佐賀線の歴史
タクジと歩く25分。
私はいわゆるノートを言えない人生をずっと送っておりますんで、人生拒んだめ。
私の人生組は、接待マージャンみたいなもんだって、家庭は。
そうです。以上、終わり。
湾岸道路のそのまんま、下が佐賀線なんだよっていう風に教えていただきまして、
モニメントとか駅の跡みたいなものは、もう全然ありませんで、
ひょっとしたらここでもう打ち止めせざるを得ないっていうパターンかもしれませんね。
ああ、あれはモニメントですね。駅跡でしょ。
ああ、見つけました。
旧日本国有鉄道の佐賀線東大川駅跡。
ありがとうございます。
行き先も目的も決めず、坂口拓司さんの気の向くままに歩く25分間。
拓司と歩く25分。
何を見つけ、何を話し、誰と出会うんでしょう。
さあ、今朝も拓司さんのお散歩について行ってみましょう。
おはようございます。坂口拓司です。
おはようございます。香月香菜です。
この番組はリサーチなし、打ち合わせなし、台本なし、インタビューなし、
グルメリポートなし、編集なし、反省会なし、予算なし、八つのなしでお送りしております。
拓司と歩く25分、旧国鉄の佐賀線跡を歩くパート2。
国鉄の佐賀線の廃線跡を歩くパート2の5週目です。
第4週でデザイン会社の代表、社長さんにお話を聞きまして、
あ、佐賀線の跡、あの高架下ずっとよ、というふうに言われまして、
答え合わせがバッチリできましたところで、
私たち歩くスピードも歩数も稼ぐようになりまして、
もう2000歩弱ぐらいまで行くようになりましたね。
最初からそれぐらい歩いておけよ、というふうにしっかり受けそうなんですけども、
人間というのは感情の生き物でありまして、そうですよね。
フィニッシュが見えてきたというか、間違いない、
これがコースだというふうに分かりましたら、
力が湧いてきまして、不思議なことでございます。
国鉄の佐賀線というのは、佐賀県の佐賀市の佐賀駅と、
福岡県の大和郡の世高町、現在の宮益市の世高駅を結んでおりました、
国鉄日本国有鉄道の24.1キロの路線です。
昭和10年、1935年に全線開通したんですけれども、
昭和55年、1980年、国鉄の再建法によりまして、
第2次特定地方交通線に指定されて、
国鉄民営化前の昭和62年、1987年に全線廃止されました。
沿線の大川市などは、家具産業が盛んで、
廃線の経緯
佐賀線から全国各地に向けて家具などが出荷されておりました。
ほぼ閉鎖しております国道208号で、
昭和30年、1955年、諸富橋と大川橋ができますと、
乗客・貨物の運送は自動車時代の到来とあわせて、
人はバス、タクシー、自家用車、貨物もトラックに運ばれるようになりました。
昭和43年、1968年に鉄道の使命を終えた路線として、
赤字83線に指定されまして、この時は廃止を間抜かれたんですが、
昭和55年、1980年の秋のダイヤ改正で急行の地区号が廃止されて、
1日10往復の通勤通学対応型の輸送になって、
国鉄の分割民営化前の昭和62年、1987年の3月、前線廃止されました。
翌日からは民営バス、私営バスが輸送に変わりました。
およそ52年の歴史で幕を下した路線。
国鉄佐賀線の跡を歩き続けております。
専用道路ですから時間短縮ができるわけですよね。
それは旧国鉄の佐賀線跡に降下工事がされて専用道路化されているわけですけれども、
周りはもう、これは佐賀の平野でありまして、
まっすぐな道路です。
両側に広がっているのは田んぼあるいは畑。
刺激的なものはほぼありません。ないですね。
遠くのほうに大規模なパチンコ店とか、あるいは家具のショールーム付きの会社のビルが見えるぐらいで、
あとはもうほぼ工作地というエリアです。
エリアだなと思いますね。
そうですね。空にはいっぱい雲が広がっておりまして、のどかな感じがいたします。
どちらかというと都会の喧騒よりも、私はこっちの風景のほうが市長にも合うというか、
育った環境がやっぱり人生の後半になって影響してきますよね。
そうですね。
どっちが落ち着くかとか、二者卓一の選択になった場合は、
どちらを選んで選びそうというふうに思います。
あかなかね、杖の隅かという昔からある言葉ですけれども、揉めるらしいですよ。
どういうこと?誰と揉めるんですか?
奥様とご主人が。
最後の選択、だいたい60歳になるかならないかぐらいのときに、
これからどうするかという。田舎に帰るか。
親の面倒もあるからみたいな。
例えば面倒は公的機関とかそういう専門の機関にお任せすることにしても、
自分が育った環境のところに近づきたいという欲求が、
主には男性が駆られてですね、故郷に戻るという。
そこについてくる大きさが、後々不平不満が溜まってしまうという。
そうですよね、人間関係捨ててくるわけですから。
今まで住んでたところに。
どちらの気持ちも分かりますけれども、
必ず50代で後半でそういう大きな選択をしなくちゃいけなくなるという。
坂口家はまだそういう話は行われてないんですか?
私はしました。
すごい重たい番組になってますけれども。
もうね、私はいわゆるノートを入れない人生をずっと送っておりますので。
あ、そう?
俺もそう思うという風に。
あ、そうですか。
そうですね。
もう考えないことにしております。
考えないことにしております。
人生拒んざめ。
ついてくよって。
ついてくよ。
どこかお出かけになるときは、小遣い足りるっていうのが。
締めの言葉ですからね。
それで何とか過ごしてまいりましたんで。
なんでこういうマイナスなことを言わなくちゃいけないのか。
放送で?
そうそう。
降りるのも人生ですからそういう。
私の人生が接待麻雀みたいなもんだっていう。
家庭は。
そうです。
役ができても、機嫌よくこう過ごしてもらうために降りるっていう。
奥さんは聞いてらっしゃらないですか?
聞いてないですね。
高地さんの番組って奥さんも聞いてた?
いや一度も聞いたことないですよね。
だから外部からの友達からの情報とか、あるいは知人からの情報で
こういうこと言われてたよみたいな。
そういう、だから回り回ってですね。
今ラジコも通常の契約ですと1週間後からは消えますから。
そうですよね。
特別な契約しますとかなり前まで戻せますけれども。
氏名氏名ってね。
そういうことになっております。
聞いてないから。
ただねこれはね、この番組はねスポティファイがありますから。
ポッドキャストがあるんですよ。
そうですよ。
ポッドキャストがあるからずっと生き残っちゃうんですよね。
ずっとですよ。
問題がある箇所をカットできませんから。
編集しないっていうことが一つの番組の売りになっておりますんで。
だからここの今行ったところの3分くらい前だったと思いますけれども。
その箇所が問題になるかもしれないっていう。
いちいちね、ひと作品ひと作品一週一週引き直すってことはありませんから。
まあこれは安全ですね。
以上終わり。
危ないですよね。
危ない危ない。
けれどこの沿岸道路っていうのは真っ直ぐなんですね。
本当に驚くほど真っ直ぐですね。
箇所を上下しているのは何でしょうか。
あそこインター、ランプ、そういった設計のところでしょうかね。
ちょっと広がってますからね。
そうですね。
はあ、なるほどね。
ここは何という交差点ですか。
旗穂南。
旗穂、サウスと書いてありますから旗穂南ですね。
あ、大川関家具さんのビルじゃないですか。
青空に焦げ茶色の高いビルですか。
ようこそ日本一の家具産地大川へ。
右折300メートルっていう標識ですね。
なるほどね。
映えますね。
高さというか、それからロゴデザインが大きいから。
もうこの距離でわかりますね。
関家具さんのビルしかないですもん、高いってことが。
そう言っちゃ何なんですけど、そうです。
周りがもうほぼ1戸建てとか2階建て3階建てぐらいの工場しかありませんから、
もう目立ちますね。
そうです。
なるほどね。
まっすぐ歩いております。旧佐賀線跡です。
周りをきょろきょろ見渡しながら歩いてるんですけれども、
駅の跡とかモニュメントが見つからないのがちょっと残念は残念なんですけどね。
しかも川は渡らないっていう、平野の中を突き入っているっていう形ですね。
驚きです。
ご迷惑がかかるといけませんから、ブランドの名前は言いませんけれども、
ある化粧品のビューティースタジオがありますね。
どういうところに行っても女性たちはきれいになりたいという願望がありますので、
秋代は成立するということですね。
化粧品屋さんって結構どういうところに行ってもあるんですけれども、
昔は国産の化粧品メーカーが大きなところが3社4社ぐらいありまして、
消費者を囲い込んでたっていうお客様ですね。
町のありますよね、町の美容室じゃないですけど、お化粧品。
だいたい発言力がある、婦人会仕切ってるっていうようなパターンの店主がいらっしゃるようにして、
そこに通うっていう、そうですね。
もう一妻合妻その化粧品メーカーのブランドでしたね、うちは。
そうですか、奥様が。
母親が完全に取り込まれていたっていうか、会員化してるっていうか。
他屋で買う場所がなかなかなかったっていうのが。
佐賀線の歩き始め
選択肢はね、確かにそうですね。
今はね、ドラッグストアやらコンビニやらでも買えます。
大手家電品のメーカーもそうで、系列ごとに販売店がもう色分けされてて、
ほにゃほにゃのお店なんていうことになりまして、
私は親族があるところに努めてたもんですから、
もう家のポンプ以外の、井戸のポンプ以外は全部そのメーカーでした。
へー。
そうですよね。
今の時代だと逆に贅沢ですけどね。
ああ、なるほどね。
ワンブランドでしたね。
そうそう、揃えるっていうのは。
大手家電メーカーのクレジット部門っていうのがありまして、
昔はゲップっていう言い方をしてました、ローンのことをね。
そうなんだよ。
へー。
で、もう完全に取り込まれておりましたね。
へー。
あれはね、いちいち引き落としじゃなくって、振り込むっていう時代だったんですよね。
金融機関のサービスも時代とともに色々変わったのかな。
歩いて行っております。
佐賀線の後、これはだから大まかに言って世田谷の方向です。
先ほどとビルがまた違うビルが見えてまいりまして、遠くの左手の方に松田家具物流センター。
大きいですね。
大きいですね。
大きいですよ。
物流センター。
家具というのは場所を取りますから、スペースが有効活用しにくいっていう。
テーブル重ねておくわけにはいきませんし、椅子を重ねておくわけにはいきませんし、
いいものに見せるためにはたっぷりとスペースを使って、その他のものも飾り付けて、
そのブランドのテイストを提示しないといけませんから、場所を取りますよね。
いいなと思ったらだいたい金額が張ってくるっていう。
私のRKB毎日放送、かつての社屋のところにビビビルっていうビルがあるんですけれども、
ビビがあって、そこにはなぜか家具屋さんが集結しておりまして、
ショールーム仕立てにもなっているわけですけれども、見に行きましたらびっくりしますね。
お値段もしますよね。
自分の家に戻ってきたら、これは入らんというようにも、
展示されている家具はなぜかサイズがでかいっていう。
それこそ空間がたくさん広くあるから入れるんだろうね。
そうなんですよ。
家のモデルハウスと全くパターンは一緒で、
自分の家で確認して、定規じゃないけれども、
メジャーで測っていくと、
あっ、うちには入らんとか、
あっ、うちの玄関から入らんとか、いろいろあるんですよ。
本当ですね。
入れてみたものの何か違う。
場違いなものとかですね。
格っていうのはいろいろありますからね。
そのJRの佐賀線の跡地をずっと歩いて移動しております。
湾岸道路のそのまんま下が佐賀線なんだよっていう風に
教えていただきまして、その通り歩いているわけですけれども、
距離は稼いできたんですが、
モニュメントとか駅の跡みたいなものはもう全然ありませんで、
なるほどね。
これ、一応ここで人道はダメなんじゃないかっていうような形になりましたよね。
まあ、進入禁止じゃない方でちょっと上がってみて、
様子を見たいと思うんですけれども、
ひょっとしたらここでもう打ち止めせざるを得ないっていうパターンかもしれませんね。
信号は、ここは信号関係ないから行けるんですよね。
青になりました。偶然青になった。
私たちの気持ちをこの歩道の信号が察したんでしょうか。
早く渡れって。
やっぱり人は入れないですね。
人は入れない。
歴史の検証
歩けない。
歩けない。
これから先は大川東入口。
有明沿岸道のこれは上りになってますね。
ああ、そうか。ここまでか。
そうか。大川東入口。
ああ、あれはモニュメントですね。駅跡でしょ。
駅跡でしょ。見つけました。
梅崎シートメタル株式会社のフェンスの横にモニュメントがありました。
旧日本国有鉄道の佐賀線東大川駅跡。
ありがとうございます。
もうね、ここで終わるんだ。そうか。
そうですか。なるほどね。
佐賀、東佐賀、南佐賀、三ノ里、諸富、
地区後若津、地区後大川、東大川の駅、東大川の駅があったところですね。
へー、なるほど。
昭和34年、1959年当時、東大川駅での乗客数は1日平均143人で、少な。
通学者が3分の2を占めましたが、バイクや乗用車の普及、バス路線の充実などによって、昭和34年、1959年をピークに徐々に減少しました。
その後も佐賀線は赤字路線となり、昭和46年10月20日から地区後若津駅と東大川駅は無人駅となり、
昭和62年7月27日に佐賀線が廃止となり、東大川駅はその役割を終えました。
大川市と佐賀県の諸富町、現在の佐賀市を結ぶ旧佐賀線に架かる稼働橋は地区後若津商会橋と呼ばれ、
平成15年5月に国指定の重要文化財に指定され、多くの観光客が訪れていました。
地区後若津商会橋は地区後若津市の中心となっています。
地区後若津市の中心となっています。
地区後若津市の中心となっています。
地区後若津市の中心となっています。
地区後若津市の中心となっています。
地区後若津市の中心となっています。
地区後若津市の中心となっています。
地区後若津市の中心となっています。
地区後若津市の中心となっています。
地区後若津市の中心となっています。
地区後若津市の中心となっています。
地区後若津市の中心となっています。
地区後若津市の中心となっています。
地区後若津市の中心となっています。
地区後若津市の中心となっています。
地区後若津市の中心となっています。
地区後若津市の中心となっています。
地区後若津市の中心となっています。
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