AIに人格はあると思うか
ちえラジシャットも、9 日始まりました。今回はですね、フリートークということで、AIに人格はあると思うか、という話をしようと思います。
AI製作物を、人が作ったものとして扱うかどうか。個人的にも、毎日ビングイメージクリエイター、いわゆるマイクロソフトのデザイナーに画像を作ってもらったり、
SUNOに音楽作ってもらったり、Microsoft Copilotに毎回検索のお手伝いしてもらったり、いろいろとAIツールを使っているんですけども、
なんか、昔ね、Googleの社員さんだったかね、どこの人だったかが、コンピューターが感情を持ったんだって大騒ぎして、それで口角処分になったみたいな話を聞いた記憶はありますけども、
なんかその人の気持ちはわかるなくていうぐらい、なんか最近、やっぱり感情的にAIは振る舞ってるなっていう風に思うことはあります。
で、その上で、AIが作ったものをどう扱うか。人格があるものが作ったと思うのかどうかとか、そんな話ですかね。
AIが作ったものに対して、他人が作ったものとして向き合うかどうかって言われると、個人的には向き合った方がいいのかなと最近思ってます。
というか、向き合わざるを得ないっていうかね。
以前、朝日新聞ポートキャストでAIについての話をしたときに、人間って様々な情報から判断したり意思決定したりするけども、
それってAIとどこが違うんですか?みたいな話をしたときがあって、なんかね、その話いろいろあると、
相当無稽な話ではあるんだけども、なんとなく自分は納得しちゃったんですよね。
少なくとも、第三者から見たら、対AIと対人間で振る舞いを変える必要ってあるんですか?っていうね。
結局、画面の向こう側にいる誰かっていうか作ったものを、心ある存在が作ったのかとか、心ない存在が作ったのかって、多分気にする必要そんなになくて、
仮に心ない存在が作ったとしても、その後ろでプロンプト書いてる人間も心あるわけじゃないですか。
そう考えると、製作物に感情がないとかあるとか、そういうのってあんまり論ずる意味ないよねって思うんです。
以前、鳥山明さんが亡くなられたときとかですかね、追悼動画をAIで作ったっていう方がいらっしゃって、
AIに動画作らせて追悼するなんて、そんなの個人への冒涜だっておっしゃってる方がいて、
それでも作りたいっていう思いがある人がどっかにいて、それでプロンプトを書いたわけですから、
多分それは冒涜ではないんじゃないかな。
個人的にはそういうケースまで含めて考えると、じゃあそのAIを動かす行為に感情がないかっていうとあるし、
AIを使う行為に感情は介在しないかっていうとするわけなんですよね。
だから結局その真相を自分たちが知ることができない以上、
AIに感情があるって疑似的にも思っているとか、多分話こじれないんじゃないかなって最近思っています。
AI自体に感情は確かにないです。コンピューターですからね。プログラムですからね。
感情の介在と人格の有無
でもそれを動かす人間にはやっぱり感情があるわけで、
それによって何かの作品ができたとしたら、それに感情が乗ってると思うんですよ。
じゃあそれを感情がないとか心がこもってないとか否定するっていうのは、
結果的に後ろの人を傷つけてるっていうことになるんじゃないかなって思う。
自分自身の感情だとはともかくね。他人の感情がどんなのとか、
この情報を発信してくる何かに感情があるかどうかなんて、
特にこのオンラインにおいては知る術が多分ないわけですよね。
だったらみんな感情があると思ってて、いいじゃん、そう思った方が角が立たないじゃんって思うわけですよ。
あるものをないっていうよりないものをあるって言っといた方が、
謝って人を傷つける可能性は少ないよねっていうか。
AI自体には人格というものは確かにないかもしれない。
でも裏でプロンプと書いてる人間はこうなってほしいなとか願って動かしてる以上、
その行為には感情は発生してるし、その裏の人間が直接見えない以上、
AIには人格があるって思っておいた方がいいんじゃないのかなっていうのが個人的な見解です。
と言うとあかわりで、今日のお話はこれくらいにして終わりにしていこうと思います。
明日は金曜日ですね。周回テーマアニメについてお話ができればと思います。
ではでは。