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2025-06-26 03:56

何かをはじめるのに遅すぎることはあるのか?

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よく「何かを始めるのに遅すぎることはない」とはいうけれど、それって本当だろうか?と思った話をしました。 #声日記 #ちえラジフリートーク

サマリー

このエピソードでは、何かを始めるのに遅すぎるかどうかについて考察されています。年齢や時間、体力などの制約が認識されつつも、それでも挑戦することの重要性が強調されています。

遅すぎることの認識
ちえラジChatは木曜日始まりました。今回はですね、フリートークということで、何かを始めるのに遅すぎることはあるのか、という話をしようと思います。
よく、何かを始めるのに遅すぎることはない、っていうような言葉聞きませんかね。
自分はまあ時々聞いたりはするんですけれども、主にやっぱり年齢を理由に何かやろうってことを尻込みされている方とか、そういうような方に向けたメッセージ的なものとして、
よくこういう言葉は使われるな、というような感覚があります。 まあでもね、正直本当?それっていうふうに思ったりするんですよね。
やっぱり年齢的にできる限界っていうのがあったり、あとはすごく上達に時間がかかるものなんかだと、やっぱり年齢的にいける限界が決まってきちゃう、なんていうような分野もあったりします。
まあね、それは仕事とか立場上やっぱり時間が取れないとか、そういうのもあったりするかもしれないし、肉体的な体力的な問題もあったりするかもしれない。
やっぱりいろんな原因で、やっぱりこれってこの歳の頃に始めると大変だよっていうふうに言われるような状況に陥ってしまうっていうことは、まあまああるとは思うんです。
だから何かを始めるのに遅すぎることはない、ってこともないとは思うんですよ。
遅すぎることはある。でも同時に自分はだからどうしたとも思うんですよ。
やっぱりその遅れていることを自覚した上で、それでも頑張るっていうことは必要だと思うし、まあね遅すぎたからって言って若返って何かやり直すことができるのかというとできないし、
だったらやりたいと思うならやれよっていうふうに思うんですよね。 だからこそやっぱり何かを始めるのに遅すぎることはあるんだけれども、
まあそれは辞める理由にはならないよね、諦める理由にはならないよねっていうふうに思ってはいるんです。
挑戦の重要性
まあなんて言うんですかね、やっぱり遅かったっていうハンデキャップだけは認識しておいた方がいいのかなっていうふうに思うんです。
まあそれに合わせて多少到達点とか目標値を変えるとかそういうふうに考えることはしてもいいんじゃないのかなっていうふうに思うんです。
だからなんて言うんですかね、まあ何かを始めるのに遅すぎることはまあそういう意味で言えばないのかもしれないけれども、
まあそれでも自分が始めたのはちょっと遅かったかなっていうようなことを認識はしておいた方がいいんじゃないのかなというふうに思います。
そうしないと周りの人との差にどうしても心がやられてしまうとかいうこともあると思いますし、
なんかね焦りを感じるっていうこともあるんじゃないかなっていうふうに思いますし、だからそうやっぱり遅すぎたんだけどまあでもやってんだよっていうようなそういう自覚を持っておくことっていうのは多分何かをやる上で必要になるんじゃないのかなっていうふうに思います。
特にね本当にプログラミングもそうだし、なんか運動とかもそうだし、やっぱり上達してものになるまでそれなりに時間がかかる分野においてはやっぱり
遅くなってしまったっていうことはそれなりにハンデキャップにはなるし、それなりに目指せる道ってのを考え直さなきゃいけないところはあると思う。
でもそういうのを自覚していたその上であれば、じゃあその短い間をどうやって生かしていこうか、どこまで行こうかと、それをどういう形で残していこうかと、そういうのはね選択が取れるようになってくるので、
それもまたそれで悪い話じゃないのかなっていうふうに思います。
はい、というところで今日のお話はこれで終わりにしていきたいと思います。
明日は金曜日、週替わりテーマSIDE BEACH CITY.についてですねお話ができればと思います。
ではでは。
03:56

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