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2025-08-31 17:12

NotebookLM版今週のAIまとめ:オーディオブログが紡ぐ思考の核心:仲間、AI、参加、そして共感—5日間の記録から探る普遍的洞察

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ブリーフィングドキュメント:ちえラジChat 2025年8月第5週の振り返り

本ブリーフィングドキュメントは、2025年8月26日から8月29日にかけて配信された「ちえラジChat」の主要なテーマ、アイデア、および事実をまとめたものである。

1. プログラミングとAIの活用:バイブコーディングの課題(2025-08-26)

この回では、「バイブコーディング」と呼ばれる、AIによるプログラミング生成手法について言及されている。

  • バイブコーディングの定義: 「AIで何かねプロンプトを書いてそれをプログラムにそのまま起こしてもらおうっていうような感じのやり方」と説明されており、気分や直感でプログラミングを行うようなニュアンスで捉えられている。Wikipediaでは「手法の一つ」とされている。
  • 未経験者への警告: 筆者は「未経験の方は普通にプログラミングができるぞとかそういうタイプのものではないよねっていうふうに思います」と述べ、AIが生成したプログラムは「一発で動くことってまあそうそう滅多なことじゃない」と指摘している。多くの場合、修正や基本設定、または適切な指示のための知識が必要となる。
  • AIの限界: 高度な内容になるとAIがプログラムの内容を理解できず「完全間違ったプログラムが出てしまう」こともある。基本的な分野では「圧倒的に説明不足によってこちらのプログラムが動かないおかしな方向に動いちゃうっていうようなケースの方が多い」とされる。
  • 知識の重要性: バイブコーディングは「プログラミングの知識は自分に十分にあってそれをちょっと超えるレベルのものを作ってもらうとかその自分よりレベルが低いものを作ってもらうとかそんなところにはこういうバイブコーディング的な手法って使える」が、「知ってる人がちょっと楽をするためのツール」であり、知識なしにプログラミングができるわけではないと結論付けている。
  • 評価の必要性: AIによるプログラミング支援は「絶大な効果を発揮する可能性がある手法だとは思うんですが」と認めつつ、「過剰に評価をしつつも冷静に評価をした方がいい」という見解が示されている。

2. NPO法人 まちなか研究所わくわくの活動と学び(2025-08-27)

SIDE BEACH CITY.のウェブ配信SBCast. #149で取り上げられた、沖縄のNPO法人「まちなか研究所わくわく」の活動から得られる学びが語られている。

  • 共感と目標: 「自分たちのSIDE BEACH CITY.の団体に近いのかなっていう感じの団体でした」とあり、特に「中間支援を中心にやっている」点において、「自分たちの目指すべき形の一つかな」と感じている。
  • 団体の成長: 「4年目からちゃんとお金が回る団体になっているということで、専任の事務員を雇って活動している」ことに感銘を受けており、自身の団体が7年目でも現状維持であることとの対比で、彼らの「団体のユニークさ、沖縄での団体の希少さ」だけでなく、「それだけでは説明のつかない何か」があると感じている。
  • 「参加」の定義と重要性:
  • 意見表明の機会保証: 「意見表明できる機会がちゃんと保証されているかどうか」が重要視されている。「ちゃんと意見表明できてたとしても、それってあんただけでしょって言って一笑に伏されてしまう場合もある」など、意見が受け入れられないケースも存在すると指摘。
  • 受け入れ側の心構え: 意見を受け入れる側には、「この人はふざけて言っていいんじゃないし、真面目にものを言おうとしているんだっていうのをちゃんと前提として考える気持ち」と、「その言葉、全然違う常識を持っている人の意見であっても受け入れるっていう気概、この2つが必要になる」と強調されている。これは「多様性を受け入れるとか、そういう言葉だけのものじゃなくて、もっと真に迫る何か」であるべきだと述べられている。
  • オンラインの活用: 「直接会場に来て話せるような状態にない人がたくさんいる。そういうような人の意見をちゃんと受け入れるための方法、窓口を用意しておく」ことがNPOとして大切であるとされている。
  • NotebookLMの活用: 筆者はSBCast.のまとめ作成において、インタビューの前後、インタビュー直後、文字起こし後と「3つのタイミングでNotebookLMに音声概要を作ってもらってる」ことに触れ、それぞれのまとめの「内容が違う」ことに驚きを示している。

3. 地域住民のフットワークと心理的距離(2025-08-28)

普代村での体験を通じて、地域住民のフットワークの軽さと、心理的な距離感の違いについて考察が述べられている。

  • 普代村のフットワーク: 普代村では生鮮食品や一部の生活用品しか購入できないため、衣料品や家具などは近隣の街(久慈市、宮古市、盛岡)まで出かける必要がある。「割と皆さんね、ほいほい移動してるっぽい」と筆者はそのフットワークの軽さに驚いている。特に、盛岡まで片道1時間50分かかる距離でも「行きますよ普通に」と言われたことに衝撃を受けている。
  • 都市部との比較: 横浜在住の筆者は、1時間50分を移動に要することに対し「えーって思ってもしょうがないよねぐらいの距離」と感じるが、普代村の人々は「割とほいほい行く」という対比が示されている。電車で1時間の移動(横浜から品川の距離に相当)でも躊躇すると感じる自身の感覚との違いを述べている。
  • 心理的距離の変容: このフットワークの軽さは「心理的に距離というものに関する考え方っていうのが変わるんですよね」と分析されている。「田舎の人って近くにも車で行くからむしろ歩かないっていう話」に近いものがあるという。
  • 地域支援への示唆: 地域支援を考える上で、住民のフットワークの軽さを理解することが重要であると結論付けている。「ほんと地元の人いろんな人に話してみないとわかんないんだろうなー」とし、体験機会の提供などを検討する際には、「地域の人の全体的なフットワークの軽さっていうのを把握していく」必要があると述べている。

4. 知識の有無による認識の違いと配慮の重要性(2025-08-29)

「牛豚挽肉と合挽き肉」という個人的なエピソードを例に、知識の有無による言葉や概念の認識の違い、およびそれに対する配慮の重要性が語られている。

  • エピソードの概要: 料理の知識がなかった筆者が、「牛豚挽肉」を買いに行った際、店頭に「合挽き肉」しかなく、両者が同じものだと認識できなかったため購入できなかったという経験。
  • 知識不足による同一視の困難さ: このエピソードを元に、「知識が全くない人からすると、その2つを同一視するっていうことができないよね」と指摘。パソコンの設定における「オプションとコンフィグと設定」など、同じ意味合いの言葉でも、知らない人にとっては区別できないケースがあることを例に挙げている。
  • 配慮の必要性: 筆者は、このような状況において「その2つを区別しなくてもいいんだよっていうことを教えていくこと」や、相手が区別できなかった時に「何それ2つ同じじゃんとか言って笑わない、そういうような気持ちって大事」だと強調している。
  • 具体的な対応策:
  • 「言い換えられる候補を先にこちらで挙げていくこと」
  • 「相手がこういうような呼び方の違いに気づかず混乱しないようにすること」
  • 文章では「ちゃんと判断できるようにこちらからヒントを投げかける」
  • 寛容な姿勢: 「勘違いで何かに気づけなかった、何かを買えなかった、何かを選べなかったとか、そういうような人についてもこちらから慣用でいてあげたい」と述べ、間違いを責めずに予防線を張ることの重要性を訴えている。

サマリー

このエピソードでは、個人の経験を通じて普遍的なテーマを探求し、仲間やオンラインコミュニケーションの重要性、AI技術の限界、そして地域の人々の移動感覚について詳しく考察しています。また、地域の人々との対話を通じて深い理解を得ることの重要性が語られ、コミュニケーションにおける相手への配慮が強調されています。さらに、AIとの関係について冷静な視点を持ち、相手の立場を考える姿勢も重要とされています。

仲間の重要性
ノオト・ブク太郎
はい、非常に興味深い素材ですね。ありがとうございます。
一人の人物の、わずか数日間の思考を追うだけで、個人の経験というのが、いかに普遍的なテーマにつながっていくか。
例えばそうですね、協力することの難しさとか、喜びとか、あるいは技術とどう向き合うか、他者を本当に理解するってどういうことなのかとか、そういう問いにつながっていくのが見えてくるはずです。
個人の記録なんですけど、でも私たち自身の経験とか課題にもきっと重なる部分があるんじゃないかなと思いますね。では最初の記録から見ていきましょうか。
ノオト・ブク子
はい、お願いします。まずは8月25日、月曜日の記録からですね。
えーと、週の予定として、木曜日、街のお茶の間子どものフリースペースを再開する。
それから土曜日は東京で、THE いわて DAY2025に参加予定、と。
特にこのいわて若者カフェの方と話すのを、なんかすごく楽しみにしている様子がつたまってきますね。
で、話は岩手県普代村での活動から戻って、数日経った心境に移るんですね。
まだちょっと疲れが残っていて、気持ちも完全には落ち着いてないけど、一区切りついた感覚だ、と。
ここでかなり強い言葉が出てくるんですよね。
とにかく仲間をもっと増やさなければダメだ、と。
これはなんかかなり切実な感じがしますね。
そうですね。この仲間を増やさなければ、という言葉には、
あの、単なる人手不足以上のもっと深い意味合いが込められているように感じますね。
記録の中でも触れられてますけど、高見さんだからできるんでしょう?
で、そういう風に見られたくない、という点がこれすごく重要だと思うんですよ。
あー、なるほど。
つまり、特定の個人の能力とかカリスマみたいなものに依存するんじゃなくて、チームとして、組織として活動しているんだってことを見せたい。
そして、実際にそうしていく必要があるんだ、というなんか強い意志の現れなんでしょうね。
これは、その活動の持続性、持続可能性とか、他の地域への展開、再現性ですね。
それを考えた時に、もう避けては通れない本質的な課題認識と言えると思います。
ノオト・ブク太郎
なるほど。単に手伝ってほしいっていう、そういうレベルの話じゃないんですね。
活動そのものが、特定の人に紐づくものじゃなくて、もっと普遍的なものとして続いていくために、仲間、つまり仕組みとか組織が必要なんだと、そういう風に感じているわけですか?
ノオト・ブク子
おっしゃる通りです。
そして、そのための具体的な動きとして、オンラインを使ったコミュニケーションを発展させたいという考えが出てくるわけですね。
物理的な場所、つまり、普代村という具体的な地域での活動と並行して、オンラインでもっと多くの人を巻き込んで、関わり城を作っていく必要性を感じている。
次の普代村訪問が9月末の予定とのことですけど、それまでに何かしらの形にしたいと。
そういう意欲、これは課題認識から具体的なアクションへつなげようとするその姿勢がはっきりと見て取れますね。
ノオト・ブク太郎
地域活動のリアルな悩みと、それをどうにか乗り越えようとする具体的な模索が見える記録ですね。
AI技術の冷静な見方
ノオト・ブク太郎
では、この仲間とかコミュニケーションというテーマをちょっと頭の隅に追いつつ、翌日、8月26日、火曜日の記録に移りましょうか。
今度はガラッと変わって技術、プログラミングの話です。
バイブコーディングについてですね。
AIに指示、プロンプトを出してコードを書いてもらう、そういう手法ですけど、これに対してはかなり冷静というか、ちょっと怪異的な見方をしているのが印象的でしたね。
そんな簡単なものじゃないよ、と。
AIが生成したコードがそのまま完璧に動くことってまずない。
結局動きより修正したり、基本的な設定をしたりするには、やっぱりプログラミングの知識が必須なんだと指摘してますね。
特にAIへの指示が曖昧だったり、説明が足りなかったりすると、期待したものはまず出てこないと思う。
これはなんか実際にやってみた上での実感なんでしょうね、きっと。
ノオト・ブク子
ここでのポイントはですね、そのAIコーディングっていう技術を頭ごなしに否定してるわけじゃないっていう点だと思うんですよ。
手法の一つとしては認めつつも、その限界と現実的な活用場面を非常に冷静に見極めている。
未経験者がこれを使えばいきなりプログラマーになれるっていうもんじゃないと。
あくまで基本的なことを理解している人がちょっとした作業を効率化するためのツールなんだというそういう評価ですよね。
これはAIに限らず新しい技術全般に言えることかもしれないですね。
ノオト・ブク太郎
確かに、AIが全部やってくれるみたいなちょっと過剰な期待に対して釘を刺している感じですよね。
でも一方で知ってる人が楽をするっていうのはそれはそれで大きな価値ですよね。
ノオト・ブク子
もちろんです。もちろんです。
重要なのはその楽をするためには前提となる知識とかスキルが必要だっていうことなんですよ。
AIが登場したからってプログラミングの基本的な概念とか構造を学ぶ必要がなくなるわけじゃない。
むしろAIが出してきた行動を評価して修正してちゃんと意図通りに動かすためのより本質的な理解が求められるようになるのかもしれないですね。
技術の進化と人間が習得すべきスキルの関係性、これを考える上ですごく示唆に富む視点だなと思います。
ノオト・ブク太郎
なるほど。技術に振り回されるんじゃなくてあくまで道具としてどう使いこなすかとすごく血に足のついた考え方ですね。
では、水曜8月27日の記録に進みましょう。
こちらはNPO運営、特に参加の本質についての深い考察ですね。
ご自身が関わるポッドキャスト、SBCast.で沖縄のNPO法人、まちなか研究所わくわくの宮道さんという方をゲストに迎えた回、その振り返りから話が始まってますね。
このまちなか研究所わくわくさんがご自身の団体SIDE BEACH CITY.と似ていて、いわゆる中間支援、つまり他のNPOとか市民活動をサポートする役割を中心に活動されている。
しかも設立4年目から有給スタッフを雇用できているという点にすごく感銘を受けているようです。
自分たちの活動の未来を重ねて見ているのかもしれないですね。
ノオト・ブク子
そして特に響いたというのが宮道さんが語った参加の指標だという部分ですね。
意見表明できる機会がちゃんと保証されているか、これが非常に重要だと。
単に意見を言う場があるだけじゃ不十分なんだと。
その意見が軽く扱われたり、あるいは何か理解されないままなんとなく消えちゃったりしないこと、その保証が大事なんだと。
ノオト・ブク太郎
保証ですか?それは具体的にはどういうことなんでしょう?
意見を言っても否定されるかもしれないし採用されないかもしれない、それでも保証されてるって言えるのは?
ノオト・ブク子
記録の中で語られているのは、意見を受け止める側の姿勢ですね。
この人はふざけで言ってるんじゃないんだ、真面目に伝えようとしてるんだっていう、まずその前提で聞くこと。
そして、たとえ自分たちの常識とはかけ離れた意見であっても、頭ごなしに否定しないで、ああそういう考え方もあるのかって一旦受け止める。
受け止める、危害を持つこと。これが保証の中身だと解釈できますね。
ノオト・ブク太郎
なるほど。
ノオト・ブク子
多様性を受け入れるって言葉はよく聞きますけど、それを実践するための具体的な心構えと言えるかもしれないですね。
ノオト・ブク太郎
なるほど。危害ですか?言うはいやしいですけど、実践するのは相当な覚悟が要りそうですね、それは。自分の常識とか価値観と違う意見を真摯に受け止め続けるっていうのは。
ノオト・ブク子
まさにそうなんです。だからこそ意識的に保証する必要があるということなんでしょうね。
これは中間支援組織に限らず、あらゆる組織、チーム、あるいはもっと身近な人間関係においても、他者の声に耳を傾ける際に非常に重要な、しかしなんか忘れがちな視点だと思います。
そしてもう一つ指摘されているのが、物理的にその場に来られない人の意見もちゃんと拾い上げるための窓口を用意することの重要性。
これもまさに先ほどの月曜日の記録にあったオンラインコミュニケーションの活用の必要性と見事につながってきますよね。
ノオト・ブク太郎
本当ですね。なんか点と点がつながる感じがします。物理的なアクセシビリティと心理的なアクセシビリティ、その両方を確保することが参加の保証につながると。
あとこの日の記録でちょっと面白い技術的な試みにも触れられてますよね。
インタビュー音声をGoogleのAIノートツール、NotebookLMで要約させたときの話、インタビュー前、直後、それから文字起こし原稿を読み込ませた後という3つのタイミングで試したら、出てくる要約がなんかかなり違ったと。
ノオト・ブク子
へー、それは興味深い実験ですね。
同じ情報源であってもAIに与える情報の形、例えば断片的でノイズが多いかもしれない音声データなのか、それとも整理されたテキストデータなのか、あるいはどの段階の思考メモなのかによってAIが重要だと判断するポイントとか解釈が変わってくる可能性があるということでしょうね。
先ほどのバイブコーディングの話とも通じますけど、AIのアウトプットっていうのは入力の質とか形式に大きく依存する。これもまたAIを使う上での注意点として覚えておくべきことですね。
ノオト・ブク太郎
うーん、AIも万能じゃないと。その特性をちゃんと理解した上で付き合う必要があるということですね。
地域の移動感覚
ノオト・ブク太郎
さてどんどん行きましょうか。次は8月28日木曜日の記録です。この日はフリートークでテーマはフットワーク。岩手県普代村で驚いたことの一つとして地域の人々の移動距離に対する感覚の違いを挙げてますね。
普代村の中だけでは買えないものも多いから、日用品以外の買い物とかちょっとした用事で隣の九字市、車で30分、電車で50分、あるいは宮古市、場合によっては盛岡、車で1時間50分もかかるのにホイホイ行くっていうことにかなり驚いたと。
横浜に住んでいるご自身の感覚からすると、そんなに遠くまで行くのってちょっと躊躇してしまう距離でもそれが日常だという。この心理的な距離感の違いは面白いですね。
ノオト・ブク子
これは地域に根差した活動をする上で非常に重要な視点だと思いますね。記録の中では田舎の人は近くでも車を使うからむしろ歩かないみたいな話にもしかしたら近いのかもしれないなんていう考察もされてますけど、重要なのはその地域の人々がどのくらいの移動を普通と感じているかっていうその肌感覚を理解することですね。
ノオト・ブク太郎
なるほど。例えば何かイベントを企画するときに都市部の感覚で駅から遠いから参加じゃ少ないかもって考えても、その地域の人にとっては車で30分全然近いよっていうことかもしれないわけですね。
ノオト・ブク子
その通りです。まさに。どこに拠点を設けるか、どのくらいの頻度で集まる機械を作るかといった計画を立てる上で、このフットワークの感覚を考慮に入れないと、何か全う外れなものになってしまう可能性がある。
記録でも本当に一人二人に話したところじゃわかんなくって、地元の人をいろんな人に話してみないとわかんないんだろうなって語られてますけど、まさにその通りで、表面的なデータだけでは見えてこない住民の生活実感とか心理まで踏み込んで理解しようとすること、その難しさと重要性を示してますね。
ノオト・ブク太郎
これは地域支援にかびらず、マーケティングとか新しいサービスを考える上でも応用できそうな視点ですね。ターゲットとする人々の当たり前を理解することの大切さ。
ノオト・ブク子
おっしゃる通りです。そしてこの相手の当たり前を理解するというテーマは最後の記録にもつながっていくんですよ。8月29日、金曜日の記録ですね。これもフリートークでご自身のちょっとした失敗談から始まります。
牛豚ひき肉と合挽き肉の話。
ノオト・ブク太郎
これちょっと笑っちゃいましたけど、でもすごくよくわかります。料理初心者の頃、お母さんに牛豚ひき肉を買ってくるように頼まれたと。でもスーパーには合挽き肉しか置いてなくて、それが同じものだとわからずに結局買えずに帰ってきてしまったというエピソードですね。
ノオト・ブク子
ええ、一見すると微笑ましい失敗談なんですけど、ここから非常に重要なコミュニケーションに関する教訓を引き出してるんですね。
わかっている人にとっては当たり前で、同じ意味だってすぐにわかる言葉でも、わかってない人にとっては全く別のものに見えてしまうことがあると。
例えば、パソコンの設定画面で出てくるオプション、コンフィグ、設定、プロパティ。これらが文脈によって同じような機能を指していることを初心者は知らないわけですよ。
ノオト・ブク太郎
確かに。専門用語とか業界用語もそうですよね。同じものを指してるのに言い方が違うだけでなんか困難しちゃう。
ノオト・ブク子
そこで重要になるのが、相手の知識レベルとか理解度を重んぱかる、そういう姿勢なんだとこの記録は示唆していますね。
一般にこれはこういうんだよと教えるだけじゃなくて、記録で提案されているように、もしかしてこういう言葉で探してませんかって言い換えの候補を提示したり、
こういう言葉もあるけど基本的には同じ意味ですよと補足したりする、そういう配慮。
そして何より、相手がもし間違えたり混乱していても、それを笑ったり見下したりしないで慣用であること。
ノオト・ブク太郎
これは耳が痛い話かもしれないですね。ついついそんなことも知らないのって思っちゃうこともありますからね。
特に自分が慣れている分野だと。
ノオト・ブク子
そうなんです。だからこそ意識的な努力が必要になる。
特にメールとかチャットみたいな文章でのコミュニケーションだと、表情とか声のトーンで補うことができない分、誤解が生まれやすいですよね。
だからこそ相手が混乱しないように予防線を張る、つまり丁寧すぎるくらいの説明とか言い換えを心がけることが大切なんだと。
これは知識を伝える場面、例えば教育とか研修、あるいは顧客サポート。
サザニーは先ほどのNPO活動の説明なんか、あらゆる場面で求められる共感的なコミュニケーションのまさに革新部分じゃないでしょうか。
AIとの関わりと価値の再発見
ノオト・ブク太郎
先ほどのひき肉のエピソードからここまで深い話につながるとは、自分の当たり前を疑うこと、相手の立場に立って想像することの大切さを改めて感じさせられますね。
さて、こうして5日間の記録を追いかけてきましたけど、振り返ってみると個人の思考の断片に見えたものが、実はなんか深くつながっているように思えてきませんか?
ノオト・ブク子
地域活動での仲間づくりの必要性と、NPO運営で語られた多様な意見を受け入れる気概、あるいはオンラインコミュニケーションの活用という課題と、物理的に来られない人の意見を受け入れる窓口の重要性。
そして技術、つまりAIとの向き合い方における冷静な視点と、コミュニケーションにおける相手への配慮、ひき肉の話ですね。
課題意識とか価値観が日々の異なる出来事を通して様々な形で表現されているのがよくわかりますよね。
そして、それらは決してバラバラじゃなくて根底でつながっている。
例えば、効率という視点で見ると、AIコーディングは効率化を目指す動きですけど、一方でコミュニケーションにおいては、効率とは逆に見えるかもしれない相手への配慮とか、丁寧な言い換えといったある種の手間が重要になる。
この対比も面白いですよね。
ノオト・ブク太郎
これらの記録を通して見えてきた様々なテーマ、協力、技術との距離感、参加の質、地域の感覚、共感的なコミュニケーション、これらをあなたご自身の経験とか活動に照らし合わせたとき、どんなことが思い浮かびますか?
もしかしたら、日々の活動や仕事の中で感じている見えない壁とか、ちょっとした違和感の正体を解き明かすヒントがこの中にあるかもしれませんね。
ノオト・ブク子
そうですね。最後に、この一連の記録全体を踏まえて、一つあなたに投げかけてみたい問いがあります。
それは、私たちは日々の仕事や活動において、効率化とか合理性を追求するあまり、こうした記録の中で垣間見えたような人間的な日々、言葉のニュアンス、地域ごとの感覚の違い、相手の立場をろろる手間、といった一見すると非効率に見えるものの価値を見失ってはいないだろうか、ということです。
効率やスピードが求められる現代だからこそ、あえて立ち止まって考えてみる価値のある問いかもしれませんね。この問いをぜひ今日の探究の持ち帰りとして、しばらくの間心にとどめてみていただけたらと思います。今回の探究はここまでです。また次回、新たな知見の世界でお会いしましょう。
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