今回はこどもとデジタルアドベントカレンダーの記事として、さまざまな子供に関するコミュニティの話を聞いて、つくづく子供の成長限界って親が決めてしまうのではないか、その状況を変えるためにも、親がもっと斜めのつながりを見つけていく必要があるのではないかということを話していきたいと思います。 #子育て #アドベントカレンダー
- SBCast. 親と子のやすらぎの場 - playlist by まちづくりエージェント SIDE BEACH CITY. | Spotify https://open.spotify.com/playlist/7fIRha853RpZGPBHCmbCbX?go=1&sp_cid=43e6d97452434eb79329365be44d235f&utm_source=embed_player_p&utm_medium=desktop&nd=1&dlsi=f09de5788fa24130
- SBCast. 学びと暮らし - playlist by まちづくりエージェント SIDE BEACH CITY. | Spotify https://open.spotify.com/playlist/1e2aVc5zXgGil4XX0Ho8Kq?go=1&sp_cid=43e6d97452434eb79329365be44d235f&utm_source=embed_player_p&utm_medium=desktop&nd=1&dlsi=ed577b76f4ee4794
- SBCast.#45 名前のない場所(コミュニティカフェEMANON 青砥和希さん) - SBCast. - LISTEN https://listen.style/p/sbc_yokohama/qgadj1dp
- SBCast.#127 あったらいいなは自分たちで作る(みんなの放課後クラブ/養育里親 丸山真澄さん) - SBCast. - LISTEN https://listen.style/p/sbc_yokohama/s23aogqo
この話のマインドマップ
サマリー
このエピソードでは、子どもの成長の限界が親の影響によって決まるかどうかを探求しています。親がデジタルに触れることで、子どもに多様な成長の機会を提供できる重要性が強調されています。
子どもとデジタルの関係
12月10日のアドベントカレンダーの記事では、子どもとデジタルアドベントカレンダーで、子どもの成長限界は親で決まるのか、というお話をしていきたいと思います。
ちょっと煽り気味なタイトルにしちゃいましたけれども、SBCast.では、特に地味に大きな一つのテーマとして、子育て支援というものがあります。
こちらについては、実はSpotifyのプレイリストなんかもありますので、興味のある方なんかは、そちらを覗いてみてもいいのかなというふうに思うんですが、
子育て支援の団体というのは、結構日本全国あちこちに存在します。 日々の生活に何らかの居づらさを感じている子どもに向けた支援であったり、
乳幼児とそのお父さんお母さんに向けた場所であったり、 学生が利用するということをメインに見据えたコミュニティカフェであったりですね。
正直このコミュニティカフェというものは、子育てに関するプレイリストに入ってはいない団体なのですが、
そういうように、子育て支援を主軸にした団体も、
子育てと直接密接はしてないけれども、子どもについて考えているコミュニティというのも、結構いろんな団体があって、それも特集していくというのが、
SBCast.の一つのテーマとしても考えています。 こういういろいろな団体と話をしていて感じるのは、やはりとにかく子どもの成長できる幅って、
よほどのことがない限り、親の行動範囲で決まってしまうんだな、 それをいかに変えていくかが重要なのだなぁと思ったところです。
例えば、私たちまちづくりエージェント SIDE BEACH CITY.は、 プログラミングの授業というものを行っています。
例年9月から11月は、横浜市泉区にある緑園学園という学校で、プログラミングの授業を行っています。
そこで生徒の皆さんの感想を受け付けるという機会があるんですが、 結構な確率で、「プログラミングしている人って初めて見ました」みたいな感想をいただくんですね。
こんな世の中、石投げればプログラマーに当たるぐらいの時代になんでそんなことがあった? って思うこともあるものです。
でも実際、街を歩いてみると会わないんですよね。 親がそういう人と知り合いでなければ会う機会って全くない。
そういうように、親がこのような分野につながりを持っていないことによって、 子どもの成長がその分野に伸びない。
成長範囲が決まってしまう。成長限界が定まってしまう。 そういう問題があるのではないかと、ここ最近感じています。
言い方は良くないですが、やはりカエルの子ってやっぱり7割方カエルなんだなと自分は思っています。
コンピューターにほとんど触れない親の子どもは、やはり高確率でコンピューターが苦手ですし、 それは多分他の分野にも言えること。
両親共に料理が苦手であれば、やはり子どもも料理が苦手だったり、 そんなに得意にはならないし、
ものづくりが苦手であれば、やっぱり子どもも物を作るのは苦手だったり、 そういう概念を持っていなかったり。
今時の子であれば、ケータイぐらい誰でも触るでしょう。 インターネットぐらい誰でも使うでしょう。ゲームぐらい誰でもするでしょう。
そんなの親の得意不得意に関係ないよと思うかもしれませんが、 やっぱりそれでも触らない人は全く触らないし、触ったとしても活用範囲がすごく狭かったりするというのはあるのかなと思います。
「もうテレビなんてそんなに見る人いないでしょう」と言われている世の中にもかかわらず、 ポッドキャストなどを聞くとテレビの話題が割としょっちゅう出てくるのと同じで、
「今時の子は誰だってゲームするでしょう」という時代であっても、「私ゲームやらないんだよね」という比較的若い方、学生さんとかが割とポッドキャストで出てくるのと同じで。
インターネットの様々な情報機器は確かにそこに突然変異をもたらす可能性もなくはない。
とは言っても、それでもやはり親の考え方によってある程度子どもの成長方向って決まってしまうし、 そこは限界になってしまう可能性が出てくるんだろうなと最近感じています。
だからこそ冒頭お話をしたカエルの子はやはり7割方ぐらいはカエルなんです。 いきなりトンビが生まれたりタカが生まれたりということは、
まあ可能性が出てきたと言ってもせいぜい3割程度なのかなと個人的には思っています。 では親は完璧強人にならなければいけないのかと言うと、それはそんなことはなくて、
そこに出てくるのが以前SBCast.でみんなの放課後クラブの丸山さんがおっしゃっていた 斜めのつながりだと思うんですね。
自分の親とか先生とかそういうような人ではなくて 何の関係もないんだけども地域にいる大人と出会う
そういう機会を増やすことによって子どもの成長限界って変わってくるのではないのかなと 個人的には思います。
そうやって子どもがこんな生き方もあるんだということを知るですとか 親が困った時にこういう人に相談すればいいんだということを知る
であったりとか そういう可能性が斜めのつながりには含まれていると思うんです。
よくインターネットって見知らぬ情報と出会う機会 いわゆるセレンディピティと言われるもの。これがないと言われます。
実際には全くそんなことはなくXを見ればおすすめ記事で全く知らない分野の情報が流れてきたり
googleのおすすめ記事で全然知らない分野の情報が流れてきたりといったことはたくさんあると思います。
確かに方向性は若干自分に向いているかもしれないけれどもそれでも十分なセレンディピティがそこにある。
それは確かにその通りではあります。 ただとは言ってもそれはインターネットを使う機会の多い大人の話です。
そこまでインターネットに触れる機会のない子どもや日々忙しい親御さんにとってはやはりインターネットにセレンディピティなどというものは存在しないと思っています。
少なくとも現実に比べるとほぼ皆無に等しい。 だからこそ現実世界に今まで以上のセレンディピティを求める必要があるのではないかと私は思います。
そんなセレンディピティを現実になるべくローコストで求める。 これが斜めのつながりの育む場の力ではないかなと個人的には思います。
では斜めのつながり、具体的にはどのような場で育まれるのかというと、それがいわゆるコミュニティだと思うんですね。
地域のコミュニティカフェですとか、コワーキングスペースですとか、様々な地域活動拠点ですとか、
そういう場に子どもが行く、親が行く、そしてそこで斜めのつながりを育んでいく、発見していく。 それが非常に大切なことなのではないのかなと。
そんな場所に出向いて、困ったときはこの人に話し聞いてみようというつながりを作る。 それが大事なのではないのかなと思います。
もちろんそんな場でいくらつながりを作れたとしても、いざというとき話せなければ意味がありません。 そういうときにはオンラインを使えばいい。
オンラインの場で続きが話せる。そんな姿勢がみんなに必要になると思っています。 結局ですので、子どもがデジタルに触れてその可能性を最大限に生かすためにも、
親もデジタルというものをある程度ちゃんと使っていろんなことができる。 誰かとつながれる。そんな必要があるのではないのかなと思います。
コミュニティとつながり
そこから先に、例えばプログラミングであったり電子工作であったりゲームであったり、 自分自身が入り込めそうにないなという話題は自分の知り合いにつなげる。
時にはインターネット越しでもつなげてみるとか、そういうようなことができるようになればいいのではないのかなと私は思います。
よく子育てコミュニティの方がおっしゃっている言葉で、子育てを街でやっていくというものがあります。 これについては本当にどのような子育て支援団体に行っても、もちろん単語の内容は変わりますが、ほとんど同じ趣旨のことを皆さんおっしゃっています。
実際、子育てというのは個々でやっていくというのは非常に難しい内容にもなりますし、 ノウハウを共有するという意味でも、街でやっていく方が効率がいいと感じるところはとてもあると思いますし、自分もそう思います。
ただ、実際そこでいう街というのが非常に小さいもので、親の行動範囲で話しかけるような相手だけに限定されてしまうというケースは多い。
子どもがいない人たちであったり、結婚をしていない人たちであったり、いつも行かないお店の人であったり、全く知らない趣味を持っている人であったり、そういうような人はその人たちの言う街に入っていない。
ただ、そういうようなものは街とは言わないと自分は思います。 いろんな人が入っていて、全く自分の知らない人も入れて、それが初めて街と言えるものだと思います。
そういうような人に気軽に出会う場を作る。それが斜めのつながりの場ではあると思いますし、そのような斜めのつながりをさらに強くする場としてインターネットって使えるのではないのかなと思っています。
子どもの成長限界をさらに上げていくために、子どもも親もデジタルというものをちゃんと使える必要があるのではないか。
子どもはもちろん言わなくても、機会があればデジタルというものをどんどん使っていきます。 だからこそ親ですね。
親がデジタルを使う、インターネットを使う。苦手だからではなくて、ある程度でもいいので使えるようになって、その先こういう人に頼ればいいんだなというつながりを作っていけばいい。
そうすることで真に街でやっていく子育てというものが実現できるのではないのかなと私は考えています。
というところで今回の子どもとデジタルアドベントカレンダーの記事。 子どもの成長限界は親で決まるのかという題材についての記事はこれにて締めとさせていただければと思います。
12:18
コメント
スクロール