生きてないだろうという時に、僕が死んだ場合に妻を支えるのは妻の兄弟。
あるいは僕の兄弟が妻の身近な人として話を聞いたりとか、妻の友人とかってことになると思うんですけど。
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家族って子供を作る作らないみたいな話とかを考えてた時に、本当に子供欲しいんだっけねみたいな話とかもよくしてたんですけど。
そういう時には出なかった観点として、将来どちらかが亡くなった時の心の支えとして、自分の子供だったり孫だったりがいるっていうことが心の支えになったりするんだろうなーっていうのをあんまり考えてなかったので、そういう観点も確かにあるのかなーみたいなことを思ったんですよね。
一緒に辛いこととかがあった時に、感情を共有したり支え合ったりするみたいなことって、家族という一つのチームの中での感情の変化を共有できるみたいな観点があるなと思っていて。
よくどこかで耳にしたのが、幸せというのは感情の変化の総量が変化が大きければ大きいほど幸せなんだっていうような考え方を聞いたことがあって。
その考え方に立つと、家族が血のつながっている、つながっているかどうかは直接は関係ないかな、一緒に過ごす家族がいるということは、
その家族がいることで楽しい感情もたくさん増えるし、その家族に何かがあったら辛い感情もたくさん、辛いとか悲しいとかそういう感情も生まれるし、
で、家族が亡くなったりしたら悲しいとか、昔のことを思い返して楽しくなったりとかっていう、その家族がいるっていうことは、もしかしたらすごく感情の変化、感情の増減の総量、感情の変化の総量っていうのがすごく増える
という要素なんじゃないかなって、家族がいるということは、家族が増えるということは。
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で、だからなんで子供作るのとか、素朴に思ったり結構してたんですけど、大変だし、子供のために人生を使うみたいな観点がやっぱりどうしても出てくると思うんで、子供がいるわいって
とかって思ったりもしたんですけど、なんか子供のために人生を使うって言いながら、それはもしかしたら自分自身の感情の変化の総量をたくさん生み出してるっていう意味では、やっぱり自分自身のためだったりしてるのかもなぁと思ってね
そう、なんか家族がいなければ、こう、家族がいなくなることもないので、感情の変化って、家族を生み出すことで家族がいなくなるっていう事象が発生して、結果として感情の変化が増えるみたいなことだと思うんで
なんかすごいことだなって思ったんですよね、やっぱり家族、子供を作るとか、家族、子供を育てるとか、親と一緒に過ごすとか、そういうことって自分の感情の変化の総量を
自分が生きる中でね、生まれてから死ぬまでの間に、自分が感じる感情の変化の総量をすごく増やすことになるんだなぁというのを感じたりしましたね
なので、なんか単純に何か辛いこととか、家族が亡くなったりとか病気になったりとかいった時に一緒に過ごす人がいると支えられて嬉しいみたいな話だけじゃなくてね、その自分の視点で
一人一人の視点で感情の変化の総量を増やすっていう観点での家族みたいなのって、なんかすごいなぁ
なんか別に結論も何もない、取り留めもない話なんですけど、家族ってすごいなぁというのをね、感じましたね
はい、とかとかっていう話でした
久々にね、なんかいろいろジムで運動をしたりゴルフをやったりしながらそんなことを考えたんでね
いやぁ、しんどいことも楽しいことも共有できる、すごい大事な存在なんだよなぁというのはね、感じますね
はい、こんなところで今日は家族と感情の総量について話してみました
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はい、こんなところで今日の「たなおと」を終わりにします
ではまた次回お会いしましょう、バイバイ
15:14

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