本当に。だから、ふみこさんが作ってくれたものとか、
そういうことをエピソードとして話すことが結構多いから。
このつながりの面白さを、あまり感じずにしてきたけど、
改めてね、このラジオを聞いて、やっぱりそういうことって残ってるんだなって。
あと、自分が残ってて欲しいことじゃないことが残る。
その場面を話すなら、私が優しく作ったこれを差し出すところだろうっていうところなのに、
こいつはそれじゃないところを面白がって覚えてるんだなとかね。
意外と人ってそんなもんだよ。
そうかも。
でもね、僕らも話してきながら、やっぱり2人の家族の絆みたいなものを感じますよね。
今回はね、遊びに来てるから余計に、2人がお話ししてるところもこれまでたくさん見たから余計に思ってしまう。
そうですね。
雲屋のおじかのようにお邪魔してくれてますからね。
なんか楽しかったね、昨日からね。
すっごい楽しかった。
いろんなところ一緒に買い物に行ったりね、歩き回ってるね。
で、家族って言われたけど、でもこうやって、だから昨日から一緒にご飯食べたりしてると、
さすがに家族って名前で呼ばなくてもいいけど、
私はね、一緒にご飯食べる人は、その時は家族だっていう感じがする。
難しいでしょ。だって今の時代に家族っていう定義がとっても私難しい。
一人暮らしの人もとっても多いし、望んでる一人暮らしもあるだろうし、
一人暮らしになっちゃったっていう人も多すぎる。
本当に幻想としてたくさん家族、人数がいる家族が楽しいと思ってるけど、
そんなことないからさ。
なおかそれを考えると、まず単位として自分自身が自分の家族だっていう意識がとても大切だと思って、
それを証明するっていうか、それを物語として成立させるためには、
自分がちゃんと食べるっていうか、自分をもてなすっていうか、食べさせるっていうことが、
その意識ちょっと大事なんじゃないかなっていうふうに思った。
それすごい苦手で、自分は。
そう?
そう。
自分が食べることに関しては?
そうです。たびたび言ってるんですけど、実水あんましない、ほぼしなくて、
お菓子とかアイスで済ませるんですけど、家のご飯は。
ちゃんと食べてはいるわけだよね。
そうです。まかれては食べてますね。
今、上子さんがおっしゃったような、自分で自分と家族になるっていうか、
その感覚最近身につけたいなって思ってたところだったんですよね。
本当?
別にお菓子の時があっても、ヨーグルトだけの時があっても全然いいと思うんだけど、
私、こうでなければならないっていうのはとも苦手みたい。
家族だったらこうしなきゃいけないとか、
アズアズとは一応親子なんですけどね。
だけど、やっぱりちょっとそのことに油をかけない関係になってきてると思ってます。
それだけじゃない繋がりを作らないと面白くない。せっかくこの人と出会って。
割と気が合うアズアズなので。
一緒に物を食べたりするのは緊張っていうか、一緒にちゃんと食べようねって思ったり。
デイタクスとかいうんじゃなくて、アズアズにうなぎを食べさせようとかそういうものじゃないんだけど、
せっかく久しぶりに来るんだったら、体に優しいものを。
大抵忙しくて疲れてたりするし、大抵今回来た時は私瀕死ですとか言ったの。
アズアズがね。瀕死の状態でやってきた。
瀕死の状態ですっていうことは、私ドクターでもないし薬剤師でもないから、
何にも治療もできなきゃ、処方もできないわけだから、ご飯作るしかないじゃん。
そこででも張り切ってご飯作ると、それが胃に蓋になるようなものになっちゃったりする。
今回は割とお二人が来る前に店に行っていたんですけど、
だしの効いたスープとか、野菜いっぱいとか、そういうものを食べてたね、一緒にね。
割とだから、ちょっと風邪をひいたとかっていうのもそうなんだけど、
なんかこう、ふたびれたみたいな時に、かけこむように実家に帰ってくることが、
精神的にもってことね。
なんか逆で、自分のために、さっきの話じゃないけど、お茶一つ入れたくないみたいな。
わかる!
なっちゃうんだよね。
でも確かに、これまでの話の中でもそういう場面はあるね、確かに。
限界の時、何もできない、したくないっていう。
そういうのが、たぶんちょっと環境を変えたいんだなっていう時は、
割とこう来て、堂々と休んで、ぐーぐー寝て、
ご飯とかも全部ばかせてみたいな、
だからありがとうございますなんですけど、
今回も本当に、ひんしですとか言えるっていうのも結構ね、大事だった。
言えるって大事だと思った。
やっぱりたまってるものがあるから、ひんしになるんで、
あ、違う、病気でもない限りね。
だから、やっぱり吐き出さなきゃいけないし、
優しいものを食べなきゃいけないってことかなって気はしてるんだけど。
なんか、でもラーメン食べに行ったりしたよね、その間にも。
たぶんってね、あの恐怖のね、
最近風邪ついてやりましたね、ちょいちょいね。
お子さんがね、
お子さんがね、
クノエアってやっぱり群馬の方から空の風邪のおすそ分けみたいなのをいただくんで、
空の風邪のおすそ分け。
赤毛おろしみたいな。
赤毛おろし文化雰囲気。
日は空を歩いてね、結構歩いたよね。
で、なんかそういう歩きながら話すことで、
なんか自分がこうちょっとたまっていたこととか、
誰にも打ち明けてなかったこととかが、
こうふっと出たりとか、
なんかそういうところで話すと、
すっかりこう気が楽になってたりとか、
気が済んでたりとかすることがあって、
今回はでも本当にそういうところの、
なんか養生の過ごし方をさせてもらったとか。
でも親と子の関係ってやっぱ、
それぞれじゃないですか、
みんな関係が違っていて、
うまくできないこともあったりするし、
そこに正しさとかはないけれど、
禁止ですって言いに行けん関係って言ってたけど、
そうできない人もいっぱいいるじゃない。
でもここのお二人はね、
さっき言ったように親っぽでもあるけど、
人と人として話されてるんだろうなっていう感じが、
すごく僕らが見てても感じます。
なんなら恋の話とか、
二人で出来うるじゃないですか、
恋愛の話とか。
でもさ、恋愛の話で言うと、
なんかうまくいかない話とかが
結構聞かされるようなことが多いわけ。
わずわずから。
わずわずから。
そうするとさ、退屈なんだよね。
へー。
それでさ、
割と三人娘がいて、
三人とも恋の話とかを
ちゃんと私に聞かせるんだけど、
うまくいかない恋の話なんて、
うまくいかない恋の話も
面白くないかもしれないけどさ、
全部面白くない。
おパーティー聞いてる?バーン!
娘の笑顔が。
薄すぎて退屈だなって分かって、
嫌になっちゃう。
恋の話なんて大した面白くないから。
へー。
しかもさ、やっぱり
あんまり関わっちゃいけないっていうね。
それはこうした方がいいんじゃないかとか、
そういうことでもないし、
ただ聞かされるっていうことなわけ。
そうだね。
余計な。
全部聞かなきゃいけないんだねって言うと、
本当にさ、
そういう時になんかこう、
さや遠藤の筋を取りながらとかさ、
そうだね。
かんがらかったタコ糸をひこどきながらとか。
ちょっと小豆煮ながら。
あーそう。
なんか仕事をしながら聞いてるみたいなのは
多いかもしれないですね。
そう。
家族っていうものが、
一種類じゃないっていうことを、
体系的に知ってるのに、
どういうのかな、
世間っていう単位の中では、
意外とさ、分かられてないよね。
今言われたように。
瀕死の時には絶対会えない親子とかも
いるわけだよね。
そうですよね。
親の方がいるとか。
それ私も体験的に知ってます。
関係が近いから、
立場的にも。
あと分からない、
血の濃さとかもあるのかな。
だから、
うまくいかない親子っていうのがいたり、
兄弟とかいたりする時に、
絶対近づかない方がいいと思うの。
ほんとに距離をとって、
でも絶対喧嘩しない。
距離をとって遠くから思ってる。
っていうぐらいにしないと、
っていうような経験も私持ってます。
それはその人たちの方。
変わってくこともあるかもしれない。
そういう時もあるし、
私たちの中でもそういう時もある。
あるよね。
ガルガルしちゃって、
常に近づいたら、
傷つける言葉を言っちゃうとか、