京都の盆踊りの歴史的背景
盆踊りが盛んではない理由というのは、大きく二つあって、
一つは、そもそも京都というのは、江戸時代まで文化の発祥地というか、発祥地というか、
江戸時代だと江戸というのは、江戸時代から江戸時代まで、江戸時代から江戸時代まで、
基本的には文化の発祥地として存在していて、
受け入れるというよりかは発信する側だったんですけれども、
京都の行政自体も、京都諸次第であったりも、それを推奨していたという中で、
盆踊りというのは、江戸時代から江戸時代まで、
という中で、盆踊りというのは別に見せるものでないじゃないですか。
自分たちが踊って楽しむものなんで、
そういう中で、江戸時代でも実際盆踊りはあったんですけど、
行政の方から禁止で、特に鴨川あたりで踊られていて、
でも行政が禁止して、廃れていったというか、という記録が残っていたり。
ちょっと話しとれますけど、前下川も住んでいて、下川神社の歴史とかちょっと調べたら、
下川神社のデルタあたりというのは、京都の秘書地、
あんな近くで秘書地ってあるのかなと思いつつ、
デルタの川どこというか、川べりで、秘書地的なところでにぎわっていたというのが、
盆踊りは別の角度から下川神社の歴史をたどっていくとあったというのもあるんですよね。
なので鴨川というのは多分庶民の憩いの場であり、そこで盆踊りが開催されたけれども、
行政が禁止していた。
で、京都その観面、六歳年仏って京都盛んじゃないですか、
ああいう見せる、もともと六歳年仏って見せるものじゃなかったんですけども、
京都の中にあって、芸能化していったというか、見せるものに変化していって、
前、和美さんに聞いたんですけど、参院の小学校であったりだと、
部活的な感じであったりっていう、めちゃくちゃ行政が今でもバックアップしているというか、
六歳年仏自体を広めるものに関してはないっていうのがあるっていうので、
一つはそういう、庶民自身が楽しむというよりかは、京都だと楽しみつつ、
芸能化する、人を楽しませようねっていうのがあったっていうのが一つ。
で、もう一個だと、
民謡団体との関係
ドアスでした。
やっぱりちょっと先を述べると、
で、言うと、楽中はそういう感じだったんですよ。
楽外の一条寺とか、さきほどの上の方だと残っているんですよね。
なので、やっぱり鴨川を外に行くと全然違う。
農村だったらしいで、違う世界があったっていうのも。
楽中は基本的にはそういう見せる文化。
見せる文化ではあったと。
もう一個のあるだけや。
あ、そうそう。
大阪とか浜ヶ崎とか、すごい盛んですけど、ボンドリが。
民謡っていう、民は民なんですけど、謡の謡が踊る方の。
歌謡曲の謡って歌う方なんですけど、踊るって書いて謡という謡らしい。
踊る方の謡と、ボンドリはすごく密接につながっていて、
民衆が踊る踊りというので謡というので、
ボンドリと謡団体というのはほぼイコールみたいな感じがあったりするんですけど、
京都だと民謡団体とボンドリっていうのは断裂されてるんですよ。
それはすごい、僕はもともと京都でボンドリ始めたんで、
外に行って、めちゃくちゃ揃いの浴衣を着た、僕らのお母さん世代の人たちがいるなっていう。
京都で見ないなって。
見た時に、京都だと、そういう意味で民謡団体とボンドリが一緒になってるんで、
地域の踊りとして踊りつつが出てきたっていうのなんですけど、
京都だと時代祭りだったり、7月の祇園祭りだったり、
そういうところで民謡を披露する場がある。
なので、ボンドリよりかは、そっちの方が名誉にもなるじゃないですか。
地域の街のボンドリで踊るよりも、人に見せるために芸能化された踊りを披露する。
あと、自社物価も多いんで、法の踊りみたいなのもあると。
言った時に、それは行政の力が働いたかはわかんないですけど、
祇園祭りだったり時代祭りだったりは行政がバックアップして、そっちにお金も尽くし、
民謡団体もそっちでやる方がメリットがあるっていうのがあって、
ボンドリとは特につながっていない。
特に祇園祭りだとすごく忙しいじゃないですか。7月中ずっと何かしらあるし。
あと最後は、やっぱり地蔵本です。
地蔵本って今は廃れてますけど、昔は左官だったり聞く立場なんですけど、
その時に地蔵本って筋であったり通りの単位で小さくあるじゃないですか。
なので、他の京都以外のエリアだと、ある程度街単位で行われてた祭りが、
地蔵本でもすごく小さい単位なので、そこで大掛かりにボンドリをやるっていうのはない。
話を聞く限り地蔵本でもボンドリをやってたとは聞くんですけど、
そんなに大きなものではないし、地蔵本自体がね。
より細かいところの町単位。町って町じゃなくて一町目とかにあったりっていうので、
より細分化されたもののローカルな祭りが存在して、
だから大きな祭りと小さな祭りのその中間にボンドリってあるじゃないですか。
だからここが抜けてるっていう、そういう要素があって楽中だと特にボンドリって、
そもそも必要とされなかったことと禁止もされてたっていうのかなっていうのが僕のこの数年で感じた。
地蔵本っていうのは京都独特なの?
京都と関西の以外で、僕もともだ愛知県なんですけど、愛知県では地蔵本っていう言葉自体多分ない。
全然ないですね。
大掛かりっていうことだったらやっぱり都市文化みたいなのが京都で強かったっていうことなんでしょうね。
地蔵本の祭りとかボンドリとかがあんまり流行らなかった後に変わるものがあったみたいな。
そうそう、変わるものがたくさんあったみたいな。
行政もそっちをバックアップしたからっていうのが大きいのかなっていうのが感じた。