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はい、どうもこんにちは、たからんです。
今週ですね、ホワイトデーがあるということで、
息子とですね、バレンタインの時に妻と娘からチョコもらいまして、2人でね。
なので、息子と2人で出張りまして、何か探しに行こうという風にちょっと行ってきました。
まあ、いろいろね、考えたいとこあったんですけども、
でもなんかホワイトデーコーナーみたいなとこやっぱりいろいろあって、
チョコとかクッキーとかありましたので、そこで選んだんですけど、
結構ね、売り切れてるのもいっぱいあって、やっぱりかわいいのからどんどん売れちゃうんですよね。
そんなことの中で、でも息子ともいろいろ探してて、
お母さんにこっちとこっちで迷ってんだよねみたいな感じでね、
結構一生懸命考えてた姿が、まあよかったなと思いながら見てました。
私は私でね、こんな時くらいはちょっとおしゃれなというか感じのものを2人に、
娘と妻にあげたいなと思いつつ、
なんかね、なんだろう、すごいかわいくていい感じなんだけど、
ちょっと安いかなみたいな感じの値段を見ちゃうとこがちょっとまだまだというか、あれですね。
息子も多分値段を見てあんまり高いと感じてるとこあると思うんだけど、
私はあんまり安いと500円くらいだとなんかね、
妻に普段のことを考えるとちょっといいものって思いたくなるとこが人情なんですけど、
なんか値段で見てもしょうがないよねって思いながらね、そこに変な迷いがありますね。
まあまあ結構良さそうなのが書いたから、2人で書いたからよかったなと思ってます。
前回から先日ね、子育てのセミナーといいますか、オンラインの申し込みがあって、
子育てとかですね、保育の関係で知見のある塩見俊之先生という方の講演のセミナーを私、申し込んだのがあったんですね。
それのお話を聞いたのがすごくよかったので、ちょっといくつかのテーマというか題材、内容があって、
その点について感想を話していきたいかなと思ってます。
前回は子育てが孤独なお母さんだけの子育てになっているけども、
そういうのって本当に昔からあったわけじゃないよねって、ここ数十年の話だよねっていう話とかね、
そこから父親の方も子育てする機会を奪われていると、そういうところが側面あるよねという話を出しました。
今日は親側じゃなくて、今度は子どもの方ですね。
子どもがそういう、いわゆる親の子育て、孤独で大変な子育てになっていることで、
子どもからも奪われていることというか、そういうのをちょっとピックアップしていきたいかなと思ってるんですけど、
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そのひしおみ先生のお話の中では、70年代の写真というのを出して、子どもたちが遊んでいる姿というのを白黒写真で見せてくれたんですね。
それがほとんどが道端とかで、空き地とかで、いろんな年齢の異年齢の子ども同士で集まって遊んでいる姿という感じがありました。
当時は道路の舗装率も何パーセントだったかな、少なくとも一桁とかで、基本的には砂利道みたいな空き地みたいな感じのところばかりで、
車もそんなにブンブン飛んで走っているわけじゃなかったので、そういうところが子どもたちの遊び場になっていたらしいんですよね。
言われてみると私も80年生まれで、小学生の間は80年代というところですけど、舗装はほぼほぼされているところが多かったかなと思うんですけど、
それでも私の住んでいるところ、田舎のほうですけど、車社会ではあるので、車は通っているほうだと思いますけども、
自分たちが遊べるぐらいの空き地みたいなところとかは結構ありましたね。
あと田んぼとか、田んぼ畑、犬狩りした後の犬飼った生え際があるところの田んぼとかというところで遊んだりとか、
今考えると、あんなの農家さんの土地なので勝手に入って遊んじゃダメなんだろうというふうに今のと思って、
ちょっと子ども勝手に入らせるわけにはいかないなと思ったりするんですけど、
その辺やっぱり当初は大らかだったんですかね、何だかわからないけど、遊ぶ場になっていましたね。
そんな感じで、実際私も異年齢の友達と遊ぶことが多かったです。
幼稚園ぐらいの時から小学校、低学年、中学年ぐらいまでは、その上のほうの6年生から下のほうまでみたいな感じで、
近所の友達同士で一緒に遊ぶことが多くて、結構子どもたちだけで遊ぶんですよね。
この写真の中でも、お父さんお母さんいないですよねっていう話があって、
今は変な条例とかで、児童公園に子どもいるときは親が見てなきゃいけないみたいな話があったりしてましたけども、
その話も話題として出てて、根本的にわかってないなというふうにおっしゃっていましたね。
子どもたちっていうのは、結構いろんな年齢と混じっていくっていうのが今の子どもたちはほとんどないらしくて、
そういう中で上の子が下の子を見るとかね、そういうのとか、空き地で何もないところで、
その辺の落ちているものとか植物とか、そういうのを見て、そのときどういうふうに遊ぼうかって、
石ころを使って、木の枝を使ってどうしようかとか、そうやって発想力とか企画力とか、
そういうのを身につけながらいろいろ考えて遊ぶ。
怪我して失敗してとかね、そういうふうにしながら試行錯覚をしていくということで、
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そういう世の中で、自分が生きていく中での力っていうのを子どもたち同士で縁がありながらやってきたんだよねっていうのが自然にあったと。
昔はあったということです。
私もその感覚を確かにわかる気がします。
小さい頃はそんな感じでしたね。
でも何かいつの頃からかというか、特に自分が親になった頃から、
その辺で遊ばせるのってやっぱり危ないっていうような感覚がすごくありますね。
これ私の意見というか感じたところなんですけど、
インターネットとかが発達してきて、
つるさりとかね、昔も誘拐とか変なのちょいちょいあったんですけど、
そういうつるさりとか顔を見て不審者が寄ってくるとかそういうのも増えてきたのかな。
増えてきたのか見えやすくなってきたのかということで、警戒することが多くなってきてはいると思います。
あとやっぱり近所もうちもそうなんですけど、友働きであまり学校から帰ってきても周りに友達がそんなにいっぱいないんですよね。
みんな保育園、保育園は幼児だからあれだけど、小学生も学童保育に行っているとか、
帰ってきても遊ぶ友達がいないみたいなことも結構あって、
なので遊ぶ仲間は学童の友達みたいな感じになるパターンが自分の子供としてはそういうことが多かったです。
でも学童保育自体は結構居年齢がいるので、そこは居年齢で遊ぶっていうのはあってよかったのかなって思うんですけど、
やっぱりそういう場所を限らせちゃうっていうのはどうしても最近出てきているなと聞いてて思いました。
そういう遊びの中で身につけること、保育関係でよく言われている非認知的能力、非認知的能力ということがよくそういうのを育てようみたいな話があるんですけど、
そういうのはもう昔は自然に備わっていたと。
今はそういうのがやるのが難しいから、そういう場を作るとか、そういう子供たちの動きをなるべく制限しないというんですかね。
できる限りでそういうことを気にしててあげるというか、そういうことが必要になってくるよねっていう大人の立場としてはという話がありました。
特にすごく印象に残っている強い言葉っていうのかな、印象に残った言葉があって、
70年代ぐらいにすごく流行った兵法があるらしいんですね。
それが飛び出すな、車は急に止まれないというものだということで、これは逆だろうって言ってました。
飛び出すな、子供は急に止まれないでしょっていうね。
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子供たちがその辺で遊んでいるのは当たり前で、のびのびとやっていろいろ成長していく中で遊んでいるっていうのかな、そういう活動をしているっていう中で、
目が離れちゃうと注意力が散漫しちゃって出てくる、飛び出しちゃうっていうこともあるから、気をつけるのはドライバーだろうという話なんですけども、
そんなことを言った日本人は当時誰一人じゃなかったという話だったんですね。
それは本当そう思うっていうふうに思いました。
当たり前のように自分の中でも車は急に止まれないってなって、
それが正しいことであればその通りで遊んじゃいけません、危ないでしょ、そのとこ遊んじゃいけませんって親として言うしかないですよね。
そうやって制限する制限するっていう方向に子供を持っていくしかなくて、車社会になったからそうではあるんですけども、
でも制限させる、子供の居場所をなくさせて大人とか経済のためなんだかなんだかわからないけど、
そういうことのほうを優先して子供が成長する場っていうのを自ら成長してくれる場ですってそれを奪っている。
だから親がなんとかしなさい、保育園でなんとかしなさいみたいな変な流れになってるんですよね。
本当は子供たちだけで遊ばせておけば勝手に自分たち成長してくれるものだった。
親がそんなところまで見る必要なんかなかったっていうそういうところなんですけども、
そういうのが親のプレッシャーにもなりつつ子供の居場所がなくなっていくつつ、
結局そういう企画力とかそういうことが自分で考える力はあまり身につかないで大人になっちゃうみたいなところもあるんじゃないかと。
考えさせられましたね。
車、経済、モータリズムっていうかそういうのを優先してきた日本の性質がすごい出てる標語だなと思いました。
当たり前になりますよね。
肩振りの話で子供の安全に何かかけねえよお前って言ってきたおじさんとかいるっていう配信ちょっと前にしたんですけど、
それも同じかなと思いましたね。
子供のために大人がなんかしなくてどうすんだよっていう。
そういう気持ちが薄れてる社会になってないかなっていうのをすごく憂えてますね。
今回この話、子供が急に止まれないっていうところ、誰も言わなかったよね日本人っていうのが、
いろいろテーマを挙げてお話ししてますけども、すごく響いたところでした。
これはみんなでちょっと考えた方がいいんじゃないかなというふうに私は思ってます。
ということで、今日は子供たちの遊ぶ場、成長する場というのがなくなってきちゃってるから、
そういう状況だよねっていう、そこにすごく響いたというお話をさせてもらいました。
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この後何回かもうちょっとお話ししていきたいなというところがありますので、また紹介していきたいと思います。
あとこのセミナーを開いてくださった主催のサンゴ・トモサポっていう団体のユーミさんという方が開いてくださってるんですけども、
それのPTXのリンクを概要に貼っておきますので、
このアーカイブをもしかしたら追加で申し込みできるようなことを出してくれるかもしれなくて、
また他にもイベントを立ち上げるときに情報があるかなと思いますので、気になった方はチェックしてみてください。
ということで今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な気づきのある毎日となりますように。
タカランでした。それではまた会いましょう。