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スピーカー 2
ですよね。で、まずは、この日記の朱に起きたある妄想の体験から話を始めたいんですが、これ本当に現代病というか、テクノロジー時代ならではの悲劇ですよね。
スピーカー 1
えっと、ヒュークセというAIサービスの突然の終了ですね。
スピーカー 2
はい、それです。
スピーカー 1
このサービスは、単なるニュース読み上げアプリなどではなくて、彼の生活のインフラそのものになっていたことが記録から読み取れますよね。
スピーカー 2
なんか、未読メールの内容を瞬時に解析して重要度を判断したりとか.
ええ、公開カレンダーの予定から次のコードをリマインドしたり、さらに本人が興味を持ちそうなニュースをポッドキャスト風の音声にまとめて届けてくれるという.
スピーカー 2
つまり、自分の生活リズムから趣味思考まで全てを完璧に把握してくれている超優秀な専属秘書みたいなものですよね。
スピーカー 1
まさにその通りです。
スピーカー 2
その秘書が、あの、ある日アプリを立ち上げたら何も言わずにパタリといなくなってしまった。
エラーを吐いて強制終了するだけって、これ想像するだけで背筋が放りますよ。
スピーカー 1
著者は、あの、ソーシャルゲームのサービス終了には慣れていないから寂しいって表現していますけど、実はこれもっと根深い問題を突きつけているんですよね。
スピーカー 2
と言いますと、
スピーカー 1
現代の私たちは、意識しないうちに、情報のキュレーションとか、生活のペースメイクという、本来自分の脳で行うべき処理をですね、外部のクラウドAIに完全にアウトソーシングしてしまっているんです。
スピーカー 2
ああ、確かに、朝起きて、今日はどのニュースから読むべきかとか、どのメールから返信すべきかを自分で判断する筋肉がもう衰えちゃってるんですよね。
スピーカー 1
ええ、だからこそ、その外部の脳が突然シャットダウンされた時、人は自分がどれほど無防備で、無力になっていたかに気づくわけです。
スピーカー 2
じゃあ、この著者は秘書を失って途方に暮れたままなのかというと、そうじゃないんですよね。ここから彼独自のAIとの付き合い方の模索が始まるわけじゃないですか。
スピーカー 1
ええ、彼は大体手段として、ノートブックLMという別のAIツールを活用し始めます。ここで重要なのは、ノートブックLMがユーザーがアップロードした特定の資料だけをベースに回答を生成するという特徴を持っている点です。
スピーカー 2
世の中の情報を適当に拾ってくるんじゃなくて、自分が読ませた資料という箱庭の中だけで動くAIってことですよね。
スピーカー 1
はい、その性質を利用して、彼は窓の戸のようなソフトウェアのローカルニュースを書き集めて、自分専用の音声概要を作ったりしています。
スピーカー 2
さらに面白い試みとして、自身が運営する別のポッドキャスト、街の縁側キャストの過去のエピソードを読み込ませて、新聞記事風のまとめを作らせたりしているんです。
リスナーがそこから得られそうな学びまでAIに抽出させるってすごく賢い使い方ですよね。
スピーカー 1
でもここで彼が、情報の処理と人間の消費の間にあるある矛盾に気づくのが興味深くて、
スピーカー 2
素晴らしい着眼点ですね。AIの処理能力は無限ですが、人間の時間には限りがあるという問題です。
スピーカー 1
そうなんですよ。AIに過去のポッドキャストをまとめさせる振り返り前を作ったはいものの、
エピソードが蓄積されればされるほど振り返りの尺が長くなってしまうんですよね。
スピーカー 2
最初は1回分を5分で振り返っていたのに、過去の分が重なると20分30分と膨れ上がってしまうんですよね。
スピーカー 1
いくらAIが一瞬でテキストを容略できても、それの人間が耳で聞いて消費する時間というのはショートカットできないんですよね。
スピーカー 2
情報を処理することとそれを人間に伝達することは全く別のデザインが必要だという壁ですね。
そしてこの経験と先ほどのハグトックス終了のトラウマから、著者は一つの大きな決断を下します。
それがローカルLLM、つまり自前のAI環境の構築です。
スピーカー 1
ここでローカルLLMが出てくるわけですね。
でもローカルLLMって自分のパソコンの中で動かすから、クラウド上の巨大なチャットGPTとかと比べると能力は100分の1ぐらいしかないんですよね。
なんでわざわざそんな性能の低いAIを使おうとするんですか?
スピーカー 2
そこがまさに生存戦略なんですよ。
クラウド上の巨大AIは確かに賢いですが、サービス提供者の都合でいつ終了するかわかりません。
スピーカー 1
先ほどのハグドックスのように。
スピーカー 2
ですよね。
スピーカー 1
さらにカレンダーの予定やプライベートなメールといった極めてパーソナルな情報を外部のサーバーに送信し続けることのリスクも感じているわけです。
スピーカー 2
なるほど。なんか超有能だけどいついなくなるかわからなくて自分の秘密を全部握っている外部の司書よりも、
ちょっととんこつかもしれないけど絶対に自分の元を離れない口の固い手元のアシスタントを育てようとしているってことですか?
スピーカー 1
まさにそれです。
情報型の時代において自分の生活基盤や情報のさばき方を巨大プラットフォーマーに完全に握らせないためのいわば自己防衛ですね。
スピーカー 2
いやーすごく納得しました。ただここからがまた面白い展開を見せますよね。
スピーカー 2
AIを駆使して情報をどう整理するかというパーソナルな問題から今度はその情報を他社にどう伝えるかという人間同士のコミュニケーションの摩擦の話へと切り替わっていく。
スピーカー 1
著者のサラリーマン時代の回想ですね。ここには現代のSNS社会に欠けている非常に重要な概念が含まれています。
スピーカー 2
あの上から目線のエピソードですよね。これ聞いててちょっと胃が痛くなりましたよ。
スピーカー 1
わかります。
スピーカー 2
かつて彼が会社員だった頃、顧客に報告書のメールを送るのに信じられないくらい手間のかかるヌールがあったと。
スピーカー 1
ええ。まずチーム全員が閲覧できる社内のメーリングリストにメールの下書きを送信するんですよね。
スピーカー 2
うんうん。
スピーカー 1
そしてそれを見たチームメンバーやリーダーがこの丁寧語の使い方はおかしいとか、この表現は相手をムッとさせるんじゃないかと細かくチェックする。
で、修正を入れてからようやく顧客に送信できる。そんな体制だったと記録されています。
スピーカー 2
いやーちょっと待ってください。正直言ってメール一通送るのにチーム全員のチェックが入るなんて、現代のビジネスのスピード感からしたらただの非効率の極みじゃないですか。
スピーカー 1
まあそう見えますよね。今のスラックやSNSの時代にそんな悠長な官僚主義みたいなことをやってられないですよ。
スピーカー 2
効率という一点の目で評価すれば間違いなく最悪でしょうね。しかし著者は当時のその面倒なプロセスをガードレールだったと振り返っているんです。
スピーカー 1
ガードレール。崖から落ちないための。右も左も分からないどう書けばいいか分からない新人の頃、他の人の目というガードレールがあることは実は精神的にとても楽だったと。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
そして同時にそれは自分の文章表現を鍛える絶好の訓練所になっていたんですよ。
スピーカー 2
つまり自分の書いた文章が赤の他人にどう受け取られるかという他者の視点を強制的にインストールするシステムだったと。
スピーカー 1
その通りです。現代のSNSコミュニケーションを思い浮かべてみてください。私たちは試行時間をかけずに即座に返信することが当たり前になっていますよね。
ええ。パパッと打ってすぐ送信みたいな。
頭に浮かんだ言葉を遂行せずにそのまま送信ボタンを押してしまう。
スピーカー 2
確かに。その結果、意図せず相手を傷つけたり、なぜか上から目線になってしまって炎上をしたりするわけですよね。
スピーカー 1
かつてのあの非効率なメールチェック体制は、いわば教官の訓練装置だったんです。
スピーカー 2
教官の訓練装置ですか?
スピーカー 1
著者はこの経験があるからこそ、今でもSNSで短いやりとりをするときや、ポッドキャストを編集している最中に、自分の言葉が意図せず相手をムッとさせていないかと一瞬立ち止まる癖がついていると語っています。
スピーカー 2
自分の頭の中に当時の先輩が住み着いていて、「それって上から目線じゃないですか?」って囁いてくるわけですね?
スピーカー 1
ええ、まさにそういうことです。
スピーカー 2
これ、リスナーのあなたにも問いかけたいんですけど、あなたの日常のコミュニケーションにおいて、このガードレールって存在していますか?
スピードを追い求めるあまり、相手の痛みを想像するプロセスを私たちは切り捨ててしまっていないでしょうか?
スピーカー 1
非常に重い問いですよね。
AIを使えば完璧な文章を一瞬で作成できますが、人間同士のコミュニケーションにおいて本当に必要なのは、立ち止まって相手を想像する摩擦の方なのかもしれません。
スピーカー 2
でも、他者の視点を想像して上から目線にならないためには、そもそも自分とは違う背景を持つ人たちに対する解像度を上げる必要がありますよね。
相手がどんな人生を歩んできて、どういう言葉に反応するのかを予測する力というか。
スピーカー 1
まさにそこが次の大きなテーマへと繋がっていくんです。他者への解像度を上げるための現代における最適なツールは何か。
ここで著者が提示する答えが非常にユニークなんですよ。
スピーカー 2
ここからが本当に面白いところなんだけど、えっと、彼が提案しているのはゲームなんですよね。
スピーカー 1
地域のフリースペース、ヤマト園の庭でのエピソードですね。
スピーカー 2
著者はそこで地域の高齢者の方々にニンテンドースイッチスポーツとかシティーズスカイラインズといったゲームを見せたり一緒に遊んだりしているそうなんですよ。
すると、高齢者の方々がものすごく強い興味を示して、ゲームの話題から過去の思い出話に花が咲く、著者は彼らの姿をフォトブックにまとめたいとまで考えているんです。
スピーカー 1
最新のビデオゲームと高齢者、一見すると最も遠い組み合わせに思えますが、実はここには明確なメカニズムが存在しているんです。
スピーカー 2
というと?
スピーカー 1
なぜシティーズスカイラインズのような都市開発シミュレーションゲームが高齢者の心に刺さるのかわかりますか?
スピーカー 2
うーん、単に綺麗な映像に驚いているというわけではないんですよね。
ゲームの中で、プレイヤーは渋滞を解消するために道路を拡張したり、住宅区画を整理したりとインフラの課題と格闘します。
スピーカー 2
市長になって街を作るゲームですよね?
スピーカー 1
その、街が変化し苦労しながら発展していくプロセスを目の当たりにすることで、高齢者の方々は戦後の復興や高度経済成長期に自分たちの街が姿を変えていった生々しい記憶を視覚的かつシステム的に呼び起こされるんです。
スピーカー 2
うわー、なんか鳥肌が立ちました。交通渋滞の処理とか区画整理というゲームのメカニクスが彼らの実人生の苦労と見事に重なるわけだ。
スピーカー 1
そういうことです。
スピーカー 2
だからここが大変だったんですよ、というゲーム内の話が、自然と昔この辺りもこうでね、という彼ら自身の歴史の共有へと繋がっていく。
スピーカー 1
ゲームという仮想空間が世代間の翻訳機として機能して、新たな対話を生み出している見事な例ですね。
スピーカー 2
一方で著者は中学生についての憂慮も記録していますよね。中学生くらいになると部活が忙しくなったり帰宅時間が遅くなったりしてゲームから離れてしまう子どもが多いと。
スピーカー 1
成長過程における優先順位の変化ですね。
スピーカー 2
でも著者は13歳からのポッドキャストという番組の議論を引いて、こう主張するんです。中学生という忙しい時期だからこそ、あえてゲームにしがみついてほしいと。
スピーカー 1
ええ。
スピーカー 2
なぜなら、ゲームなどのフィクションは自分の人生では体験し得ないエッセンスを得るきっかけになり、未知のものに対する解像度を劇的に上げてくれるからだと。
スピーカー 1
これもまた非常に深い洞察ですよね。
スピーカー 2
ただここで私どうしても聞きたいことがあるんです。他人の人生を擬似体験して世界への解像度を上げるなら、別に小説とか映画でもいいんじゃないのって。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
素晴らしい文学を読めば他人の頭に入り込むことができるじゃないですか。なのになぜあえてゲームをそこまで強く推すんでしょうか。
スピーカー 1
もちろん、著者も小説や映画といったフィクション全般の価値を否定しているわけではありません。ただ、ゲームには他のメディアには絶対に存在しない決定的な得意性があるんです。
スピーカー 2
得意性。
スピーカー 1
それは、能動的なシチュエーションへの介入です。
スピーカー 2
能動的な介入。つまり、自分がコントローラーを握って選択しないと物語が1ミリも前に進まないってことですか。
スピーカー 1
その通りです。小説を読んでいるとき、私たちは素晴らしい想像力を働きますが、基本的にはすでに誰かがした決断を安全な助手席から眺めている状態ですよね。
スピーカー 2
あー、確かに。読者としての安全権にいるわけだ。
スピーカー 1
しかし、ゲームは違います。口頭無形で全くヌールがわからない未知の世界にプレイヤー自身が放り込まれる。そして、自分で思考錯誤し痛い目を見ながら、NPC、つまり自分とは違う論理で動くキャラクターたちと対話し、交渉し、時には彼らを怒らせながら進んでいかなければならないんです。
スピーカー 2
あー、なるほど。小説なら主人公が難しい決断をして他人に恨まれたと読むだけだけど、ゲームなら私自身が難しい決断をして目の前のNPCからマジで恨まれるという体験をすることになる。
スピーカー 1
ええ。しかもそこには直接的な映像や音があり、自分の行動に対する明確な結果、フィードバックが返ってきます。
スピーカー 2
うんうん。
スピーカー 1
だからこそ、理屈ではなく感情のレベルで強烈に移入できる。著者がゲームを推す理由は、それが単なる娯楽ではなく、未知の価値観や他者の痛みを安全に体験するための究極の共感シミュレーターだからです。
スピーカー 2
究極の共感シミュレーター。なんか、価値観が固まり始める中学生という多感が時期に、自分とは違うルールの世界でNPCと格闘することが、現実世界で自分と違う意見を持つ他者を理解し、上から目線にならずにコミュニケーションを取るための最高のガードレール構築訓練になるんですね。
スピーカー 1
ええ。高齢者にとっては過去を呼び覚まして他者と繋がるハケシになり、若者にとっては未知の他者を想像するためのシミュレーターになる。ゲームというエンターテイメントが持つこの多面的な力は驚異的です。