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2024-06-17 28:32

#25-1 | 家族と料理(前編)ゲスト:山本ふみこ

▶︎炊き込みご飯わくわく舎、初のゲスト回!ゲストはあずあずのお母様、山本ふみこさんです。今回はふみこさんをお迎えして、前編・後編の2回に渡り、「家族と料理」について4人でお話しして参ります。いつもと同じようで少し違う?トークをお楽しみください🥘※後編は同週木曜17時に配信予定です。


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📺あずあず&ふみこさんのPodcast

うんたったラジオ

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石崎・藤村の二人もゲスト出演してきました!

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📻番組概要

料理やごはんに関心のある30代、石崎・フジムラ・あずあずの3人が、身近な食材や料理、台所の話題を中心に「あくまでラフに」好き勝手話す雑談Podcast。


専門的なテーマや学びになる会話はほぼありませんが、単純にごはんが好きな方、食材や調味料に関心がある方、30歳を過ぎて急に料理をし始めた方やもっと料理したいけどまだハマってない方、技術も知識がなくても食自体に興味がある方、つまり自分たちと似た境遇の方はきっと気に入ってくれるはず…!


庶民派ごはんPodcast「炊き込みご飯わくわく舎」は毎週月曜夕方17時ごろ配信です。

サマリー

藤村武人、あずあず、山本ふみこ、炊き込みご飯わくわく舎、そしてゲストは、仕事や家族のことを考える中で食や料理が重要な役割を果たしていることについて話しています。家族の料理の受け継ぎや食堂での食事体験など、食を通じた家族のつながりについて思いを巡らせています。山本アミコは熊谷に移住してからの生活や料理について話し、食事を通じて関係性を深める工夫について語っています。

00:06
炊き込みご飯わくわく舎
こんにちは、石崎です。 藤村武人です。 あずあずです。
この番組は、料理やご飯に関心のある我々3人が、身近な食材や料理、台所の話題を中心に、あくまで楽にそれぞれ好き勝手話すザクのポストキャストです。
ゲストの登場
さて、今回はですね、ゲストをお呼びしております。
ゲスト界ということですね。
ゲスト。
で、初のゲストを呼ぶなら、この人を差し置いて他にいないだろう、という方が来ております。
どうするの、今度。
名前ではね、一番出てますからね。 過去の回の中でもね。
というわけで、あずあずのお母様、山本ふみこさんに、今日はゲストに来ていただいております。
山本ふみこです。
こんにちは、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ゲストって緊張するものだね。
緊張してる声をしてる?
緊張してるよ。
しかもこの紹介で。
やりすぎちゃいました?
でも、これまでの放送を聞かせていただいていると、時々出てるでしょ?
あずあず的には、あいつみたいな感じじゃない?
なんでなんで?
でも、やっぱり、あずあずの職には随分関わっている。
家族の関係性
本当に。だから、ふみこさんが作ってくれたものとか、
そういうことをエピソードとして話すことが結構多いから。
このつながりの面白さを、あまり感じずにしてきたけど、
改めてね、このラジオを聞いて、やっぱりそういうことって残ってるんだなって。
あと、自分が残ってて欲しいことじゃないことが残る。
その場面を話すなら、私が優しく作ったこれを差し出すところだろうっていうところなのに、
こいつはそれじゃないところを面白がって覚えてるんだなとかね。
意外と人ってそんなもんだよ。
そうかも。
でもね、僕らも話してきながら、やっぱり2人の家族の絆みたいなものを感じますよね。
今回はね、遊びに来てるから余計に、2人がお話ししてるところもこれまでたくさん見たから余計に思ってしまう。
そうですね。
雲屋のおじかのようにお邪魔してくれてますからね。
なんか楽しかったね、昨日からね。
すっごい楽しかった。
いろんなところ一緒に買い物に行ったりね、歩き回ってるね。
で、家族って言われたけど、でもこうやって、だから昨日から一緒にご飯食べたりしてると、
さすがに家族って名前で呼ばなくてもいいけど、
私はね、一緒にご飯食べる人は、その時は家族だっていう感じがする。
難しいでしょ。だって今の時代に家族っていう定義がとっても私難しい。
一人暮らしの人もとっても多いし、望んでる一人暮らしもあるだろうし、
一人暮らしになっちゃったっていう人も多すぎる。
本当に幻想としてたくさん家族、人数がいる家族が楽しいと思ってるけど、
そんなことないからさ。
なおかそれを考えると、まず単位として自分自身が自分の家族だっていう意識がとても大切だと思って、
それを証明するっていうか、それを物語として成立させるためには、
自分がちゃんと食べるっていうか、自分をもてなすっていうか、食べさせるっていうことが、
その意識ちょっと大事なんじゃないかなっていうふうに思った。
それすごい苦手で、自分は。
そう?
そう。
自分が食べることに関しては?
そうです。たびたび言ってるんですけど、実水あんましない、ほぼしなくて、
お菓子とかアイスで済ませるんですけど、家のご飯は。
ちゃんと食べてはいるわけだよね。
そうです。まかれては食べてますね。
今、上子さんがおっしゃったような、自分で自分と家族になるっていうか、
その感覚最近身につけたいなって思ってたところだったんですよね。
家族の繋がり
本当?
別にお菓子の時があっても、ヨーグルトだけの時があっても全然いいと思うんだけど、
私、こうでなければならないっていうのはとも苦手みたい。
家族だったらこうしなきゃいけないとか、
アズアズとは一応親子なんですけどね。
だけど、やっぱりちょっとそのことに油をかけない関係になってきてると思ってます。
それだけじゃない繋がりを作らないと面白くない。せっかくこの人と出会って。
割と気が合うアズアズなので。
一緒に物を食べたりするのは緊張っていうか、一緒にちゃんと食べようねって思ったり。
デイタクスとかいうんじゃなくて、アズアズにうなぎを食べさせようとかそういうものじゃないんだけど、
せっかく久しぶりに来るんだったら、体に優しいものを。
大抵忙しくて疲れてたりするし、大抵今回来た時は私瀕死ですとか言ったの。
アズアズがね。瀕死の状態でやってきた。
瀕死の状態ですっていうことは、私ドクターでもないし薬剤師でもないから、
何にも治療もできなきゃ、処方もできないわけだから、ご飯作るしかないじゃん。
そこででも張り切ってご飯作ると、それが胃に蓋になるようなものになっちゃったりする。
今回は割とお二人が来る前に店に行っていたんですけど、
だしの効いたスープとか、野菜いっぱいとか、そういうものを食べてたね、一緒にね。
割とだから、ちょっと風邪をひいたとかっていうのもそうなんだけど、
なんかこう、ふたびれたみたいな時に、かけこむように実家に帰ってくることが、
精神的にもってことね。
なんか逆で、自分のために、さっきの話じゃないけど、お茶一つ入れたくないみたいな。
わかる!
なっちゃうんだよね。
でも確かに、これまでの話の中でもそういう場面はあるね、確かに。
限界の時、何もできない、したくないっていう。
そういうのが、たぶんちょっと環境を変えたいんだなっていう時は、
割とこう来て、堂々と休んで、ぐーぐー寝て、
ご飯とかも全部ばかせてみたいな、
だからありがとうございますなんですけど、
今回も本当に、ひんしですとか言えるっていうのも結構ね、大事だった。
言えるって大事だと思った。
やっぱりたまってるものがあるから、ひんしになるんで、
あ、違う、病気でもない限りね。
だから、やっぱり吐き出さなきゃいけないし、
優しいものを食べなきゃいけないってことかなって気はしてるんだけど。
なんか、でもラーメン食べに行ったりしたよね、その間にも。
たぶんってね、あの恐怖のね、
最近風邪ついてやりましたね、ちょいちょいね。
お子さんがね、
お子さんがね、
クノエアってやっぱり群馬の方から空の風邪のおすそ分けみたいなのをいただくんで、
空の風邪のおすそ分け。
赤毛おろしみたいな。
赤毛おろし文化雰囲気。
日は空を歩いてね、結構歩いたよね。
で、なんかそういう歩きながら話すことで、
なんか自分がこうちょっとたまっていたこととか、
誰にも打ち明けてなかったこととかが、
こうふっと出たりとか、
なんかそういうところで話すと、
すっかりこう気が楽になってたりとか、
気が済んでたりとかすることがあって、
今回はでも本当にそういうところの、
なんか養生の過ごし方をさせてもらったとか。
でも親と子の関係ってやっぱ、
それぞれじゃないですか、
みんな関係が違っていて、
うまくできないこともあったりするし、
そこに正しさとかはないけれど、
禁止ですって言いに行けん関係って言ってたけど、
そうできない人もいっぱいいるじゃない。
でもここのお二人はね、
さっき言ったように親っぽでもあるけど、
人と人として話されてるんだろうなっていう感じが、
すごく僕らが見てても感じます。
なんなら恋の話とか、
二人で出来うるじゃないですか、
恋愛の話とか。
でもさ、恋愛の話で言うと、
なんかうまくいかない話とかが
結構聞かされるようなことが多いわけ。
わずわずから。
わずわずから。
そうするとさ、退屈なんだよね。
へー。
それでさ、
割と三人娘がいて、
三人とも恋の話とかを
ちゃんと私に聞かせるんだけど、
うまくいかない恋の話なんて、
うまくいかない恋の話も
面白くないかもしれないけどさ、
全部面白くない。
おパーティー聞いてる?バーン!
娘の笑顔が。
薄すぎて退屈だなって分かって、
嫌になっちゃう。
恋の話なんて大した面白くないから。
へー。
しかもさ、やっぱり
あんまり関わっちゃいけないっていうね。
それはこうした方がいいんじゃないかとか、
そういうことでもないし、
ただ聞かされるっていうことなわけ。
そうだね。
余計な。
全部聞かなきゃいけないんだねって言うと、
本当にさ、
そういう時になんかこう、
さや遠藤の筋を取りながらとかさ、
そうだね。
かんがらかったタコ糸をひこどきながらとか。
ちょっと小豆煮ながら。
あーそう。
なんか仕事をしながら聞いてるみたいなのは
多いかもしれないですね。
そう。
家族っていうものが、
一種類じゃないっていうことを、
体系的に知ってるのに、
どういうのかな、
世間っていう単位の中では、
意外とさ、分かられてないよね。
今言われたように。
瀕死の時には絶対会えない親子とかも
いるわけだよね。
そうですよね。
親の方がいるとか。
それ私も体験的に知ってます。
関係が近いから、
立場的にも。
あと分からない、
血の濃さとかもあるのかな。
だから、
うまくいかない親子っていうのがいたり、
兄弟とかいたりする時に、
絶対近づかない方がいいと思うの。
ほんとに距離をとって、
でも絶対喧嘩しない。
距離をとって遠くから思ってる。
っていうぐらいにしないと、
っていうような経験も私持ってます。
それはその人たちの方。
変わってくこともあるかもしれない。
そういう時もあるし、
私たちの中でもそういう時もある。
あるよね。
ガルガルしちゃって、
常に近づいたら、
傷つける言葉を言っちゃうとか、
家族の料理の受け継ぎ
逆にそれが甘えになってると思うけど、
文句を言っちゃうとか、
当たっちゃうみたいな、
相談とかじゃなくて当たるから、
今回は少し帰らないでおこうとか、
そういうシーズンもあるだろうし、
あったよね、それも。
マク言ってたよね。
そういう感じです。
私も瀕死の時に、
家族のことを考えるかどうかって言ったら、
そして瀕死ですって言えるかどうかって言ったら、
ちょっと怪しいもんな。
言えるような気もするし、
言えないような気もする。
本当の本当の本当の瀕死だったら、
頼るのかもなって思ったりもするけれど、
僕の家族との関係も、
またそれは一つの在り方だと思うし、
どっちがいいとか、
そういう話はしてないので、
じゃあ少しいい方に振ろうかとか、
しない方がいいことが多いし、
在り方をちゃんと認めるっていうことが大切。
そんな話からの延長で、
家族のことを考えながら、
話をしていけたら、
今回はおもしろいかなって思っていて、
さっきもね、
覚えてるものの違いがあるみたいな話もしたけれど、
一緒にご飯の話できたらいいかなと思ってました。
私、この話をもらった時に、
家族の話って言って、
そしてふみこと一緒にするってなった時に、
やっぱりこの人の両親、
私にとっては祖父子の、
わりとここの2人でも、
おじいちゃんおばあちゃんがやってくれた料理とか、
あと、わりとお正月の式たりとかが、
けっこうちゃんとあるお家だったから、
2人とも亡くなっていないんだけど、
おじいちゃんもこういうことやってたよね、
おばあちゃんもこれ作ってくれたよねとか、
そういう話をよくするから、
3世代じゃないかなと。
きっちりしてて、
厳しい家で育ったデタラメな娘なの、私。
厳しい家で育てられたデタラメな娘。
娘って本当ごめんねって感じ。
だからあずあずは初孫なんですよ。
おじいちゃんおばあちゃんからしたら。
だから特別な存在だと思うんだけど、
そのことにおいてだけ、
親孝行ができたかもしれないってくらいなんで、
あと本当はびざしてて、
本当ごめんって感じで、
それも晩年に近くなってから、
2年くらいはわからなかったとき、
全部やってくれたよね。
でもそういうことも含めて、
だから逆言うなよって言い方が当たってるかもわからないけど、
あずさが私の両親のことを受け継いだのを、
私が見てああそうかって思うようなこともあるよ。
つまり私はそういうバカで育ったから、
それは当たり前だと思って、
知らないってことはないけど、
でもそこに価値を感じてるんだよ、あずあずは。
じゃあ私もっていうようなことを、
食堂での食事体験
だから私なんか反抗して、
すごくいい津軽塗りのおちゅう箱があるんだけど、
おせち料理とか作らなかったときもあったからね。
でもああいう懐かしさを言って、
私にそれを思い出させてくれたのはあずあずだから、
あなたが記憶するお正月って、
ちゃんとおちゅうのおかず、
たまんべかんでたりして、
黒豆もあるんだけど、
黒豆を食べると喉が、声が良くなるから、
バイ食べなって言って、
黒豆の汁を最後まで飲むことって言われてて、
朝の記憶を覚えてるんだ。
覚えてる覚えてる。
でもさ、この人たちこういうの受け取るけど、
私は別に歌手でもないのに。
はみ出してる。
はみ出しちゃうから。
めっちゃいいじゃんみたいな。
だからそういう受け取れた食器っていうか、
使ってたものとかも、
文句言いながらもちゃんと大切に持ってたりとか、
私土鍋を持ってて、
おばあちゃんがずっと使ってた。
必ず、北海道の人なんでこの人たちは、
絶対に鍋にタラが入るのね。
タラっぽいね。
鍋の具としてね。
豚肉とかじゃなくて、
タラを入れるっていうのがすごい覚えてて、
その土鍋を出して、
今ね、私がやるときとかも、
タラは入れないんだけど、思い出したりする。
思い出すんだ、作るときに。
北海道の食文化ってやっぱり変わってるからね。
そうではなくても、暗殺して知ってるんだね。
何しにすごくいっぱい作るの。
量というか品数というか。
量なの?振り込められる頃かな。
振り込められる雪に行くってことですね。
入れなくなるからいっぱい作るってことなんですかね。
母が天ぷらをあげるとかなったら、
こんなにあげなくてもいいのに。
でも家族が多かったんですか、人数は。
別に普通の4人家族で一緒に一旦ね。
4人家族で両方が体が大きかったから、
たくさん食べるとか言われたけど、
でも人中じゃなくあげるわけ。
でも天ぷらって翌日とかでさ、
甘辛くみてご飯とか食べて、
ドロドロしてて、
昨日とはずいぶん姿が違いますねって、
おいしいじゃん。
お芋の天ぷら好きだった、おばあちゃまの。
でもものすごい量だったじゃん。覚えてる?
食を通じた家族のつながり
家族で食卓を囲むみたいなときに、
ドンドンドンっていう、
いっぱいあるっていう感じはあったかもね。
張り切ってたんじゃない?
孫も来てるしとか、子供食べさせたいとか。
でも一生懸命な人でしたよ。
だから物語がいっぱいあって、
おばあちゃまは、
わりと好き嫌いが多い人だったけど、
好き嫌いを私たちには、
もう受け継がせないというか。
私は納豆とか粘々したもんだね。
あとほら、おじいちゃまは、
わりと珍味が好きで、
キムチとか新しいものを。
なんでも食べてみたいっていう。
銀座とかに仕事で通ってて、
そういうところで出会うんじゃない?
買って帰ってくるの。
日本でベトナムのフォー食べたの、
あの人が初めて食べたくらい、
珍しいものがすごく好きだったの。
珍しいものを食べない人だから。
補修。
人が来たら、チラシ寿司って言うの?
おチラシって言うんだよね。
おチラシ作らなきゃとか。
最近受け継いでて、
おチラシ作ったりする。
おチラシ結構作りますね。
家族の風景の中で得ている食体験って、
もう嫌悪なく染み付いちゃってるものでもあるし、
どこでどういう風に受け継がれるの?
先輩とかも特にね、実家が。
昔は食堂をやってて、
うちの実家は。
食堂自体は、親が生まれる前にも閉まってたんですけど、
その後は下宿をやってて、
まかない月の下宿屋だよね。
そうです。1日3食を出してて、
高校生、大学生が10人。
やめざかり。
15人くらいなのかな。
常に行って、祖母と母親が
エモリをしているっていう。
女の子もいました。
時期によると思うんですけど。
食堂みたいなところがあって、
そこでみんなめいめいに来て食べるみたいな感じではあったんですけど。
そこから受け継いでる食体験とか風景って、
何なんでしょうね。
風景で言うと、
学生の食堂、下宿生の食堂と実家の食堂は別だった。
食堂じゃないか。
今は別だったんですけど。
基本的には実家の方で食べるけど、
ご飯食べてるお兄ちゃんお姉ちゃんのところに遊びに行ったりしてて、
行き来自由だったんで。
廊下でつながってるから。
そういう風景は覚えてるけど。
飲食店の食堂だったら厨房があったんで、
業務用の厨房。
木口とか全然違うもんね。
火力強いところとか、ステンレスの作業台とかがあって、
そういうところをちょろちょろしながらっていうのは記憶にはあるけど。
その実家じゃなかったら、今は料理の仕事をしてないかもしれない。
かもしれないですよね。
確かにね。
面白いね。
生きてる人たちに目立っては、
そこがその時代の家なわけだから。
それ羨ましいね。
学校時代の3年間とか、大学4年間とかそこで過ごしてる。
ずっと覚えてるだろうな。
好きなものとか、メニューが。
ちょっと泣きそう、今。
どこへの感情を引き出したかわからないけど。
お父さんがいて、お母さんがいて、
お兄さんがいて、おばあちゃんがいて、
兄弟がいてって言うんじゃない。
そういう場面も家庭なんだよね。
その風景が好きだったのかもしれないですね。
小学校4年生ぐらいの時に、
小屋を建て替えたんですよ。
壊して。
下宿の棟と小屋が別れちゃったんです。
前は繋がってたんだけど。
パッキリ別れて、
寂しいなって当時も自分で思ってて、
父親とか母親が頑張って計画して、
新しい家を作ったのに、
俺が前の家の方が良かった。
若きだったんだね。
それを覚えてる?って小屋が。
自分の家のこととか、
自分の家のこととか、
自分のためでもあったのにね。
そうすると落ち着いて勉強できるとか。
考えたんでしょうね。
自分たちのことのために考えてやったんだと思うんですけどね。
別れと思っても含めても、
人ってさ、人が思うよりもっとシンプルだよね。
実際問題。
昨日の昼過ぎに熊井に2人で来てくれて、
ちょっと買い物しながら家に帰ってきて、
うちでご飯を食べて、
2人のご飯を食べてもらって、
熊井の生活を見てもらった上で話すんだけど、
ここに移り住んだのがちょうど3年前?
3年経つのね、もうすぐ。
周りの人たちが私に向かって、
とうとう移住しましたね。
山本アミコの移住生活
古民家に。
あと、俺があなたの杉の住処ですね。
っていう言い方をするのね。
他の方から言われるんですね。
私一切そういうの持ってない。
そう思ってなさそうな。
それはあなたたちが私のことを知ってるからだよ。
だいたい覚悟して移住してるみたいなことになるから。
でも私、飽きちゃったら多分
違うこと考えて、
突然オランダに住んでる。
それにしても一応覚悟はしてるわけ。
だってせっかくここに来てきてさ、
3年くらいで飽きちゃったら困るので、
飽きない工夫をしてたわけ。
やっぱりそれの鍵はとっても職場に行ってて、
近隣の職関係のお店を回る、
探して勇気を持って入るとか。
初めて店に入るなんて勇気が要るもん。
要りますよね。
その筋力つけたよね。
私たちつけた。
全然なかったもん、その筋力。
そこで生まれた結びつきって嬉しいじゃない。
もしかしたら熊谷に来て何が変わりましたかって言って、
エッセンの作風とか変わりましたかって言うと、
いや、変わらない。
どこにいたって私は私だしなんて言ってたわけ。
なんだけど職のことを開拓したことは、
この地域とのつながりができたっていうことになってるんだけど、
もう一つ、飽きては困るっていうのはあったわけね。
熊谷とか熊谷暮らしが。
もう一つ、初めて夫と二人暮らしになったわけ。
子供いたからさ、一緒になったと。
初めてなって、
お?って思ったわけ。
この人のこともさ、
もう飽きては困るわけ。
やはりそこでも工夫が必要だと思ったんだよね。
それが食だった。
絶対一緒にご飯食べようって。
これからもそうしてきたんだけど、
農業とかも入ってきてるから、
食事を通じた関係性の深め方
畑行ってくるからここでサラサラって食べちゃうよって言うようなことがあったんだよね。
夫にも。
でもそれはやめよう。
とにかくちゃんと同じものを10分でもいいから。
一緒に食卓について。
そうすると、ちょっと喋りながら食べることでもなるし。
一緒にいるときはとにかくご飯食べようっていうのが、
私の飽きない工夫だった。
飽きるといろいろ増えるんじゃない?この先さ。
飽きないほうがいい。
せっかくこれまで結構仲良くやってきたのに。
それは完全に食なの、私の場合。
飽きる、飽きないで言うと、
同じ時間を過ごせば過ごすほどというか、
だんだん飽きてきちゃわないかなって思うんですけど。
食事の時間も。
スランも含めて。
それで食事がつなぎ止めるものってどういうことなんですかね。
時々買ってきた嘘うざいみたいなものも入ってきたりするんだけど、
それにしてもやっぱり食卓を作るじゃない。
それってとても創作的なことなんだよね、私にとって。
夫もこれまではそんなに一つの食卓を
なんか親子丼では作れますよとかいろんなことがあったにせよ、
一つの食卓を全部1から10まで作るってことはしてこなかったんだけど、
そういうこともできるようになった。
そういう食という一つの創作を発表し合うみたいな。
なるほど。
毎回違うっていうか。
毎回違うし、やっぱり割と気を入れてご飯食べてるし。
一緒に作り合ってもいるってことですか。
いや、それ…
その考えってなかったかもしれないです。
だから当番制みたいな感覚が強いかも。
今日は私、今日はあなたみたいな。
じゃあ例えば2人で住んだりとかしてる時に作り合う。
じゃあ教えとくけどさ、
私も結構締め切りに追われて忙しいっていう時もあって、
向こうも映画作ったりしてるから、ちょっと今手離せないんだよねっていうの。
私よりもっと強いかもしれないから、
攻めき合ってる瞬間っていうのがある、時間っていうのが。
こっちが昼ご飯作る。
今日は蕎麦とか言ってたけど、私が茹でるのか。
あ、メニューが決まってるんだ。
ちょっと待ってみるかな?みたいな。
それで向こうが立ち上がって、蕎麦を茹でるねとか言って、
やった!
攻めき合いの審議戦も。
そういうのもちょっと面白かった。
俺もそれでね。
一緒に食べることの面白さだから、これもあるし、
じゃあ私、蕎麦を茹でてくれるなら、
ちょっと簡単な岩のなんかを知ってきて、
衣付けてちょっとあげるみたいなのにしようかなとかね。
悪いじゃない?やっぱりさ。
まあね、それその人だけね。
俺もそういうことを考えるような人じゃないから、
そういう役の良いことを考えるのは私だから。
だからちょっと悪いなと思って、草の天ぷらを。
草の天ぷらを。
野菜のね。
その時食べられそうなものを。
テントだけあげたり、
冷凍されてる揚げ玉を出してるだけってこともあったりもしたけど、
ちょっと何か。
豪華な薬味を刻んでみるとかさ。
豪華ってことはないんだけど、
種類を刻んでみるっていうね。
だからいろんなことの鍵を職が握っているってことを
知ってた人生は良かったと思って。
どう?
私はそう思ってるんだけど。
ちょっとこの辺で一旦前編を切って、
このまま後編いきましょうか。
一旦前編はここまでで、
アミコさんとお話ししましょう。
後編にも引き続きますが、
ここまでのお相手は私石崎と、
藤村武人と、
あずあずと、
ゲストの山本アミコでした。
引き続きお楽しみください。
28:32

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