こどもとデジタル Advent Calendar 三日目は子どもがデジタル空間において小さく怪我して慣れる場所の必要性についての話です。 #ゲーム #アドベントカレンダー
Microsoft Copilotが作ったマインドマップ
サマリー
このエピソードでは、子どもがデジタル環境に慣れる際の安全な場所について考察しています。特に、SNSのリスクやDiscordのようなコミュニティの重要性が強調されています。子どもたちがインターネットのコミュニティに慣れるためには、小さな怪我をする経験が必要だと述べています。また、パブリックなSNSにデビューする前に、自分たちの周りの大人と共に安全な場所を作ることが重要だとしています。
子どものデジタル環境
12月3日のアドベントカレンダー記事は、子どもとデジタルアドベントカレンダーの記事で、小さく怪我して慣れる場所というテーマでお話をしていこうと思います。
このカレンダーを題材にしたところでは、子どもとデジタルなもの、主にインターネットとか、そういうようなものを活用した子どもの活躍の機会ですかね。
そういうようなものを考えてみる、そういうものについての話をしてみるというようなカレンダーとして話をしていこうと思います。
こちらもまたね、結構まだまだ空きのマスが多いカレンダーではありますので、皆さんもね、なんか自分もこういうこと語りたいぞというようなものがあれば、どんどん書き込んでいただけると嬉しいなというふうに思います。
さて、今回は小さく怪我して慣れる場所ということをテーマにしてお話をしていこうと思うのですが、子どもがデジタルなものに触れる場所というと、やはり真っ先に思い浮かぶのがSNSなんじゃないかなというふうに思うんです。
インターネット上に足を踏み出さないデジタルなものの使い方というのもいくらでもありますし、実際やっぱりそういうような使い方、例えば本当に動画を作るだとか、インターネットのサービス、例えばChatGPTを使うだとか、そういうふうに何かを使うというようなやり方はもちろんたくさんあるんですけども、
インターネットのサービスで何かの発信をするとか、そういうような場所で何か活動をするってなるとやっぱりSNS、例えば今だとXとかTikTokとか、そういうようなものを使うっていう例は多くなるんじゃないかなというふうに思うんです。
ただこういうSNSって基本的にパブリックな場所に面しているっていうケースが多いですよね。
誰もが見ることができる。もちろんね、Xだったら鍵アカにするとかいろいろあるとは思いますが、それでも基本的にはパブリックな場所に面していて、パブリックな情報が見えてくる。
そういうところだと、例えば不容易な投稿が事件や事故につながってしまうっていうこともあり得ますし、炎上騒ぎに巻き込まれてしまうっていうこともある。
あるいは情報発信を読んでデマとかそういうものに惑わされてしまうっていうことも多いと思う。
パブリックな場所につながらないSNSというのももちろんあるにはあります。
ただ、今度は友達周りにしかつながらなくて非常に狭いっていうね。
Facebookなんかは閲覧範囲を絞れば友達にまで絞れるし、いい感じのSNSではあると思いますが、
そのどれだけ見えるかっていう範囲設定を子どもがうまく適切に使えるかというとそんなことないだろうし、
そもそもFacebookなんておじさんおばさんが見るSNSでしょ?っていう認識が持たれちゃっているので、
やっぱり子どもも見ないしねっていう問題もある。
まあ確かにね、なかなかアプリからじゃないと、インターネットサービスのページからじゃないとアクセスができないし、
そんな今時風のデザインっていうわけでもないSNSだからっていうのは気持ちは分かるには分かります。
だからやっぱりそういうようなものの代わりになるSNSでちょうどいいものっていうのが今あんまりないんじゃないのかななんて個人的には思うところではあります。
ある程度パブリックじゃなくて、でも完全にプライベートでもなくてちょうどいいぐらい、
子ども本人にとっては知らないんだけども、まあ親は知ってるよっていう人たちが集まるような場所。
安全なコミュニティの重要性
まあ個人的にはね、なんかDiscordのコミュニティぐらいがちょうどいいかななんて思うんですけれども、
なんかそういうのがもっと普及すればいいんじゃないのかなっていう風に思ったりはしています。
Discordは確かにSNSではありません。
ただインターネットのコミュニティいろいろ見ていると、やっぱりコミュニティによってはSNS的に使っているコミュニティも結構あるんじゃないかなと思うんです。
比較的知った顔や、まあまあ近しい立場の人。
あるいは直接は会ったことないんだけれども、何かの共通項が強いものがあってそれでつながっている人たち。
そういう人たちしかいない空間。それがDiscordのコミュニティだと思っています。
まあ自分の知っているところだと、例えば何かのポッドキャストのコミュニティとか、
あるいは地域をもっと良くしようとか、一つの地域によって集まっている人たちがやっているコミュニティですとか、
どこかで集まってチャットできるような場所を作りましょう。
その作ろうという場所がDiscordになったみたいなね、そんな場所とか。
そういうような形でコミュニティとして使っている、SNS的に使っている、そんなコミュニティっていうのは自分はちょくちょく見かけています。
比較的知った顔や、まあまあ近しい立場の人しかいないんだけれども、
親などが目を光らせようと思えば光らせられる空間。
何かおかしいなということを子どもがしたとしたら、それは違うよと周りの人が注意できる空間。
それでいて全く勝手を知らない第三者がちょっかいを出して炎上につながってしまうとか、そういうようなことがない空間。
そこでの言葉がパブリックな場に波及してしまわない空間。
そういう場所が今必要なんじゃないかなっていうふうに思います。
それくらいのところでちょっとずつ失敗をする。
いわば小さい怪我をする場所。
そうやって小さな怪我をしなれることでパブリックな場所にいざ出た時に、
「あ、こうしちゃいけないんだな」、「こうやったら意見伝わらないんだな」とか、
そういうインターネット上で活動するためのノウハウを得ることができる場所。
怪我から立ち直るための技術とか、怪我を最小限で抑えるための技術。
まあこれは何というかね、受け身的な姿勢の取り方と言いますか。
そういうようなことができる場所、そういうことを身につけられる場所。
そんな場所があればいいんじゃないのかなっていうふうに思います。
もしそういうようなことに、Discordのような場所、ちょっとパブリックな、
でも基本的にはプライベートなコミュニティとして利用する場合、
そこで周りの人はどんどん情報を発信していってほしいなとも思うんですよね。
子どもが情報の洪水に呑まれかけるようなそれぐらい。
そんなところがあってこそ、その場所がなんかSNSっぽくなってくる。
だから子どもはまずそこにいてみようかっていうふうに思えるっていうのはあると思うんです。
多分その子が社会に出るとかそういう時代になった頃、
今以上に情報量って多くなると思うんですよね。
役に立つ情報もあるし役に立たない情報もある。
いわゆるフェイクニュースと言われるような情報もある。
あとはフェイクじゃないんだけども、それってなんか勘違いが相当に含まれてるなみたいな。
なんか勘違いして変な方向に行きかねないよなっていうようなそういう情報が流れることもある。
個人的にはね、こういうのがほんと一番多いと思うんですよ。
本人嘘をついていないし、誰かを騙すつもりも全くない。
インターネットコミュニティの重要性
でも見方が偏っているせいで、どこかしらに勘違いを生じさせかねないものが詰まっている。
側面によってはそれって嘘でしょっていうふうに思われてしまうかもしれない。
そんな情報が結構多いと思っていて、たぶん今後に向けてどんどん増えていくと思うんです。
だからそういう情報やその情報を発信する人とどう付き合っていくのかとか、
お互いがお互い反発しない範囲で、
それってこういうことで違うよとか、こういうふうにしたほうがいいよっていうのをなんとなく伝えるとか、
そういうようなことができる場っていうのが何か必要なんじゃないかな。
一人二つ三つ以上そういうような場に所属する経験っていうのを積んでもらった方がいいんじゃないのかななんて自分は思っています。
そういえば昔流行っていた地域SNSなんかもそんな感じかもしれませんね。
横浜市なら横浜市とか、もっと狭く、磯子区なら磯子区内とか、
あとは広地町なら広地町とか、同じ町内会内とか、連合町内会単位、
まあいって1キロないかなぐらいな、そんな狭い範囲の人たちが集まるSNS。
まあこれはあまりにも他のサイトと微妙に遠くて互換性がなくて、
パブリックなSNSとそういう地域SNSと両方を見るっていうのがすごく面倒くさくてっていうのもあって、
いろんな理由で廃れちゃいましたけれども、
今の子どもはひょっとしたら、まあこれは大人にも必要なのかもしれませんけれども、
そういうようなパブリックなSNSにいきなりデビューする前にちょっと揉まれる場所、
そんな場所があったほうがよかったんじゃないの?っていうふうに思うんです。
なんか地域SNSとちょっと違うのかもしれないんですが、
出会うのが親の友達とか同業者とか先生とか、
そういうなんか親がだいたい知ってるなっていう間柄の人たちが集まるコミュニティ。
でもそれでもなるべく広くて、
まあ人数数えてみたら100人はいるかなぐらいな、そのぐらいの島が必要。
そんな狭いんだけど決してめちゃくちゃ狭いとも言い切れないようなインターネットコミュニティを通して、
なんとなく慣れていく。
インターネットで情報発信をすることとは何かとか、
インターネットで情報を出してはいけないものとは何かとか、
そういうようなものを感覚的に得ていく。
それぐらいがちょうどいいんじゃないのかなっていうふうに思います。
そういう場所でちょっと怪我をして慣れていく。
そんな経験が今の子どもとインターネット空間の間に必要なんじゃないかな、
パブリックなインターネット空間との間に必要なんじゃないかなって思うんです。
そういうのって結構大人の力が必要なんです。
どこかの大人でも遠くのどこかの企業でもない、
あなた自身とその周りの大人。
そういう人たちが動かないと、そんなインターネット空間ってできないんですよね。
子どもたちにインターネットのコミュニティ作りを全てお任せしてしまうと、
どうしても多分同質の人たちだけが集まってしまう。
まあ大人もね、もちろん同質の人たちで集まってしまうところはあるんですけれども、
ただ大人が作るその同質とは比べ物にならないほど同質で狭いコミュニティになっちゃうと思うんです。
だからこそ大人がそこをある程度いい感じにひっかき回すと言いますか、
そういうような異分子をつぎ込むことが必要なんじゃないかなって思うんです。
そういう場で子どもたちが、あるいはその周りの大人たちが面白い発見をしたり、
たまには怪我をしたり、そうやって経験を積んでいく。
それこそがパブリックなインターネット空間に踏み出すときに生きてくる経験になるんじゃないかなって個人的には思います。
こどもとデジタルアドベントカレンダー
こんなところで、子どもとデジタルアドベントカレンダー。
小さく怪我して慣れる場所と題したこの記事としては終了としていきたいと思います。
今後もこの子どもとデジタルというテーマでいくつかお話をしていければいいなと思っていますので、
もしご興味おありの方はこどもとデジタルアドベントカレンダーを追っかけてくれればいいなと思いますし、
皆様ご自身も子どもとデジタルについて感じていることについてどんどん記事を書いたり、
Facebook等で何かつぶやいてみたり、stand.fmやLISTENなどでコメントを投稿してみたりしていただけるといいなと思います。
というところで今回の記事は終わります。どうも皆様ありがとうございました。
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