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さあ始まりました、タダの箱庭ラジヲ。前回は、「ヒッピーに出会う」というところで話が終わってしまったので、今日第3回目はですね、「ヒッピーに出会う」というところからお話したいと思います。
皆さん、ヒッピーっていうものを知っているって方はどれくらいいるんでしょうか?なかなかですね、僕もリアルで会ってきて、ヒッピーに出会ったんだとか、ヒッピーカルチャーにすごい刺激を受けてとか言ってもですね、
ポカーンとしている方が特にね、ここも令和の時代になって、なかなかヒッピーっていうものを理解している人も少ないんじゃない、ヒッピーっていうものを理解している人もそんなにいないんじゃないのかなと思いますので、
ヒッピーとは、みたいなところをまずお話したいんですけど、ヒッピーってなかなかこれっていう風に定義付けるのが難しいんですよ。
というのも、1960年代、ベトナム戦争が起きて、アメリカの若い青年たちが徴兵され、ベトナムにね、戦争に出かけるという、そんな時代の中、
反戦運動って言ったらいいんですかね、戦争に行きたくない、僕らはなんでそんな殺し合いをしなきゃいけないんだということで、一部の若者がですね、いわゆる徴兵制赤札っていうものをボイコットして逃げるみたいなことがアメリカで起こってたらしいんですよ。
これが行けないんですよ、国民の義務というか、徴兵されたらですね、絶対行かないといけない。行かないとどうなるかって言ったら牢屋に入れられてしまうんですよ。
なので、その当時若者たちどうしたかって言ったら、州ごとで管理されているので、どうしたかって言ったら州を出ていくっていう、日本で言う脱販するみたいなことが当時起こったわけですよ。
若者たちは戦争に行きたくない、でもただ行きたくないって言っても捕まっちゃうので、行ったら住み慣れたふるさとを捨て、下手したら親とか地域の人からもきっと大バッシングされたと思うんですよ。
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みんな命かけて国のために戦争に行くのに、お前はなんで行かないんだっていう反発はものすごい大きかったんじゃないのかな。
それでそこから逃げるかのように離れて、そして旅をするっていうか、当時そんなにガシガシに規制されてみんなが管理されているような時代でもないので携帯電話もないですし、
ゆるい時代の中で彼らは言ったらすごい信念なのかな。自分は戦争に行かないとか殺し合いには参加しないみたいな強い意思表明を持った若者がどんどん旅に出ていくわけですよ。
そしてその先々でお金も稼がないといけないので路上でアクセサリーを作って売ってみたりとか、音楽を路上でパフォーマンスして投げ銭をもらって必然に稼いでいくとか、
これこそ季節労働だったりとか、農家さんのもとでみたいなことがその当時ヒッピーたちの収入源だったわけです。
その中で彼らは言ったら一人二人の話じゃないわけですよ。何千何万人というそういう表明をした人たちがですね、言ったら助け合って生きていくというか、
仕事なかったらこういうのあるから一緒に連れていくよとか、お前もそういう選択をしたんなら仲間だみたいな感じですね。家がないんだったらうちに泊まりなよみたいな。
言ったらちょっとこう、みんなで仲良く生きようよみたいな、そっちの世界の感性というかそっちの意識が強い人たちが出会いともにコミュニティを作ったり、
森の中でね、エコビレッジだったりなんかこうコミュニティ、当時はコミューンって呼んでたんですけど、そういった共同生活をしながら自給自足的な活動をしたり、自分たちが望む世界っていうものは何なんだっていうのを探求していたような人たちがいたわけです。
そこからですね、日本でもビートニクスの時代、学生運動とかの時代にそういった若者が日本に影響を与えてですね、日本でもそういったヒッピーコミューンみたいなものが当時できていくんですけれども、
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その名残というか、ストーリーを継承していったようなヤングヒッピーたちがですね、僕が勤めた小浜島という島にいてですね、
僕はそこの、なんていうか、みんな楽しそうに太鼓を叩いたり火を囲んで、スポンボンで踊ったりみたいなことがすごい楽しかったんですよね。
シンプルに言うと、本当にそんとくださいというか、本当に心から楽しめるような仲間たちと過ごす日々、海に入って魚ついたりとか、一緒にご飯を作って音楽を奏でたり夢を語ったり、そういったことが僕にとってすごい、
なんていうかですね、これこれみたいな、こういった世界が僕はなんていうか、やっぱ作っていきたいんだなっていうことをですね、
思って、僕その後行ったら、僕もなんかヒッピーみたいになりたいって言ってですね、バックパックを背負って日本中を旅して、それこそ沖縄から北海道まで旅をして、
そして北海道ではバーテンダーとか、ニセコっていうね、今すごい有名なリゾート地になって海外みたいなバブリーな場所なんですけど、そこで当時も外国人が多かったので、
外人相手にバーテンダーで住み込みで働きながらお酒を提供したりとか、季節労働をやったりとかですね、旅先々でファイアーショーをやってみたり、太鼓を叩いてパフォーマンスしてみたり、みたいなことを僕も憧れてしてたんですよね。
で、その中でヒッピーっていう人たちの生き方っていうものも、すごいなんていうか、いろんなアイディアだったりとか文化の中にいっぱいその人生が楽しくなるというか、仲良くなれるためのメソッドみたいなものがものすごいあってですね。
で、それを僕はまだスマホがない時代です。まだ携帯電話もありましたけど、なのでそういった人たちを見つけて旅をするっていうことをしながら、僕も23くらいかな、22、23の時にリゾートホテルを辞めまして、
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そして旅をして、ヒッピーカルチャーっていうものの探求というか研究というかですね、どうやったらこのつまんなそうに生きている、この社会がもっと楽しくなる方法は何なのかとか、みんなが仲良くなる方法は何なのかみたいなことをヒッピーの世界の中で僕はずっと探していたというか。
そして北海道まで旅した後に、その後オーストラリアのワーキングホリデーのビザを取りまして、当時ですね、もう本当に身一つでオーストラリアに渡り暮らしていくんですけれども、
オーストラリアに行った際にエコビレッジっていうそういうヒッピーの人たちが一緒に暮らすコミュニティみたいなものに出会うんです。
その世界を見た時に、これだと思ったんですよね。
これだと思った理由っていうのは、日本でヒッピーを探して旅をしていた時に、みんな街にはもちろん住んでないんですよ。
やっぱり自給自足して山の中とかでひっそりと隠れるようにみんな暮らしていたんですけど、やっぱりとはいえお金もかかるわけですよ。
軽トラが必要だとかチェーンソーがとか、もちろん子供のミルク代だとか、いろいろ学校通わせお金とかかかるわけですよね、現実。
社会と距離を置いたとて、やっぱりお金は必要で、でも一人で野菜作りながら家も自分で作って、それで子供を面倒見ながら、そしてその経済活動をするみたいな、今みたいにパソコン一つでじゃないですから、
そこの田舎の山奥から通える仕事ってなった時に、やっぱりあんまりいい仕事ないんですよね。
本当に頑張って働いてもなかなかそんなに稼げないっていうところで、お金がないっていうことですね、日本の僕が会ってきたような日々たちは、経済的な問題というものもかなり抱えていて、
結果、それのせいでずっと喧嘩して、結局離婚して、自分たちが愛に生きようって言ってた世界では生きれないっていう現実が日本の日々を回る中でたくさん見てきて、その解決策は何かって言った時に、
海外でオーストラリアでエコビレッジとかそういったコミューンみたいな集合体の存在に出会うわけです。そこではみんながそれぞれ得意なことをしあって一緒に暮らす村みたいなものを作っていて、
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野菜作りが好きな人は野菜を作っているし、それこそ音楽が好きな人は音楽活動をしているし、家を作る人は家を作るし、でもそれがみんながそれぞれ、全部を一人でやると大変だけど、それぞれが得意なことを言ったら何ていうか本領発揮しながら協力しあって暮らしていくっていうライフスタイルがすごい良くて、
そこだったら音楽家と一緒に音楽したりとか大工と一緒に家を建てたりとか、いろんなことも経験できるわけですよ、ちょっとずつ。これがしかもみんな世界観が合う仲間たちと村を作って暮らしていくんですから楽しいわけですよ。
そこで僕はこれは一つの楽しく生きるヒントでもあるし、いわゆるつまんない大人たちが作っている社会みたいなものを分解していったときにはちっちゃな村みたいなものになるわけじゃないですか。
そのちっちゃい村みたいなものでこの人の営みとかいわゆる社会システムみたいなものを研究していったら、もしかしたらそこで見つけたヒントというかアイデアを持ってこの現実にみんなが生きている世界ももっと楽しい世界にみんなが仲良くできる世界に作れるんじゃないのかなっていう希望を感じて
コミュニティっていうものを僕はライフワークにしていくわけです。そこからこれこそヒッピーのコミュニティだったりエコビレッジだったりタイで仏教のお寺に入ったりとかですね、インドではサイババって40オーバーの人はよくご存知かと思うんですけどアフロヘアーのね、手から白い粉を出すという
イカサマシなのか聖人なのかみたいなことでよくね、僕がちっちゃい頃はテレビで特派員は見た系の番組でよく出ていたサイババのアシュラムにですね潜入してみたりとかいろんなコミュニティに自分が通ってどういうところにうまくやる本気ヒントはあるんだろうかとかリーダーシップっていうものはどういうリーダーシップを取ったらいいのかとかね
そういったことを研究して回る日々がありまして、そこから日本に帰ってきてですね実際に自分でコミュニティを作ってみようというところに至りましてですね
そしてあの日本で当時26歳なので14年前ですかね、自分でそういった日本であまりないエコビレッジとかコミュニティみたいなものを当時作って一つの良い社会のロールモデルを作ってみたいということでコミュニティ活動っていうのが始まっていくんですけれども
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そんな実際にどんなコミュニティを僕はですね日本でやってきたのかっていうことを次回のお話のテーマにしたいなと思います
はい今日もありがとうございました