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ノオト・ブク太郎
はい、非常に興味深い素材ですね。ありがとうございます。
一人の人物の、わずか数日間の思考を追うだけで、個人の経験というのが、いかに普遍的なテーマにつながっていくか。
例えばそうですね、協力することの難しさとか、喜びとか、あるいは技術とどう向き合うか、他者を本当に理解するってどういうことなのかとか、そういう問いにつながっていくのが見えてくるはずです。
個人の記録なんですけど、でも私たち自身の経験とか課題にもきっと重なる部分があるんじゃないかなと思いますね。では最初の記録から見ていきましょうか。
ノオト・ブク子
はい、お願いします。まずは8月25日、月曜日の記録からですね。
えーと、週の予定として、木曜日、街のお茶の間子どものフリースペースを再開する。
それから土曜日は東京で、THE いわて DAY2025に参加予定、と。
特にこのいわて若者カフェの方と話すのを、なんかすごく楽しみにしている様子がつたまってきますね。
で、話は岩手県普代村での活動から戻って、数日経った心境に移るんですね。
まだちょっと疲れが残っていて、気持ちも完全には落ち着いてないけど、一区切りついた感覚だ、と。
ここでかなり強い言葉が出てくるんですよね。
とにかく仲間をもっと増やさなければダメだ、と。
これはなんかかなり切実な感じがしますね。
そうですね。この仲間を増やさなければ、という言葉には、
あの、単なる人手不足以上のもっと深い意味合いが込められているように感じますね。
記録の中でも触れられてますけど、高見さんだからできるんでしょう?
で、そういう風に見られたくない、という点がこれすごく重要だと思うんですよ。
あー、なるほど。
つまり、特定の個人の能力とかカリスマみたいなものに依存するんじゃなくて、チームとして、組織として活動しているんだってことを見せたい。
そして、実際にそうしていく必要があるんだ、というなんか強い意志の現れなんでしょうね。
これは、その活動の持続性、持続可能性とか、他の地域への展開、再現性ですね。
それを考えた時に、もう避けては通れない本質的な課題認識と言えると思います。
ノオト・ブク太郎
なるほど。単に手伝ってほしいっていう、そういうレベルの話じゃないんですね。
活動そのものが、特定の人に紐づくものじゃなくて、もっと普遍的なものとして続いていくために、仲間、つまり仕組みとか組織が必要なんだと、そういう風に感じているわけですか?
ノオト・ブク子
おっしゃる通りです。
そして、そのための具体的な動きとして、オンラインを使ったコミュニケーションを発展させたいという考えが出てくるわけですね。
物理的な場所、つまり、普代村という具体的な地域での活動と並行して、オンラインでもっと多くの人を巻き込んで、関わり城を作っていく必要性を感じている。
次の普代村訪問が9月末の予定とのことですけど、それまでに何かしらの形にしたいと。
そういう意欲、これは課題認識から具体的なアクションへつなげようとするその姿勢がはっきりと見て取れますね。
ノオト・ブク太郎
地域活動のリアルな悩みと、それをどうにか乗り越えようとする具体的な模索が見える記録ですね。
ノオト・ブク太郎
では、この仲間とかコミュニケーションというテーマをちょっと頭の隅に追いつつ、翌日、8月26日、火曜日の記録に移りましょうか。
今度はガラッと変わって技術、プログラミングの話です。
バイブコーディングについてですね。
AIに指示、プロンプトを出してコードを書いてもらう、そういう手法ですけど、これに対してはかなり冷静というか、ちょっと怪異的な見方をしているのが印象的でしたね。
そんな簡単なものじゃないよ、と。
AIが生成したコードがそのまま完璧に動くことってまずない。
結局動きより修正したり、基本的な設定をしたりするには、やっぱりプログラミングの知識が必須なんだと指摘してますね。
特にAIへの指示が曖昧だったり、説明が足りなかったりすると、期待したものはまず出てこないと思う。
これはなんか実際にやってみた上での実感なんでしょうね、きっと。
ノオト・ブク子
ここでのポイントはですね、そのAIコーディングっていう技術を頭ごなしに否定してるわけじゃないっていう点だと思うんですよ。
手法の一つとしては認めつつも、その限界と現実的な活用場面を非常に冷静に見極めている。
未経験者がこれを使えばいきなりプログラマーになれるっていうもんじゃないと。
あくまで基本的なことを理解している人がちょっとした作業を効率化するためのツールなんだというそういう評価ですよね。
これはAIに限らず新しい技術全般に言えることかもしれないですね。
ノオト・ブク太郎
確かに、AIが全部やってくれるみたいなちょっと過剰な期待に対して釘を刺している感じですよね。
でも一方で知ってる人が楽をするっていうのはそれはそれで大きな価値ですよね。
ノオト・ブク子
もちろんです。もちろんです。
重要なのはその楽をするためには前提となる知識とかスキルが必要だっていうことなんですよ。
AIが登場したからってプログラミングの基本的な概念とか構造を学ぶ必要がなくなるわけじゃない。
むしろAIが出してきた行動を評価して修正してちゃんと意図通りに動かすためのより本質的な理解が求められるようになるのかもしれないですね。
技術の進化と人間が習得すべきスキルの関係性、これを考える上ですごく示唆に富む視点だなと思います。
ノオト・ブク太郎
なるほど。技術に振り回されるんじゃなくてあくまで道具としてどう使いこなすかとすごく血に足のついた考え方ですね。
では、水曜8月27日の記録に進みましょう。
こちらはNPO運営、特に参加の本質についての深い考察ですね。
ご自身が関わるポッドキャスト、SBCast.で沖縄のNPO法人、まちなか研究所わくわくの宮道さんという方をゲストに迎えた回、その振り返りから話が始まってますね。
このまちなか研究所わくわくさんがご自身の団体SIDE BEACH CITY.と似ていて、いわゆる中間支援、つまり他のNPOとか市民活動をサポートする役割を中心に活動されている。
しかも設立4年目から有給スタッフを雇用できているという点にすごく感銘を受けているようです。
自分たちの活動の未来を重ねて見ているのかもしれないですね。
ノオト・ブク子
そして特に響いたというのが宮道さんが語った参加の指標だという部分ですね。
意見表明できる機会がちゃんと保証されているか、これが非常に重要だと。
単に意見を言う場があるだけじゃ不十分なんだと。
その意見が軽く扱われたり、あるいは何か理解されないままなんとなく消えちゃったりしないこと、その保証が大事なんだと。
ノオト・ブク太郎
保証ですか?それは具体的にはどういうことなんでしょう?
意見を言っても否定されるかもしれないし採用されないかもしれない、それでも保証されてるって言えるのは?
ノオト・ブク子
記録の中で語られているのは、意見を受け止める側の姿勢ですね。
この人はふざけで言ってるんじゃないんだ、真面目に伝えようとしてるんだっていう、まずその前提で聞くこと。
そして、たとえ自分たちの常識とはかけ離れた意見であっても、頭ごなしに否定しないで、ああそういう考え方もあるのかって一旦受け止める。
受け止める、危害を持つこと。これが保証の中身だと解釈できますね。
ノオト・ブク太郎
なるほど。
ノオト・ブク子
多様性を受け入れるって言葉はよく聞きますけど、それを実践するための具体的な心構えと言えるかもしれないですね。
ノオト・ブク太郎
なるほど。危害ですか?言うはいやしいですけど、実践するのは相当な覚悟が要りそうですね、それは。自分の常識とか価値観と違う意見を真摯に受け止め続けるっていうのは。
ノオト・ブク子
まさにそうなんです。だからこそ意識的に保証する必要があるということなんでしょうね。
これは中間支援組織に限らず、あらゆる組織、チーム、あるいはもっと身近な人間関係においても、他者の声に耳を傾ける際に非常に重要な、しかしなんか忘れがちな視点だと思います。
そしてもう一つ指摘されているのが、物理的にその場に来られない人の意見もちゃんと拾い上げるための窓口を用意することの重要性。
これもまさに先ほどの月曜日の記録にあったオンラインコミュニケーションの活用の必要性と見事につながってきますよね。
ノオト・ブク太郎
本当ですね。なんか点と点がつながる感じがします。物理的なアクセシビリティと心理的なアクセシビリティ、その両方を確保することが参加の保証につながると。
あとこの日の記録でちょっと面白い技術的な試みにも触れられてますよね。
インタビュー音声をGoogleのAIノートツール、NotebookLMで要約させたときの話、インタビュー前、直後、それから文字起こし原稿を読み込ませた後という3つのタイミングで試したら、出てくる要約がなんかかなり違ったと。
ノオト・ブク子
へー、それは興味深い実験ですね。
同じ情報源であってもAIに与える情報の形、例えば断片的でノイズが多いかもしれない音声データなのか、それとも整理されたテキストデータなのか、あるいはどの段階の思考メモなのかによってAIが重要だと判断するポイントとか解釈が変わってくる可能性があるということでしょうね。
先ほどのバイブコーディングの話とも通じますけど、AIのアウトプットっていうのは入力の質とか形式に大きく依存する。これもまたAIを使う上での注意点として覚えておくべきことですね。
ノオト・ブク太郎
うーん、AIも万能じゃないと。その特性をちゃんと理解した上で付き合う必要があるということですね。
ノオト・ブク太郎
さてどんどん行きましょうか。次は8月28日木曜日の記録です。この日はフリートークでテーマはフットワーク。岩手県普代村で驚いたことの一つとして地域の人々の移動距離に対する感覚の違いを挙げてますね。
普代村の中だけでは買えないものも多いから、日用品以外の買い物とかちょっとした用事で隣の九字市、車で30分、電車で50分、あるいは宮古市、場合によっては盛岡、車で1時間50分もかかるのにホイホイ行くっていうことにかなり驚いたと。
横浜に住んでいるご自身の感覚からすると、そんなに遠くまで行くのってちょっと躊躇してしまう距離でもそれが日常だという。この心理的な距離感の違いは面白いですね。
ノオト・ブク子
これは地域に根差した活動をする上で非常に重要な視点だと思いますね。記録の中では田舎の人は近くでも車を使うからむしろ歩かないみたいな話にもしかしたら近いのかもしれないなんていう考察もされてますけど、重要なのはその地域の人々がどのくらいの移動を普通と感じているかっていうその肌感覚を理解することですね。
ノオト・ブク太郎
なるほど。例えば何かイベントを企画するときに都市部の感覚で駅から遠いから参加じゃ少ないかもって考えても、その地域の人にとっては車で30分全然近いよっていうことかもしれないわけですね。
ノオト・ブク子
その通りです。まさに。どこに拠点を設けるか、どのくらいの頻度で集まる機械を作るかといった計画を立てる上で、このフットワークの感覚を考慮に入れないと、何か全う外れなものになってしまう可能性がある。
記録でも本当に一人二人に話したところじゃわかんなくって、地元の人をいろんな人に話してみないとわかんないんだろうなって語られてますけど、まさにその通りで、表面的なデータだけでは見えてこない住民の生活実感とか心理まで踏み込んで理解しようとすること、その難しさと重要性を示してますね。
ノオト・ブク太郎
これは地域支援にかびらず、マーケティングとか新しいサービスを考える上でも応用できそうな視点ですね。ターゲットとする人々の当たり前を理解することの大切さ。
ノオト・ブク子
おっしゃる通りです。そしてこの相手の当たり前を理解するというテーマは最後の記録にもつながっていくんですよ。8月29日、金曜日の記録ですね。これもフリートークでご自身のちょっとした失敗談から始まります。
牛豚ひき肉と合挽き肉の話。
ノオト・ブク太郎
これちょっと笑っちゃいましたけど、でもすごくよくわかります。料理初心者の頃、お母さんに牛豚ひき肉を買ってくるように頼まれたと。でもスーパーには合挽き肉しか置いてなくて、それが同じものだとわからずに結局買えずに帰ってきてしまったというエピソードですね。
ノオト・ブク子
ええ、一見すると微笑ましい失敗談なんですけど、ここから非常に重要なコミュニケーションに関する教訓を引き出してるんですね。
わかっている人にとっては当たり前で、同じ意味だってすぐにわかる言葉でも、わかってない人にとっては全く別のものに見えてしまうことがあると。
例えば、パソコンの設定画面で出てくるオプション、コンフィグ、設定、プロパティ。これらが文脈によって同じような機能を指していることを初心者は知らないわけですよ。
ノオト・ブク太郎
確かに。専門用語とか業界用語もそうですよね。同じものを指してるのに言い方が違うだけでなんか困難しちゃう。
ノオト・ブク子
そこで重要になるのが、相手の知識レベルとか理解度を重んぱかる、そういう姿勢なんだとこの記録は示唆していますね。
一般にこれはこういうんだよと教えるだけじゃなくて、記録で提案されているように、もしかしてこういう言葉で探してませんかって言い換えの候補を提示したり、
こういう言葉もあるけど基本的には同じ意味ですよと補足したりする、そういう配慮。
そして何より、相手がもし間違えたり混乱していても、それを笑ったり見下したりしないで慣用であること。
ノオト・ブク太郎
これは耳が痛い話かもしれないですね。ついついそんなことも知らないのって思っちゃうこともありますからね。
特に自分が慣れている分野だと。
ノオト・ブク子
そうなんです。だからこそ意識的な努力が必要になる。
特にメールとかチャットみたいな文章でのコミュニケーションだと、表情とか声のトーンで補うことができない分、誤解が生まれやすいですよね。
だからこそ相手が混乱しないように予防線を張る、つまり丁寧すぎるくらいの説明とか言い換えを心がけることが大切なんだと。
これは知識を伝える場面、例えば教育とか研修、あるいは顧客サポート。
サザニーは先ほどのNPO活動の説明なんか、あらゆる場面で求められる共感的なコミュニケーションのまさに革新部分じゃないでしょうか。