ゲームの体験と思考
はい、今回も始まりました。毎週1週間の思い出話的な話をするお時間でございます。
今回は、プログラミングの授業の話というのは、できるにはできるんですが、毎回それやると毎日毎週これになっちゃうんで、
それじゃなくて、今回はゲームの話でもしようかなというふうに思います。
ゲームだからわかること、ゲームだから見えるものについての話ですかね、をしようと思います。
ここ最近と言いますか、今更ではありますが、自分はよくゲームをします。
この間から先週から9月入ってからですね、毎週金曜日には増刊のポッドキャストという感じで、
ゲームの話しかしないポッドキャストという、高見知英のゲームの話しかしないポッドキャストという番組を始めました。
その他にも、毎月の最初の金曜日にはちえラジChatの方でもゲームの話してますし、
あとはそれ以外の場面でも、ちょくちょく折に触れてゲームの話はしているかなと思います。
この間の、昨日の金曜日はアニメについての話と言いつつと、普通にゲームの、点数の作品の話なんかもしましたね。
そんな感じで、ちょくちょく本当にゲームをやってます。ほぼほぼ毎日かなくらいにやってます。
やっぱりそういうところ、ゲームをいろんなものを見ていると、
本当に今ってゲームじゃないと見られないもの、体感できないものってすごくあるんじゃないかなというふうに思って、
やっぱりそういうのを体感しにくくっていうのもあって、ゲームをやってるって感じなのかなっていうふうにも思います。
ゲームじゃなきゃ体験できなくなったものってどういうことだよっていうと、
例えば、ゲームの話しかしないラジオでお話をしてたグラウンデッド。
昆虫サイズの体になって生き残っていくサバイバルなゲームなんですけれども、
やっぱりそれだと自分で狩りをして、食べ物あって調達してこなきゃいけない。
自分でどうにかして飲み水も確保しなきゃいけない。
野生の虫を食べたりするわけなんですよね。
例えば初期の頃なんかは、たぶん主食ってゾウムシとかアブラムシとか、
あとはブヨとか、そういうようなものの肉になると思うんです。
そういうのを倒して焼いて食べる。
幻想的な体験の多様性
ゾウムシとか基本的にこっちを相手にしないんですよね。
自分のキノコを食べてるだけとか、そういうものだったりするんで、
そういうところを襲いかかって倒さなきゃいけない。
それを焼かなきゃいけないっていうね。
そういうものってすごく臆病で、あとはアブラムシもそうか、
アブラムシもすごく臆病で逃げ回ったりもするんで、
そういうものを倒すのって、それなりにゲームだとは気が引けるんですよね。
さすがに無抵抗なやつとなるとね、とか言うのね。
でもこちらが生き残るためには食べざるを得ないっていう、
そういうようなところがあって、
そういうのをやってると、今の生活でなかなか個人で体感することがなくなったら、
他の動物を狩りをするということとか、
あとは命をいただくわけですから、そういうのはどういうことなのってのを、
なんとなくこういうゲームを通して体感してするってこと、
なんとなくこういうものだって考えるってことが機会になるんだろうなって思ったりします。
その他でも、本編では虫の暮らしを体感できるって話もしましたね。
虫の世界からすると、本当に人間ってすごくちっぽけで、
あの世界だとね、大きな雲になるとだいたいこっちよりでかかったりするんで、
やっぱりそのもので普通に下だけで負けるっていうような環境で、
じゃあどうやって生きていこうかなとか、
どうやってそういう脅威から逃げていこうかなとか、
そういうようなことを常々考えていく。
野生生物たちの世界でどうやって生きていくのかっていうふうに考える。
それは多分、アフリカとかといわゆるサバンナとかと同じようなことが言えるんじゃないかななんて思ったりもします。
実際やってるのはアメリカの1990年のニワダンで全然違うんですけどね。
でも違うんだけども、そこからなんかリアルな野生の世界を体感できるというか、
そんな感じができてして、
やっぱりそれってすごく今の時代では体感できない何かなのかなっていうふうに思ったりします。
その他にも、昨日お話をしていたゲームの話しかしないポッドキャストの方で話題にしてたゲームが、
スカイ、星を紡ぐ子供たち。
なんかよく噛むんですけどね。
まあそういうようなゲームなんですが、
こちらでは花火大会の花火の中を飛び回るってリアルじゃ絶対真似できない。
まず空飛べないっていうのと、花火の中飛んじゃいけないっていう2つの意味でできない体験ですよね。
知識の深まりと体感
やっぱりそういうようなことができたり。
あとはやっぱりこのスカイっていうゲーム自体も、
本当に世界中どこ見てもやっぱり絵本の中みたいな幻想的な風景が広がっているということで、
やっぱりそういうようなところを見て回る。
あとは服も本当にたくさんのものがあります。
ケープとかインナーと。
あとは帽子と髪型と靴の色々と変えられるので。
あとはあのゲームって基本的に顔を出さないんですよ。
仮面をかぶってるんですね主人公は。
なのでその仮面も変えられます。
まああんまり種類自分も見たことないんですけど。
だからそういうようなものでやっぱり自分なりにコーディネートを考えて、
あんなのがいいかなとかあんなのが考えればいいのかなとか。
やっぱりたぶん現実のそれとは全然違う。
自分やっぱりねトランスジェンダーかなとか言ってるけども、
やっぱりあくまで体は男性なので着られる服に似合う服って違うし、
限定はされてはいるし、
やっぱりそれを特化費からできるっていうほどのお金もないわけで。
まあだからそういうのは自分のリアルな体に比べると圧倒的に衣装いっぱいあるわけなんですよ。
その中からどれか好きなものを選んで着飾ったり、
いうような感覚ってやっぱり全然違うよねっていうふうに思ったりします。
あとはその他だとね、ゲームの中で風景あったりして、
例えばポケモンの最新作のスカーレットとかなんかでも、
やっぱりあの世界って、
まあ一応あそこなんだっけスペインかな?を舞台にはしているんですけども、
まあそういうような山岳地帯とか大平原とか、
やっぱりそういうのってリアルで早々見ることはできないんですよね。
たぶん現実でもどっかには近い地形あると思うんですけども。
あとはダウンロードコンテンツで行けるのが北上の里ってところで、
あそこは舞台が、モデルが岩手とか東北の方面だっていう話ですけども、
やっぱりそういうリンゴ農園とか、
そういうところもまあ見られる人は見られると思うし、
まあ日本中旅すれば見られると思うんですけども、
やっぱりそれでもそう簡単に見られる風景ではないので、
まあ見に行くのももちろん大切なんですけれども、
まずはゲームの中で興味を持ってから、
じゃあこういうところ探してみようかみたいなね、
そういうような探し方もありなんじゃないかなっていう風に思ったりはします。
その他だと、ノンマーズスカイだったら宇宙ってこんなところだよねとか、
まあこれはどちらかというとゲームに関連してるわけじゃないんですけども、
やっぱりこういうゲームやってると、
Googleにも宇宙に興味あるのかなって思われてるのかなっていう気がするんですが、
おすすめ記事に宇宙の話題が出んぼるようになってきたっていうのはあって、
そこからやっぱり宇宙ってある程度知るようになったっていうのもあるし、
あとはユニコーンオーバーロードとかファイアインヴィオンみたいなシミュレーションゲームだと、
いかに被害を抑えて進むにはどうすればいいのかなとか、
こういう時どういう風にすればより有利に動けるのかなとか、
そういう軍事的なことっていうのはある程度考えたりするし、
ストーリーの中からこういう人はこういうこと考えるんだなとか、
こういう時こういう風にすれば波数立たないんだなとか、
そういう風に考えることもできます。
ちえラジChatの方で話してた潜水のさくな姫とかも、
これを通してあ、稲作ってこうするんだ、
こういうことだからお米って大事なんだなとか、
こういうのって肥料になるんだとか、
そういうような感覚っていうのは分かったりするし、
とにかくゲームを通してなんとなく体感できること、
知覚できることってすごくあるよねっていう風に思うんです。
その他にもね、本当にcafemoldっていうイベント、
Togetterの方々が話しているイベントがあるんですけれども、
そこだと、いろんな人と話す機会、
本当に多業種の人とか、
異文化コミュニケーションの経験
全然会ったことのない職種の人とかと話す機会ってすごくたくさんあるけれども、
そういうような人を、
文化を通して違う文化を経験してきた人とか、
そういう人とどう話をするのっていう話にあったりすることもあったんですけど、
そういうようなところって結構、
自分って異文化と話をすることって当たり前にしてきたなっていう風に思ったりするんですが、
やっぱりそれはなんでかっていうと、
ゲームでいろんな人と会ってきたからだよねっていうのは正直なんとなくあって、
なのでそういうようなところからすると、
なんか疑似的にそういうような話をする機会っていうのもすごくあるんだろうな、
そういうような疑似的にそういうような会話をするっていう経験が、
リアルに生きてくることもあるんだろうなっていう風に思ったりします。
だからそういうようなところから、
やっぱりこういう風に考えればいいんだと、
こういうことを考えているのかなと、
こういう風に気をつければ会話って進みやすいのかなっていうね、
そういう感覚を得られるっていうのもあったりします。
なんとなく話をして、人と話をしてて感じるんですよね、
こういう時にうまく会話を合わせられるのってゲームやってたからだなっていう。
もちろんそういう感覚って漠然とただゲームやってるだけじゃダメなのかもしれません。
やっぱりね、ゲームって楽しいものなので、
楽しかったねって終わっちゃうっていうような遊び方もできると思うんですよ。
だからその中からどうやって現実世界に役立つエッセンスっていうのを抽出するかっていうのは、
やっぱりそれなりに感覚っていうのが必要になるんだろうなっていう風に思います。
現実世界に何か役に立つものを持って帰るっていう感覚。
漫然とやっぱりゲームやってるだけじゃちょっと得られないんだろうなっていう感覚はありますね。
自分は本当に良き先輩がいることが必要だよっていう風に言ってますけれども。
ただ多分それだけではなくて、
少なくとも自分には初期の頃は母は良き先輩だった。
ゲームはどちらかというと母の方が好きだったんでね。
だからゲームについては母が良き先輩としてしばらくはいたんですけれども、
今は基本的にやってるゲーム全然違うんでね。
良き先輩っていうようなものではないのかなって思うに思うんです。
だからそういうようなものを良き先輩以外の何かって多分あるんだろうなっていう風に思うんです。
本当にじゃあ何が本当は必要なんだろうねっていう風に思うところはすごくあって、
知らないものを見に行くんだっていう心積もりが必要なのかもしれないとか思ったりはしますけどね。
さあこれからこのもの見に行くんだ。
じゃあここで何が見られるんだろうな気になるな楽しみだなとか。
そういう気持ちがないとやっぱりものを見てもそこから何も学ぶことができないというか、
そんなことになる可能性ってやっぱなんとなくあったりはするのかななんていう風に思ったりはします。
まあものを見る姿勢っていうんですかね。
それ多分学ぶとかそういう方面だけじゃなくて、
楽しむとか仕事にまつわる技術を得るとか、
そういうところにも生きてくる感覚なのかもしれません。
だからどうやったらそのセンスを身につけることができるのかみたいなことは考えていきたいなっていう風にも思いますね。
やっぱりそういう風なものを考えてお話をしていった方が
それは何よりそういう人が増えてくる可能性にもつながるわけで
そうした方がやっぱり自分にも話が合う人は増えるのかなみたいなね。
そんな話もしたいなという風にちょっと思ったりしております。
ゲームの成長への影響
というところでね、まあ大体このぐらいの内容は
内容としてはこのぐらいになるんですけども
やっぱりゲームっていうものをもうちょっといろんなところで
なんかただ遊ぶだけじゃない。
この間はSBCのブログのコラムの方に書いたのが
やっぱりゲームは遊びです。でも人は遊びで成長しますっていうことを書いたんですけども
そういうようなところはあると思うので
じゃあその遊びの中からいかに役に立つもの
他の暮らしにフィードバックできるものを探してくれるのかっていうので
まあ多分考えようはあると思うし
それによって見つかることって
もう本当に最初の通りリアルでは体感できない
あるいはしがたい何かだと思うんです。
だからこそやっぱりそういうのを
なんか体感するための術を発信していきたいな
っていう風には思いますね。
それが例えばこの間
行ったっけ?
この間どこで話したのか忘れたんですが
ゲームの配信だったり
いわゆるゲーム散歩的な配信だったり
そういうのをやってみたいなっていう話は
どっかでしてたかなと思うんですが
やっぱりそういうようなゲーム散歩的な配信だったり
そういうものになってくるのかなっていう風に思います。
というところで
なかなかとではおりますが
大体こんな感じでお話を終わりにしていこうかな
という風に思います。
こちらの内容は冒頭にお話をした通り
終わったあとには
スタンドFMや
あとはPodcastの方にも
アーカイブとして配信されます。
興味ある方はそちらの方でも
聞いていただければいいなという風に思います。
というところで今日のお話
これぐらいで終わりにしていきたいと思います。
明日は日曜日いつも通りお休みです。
そして週明け月曜日
月曜日の祝日ではありますが
いつも通り
今週一週間の予定ということで
お話をするかなと思います。
それでは今日のお話はおしまいです。
どうもありがとうございました。