1. タダの箱庭ラジヲ
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2024-05-11 12:44

♯6「予想通りに不合理ー行動経済学の教え」

善意によるモデル(社会規範)で成り立っていた関係が、利害を軸にしたお金のモデル(市場規範)に変わった途端に、世界は一変してしまうのだ。そして、それはほとんど戻ってこないのだ。

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さあ、始まりました。タダの箱庭ラジヲ。前回は、タダの箱庭っていうプロジェクトにつながっていく、各職人のお話をさせていただきました。
そして今回、次は、その気づきがあったので、言ったら、僕らがモヤモヤしていたのは、もしかしたら、
史上規範と社会規範という、2つの世界が、僕らがうまく扱えていないから、このモヤモヤが起こっているんじゃないか、というところに思い立ったということで、お話が終わったんですが、
その後、この村で、人の営みの中で何が起こっているのかということを、そのフィルターを通して観察するようになっていきました。
そして、この高等経済学の本も、僕が読んだのが、ダン・アリエリ教授が書いた、ちょっとタイトル忘れてしまったので、ぜひ検索して読んでいただきたいんですが、
その本の中にも、保育園である実験があったんですよね。それがイスラエルだったかな?の保育園で、その保育園が何時だったか、5時ぐらいにお迎えに保護者が来なきゃいけないんですが、
ちょっと保護者の遅刻が、数分から数十分なのか、目立つようになっていたので、保育園側で協議をした結果、罰金をつけたら保護者の遅刻もなくなるんじゃないか、ということが意見として上がって、
そして、遅れてきたら罰金を課すということをしてみたんですよね。その結果、何が起こったかというと、保護者の遅刻が前よりも増えた、という結果が出たんですよ。
これどういうことかというと、保育園の先生と保護者の関係というのは、高度経済学的な言葉を使うと、社会規範、ともに子どもを良い環境で面倒を見るというか、
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していこうという、そういった関わり方がどちらかというと、社会規範というかね、そっちにあったわけです。それが、罰金という提案をしたことで、保護者はどう思ったか、それは言ったら、今まで近所のおばちゃんに子どもを預けてもらって、遅れたらちょっと申し訳ないなっていうね、
そういった思いがあったわけです。そこに何ていうか、対価みたいなものは発生してなかったので。ただ、預けていた近所のおばちゃんが、今度遅れたら30分500円いただきますみたいな、言ったら、そういうアクションをしたことによって、
もともと保育料ももちろん納めているので、よりサービスとしての側面として、それを認識し、結果、保護者は、遅れても、遅れたお金分を払えば、サービスを延長してもらえるんだよねっていう、言ったらサービスとして捉えてしまったんですね。
その結果、子どもを迎えに行く時間を、もうちょっと遅らせて仕事をして、お金を稼いで、うちの少しを保育園に納めていった方が効率がいいというか、生産性がいいので、そういった感じで、遅刻する、結局、人数がすごい増えてしまったっていう。
それに、ちょっと戸惑った保育園も、これは失敗だということで、罰金制度をなくしたんですが、一度、この関係性が社会規範から市場規範に移ってしまうと、それを取り戻すっていうのはものすごい時間がかかるっていうのも、その実験の中から見えてきたことだったんですけど、
まさにそれと同じことが、僕らのエコビレッジ、最果ての中でも起こっていった。
それがですね、やっぱなんて言うんでしょうね、この感覚って、皆さんもまあまあわかると思うんですよ。いわゆる社会の中でも起こっているし、いわゆるそうじゃない何かを求めて、自分たちで作っていった、そういったね、エコビレッジだったり、そういったコミュニティの中でも似たようなことが起こってしまい、
その結果ですね、僕らはその、なぜモヤモヤしているのかもわからないままに、関係性をね、こう修復したりとか、こう話し合いでって言うんですけど、なかなかこの2つの世界を認識していないというか、ちゃんと捉えていないと、なかなかこうね、一方通行のまま合理性をメインに考えている人からしたら、
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いやこっちの方がね、全然、こう、いいでしょみたいな。で、方や社会規範よりの人はね、そういうことじゃないみたいな、なんかよくあるこの対立が、まあ永遠と繰り返されていると。
そんなこともありですね、ここにもしかしたら、いろんなこのヒューマンエラーがね、起こっているんじゃないのか、ということで、その最果ての中でですね、僕は提案するわけです。かなり、あの、突拍子もなく、なんていうか、非現実的な提案だったんですけど、どういう提案だったかっていうと、
まあ、あらゆるその、尊徳感情っていうものの、その起因するところとか、それを刺激してしまうのが、金銭的なやり取りの結果、どうしてもその、なんていうか、尊徳感情を意識してしまうっていうね、そういったのことがあるので、
じゃあもう一層のことね、お金の心配というか、そのものすごいいっぱいなお金じゃなくて、最低限暮らしていける、それが担保されたら、特にもうなんていうか、お金主体というかね、そうじゃない、まあ言ったら社会規範を軸にした暮らしというか、そういった社会みたいなものが、
よく言われているベーシックインカムとかね、ベーシックアセットみたいに、最低限生きていけるだけのお金をですね、社会保障として国が国民に支援するっていう、
そういった新しい社会福祉の形として、いろんな国や地域、企業なんかで、そういったベーシックインカム的な制度を導入したりとか、もしくは最低限食べていける一食中を提供するみたいなベーシックアセットみたいな、そういった考え方もあってですね、
もしじゃあそういう、まあ言ったら社会システムを用意することができたら、ちょっとね、誤解を恐れずに言うなら、お金がなくてもまあまあやっていけるんじゃないかと、
そうなった時に初めてなんていうか、僕らは尊徳勘定みたいなそのルールから解放されて、お金ではない何か、そこに僕らがたどり着き、その中でまあ人の営みをしていくっていうことができた時に、
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何か全く新しい世界が開ける可能性がそこにあるんではないかみたいなことをですね、妄想し、さての住人たちにですね、提案したりとかしました。
もう3年4年前かな。
でもね、僕自身なんだかよくわかってないんですよ、なんかすごいあの、突拍子もないひらめきというかアイデアというか、もしかしたらここに世界が変わるそのきっかけやヒントがあるんではないかって強烈ななんていうか、その生まれたアイデアにですね、あの、もう頭がいっぱいになっていてですね。
まあ住人に結構あの、まあいいよまあいいよね、こういうプロジェクトなんだっていうのを力説するんですが、まああの、ほんとね、みんな理解してくれないというかですね、どういうことみたいな、お金をどうやってなくすのみたいなね。
そういったことであの、すごいあの、みんなからね、もうそれってただの結城くんのギブギブランドをやりたいだけなんじゃないのとか、そんなことで世界が回るわけがないとかね、あの、散々まあ反対され、まあここでやるのはまあ今の時点では難しいのかなと。
ということでですね、まあ最果ての中でね、まあ言ったらこの一万坪の最果ての敷地に入ったらみんなお金が使えません。
その代わり、すべてね、みんながマッサージをしたり、サウナ入ったり、ご飯食べたり、お酒飲んだり、ゲストラス泊まったり、何かを学んだり、誰かの作品を買ったり、みたいなのも全部タダですみたいな。
その代わりまあ、なんていうかね、そのプロジェクトに賛同する人が例えば1000人いて、その人たちが例えば1万円出してくれたら1000万円っていうね、例えば予算が生まれるので、その中であらゆる、もちろん材料を買ったりとか、みんながね生活していくためのコストはかかるので、
そういったものはそこでまかないながら、結果そういう市場規範のシステムからはそんなに意識しないでもやっていけるようなシステムを作った上でだったら、全部ここの敷地に入ったらお金がもはや使われていないというかね、みんなが何か思いによって回っている世界っていうものが実際作れる気がしたんですよね。
ただ、それがね、みんなにはちょっと伝えきることができなかったので、最果てとしてではなく、一つまた別のプロジェクトとして立ち上げたっていうのが、ただの箱庭プロジェクトになります。
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そんな話をね、次していきたいんですが、ただの箱庭プロジェクトなので、そのアイデアを持って僕は、村にはもちろん今でも住んでいるんですけど、僕から離れてですね、このプロジェクトに賛同してくれる仲間を集め、プロジェクトをですね、どうやって作っていったのか、そこらへんからまた次回話していきたいと思います。
はい、今日もありがとうございました。
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