ヤマテ園の場でのゲーム開放
はい、始まりました。今週の話ということで、土曜日のライブの時間でございます。今回のテーマはね、1週間のうちにやったことということで、今回は木曜日にやっているヤマテ園の場の活動についての話ということで、ゲームを遊びたいように遊べる場所を作るという話題で、ちょっとお話を少ししていければいいかなというふうに思います。
こちら、毎週やっているヤマテ園の場のゲーム開放日のお話でございます。
自分は、横浜市ヤマテの、ヤマテ駅からちょっと行ったところにある小民館で、ヤマテ園の場というところがあるんですけども、こちらでゲームを遊べるような、街のお茶の間、子どものフリースペースというようなイベントをいつもやっております。
ここで何をやっているのかというと、任天堂スイッチを置いてあるので、自由に遊んでもいいよというようなスペースを作っています。
自由に遊んでもいいよというようなスペースというと、わりと雑な話になっちゃうんですが、早い話が、任天堂スイッチスポーツとトロンポンチャンプと、この間コーグというシンセサイザー系のアプリを買っていたので、
それをちょっと思いつきで入れてみたんですけども、そういうようなものと、3つを一応入れている任天堂スイッチがあります。一応、スイッチ持ってきている子は別にそこに挿してもいいよということにしてやって、ご自由に遊んでくださいね的な場所にしてあります。
正直なところ、それ以上のコントロールが効かないというか、こういう風に遊んでねみたいな指導ができる状況じゃないというのもあって、結構本人的にやっているんですけども、そんな場所があります。
今一応ホームページがあるので、ライブの方には出しているかな、ございます。これは基本的には、本当にボードゲームもあるので、自由にそちらのほうで遊んでもいいよというふうにしていて、結構ボードゲームのほうが盛り上がる日もあるし、あとは普通にスイッチのゲームが盛り上がる日もあるし、というような感じになっていて、来る子供も毎回毎回変わったり来たり来なかったりするので、
昨日もね、木曜日もね、実際いつも来ている子も通りかかってはいたけど、後で来るねと言って結局来ませんでしたねという感じでした。ただ最近ね、ここワーキングスペースとしても一応やっているので、ワーキングスペースのところに来ている関係者のお子さんが来てたりとかいうような感じで結構盛り上がってたりしてます。
木曜日はちょうどね、本当にそういう子供たちが来てて、2人だけだったんですけども、でも本当に楽しくやれてたなという感じです。
テレビモニタースイッチが、これ写真が、ヤマテエンドバのホームページ行くと写真があるのでそこにあるんですけども、そこにスイッチをつなげて遊んでいるんですが、
任天堂スイッチスポーツ、今回はレッグバンドっていうような、足にジョイコンをつけて使う、リングフィットアドベンチャーとかにも使うんですけどね、ものがあるんですけども、これを使ってサッカーを結構皆さんが遊んでいました。
サッカーって言っても、例えばジョイコンで遊ぶこともできる、ジョイコンで遊ぶとも本当に、実際なんか座ってできるじゃんっていうような感じの操作方法になるんですが、レッグバンドって言って足につけるやつのバンドをつけると、実際に自分でボールを蹴るような動作をして、ボールを蹴って投げることができる、遊ぶことができるっていうようなゲームで、結構やっぱりそれで遊んでる子が多かったなっていう感じでした。
本当にすごくエキサイティングしちゃっててね、実際汗も結構かいてて、これやって遊べるのっていいなーって思って見てました。
本当に楽しそうにやってて、それは本当に何よりだなって思うし、こういうような環境を作れててよかったなって思います。
正直ね、レッグバンドってね、あれ結構実際使ってみると結構短くて、足の細い人にしかつけられない、というか子供にしかつけられないよねっていう感じだったりします。
たぶんスネのあたりにはつけることができるんですけど、スネにつけるとやっぱり操作感全然変わってきちゃうんで、だから本当はたぶんふくらはぎとかその辺につけるべきなんだけども、たぶんそれができてちゃんと安定してつけられるのは子供だけだよみたいなものになっちゃうんで、
それを使って遊んでるっていう光景は本当は大人には真似ができないものになるんで、だからすごく見てるだけでも本当に楽しそうだな、こういうような環境を作っててよかったなって思うし、こういうような環境を守りたいなっていうふうに思いました。
やっぱりあれを見て思うのって本当にゲームを遊べる環境って作るの結構大変なんですよね。やっぱり任天堂スイッチスポーツとか、あとは他だとリングフィットアドベンチャーとか、そういうのって結構スペースがいるんですよね。
それが効かなくはないんです。たとえば自分家でも任天堂スイッチスポーツ買ってやってるんですけども、あれは本当にね、ごまかしすればスボットのままジョイコンを振ってるだけでもとりあえずそれっぽい動作できるんです。ただやっぱりやってるって気にはならないんですよね、あんまり。それでも楽しいっちゃ楽しいんですけども。
ゲームを遊ぶ環境の重要性
ただやっぱりオープンなスペースで畳2畳分ぐらいのスペースを空けて自由に遊ぶっていうのが楽しいゲームだなっていう感じはすごくしていて、実際やっぱりそういうのを自分も時々やってます。うちはね、本当に親元であんまり普段やってるプレイ環境があんまり大きい場所じゃないんで、
だいたいの親が昼間に出かけている火曜日だけなんですけども、リビングに出ていてゴルフとかボーリングとかやったりとかしてますね。だからああいうふうにやるとなると本当に実は環境結構いるんですよ畳2畳分。で、他だとたとえばビートセイバーなんかもそうですね、ビートセイバーなんかだと畳4畳分欲しいかな。
畳1畳分できなくないんですけども、畳2畳でやると多分結構危ないのかなっていう感じがします。実際、自分も時々テーブルにあるものに手引っ掛けちゃって、え、大丈夫?ってゴーグル止めて見ちゃったりすることがあったりしますので、だから畳4畳分は欲しいかな。
例えばマリオカートライブホームサーキットって自分よくこの辺で例に出すんですけども、あれ畳8畳分ですからね。やっぱりそのぐらいのスペースがないといけないゲームとかもあったりするし、その他だとたとえば人もありますよね。最近だとネットで繋がれるタイプのゲームも増えてきましたけれども、やっぱりそれでもオフラインで2人から4人とか集まってやらないとできないゲームってあったりするわけで、
そういうようなゲームってやっぱりリアルに集まれる間柄の人が数人そばにいないとできない。だからやっぱり常々本当に遊びたい環境で遊ぶって大変だよねって思うし、子供にとっては本当に遊びたい環境で遊べてないのに1時間経ったらゲームで終わりよっていうふうに親に声かけられるのってあれ酷だよねってすごく思うんです。
こっちなんか特に子供の時、親の方がゲーム好きだったんで基本的にゲームをとがめられることっての一度もなかったってのもありますからね。やっぱりそれもあるんですけれども、そういうようなゲームを自由に遊べる環境っていうのがどっかしらに欲しいよねっていうふうに思うんです。
大人にもそうなんですよ。やっぱりそういう場って本当に実は必要なんじゃないかって。実際自分も知り合いにそういうようなことを話してらっしゃる方がいて、フェイスブックでその話もしてたんですけども、その方、資格がすごい弱視の方で、やっぱり特に普通にゲーム、視野が制限される、例えばVRとか、体の動きが激しいゲームとか、スイッチスポーツみたいなのも、
そういうのをやるのはちょっとやっぱり一人でやるのってちょっと危ないかなっていう感じもある方なので、やっぱりそういうような方も含めて、VRもそうも含めて、主演が見えなくなったり、見えにくくなったりするようなものとか、特別な機材が必要なリングフィットアドベンチャーみたいなもの、あれ多分遊びたい環境で遊べる人ってすごく少ないと思うんですよ。
やっぱりひょっとしたら周りのサポートも必要になるよねっていう環境も結構あると思うんですよ。だから本当に大人がゲームを遊べたいように遊べる環境って実は結構少ないんじゃないかなって思うんです。もちろんね、それでも例えば最近YouTubeでリングフィット配信されてる方の方ね、自分よく見てたりしてるんですけども、やっぱりそういうような方も結構プレイスペース作れてるっていう人もいると思うんですけども、あれって多分独自だと思うんですよ。
そんなにそう簡単にあんなにスペース用意できないよねっていうふうに思って、やっぱりそういうようなところを見るとやっぱり大人のためのプレイスペースっていうのも必要だよね。じゃあそういうのをどこにつけるのっていうとやっぱりまあ公共空間かな。
ヤマテンエンドバーそのトライアルの一つでもあると思ってるんですけども、正直ねこれって本当にこういう個人スペースって言うのかなこれ。まあオープンスペースではなくて本当に公共空間、例えば本当にどっかのコミュニティハウスとかコミュニティセンターとか区民センターとかそういう場所に用意すべきじゃないかなっていうふうに思ってるんです。
それはなぜかというとね、例えばまあ安否確認になりますよね本当に真の意味で老若男女いろんな人が集まるんで、今のコミュニティハウスって結構お年寄りだけの居場所になってて、まあ女子高生とかたまに来てるみたいなんです。
ゲームを通じた新たなつながり
自分も近くのコミュニティハウスを見てると女子高生とかあとすごい小学生の子供は来てるのをたまに見かけます。でも世帯間の繋がりとか全然ないんですよね。お互いに話し合うってことなくて本当に既存の友達同士とだけ話すみたいな。
だからそういうのをゲームがあればその全く知らない繋がりで繋がる可能性ってあるわけじゃないですか。だからそういうのを関係作れればいいよねって思ってるのも一つ。そしてやっぱりそういう繋がりができると、なんかあれ今日この人来てなくないっていうようなところからやっぱ安否確認に繋がると思うんですよ。
高齢の方とか特にあれこういう人来てないよねちょっと様子見に行こうかとかそういうのもなるし、あとは災害時にもお互いが知った中になるんでやっぱり連携共同しやすくなると思うんですよね。だからそういう意味でもすごくなんか公共的にメリットがあるというふうに思ってはいるんです。
っていうのもあるし、あとはやっぱり今って本当にゲームじゃないと体験できないことって結構あると思うし、体験困難なことも結構あると思うんですよ。例えば災害とか戦争とかそうそう荒れても困るんだけど経験だけある程度伝承しないといけないよねみたいなもの。そういうのを伝承するのってゲームって結構役に立つんじゃないかなっていうふうに思ってて。
例えば自分がやってるゲームだとファイアーエンブレムの風化雪月とかね、やっぱりすごくリアルにヨーロッパ風の世界っていうのを作っているし、あとはリアルに戦争ってものを描いたりするし、その辺は外伝的な作品の無双風化雪月なんかもそうですね、自分も実はまだ終わった役に続けているんですが、やっぱりすごく戦争っていうもの、あとは戦争にいる人の、戦争の過虫にいる人と気持ちっていうのは、
すごくやっぱり明確に描写されているので、やっぱりああいうのを見て、あ、戦争ってこんなものなんだとかいうのを把握するってすごく大事じゃないかなって思うんです。実際自分もね、世界の戦争の報道とかを見て、やっぱり解像度上がってるっていう気がしましたもん。やっぱり少しわかったなっていうか、だからそんな感じがするんで、やっぱりそういうツールとして使ってほしいなっていうのもあるし、
あとは災害もそうですね、例えばファイナルファンタジー10なんかそうですね、なんでRPG出すのって話なんですけども、やっぱりあの世界って震っていう強力な脅威、台風みたいなもんですよね、がいるので、
あがない、あがなえないような存在がいて、だいたい来るとその街を丸ごと破壊されちゃうっていうぐらいの強い力を持っている敵がいるんですけども、やっぱりそれに巻き込まれて村が一つ全滅するとか、そういうシーンは当時、なんかこのゲームには残虐なシーンが含まれていまして、シールを貼られる覚悟でやったみたいな話をどっかのインタビューで聞いたような気もしなくもないんですけども、やっぱりそういうような感覚は正直あって、
なんか本当に洪水災害がある都市に発売しなくてよかったねっていうぐらいのリアルな洪水描写のあるゲームだったので、そういうのもあるし、他だと絶対絶命都市とかシリーズ、自分も実況で見たことあるぐらいしかないんですけども、やっぱりそういうシリーズとかやってると、多分災害があった時の動きってちょっとはこなれてくると思うし、
やっぱりそういうようなものを真面目な視点でやるためには、ある程度こういうプレイスペースって必要なんじゃないかなっていうふうに思ったりしてます。
ゲーマーがゲームでプレイするだけだと、案外それって本当に面白かったねこのゲームっていう話だけで終わっちゃったりして、
だからそうじゃなくて、それを例えばそういう経験の伝承に使うためにも、こういう公共施設みたいな場所にゲームってあった方がいいんじゃないかなっていうふうに思ったりするんです。
災害対策のコミュニティなんかひどいもんですよ。正直自分もヤマタ縁の場にたまたま集まってたんで、話聞いてたんですけども、
災害体験をいかにしてその経験を引き継ぐか、食べ物がない環境とか、トイレがない経験とか、そういうのを体験させればいいんだよとかね。
昨日もスタンダードFMの配信の方でその話してましたけども、そういうようなことを言ってて、これ絶対炎上するよね。人権的な問題になるよねって。
そういうようなことを平気で言っちゃう。そんなことばっかりやってて、極端なこと言うからしとこないんですよねっていうような気がするんですけども。
だからそんなコミュニティだったりするんですけど、そういうようなコミュニティにも、これだったら経験になるよねみたいなこともできると思うし、
あとは他の経験としては、例えば猫。この間発売された、なんでしたっけ、ハローキティビッグシティっていう猫になるゲームがあったので、ちょっとやってたんですけども。
やっぱりね、自分猫飼ってないってそのままわかんないですけども、猫だなって思う感じのゲームだよね。
だからそういう猫体験したりとか、あとアブズっていうゲームもあるんですけども、あれでダイビング経験したりとか、そういうようなのもいろんな経験はできるので、それをゲームでやるってありじゃないかなっていうふうに思うんです。
もちろんね、リアルに経験した方がいいよっていうものもいっぱいあるとは思うんです。でも実際に体験困難なものとかもあったりするし、だからそれはまず第一ステップはゲームでやるといいんじゃないのかなっていうふうに思うんです。
正直ね、本当にね、いろんなところにとにかく顔を出して、ゲームとか全然しないんだけども、オフラインでいろんな人と繋がって話してるよっていうような人と、
ゲームを通じた体験の伝承
あとは足が悪かったり、体が弱かったりして、外に出ることはほとんどできないんだけども、ゲームで本当にいろんなアクティビティとかいろんな経験とかしてきたよっていう人と、どっちの方が万人に優しくできるかっていう。
多分自分はね、後者だと思うんですよ。もちろんね、前者の方がある程度優しくできるのもあるんですけども、やっぱり所詮オフラインで話せる中って限られているので、例えば横浜に住んでる人だったら横浜の市内の人たちとしかほとんど繋がれないんですよ。
もちろんね、遠くの人とたまたま繋がることはできると思います。旅行の時とかね。でもそれでも限界がある。
1年365日、どこでもあちこち毎日毎日違うところに行って違う人と交流するよって、んなことできるわけないじゃないですか。
だから多分その辺で交流できてる人格の数だけで言うのであれば、他のところのゲームやってる人の方が多いんじゃないかなとまで自分は思っています。
だからやっぱりそういうところも含めてゲームってもっとそういうところで話をした方がいいよね。公共スペースでやった方がいいよね。
いろんなコミュニティの人がとりあえず緩く手を繋ぎ合うためにゲームって割と重要なんじゃないの?って思うんですよね。
以前ね、カフェモールドっていう平日ほぼ毎日ですかね、配信されている技術の話について、トギャッターっていう会社のツイッターのまとめとか、そのへんのサービスを提供している会社さんがあるんですけども、
そこの方がカフェモールドっていうXのスペースの配信を、平日毎日の6時ぐらいから配信してるんで自分は聞いてるんですけども、
そこで一回、人との繋がりとかその辺の話題が出ててね、その時も自分をコメントに書いてたんですけども、
やっぱりゲームで不特定多数の人に本当にいろんなキャラクターと話をしている人って、人付き合いもある程度上手くなるんじゃないかなって自分も思ってるんです。
だって、本当は異性人と話してたり、異民族と全く文化圏の違う人と話したり、
あとは、言葉が通じない人とも話したりというか、身振り手振りで上手く意思を伝えようとしたり、そういう経験をしたり、
例えば本当に水がない星で生まれ育っている人はどう考えるのかとか、そういう現実だとそうそう会えないような人ともやっぱり会えるわけですよ。
で、その人たちには確かにリアルな人格はないかもしれないけども、やっぱりその人の生活とか考え方とか、そういう意識ってやっぱり心の中に入ってくるわけで、
例えば本当に特徴的ですごく、これゲームじゃなきゃ経験できないよねっていうのは、
例えばFF、ファイナルファンタジー13-2のノエルっていう主人公ですよね。
あれは2人主人公いるんで、どっちが主人公だかわからないっていうのもあるんですけども、
例えばノエルは、彼は本当にその惑星でたった1人の生き残りの人類なんですよね。
だからそういう経験を時々物語の途中でよく話すんですよ。
なんか喧嘩別れしたハンターが二度と帰ってこなかったんだよとか、最後の1人の恋人を失って自分の手で埋葬した時の話とか、
なんかめちゃくちゃリアルで、正直このテキストどうやって書いたのよって思うんですけども、
やっぱりそういうようなところを話を聞いていると、そういう人格がなんとなく心の中に入り込んでくるっていうところがあると思うので、
やっぱりそういうような経験をもっとしてほしいなっていうふうに共有してほしいなって思う。
それは本当に公共スペースじゃないとできないんじゃないかなっていうふうに思っているので、
だからこそやっぱり大人も本当にゲームを遊びたいように遊べる環境を作った方がいいんじゃないかな、こういうオープンスペースにっていうふうに思っているんです。
とにかくね、ゲームをやれる場を作ろう個人の家じゃなくて、公共の場とかそういうチャレンジっていうわけじゃないんですけども、
そういう活動をもっと進めていかないといけないなって思うんですよ。
ここ最近だと、eスポーツとかそういうの文脈もあるんですけども、そういうんじゃなくてね、
スポーツじゃない文脈でもゲームってみんなにとって大事なんじゃないかなって思うんです。
学校でのゲーム利用事例
ここ最近ちょこちょこ聞いてるのは、海外だと結構やっぱりね、公教育とかそういう場所にゲームっていうものがたまたまちょろっと出てきたりするんですよ。
例えば、アメリカだとThe Oregon Trailっていうゲームがあるらしいですね。
あれは西部開拓時代を舞台にしたゲームで、やっぱりね、わりといわゆるネイティブアメリカの侵略した歴史の話とか、そういうのもわりと書かれているらしいっていう話は聞きます。
やっぱりそういうゲームもあるし、あとはあれはどこだったかな、スウェーデンだったか、歩行のどっかなんですけども、
そちらの方で取り上げられてるゲーム、確かスウェーデンとかその辺が作ったゲームじゃないんですけども、
取り上げられてるゲームとして、This War of Mineっていうゲームがあるんですよ。
それは内戦起こっている国の物語で、その国に住む住民として戦争が終わるまで生き抜くというサバイバルゲームらしくて、
そちらの方も正直自分は知らないんですけども、やっぱりそういうので、例えば、戦争いつまで終わるかわかんないんだけど、
例えば、自分たちの身内を大事にして、他の家庭からいろんなものを強奪して生き延びるのか、
それとも、その人たち、家に下飲み込んで行ったら、例えば食料を取りに行こうとして探しに行って、
どっかの家に入ったら、そこに人がいました。
その人と共同生活をしていく道を選ぶのか、それとも、その人たちを倒して奪って帰るのかっていうような選択を迫られたりとか、
あとは、そういう時に心が病んだ時にどうやってケアしていくのか、そういうような選択を迫られるゲームらしくて、
そういうようなゲームを学校の場で使ってるらしいんですよ。
だから、やっぱり、なんだかんだ言って、高教育とか、本当にゲームの道を全然踏まなかった人も、
なんとなくゲームってこういうものなんだよっていうのを知ってるって可能性があるんじゃないかなっていうふうに、なんとなく思うんです。
日本におけるゲームの課題
でも、日本って本当にゲーマーしかゲーム触れないんですよね。
だから、それが問題なのかもしれないなっていうふうにちょっと思ったりしてます。
なんかね、本当に、これはSBCastチャンネル2でもこの間話をしましたけども、大人とゲームとデジタルと、大人と子供とゲーム。
なんかいい関係を作れるようなことをね、していかなきゃいけないなっていうふうに思っています。
やっぱり大和遠藤もその行動の一つでもあるっていうような話をね、今回ちょっと話の種に選ばせていただきました。
というわけで、自分はね、本当にSBCastとかSBCOpMicとかの喋りのトレーニングっていう意味で、
こうやって毎週土曜日あたりにちょこっと配信をしている予定でございます。
なのでね、また興味ある方いらっしゃいましたらこちらの方聞いていただければと思いますし、
こちらの内容はStandFMの、あとPodcastとしてListenの方にね、アーカイブ音声上がります。
なので、もしご興味おありの方はね、アーカイブ聞いていただければいいなというふうに思います。
というところでここまで聞いていただいた方はどうもありがとうございました。
これで終わりにしていきたいと思います。ありがとうございました。