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はい、どうもおはようございます、たからんです。
今日もですね、朝からちょっといろいろ課事をしながら、ちょっとスタイフでね、いろんな方の勢いを誰かやってるかなーって言って、
ライブを聴くっていうのが結構、課事する時のね、日課になってるんですけど、
今日、さっきほどですね、久々にあのアゲちゃん、アゲ妻さんのライブが立ってて、
珍しいって思って、アゲちゃんがライブするのも珍しい、私が彼女のね、ライブにぴったり時間が合うのが珍しいんですよね。
で、思わず入ってですね、ちょっと聞かせてもらってたんですけど、その中の話でね、
バズらせる、バズらせたがる人、SNSいるよねって話の中で、中高年の人の方がなんかバズらせたがる、
若い人ってそんなところあんまり気にしないよって話がありまして、あれ何なんですかねっていう話があったんですよ。
で、ちょっと思ってることがあったんで、なんか私よく中高年代表としてですね、代表ってことじゃないかな、
45なんですけども、この辺からちょっと上の世代っていうのかな、に感じるところっていうのがあるかなと思って今、
ふと思ったんでちょっと撮ろうかなと思いました。
あれね、多分なんですけど、ネットネイティブかどうかみたいなところがあるかなってすごい思うんですよ。
私、今45なんですけども、1980年生まれ、昭和55年か、私が中3の頃、中3の3月だか2月だかぐらいにWindowsっていうのが発売されて、
その辺から世の中にインターネットっていうのが広まりだしたんですよね。
一般的になったらもうちょい後なんじゃないかなと思う。
で、それが95って言ってるから95年ですね。
95年からあとの2000年ぐらいまでの間に、まあまあ携帯電話も登場したし、
あとはインターネットもね、パソコンとか普通に家庭にはない感じだったんで、携帯もパソコンもないようなとこからっていうのがその頃です。
その90年代最後の方に、学生じゃなかった人、私なんか携帯持ったのは高校卒業ぐらいのときなんで、大学生になってからですよね。
そこ持って初めて個人の発信っていうか、個人が電子的にメールとかそういうので発するっていうことがやっとできるようになったんですよ。
それまでの情報ってテレビとかラジオとか新聞とかいろいろメディアが放送してくるものっていうのが、それがもう情報のすべてで。
で、そういうのって大体ニュースもなんでも同じですけど、似たような同じような話が入ってくるじゃないですか。
で、それをみんなが聞いてみんながそれを楽しむ、楽しむというかそれが正解だと思うっていうのかな。
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そこに考えが寄っちゃうっていうのがあって、あまり個々の個人のいろんな考え方とかって考えとか表現とかってそんなに重視されないって言うんじゃないけど、
個人の考え大事だよって話がその頃からありましたけど、やっぱり表に出ないし反応はされないっていうところだったと思うんですよね。
で、あんまりデシャバルとデルク打たれるじゃないけど、そういうこともあるし、なんか周りに合わせようっていわゆる同調圧力じゃないけどね、そういうのがあったと思うんですよね。
そういう社会的なものが何となく多かったと思います。で、今もそういう感覚が残ってる。
で、だけどインターネットできました、SNSもできましたっていう風になってきて、ブログとか個人が発信してるものが世の中に見られるようになって、
いろんな人がいるんだなって、いろんなことを考えていろんなことを発していいんだなって、それに対していろんな人が、よくも悪くもまたそれぞれの反応をするっていう、
なんか個々の考えがあって、個々のが出して、それに反応してもらえるんだっていうことっていうのをちょっと経ってから気づくんですよね。
で、しかも多分大人になってから、そういう世界でよくあったんだみたいな感じのが多分今なんじゃないかなってして、個人にとっての。
最初ネットってよくわかんないってなってたけど、だんだんLINEも使えるようになったしみたいな感じになってきて、外にね、SNSも怖かったけど、私もそうでしたけど、SNSって怖いもんかと思ったけど、
そういうのでやり始めたらなんかこう、分かってきた。怖い部分もあるっちゃあるけども、逆に本当にすごく何でもない自分のことを認めてくれるみたいなところがあったりもするっていうのを、
なんかね、そういうのが当たり前にあるもんなんだけど、それが当たり前だったんだっていうのに気づいちゃって、その刺激っていうの、反応が欲しくなっちゃう世代って、
ある程度の年代以上の人なんじゃないかなって気がします。そういう経験が多分子供の頃からなかったと思うんで。
今はもう学校でも教育的な面でも結構ここの人々の意見大事にしてるっていうことも多分あると思うし、子供たちの授業とかそういうの見ててもね。
あとは子供たちもYouTubeとか見てるわけだから、いろんな人がここで発信してるの知ってるわけですよね。みんな同じものを見てるわけじゃないし、
しかもみんな同じアニメ見てないし、みんなドラゴンボールとかみんなスラムダンク見てるとかっていうんじゃなくて、なんかそれぞれが好きなテレビ、テレビじゃないことが多いですね、アマプラとかね、
そういうので好きなものを見てるっていうことが多くて、それぞれ違うんだよねっていうのとか、たまにこういう人がバズってるみたいなのを目にしたときに、
そういうこともあるよねぐらいに若い人は多分感覚的になってるんだろうなっていうふうに思ってます。
だからそこに違いがあるんじゃないかな、だからそれで有名人みたいに、やっぱりそこも有名人みたいに、芸能人みたいに有名人みたいにみんなが知ってて、
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どうやって知られてみたいなっていうところにネームバリューというか、何ていうの、権威性じゃないけどもなんかがあるって思っちゃって、
だからすごいたくさんの人に広まって有名になると、それがいいっていう感覚がどっかにまだ残っちゃってるんだろうなっていう気がします。
それなんでバズるとか、たくさんの人にフロア少ないからっていうのも気にするというか目指しちゃうというかっていうところもあるのかな、そんな気はちょっとしてますね。
私はどうだろうな、バズらせたいかな。
そんなにではないとは思ってるんですけども、わかんない。目立ちだがりだったりするから、パラパラなんか踊ったりするわけですけど。
でもあれですっごい、インスタで踊ると繋がってる人たちが見てくれるっていうのはこれは嬉しいんですけど、
TikTokで出したら結構外国の人からいいねとか入ってたりして、若干怖かった。
こんな風になっちゃうんだ、見られるんだなって思って。
ちょっとまだ慣れてないですね。
なんで、私はSNSはうまくお付き合いして、この人好きだなっていう人たちと繋がれたらそれが嬉しいかな、そういう使い方でいったらいいなって思ったりしてます。
そんなことで、今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な気づきのある毎日となりますように。
ダカランでした。それではまた会いましょう。