耳で旅する週末-ミミタビ-です。リョウタです。 今回は、シャープ75の番外編として、友人の松崎さんによる
アメリカ史を共同体論として読み解く報告会その第1回目の様子をお届けします。 この回は、ぜひシャープ75と合わせて聞いてください。
福島県のオクアイズという仮想地域に暮らす松崎さんが、アメリカ合衆国の成り立ちや歴史を手掛かりに、共同体とは何か、アメリカはどうやって一つにまとまったのか、という問いをですね、地域の現実と重ねながら語っていきます。
今日はその本題に入る前段として、なぜアメリカ史を通して共同体を考えるのか、その問題設定を整理する回になっています。
それではどうぞ。
それぞれの町村に住まわれてますよね。
いろいろそれなりの町なりの事情があって、その村なりの事情があって、その中でやってるところがあるわけですよ。
アメリカっていうのも州県制のところなので、基本的にカリフォルニア州があったりニューヨーク州があったりとして、その州の中で基本的には完結するというか、実施として行っているようなところがあるんですけど、
ただアメリカという国の成り立ちからすると、もともとそうやってそれぞれの州で独自にやっていきましょうっていう、
だから我々はもう自分たちのところだけ考えます。お隣のところは知りませんっていう形の体でやっている国なんですね。
それは何でかっていうと、アメリカっていうのはまずイギリスから独立してできた国で、もともとはイギリスの植民地をその北米大陸に作って、
その中で色んなイギリスの植民地として活動していたわけですが、なんだかんだでイギリスから独立してしまったと。
そうなった時に、この独立した人たちってものすごく中央州県的な体制を嫌うんですね。
だってそもそもイギリスから独立したのにまた新しい国家作ってもしょうがないでしょっていう話になるわけなので、
だからイギリス王みたいな形で国王が中心にいて、さらにその周りに議員だとか貴族とかがいて、
あとは下々の者たちというか平民がいるみたいな、こういう共同体が嫌だからアメリカで独立しているわけなんですよ。
ただ、その中でじゃあ独立してうまくやりましょうってなった時に、
でもそのイギリスから独立した時にも結局戦争して独立しているんで、
じゃあ本当にそれぞれ州が個別に勝つ気勝ってやりましょうってなった時に、
その当時のアメリカ大陸っていうのは今のこのアメリカ合衆国の大西洋から太平洋までバーッとなっている国家ではなくて、
ほんのこの大西洋側の右端のところに13の州がただアメリカ合衆国として独立しているだけの状態。
だからアメリカ大陸の他のところには当然フランスの植民地だって残ってたし、
あとはまあいわゆるインディアンとアメリカの人たちが呼んだネイティブアメリカンの原住民の人たちの地域だったわけで、
じゃあこういう中でしかもイギリスがまたいつ攻めてくるともわからない状況で、
それぞれの州が好き勝手やって本当にこのアメリカ合衆国っていう国を維持できますかっていうのが大きな問いとしてあるんですね。
で今の話を無理やりオークアイズにつなげると、
我々はこうやってそれぞれの町村でまた雪がすごいねとかまた人口減ってったねみたいな話をするじゃないですか。
でそうなった時にじゃあ今個別の町村でそれぞれこの状況を何とかなりますかと。
なかなか難しいところがあると思うんですね。
じゃあこう何かしらもっとよく最近話されてますけど、
それぞれの町村で何か共同で作業しましょうとか、
まあこのあたりだと除雪とかは結構そういう体制になってきてますね。
共同受注の制度が作られていますので、
あともちろん田崎さん理事をされているオークアイズ地域づくり組合も、
本来の目的で言うと町村の共同で何か事業ができるような、
そういう基礎を作っていきましょうみたいな狙いのことでもあったわけです。
蓋を開けてみるとそれぞれが責任の押し付け合いになって、
そんなにまとまらないんですけど。
でもそういうところをなっているアメリカ合衆国が、
こう作ろうとした時のその中の中心的な人たちが一番悩んでたのはそこなんですね。
それぞれの州でも好き勝手やっているところに、
アメリカ合衆国っていうこの共同体本当に維持できますか?
そういうところが問題になる。
しかもそれはめちゃめちゃ難しい。
各州の納税というか、
アメリカ政府というかに対する納税の割合とか見てみると、
ちゃんと税金払ったのは2つの州くらいしかなくて、13州のうち。
残りの11州はほぼ見払いになっているようなところとかもあったりして、
なんか全然まとまっているわけではないんですよ。
じゃあこのまとまっていないものをどうやったら、
あるこのアメリカ合衆国の共同体ですよということでまとまれますか?
というのがアメリカの一番の多分難しさがあった建国の時代なんですね。
しかも我々はその後の時代のことを知っているんで、答え合わせというか種合わせみたいになっちゃいますけど、
実はこのまとまらない状態が100年以上続く。
というのも最初のアメリカ合衆国の連邦政府って全然権限がない。
もうほとんど州が全部反対するので、
アメリカのこの連邦共和政府っていうのは全然権力がなくて、
一応裁判権とあと関税を入手する権利はあるんですけど、
いわゆるその税金、人頭税みたいなものとかはもちろん払われないし、
だから収入もないし、
あと軍隊の編成が結局かなりうまくいかなかったというか、
常備軍を持てないような国だったんですね。
だから本当にこう敵に攻められた時どうしますかとか、
インディアンと戦っている時にどうやってこの戦いを勝ち抜きますかっていうのがずっと課題としてある。
しかもその中の大きな問題の一つとして奴隷制っていうものがあって、
この13州の中でも奴隷制を支持する政府と支持しない州っていうのがはっきり分かれてしまう。
時代がだんだん現代っていうか下っていって19世紀とかになってくると、
だんだんアメリカの中でも工業化が進んでいくんですよ。
工業化でじゃあ国がまとまるかって言ったら全然そんなこともなくて、
工業化でうまくいった北部の方の州は当然だんだん経済的には安定していく。
でも南の州っていうのはずっと農業でやってる州なんですね。
しかもその農業のやってる州でどうやって利益が上がっていくかっていうと、奴隷を酷使するから利益が上がるわけですよ。
そうなってくるといやそれは奴隷いなかったらもう経済成り立たないでしょっていうのがその州なわけで。
そうすると奴隷制に賛成するか反対するかっていうので、
その州のスタンスが大きく違うっていうことは当然その国家としてもまとまりがつかなくなって、
南北戦争という内戦が始まるっていうことなんですよね。
実際アメリカ合衆国の国家としての意識、その州ではなくて、
我々みたいな三島町民だとか柳津町民だとかっていう意識ではなくて、仮にですよ、仮に奥愛図の人みたいな意識が出来上がってくるのは、
本当に南北戦争が終わってから各州が疲弊していって力がなくなっていった時に、
リンカーンを代表とするような統一国家が今度逆に連邦政府として権力を持っていくっていうところがあるんですね。
その時初めてくらいにアメリカ合衆国っていうこの意識が結構そのアメリカに全体に広がっていったっていう風に言われてます。
ただこの黒人奴隷の問題っていうのは結局そのリンカーンの奴隷解放宣言で解決したわけでも全くないっていうのは多分皆さんご存知の通りで、
その現在までもやっぱりいわゆる黒人の方たちが置かれている状況っていうのはアメリカの中で厳しいものがありますし、
南北戦争が1850年頃行われてさらにその100年後に1960年代50年代にようやく公民権運動っていうものがあって、
歴史的に黒人の人たちも法的に平等であるというのが担保されたっていうものがあるので、
何て言うんでしょうね、アメリカ合衆国っていうのこの共同体をどう維持していくかっていうのは多分建国当初から現在に至るまでずっと課題なんですよ。
で当然あれだけの規模の国であれだけの人種の構成があって、しかもどんどん移民が入ってきたりすると。
この中でどうやって人々がまとまれますかっていうのがアメリカの中の一つ見る目というか、大きな歴史の考えるきっかけになると僕は思ってるんですね。
で、そういうことをちょっと考えるようになったのは、ちょっと今日のきっかけみたいな話なんですけど、
去年の夏8月に僕の大学の時の指導教授が稲葉城まで来て、ゼミの学生と一緒にゼミ合宿的なものを開いてたんですね。
で僕もたまたまそれに呼ばれて現役の大学生と一緒に本を読んだんですけど、その時にこのシリーズアメリカ合衆国史というですね、割と最新の本があるんですけど、
この4冊が多分今アメリカ史の中での通史の一番新しいくらいの本なんです。
で、これを改めて4冊読んで、それで初めてアメリカというものに改めて興味を持ったというか、アメリカ史が持っている課題っていうのは、
大抵の共同体が持っている課題と同じだと思うんですよ。多分オクアイズに至って同じ課題があるはずで、その中でオクアイズの中でもどうやって、
もしかしたら単なる三島町民でも昭和村民でも忠実町民でも柳津町民でもない人たちとして、このオクアイズというような意識を持てるかっていうことの問いは、
多分アメリカでどうやってアメリカ国民としてまとまっていくかっていうのと、ちょっと似通っているところがあると。
ぜひそういう意識を持って聞いていただけたらと思いますね。
しかしですね、今日僕はそういった話のど真ん中をやるつもりはなくてですね、今日お渡しした資料はむしろその前提になるところで、これは僕の癖みたいなものなんですけど、
そもそもじゃあ我々がアメリカ史を勉強するっていうことがどういう意味を持つのかっていうのを、僕は最初にそういうことを考えないと前に進めないタイプなんですね。
で、そういうことをやってると、あまりアメリカ史もできなくなっていくっていうのがあって、僕はアメリカ史の大学院の専攻でやってたんですけど、結局ほとんどやってたのは歴史学概論というか、歴史学の方ばっかりやってアメリカ史の方はそんなにやってなかったというところで、
改めてちょっとアメリカ史をやりたいなと、アメリカ史の問題から共同体のことについて考えたいなっていうふうに思って、これだったら僕は僕で自分でこういう勉強しますっていうことにもなりますし、
あと意外とこういう話って割と他の人が聞いてもなんとなく通じるところがあるんじゃないのかなと思って、わざわざアメリカ史から読み解く共同体論ということで、今日皆さんに集まっていただいて、ちょっと僕が今こういうことをアメリカ史の本を読んで考えましたっていうのを聞いてもらえたらなと思ってこの場を開催いたしました。
なのでそれでちょっとこれから話していきたいと思います。
私したのがA3の大きい紙両面に印刷されているものとA4で印刷されているものです。
基本的にA3のやつをやってからA4まで行ければ行くくらいの感じですけど、時間のこともありますし、あとそんなに僕もちゃんとわかってアメリカ史のことを話せるわけでもないので結構ちょっと進行ぐだぐだになるかもしれないんですけど、そういうところでゆるっとやっていけたらなと思います。
じゃあ最初のページの始めにのところなんですけど、始めにの引用はこちらの本からとっています。
これはその今年の夏、去年の夏に僕の指導教授だった松原博之さんが編集をされた本なんですね。
これも結構今新しい本です。
多分2022年に発刊になっているので4年前に出た本ですね。
それを今ここの始めにのところで引用しています。
結構僕はこれを読んで確かに嫌と思わされた文章だったんですけど、太字のところだけ読むとその短さにもかかわらずよくわからない。
あまりに近くにあるがゆえに私たちはかえってアメリカを正面から見られなくなっている。
確かにそうなんですよね。
アメリカって何みたいなことに即答できるものってほぼないと思うんですよ。
アメリカっていうのが非常に近現代において派遣国家だったというか、もちろんソ連とかとも比較する必要が出てくるのかもしれないんですけど
少なくとも20世紀の後半からは世界の中心だったと言えるような国家であったわけで、
じゃあその国家のことをどう考えたらいいのかっていうのは多分あまりに巨大すぎてよくわからないっていう感じになってしまうと思うんです。
で、じゃあそのアメリカのことを考えるときにどうなんだっていうときで、この始めにの太字の真ん中あたりのところで、
このとき私たちがすぐに参照してしまうのは日本だと。
日本はアメリカと違ってとすぐに言いたがる。
この気持ちもよくわかる。
確かに結局アメリカってこういう国だよねっていうのはその対比として、
でも僕たち日本はこういうところらしいっていうことを考えて、
それで言ってるったりするわけですよ。
でもそうなってくるとなかなかそのアメリカっていうものが、
じゃあその日本との関係においてどういう国なんだっていうような、
そういうことも浮かび上がってくるかもしれませんし、
その次のところで各々が都合のいい鏡を仕立ててアメリカそのものは見据えない。
こうして極端に揺れるアメリカ像の中で、
結局アメリカは私たちのもとから気づけばしばやり逃げてしまうと。
あのなんていうか、この人あんまり論文っぽい文章書かない人なんですけど、
なんかちょっと素敵な感じで書いていて、
確かに僕もでもそう思うなっていうところはありますね。
結局そうすると、我々がアメリカというものを見てるときに、
確かにそれがどう見えてるかっていうことも大変重要なんですけど、
今日お話ししたいのは、我々はどういうふうにアメリカを見てるのかっていう話をしたいんですね。
アメリカがどう見えてるかっていうのは、
ちょっと突き詰めって言うといろんな場面で見られると思うんですけど、
でもその見てる鏡を我々はどういうふうにそもそも見てるのかと、
どういう角度から見ていて、どういうふうに見てるから、
今の我々はアメリカのことがだんだんわからなくなってるようなことになってるのかっていう、
そのことをちょっと考えたいなと思ってます。
一応このちょっと日本の中でアメリカ史がどういうふうに研究されてきたのかっていうのを、
次の引用のところで書いてるんですが、
これからは中野さんの基本的に引用に沿って説明してますんで、
僕はちょっとこの審議まではわからないんですけれども、
一応その論理に乗っかっていくと、
まず1918年にヘボンっていう銀行家の人がやった寄付講座があると。
1918年っていうのは日露戦争後の話ですよね。
日本日露戦争が行われて大正時代の話なんですけれども、
結構この中で日露戦争ってちょっとアメリカが最終的に朝廷介入して、
無理やり終わらせたみたいな側面がちょっとある戦争なんですね。
実際そうは言っても、
日本側もアメリカ側もそれ以上戦争を続けたくないみたいなこととかもあったりしたんで、
結局は多分継続は難しかったんだと思うんですけど、
ただその中で結構民衆レベルでアメリカへの反米感情が結構広まってた時代でもあるというところだったみたいで、
その時にヘボンっていう銀行家の人たちが提案して、
東京大学、東京帝国大学ですけど当時は、
のところにアメリカ史の研究の講座を開催したっていうのが、
アメリカ史研究の始まりだというふうに中野さんは書いてます。
ただこの大正デモクラシーっていうのが流行った時代がだんだん終わっていく時期でもあって、
もう少し経つともう第一次世界大戦が始まってくる時代でもあるので、
このアメリカを学ぶっていうこと自体が、
実は日本の中では全然中心的なことではなかったと。
今多分状況が変わっていて、
今アメリカって多分日本にとって一番大事な国みたいなことで、
だいたい共有されると思うんですけど、
当時にしてみれば、どっちかというとイギリスの方が大事な国ですから、日英同盟を開催してますので。
アメリカはむしろ、当時のアメリカと日本はどっちも中国に進出したい国家なんですね。
中国の方にどんどん権力を持っておきたいっていうところで、
どっちかというと競合するライバルなんですよ。
そういうこともあって、結構アメリカ史の研究っていうのは、
なかなか今2ページ目の一番上の方というか、
その太字のところで書いてありますけど、
アメリカ史研究は暴流の学問として茨の道を歩まなければならなかったっていうのが、
結構最初の始まりだったというふうに書いてます。
しかもこの後は第一次世界大戦を経て、
さらにその後大恐慌も経て、
当時の日本では昭和恐慌が行われ、
その中で最終的に第二次世界大戦にも進んでいくような時代状況になるわけです。
次の丸のところで立教大学アメリカ研究所の発足が1939年。
やっぱりもう微妙な年号ですよね。
もうほとんど第二次世界大戦に突っ込みますよっていう時代の話になってくるので、
しかも当時日本としては、
アジアの中で日本帝国を開いて、
領土的に日本的な思想で東アジアっていうのをどんどん開拓していきたい時代でもあるので、
それに対してアメリカの自由主義であるとか、
民主主義っていったものが基本的には否定される国家体制であると、
そういう状況の中でこの立教大学のアメリカ研究所は思想課題としてアメリカを受け止めるという意味で、
勇気ある良心的な選択であったというふうに説明してます。
立教大学って今でもやっぱりアメリカ史研究はちゃんとやってるところで、
僕の指導教授だった松原博之さんも立教大学で教えてるんですけど、
ただアメリカ史っていう感じなんですが、歴史学の中には入ってないんですよ。
文学の方の学部があって文学部、その中のアメリカ史みたいな感じで今立教大学ではあるので、
結局そこまでメジャーじゃないんで、そんなには。
だからアメリカ史って結構、このアメリカと日本の関係を考えたら、
すごい一大学問くらいであってもいいくらいかもしれないんですけど、実際そんなメジャーではない学問なんですよ。
そのあたりのことを結構ずっと追っかけてくるとよくわかっていて、
立教大学のアメリカ研究所の発足が1939年、戦争を経て中谷健一さんがアメリカ史研究入門っていう
アメリカ史の初めての解説書を1952年に出版するんですけど、
そのまま率直に書いてあるのが、我が国におけるアメリカ史の研究の日はまだ浅く、
ヨーロッパ史の研究と比較してみても、その研究成果は遠くこれに及ばないありさまって書いてあって、
全然アメリカ史っていうのはやっぱり進んでない時代なんですね。
ヨーロッパ史の方がやっぱりメジャーです。
で、その中で、こうだんだんアメリカ史を、というかアメリカを取り巻く日本の環境も次の段階になるとちょっと変わっていると。
清水智久さんとか高橋昭さんとか富田さんとかが書いたアメリカ史研究入門が1974年に出版されるんですけど、
そこでは筆者たちが帝国主義の打倒に向けての日米民衆の協力強化を望んでいることを宣言という風に書いてあって、
なんかもうアメリカ史研究入門みたいな話なのに、中身で一番やりたいのが打倒帝国みたいな話なんですよ。
これはもちろん安保闘争が当時やっぱり時代としてはあって、もう反米でやるっていうのがもう民衆的にもなっているところでもあって、
しかも日本としてはやっぱり憲法第9条がある中で自衛隊が発足し、朝鮮戦争にも自衛隊が支援に行くっていうか輸送任務だけですけど、
そういうところにもあったりもしたので、非常に当時その中でアメリカがベトナム戦争にはまり込んでいく事態っていうものを見たると、
やっぱりアメリカ史の研究者も心が大変元気になって、打倒アメリカ帝国みたいになってくるわけですね。
でもこれはすごい中野さんは、そういった意味ではめちゃめちゃこのちょっと色がついているアメリカ史研究入門ではあるんですが、
その中で一本筋の通った本みたいなところではあるんですね。少なくともそのぼやっとはしてないというか、
まあ主張強すぎるみたいなところはあるんですけど、それでもやっぱり、その中でやはり内容が充実してるし、
アメリカの歴史をどういう風に見るかっていうところで、アメリカという国が植民地支配をしてきた歴史をきちんと勉強しようっていうのが一つの軸として、
この研究入門の方には反映されてるんで、その中で一本筋の通った本みたいなところではあるんですね。
これは充実してるし、あとさっきも言いましたけど、結構アメリカ史が暴流だった時も踏まえて、
日本人のアメリカ史研究の成果ってそんなに蓄積はされてなかったんですけど、でもそれでもその先人の人たちがきちんと一応頑張って暴流ながら、
アメリカ史を研究していった歴史の蓄積をちゃんと評価しながら、この研究入門を書いてるんで、そういった意味でも評価できるっていうようなことを中野さんは書いてます。
で、またちょっと時代が飛んで次の丸になるんですけど、次有賀さんとか紀平さん、あとユイ、これは大雑魚だったかな、ちょっと読み方忘れましたけど、
ユイさんが書いたアメリカ史研究入門が2009年に出版されて、これは一応僕も読みました。
アメリカ史の勉強をしてるときが、ほぼ記憶に残ってない感じの本です。
で、それの時には僕がそんなにアメリカ史のこと興味ないからかもしれないなって思ってたんですけど、でも中野さんがやっぱりこの本ちょっとイマイチだよねっていうことも書いてあったんで、僕だけの意見ではなかったかもしれないです。
で、実際にちょっとだんだんぼやっとしてる感じになるんですよ。
これで引用で書いてるんですけど、この2009年のアメリカ史研究入門の中では、今なぜアメリカ史を学ぶのかと問い、その答えは、それを発する人が属する時代階層、思想的立場、性別、世代などによって異なるだろうと述べると。
あんまり何も言ってないに等しいようなことを言ってるわけですよね。
そのアメリカ史を何で学ぶのですかって聞いた時に、いやそれ人それぞれ違いますから。
これは答えになってないんですね。
でもそういうことをやっぱりこの2009年には書いてるっていうのは、もうアメリカと向き合う姿勢そのものが多分変わってきたっていうことだと言えると思うんですよね。
やっぱりこれは最初にアメリカの中野さんのところで引用したもので、日本というネーション、国家を背負った歴史学っていう立場性を意識して発信される独自の視点が後退したことは明らかであるって結構辛くして書いてあるんですけど。
つまり今までやっぱりこう日本にとってのアメリカってどういう国ですかっていうこういう問題が常にあったわけですよ。
で、その中でアメリカ史を学ぶ意義とかアメリカ史学というかアメリカという国が掲げる自由主義であったり民主主義の理念を日本という国家を背負ってる日本人がどういうふうに理解できるんだろうかっていうのがすごく強烈な問いとしてあったはずなんですね。
でもそれが結局どんどん失っていって、アメリカ史を勉強するのは人それぞれ理由がありますよねっていうことで落ち着いてると、まあそういうことは確かに独自の視点という意味では後退していったと言えるかなというふうに思います。
で、中野さんがその後一応書いてるんですけど、歴史学っていうのは政治学や文学以上に近代国民国家の枠組みから自由になりにくい研究分野であるというふうに書いてます。
で、例えばなんですけど、さっきあの何て言うんだろう、さなえさんがちょっと面白いなと思ったんですけど、集落史ってあるのかっていう話をしてたじゃないですか。あの長史ではなくてね。長史ではなくて集落史があるのかっていう。でもこれは確かにそう思うんですよ。長史っていうのは一つの自治体の歴史じゃないですか。だからタダミ長史はありますよね。
で三島長史もある。柳戸長史もある。昭和尊史もある。でもじゃあ集落史って今まであったのかっていうと、これはかなり限定されている。まあさっきひろあきさんが沖縄の阿佐市みたいなのがあるっていう話はしましたけど、あれは日本という国の中ではかなり例外的なあの集落史の取り組みだと思います。
まあそういう感じで、こう自治体っていうものに基本的に我々は縛られた中で、ここまではタダミ長史、ここまでは三島長史みたいな捉え方をしてると思うんですよ。で同じようにアメリカ史っていう発想もするし、日本史っていう発想もするし、一応この縛りの中でやってるっていうところがあるんですね。
まあでもこの縛りっていうのは、実際別に絶対の縛りとかでは全くなくて、ただ歴史学とかをやる上ではどうしてもこういう縛りが強く規制される中で研究のようなことを行っているという言い方は確かにできると思います。でちょっと裏の方で3ページ目に行くんですけど。
結構中野さんが書いてるのは、アメリカを語る方法として歴史学を選ぶのではなく、歴史学を語る方法としてアメリカを選ぶ、あるいは自分の研究の中でアメリカを対象ではなく部品として扱うっていう方がまあ戦略的に考えた方がいいんじゃないかっていうことを書いてます。
まあ結構難しい感じもするんですけど、なんかアメリカ自体を対象にするとってやっぱ難しいんですよ。漠然としすぎてるし巨大すぎるし。
そうするとアメリカ史っていうものをただ漠然とやるだけでは、例えばそれはもう建国から始まって今の時代に移るある種の通史っていうか、始めと終わりがもうはっきりしているようなものを書くしかなくなるのかもしれないんですけど、
それって多分5人中4人くらいは同じようなこと書くんですね。そういうふうになると。だいたい取り上げるトピックも決まってくるんですよ。でまあそれも一つあるっていうのはまあいいんですけど、でもそうじゃなくて、僕も今回そのアメリカ史を読むときにどういう視点で読みたいかっていうとやっぱ共同体史でして読みたいんですね。
どうやって共同体っていうものが形成され維持され、あるいはその時何かの問題を抱えてもとりあえずまとまっていけるかっていう。こういう発想でちょっとやっぱアメリカ史を読んでいきたいっていうのは中野さんのこのあたりの発言もちょっと踏まえての考えです。
で、ちょっとこの後、私たちの内なるアメリカという無意識でアメリカを考える前提というところで、吉見春也さんという人がいるんですけど、この人は今多分東大の名誉教授あたりをやってる人です。
で、この本の著者で、新米と反米、戦後日本の政治的無意識という本を書いてるんですが、この人めちゃめちゃ多作な人でして、一人で5人分くらいの研究をやってる人なんですよ。ものすごい研究の蓄積を一人でぶわーっとやっちゃった人で、仕事しすぎだと思うくらいやってしまってる人なんですけど。
で、この人の冒頭のところで結構面白いことが書いてあって、世界の中で日本がどれくらいアメリカを好きかっていうのは、はっきり言って異常なくらい好きだっていうことが書いてあるんです。
で、これはちょっと、それをちょっと見るために引っ張ってきたグラフなんですけど、これ日本の中で米中間の諸国に対して親しみを感じる人の割合の推移っていうのを、これ内閣府の外交に関する世論調査っていうところから引っ張ってきたデータらしいんですけど、一番上のものすごい高いこの線がアメリカです、米国なので。
これすごいですよね。1978年のデータから2024年までですよ。もうほぼ70%以下ってないんですよ。
日本人の70%以上がアメリカ好きって言ってるっていう。
こうなりますよね。
これすごい見ていて、僕はなんか笑っちゃうくらい面白いグラフだなと思ったんですけど。
確かに。
そうですよね。
でもそうなると、なんでアメリカにそもそも親しみを感じるのっていう問いは出るんですよ。
ただ一つやっぱり、それはなぜなのかっていうのはこの問い、この本の一番の問いなんですね。
なんでこんなに無意識に言うっていうか、我々はよくわからんけど、こんなにアメリカのこと好きなのっていうことを解き明かそうとした本なんですね。
それは結構でも面白いことが書いてある。
ただやっぱりこれは日本独自なんですよ。こんだけアメリカ好きっていうのは。
例えばお隣の韓国がアメリカをどれくらい好意的に思っているのかっていうのだと、この本によりますけど、だいたい平均50%くらいらしいです。
日本も韓国もやっぱりアメリカの米軍基地がある国で、非常にアメリカの影響が大きく、どちらもアメリカを無視できない国なんですね。
それは明らかにそうで、多分韓国にとっても一番は多分北朝鮮がやっぱりどうしても重要な国になってくるし、
たぶん2番目にアメリカが来るのか中国が来るのかあれなんですけど、ただ韓国の人たちでも50%くらい程度の中で、日本人がアメリカ大好きってこうなってる。
だからそういう国へのこの親しみを感じなさと、やっぱり関係があるっていうことで、つまりアジアとの関係を忘却しつつ、アメリカっていうものを好きになっていったんだっていうのがこの本の主張でもあります。
でも確かによく考えてみると第一次世界大戦以前ってどう考えても中国とか韓国とか、まあその当時は朝鮮になりますけど、もう日本にとって死活問題レベルで重要な国家というかそもそも植民地支配してますので、日本人の延長に朝鮮人がいて各満州国といったものがあって、当然中国とは戦争をしてると。
いう時代状況なわけです。で、もちろんこれは朝鮮だとか中国だけではなくて、東南アジアの方にも植民地支配をしているんで、あっちの国への意識もすごく高いんですよ。当時の日本人っていうのは。
僕この話が好きでよくするんですけど、皆さんグリコのお菓子わかりますよね。こうやってる。あれのこうやってる人って何人かわかります?そうなんですよ。多分僕も同じ話したかもしれないですけど、あれはフィリピン人の方なんです。日本人じゃないんです。
あれはすいません、これ僕が間違ってたらめっちゃ恥ずかしいんですけど、でもあれは日本が国際連盟を脱退した後で、もう国連に加入してないんでオリンピック出られないんですね。このオリンピックに出られないからアジア版オリンピックを開催しようと日本が戦時中にやるんですね。
その時にフィリピンの方で名前忘れちゃったんですけど、めちゃめちゃ足の速い選手がいて、その人がゴールする時のこのポーズがこのグリコのポーズらしいっていうのを何かで聞いたんですけど。
でもこれもやっぱりトリビアっちゃトリビアなんですけど、でも多分我々はそのグリコの意味を多分理解できないと思うんですよ。その関係性をもう忘却してしまってるので。
なんで日本のお菓子にフィリピン人写ってるんだぐらいの話になっちゃうじゃないですか。ということで、やっぱり我々がこのアメリカに向ける意識っていうのは逆に他の国家に向けてない、他の国家を忘れていく過程でもあるっていうことは多分言えるというふうにこの吉見春也さんは書いてると。
ちなみにフィリピンの今の事例、グリコの話は僕が勝手にしてる事例なんですけど。結構そうやってアメリカという意識がどんどん日本の中では切っても切り離せないというか、歴史的にそういうものは持ってるっていうところで。
4ページの上のところなんですけど。これ1929年に出された本で、僕ちょっと読んでないんで申し訳ないんですが、室伏さんがアメリカっていう本を書いてるらしいんですね。この中で1929年の段階ですよ。まだつまり第二次世界大戦前ですね。
第二次世界大戦は起きてますけど、その中でもうすでにこの時点で今やアメリカでない日本がどこにあるか。アメリカを離れて日本が存在するか。アメリカ的でない生活が我々のどこに残ってるのかって書いていて。なんかその強烈ですよね。
なんかもう、僕これを現代で言うならちょっとわかるんです。現代の今の我々の生活が例えばGoogleだとかAmazonとか抜きにして書かれないように、これを1929年の段階でもう言ってると。
大正時代ですね、これはね。もうなんかもうその時点で、え?っていう感じくらいのあれなんですけど、ちょっともうなかなか歴史、100年前の人間も同じこと考えてる。100年前の日本人も大抵アメリカだって言ってる。
なんかやっぱこれは僕もちょっと見た時に面白かったね。こんなこと言う人いるのって思いました。
でもこの時はやっぱりそのアメリカの文明っていうのがやっぱりすごいクローズアップされていて、やっぱりそのよく言われてたのがアメリカのその物質主義の文明。
この時点でもうアメリカのフォード車、例えば車とかはもうすごい世界中でずれ回ってくるようになってきますし、やっぱそのやっぱアメリカの何て言うんですかね。こう開発したもの、自動車産業とかもそうなんですが、そういったものを結構抜きにして。
例えば電球とかもそうですよね。今エディソンとおっしゃいましたけど、そういうものとかも無しで、確かにそういったもの全く関係せずに都市生活を送っている国家って多分ほぼなかった。当時として。
さらに言うと、次の引用のところで、外活するなら近代日本の人々にとってアメリカとはモダニティそのものだったように思われる。
これモダニティってモダンガールとかのモダンですよ。近代とか現代性っていう意味でのモダニティなんですけど、やっぱりガーを見るっていうのはものすごい日本人流行りましたから。
そうなんですよ。アメリカ、モガと呼ばれた女性もいて、モダンガールの略称のモガですね。
そうなんですよ。だから日本にとってアメリカっていうのはやっぱり物質文明というか文化的な象徴として出てくる。
しかもその物質生活の文化っていうのは人々の生活にそもそも溶け込むようにして入ってくる。
当然だって普段の生活において電球を使うわけで、車の移動もあるわけで、ファッションもそうですし。
そういった中で次の引用のところが、これがやっぱりその一つ、この1960年代の頃のことの話をするんですけど、
もうそれまでにやっぱりそのアメリカを、スキーっていう土台はもうほぼまんべんなく出来上がっていったっていう書き方をしているのが次の引用なんですけど、
すなわち一方で60年代初頭まで全盛を極めた外国製テレビドラマは占領期にブロンディーが描き出していた家庭映像を引き継ぎ浸透させていた。
しかし多方テレビという装置はそれ自体、三種の人気の一つとして、戦後の住まいの中心に入り込んでくる過程でアメリカニズムの強力な触媒となってもいた。
テレビだけでなく家電を巡る大衆的イメージにはアメリカンな生活の追求とナショナルな主体の構築が表裏をなして示されていた。
ここではアメリカを追い求めることが主婦イコール奥様としてのあるいは技術者としてのナショナルな戦後的主体を立ち上げることでもあるという党式が成立していた。
ちょっとよくわかんない難しい文章でもあるんですけど。
ここのところで言いたいのは、つまり第二次世界大戦後、日本が敗戦を迎えた中でめちゃめちゃ米軍基地の街っていうのは日本のあちこちでできてくるんですね。
当然アメリカが統治してますから、当時は日本円は、日本円があったんだけどB円だったかな。
なんか通貨だってちょっと怪しくなるくらいの話であって。
で、アメリカの米軍基地がそのまま日本軍が持っていた基地とかいろんなものを接種していって、もしくはあるいは大企業のビルとかを接種していってアメリカ人の住まいになってくると。
で、その時日本だとこの話でも三種の神器ってことで、ちょっとその後でですけど、もう三種の神器言える方いらっしゃいますか。
歴史の教科書とかの本で何か習いません?
テレビと洗濯機。
で、その後3Cのこの次のやつが来て、クーラーとカラーテレビとみたいな感じの。
で、とにかくでもめちゃめちゃその三種の神器って言われるくらいにテレビとかが普及していったっていう。
で、その時に主婦というか家庭にいた女性がすごい楽しみにしてたのが、この出てくるブロンディーっていうドラマ。
まあホームドラマなんですよ。これアメリカのホームドラマ。
で、なんだっけ。奥様は魔女とかの感じ。
でもあれめちゃめちゃ視聴率が良かったんですよ。
視聴率も良かったし、なんでそこまで惹かれてたのかっていうことの一つに、当時の日本は逆に戦後のやけの腹状態ですから。
これからもう全然物資がない中で、あのアメリカのドラマが持っていた役割というか、それに惹きつけられていく日本人の感情っていうのはものすごく大きかったっていう風にこの本では書いてあって。
本当に憧れのアメリカそのものなんですね。
憧れのハワイであり憧れのアメリカであり、ハネムーンはどこでみたいな。
ここでちょっと不思議な戦闘が起きるっていう風に、この文章では示されていて、つまりアメリカ的なものがすごい求められてるわけじゃないですか。
アメリカの文化、アメリカの文明というものを求めていて、でもじゃあその今度アメリカ的なものが手に入ったと思ったら、逆にそれが日本的なものとして認識されていくようになっていくっていう、こういう伝統をここで文章ではちょっと示してるんですね。
で、これの意味が少し伝わるかわかんないんですけど、下のこのちょっと画像を引っ張ってみたんです。
これもこの本の中にある画像なんですけど、松下電機ってナショナルですよね、パナソニックのやつで、この広告の画像をちょっと見てもらいたいんですけど、僕めちゃめちゃなんか不思議なやつだなと思ったんですよ。
これは僕がやっぱりすごいアメリカ的な国家的なものと日本の国家的なものが奇妙に結びついてしまっている画像だと思ってるんですね。まずこの右の第25条っていうのは憲法第25条です。
生存権の話。健康で文化的な生活とは何ぞやっていうことで、このナショナルがパナソニックが出してるやつが、これが完全にアメリカ生活なんですよ。
この中には冷蔵庫があって、洗濯機があって、テレビがあって、奥様はアフタヌーンティー的なものを今入れようとしててみたいな。この感じで、つまり健康で文化的な生活っていったときに、これは日本国憲法の中に入ってる憲法じゃないですか。
当然日本的なものを示してるはずなんです。でもその中身で、この文化的なものが何を意味するかって言ったらアメリカ的なものなんですよ。しかもこれが僕、さらにこのナショナルっていうね。ナショナルって国家のって意味ですから。どこの国家を指してるのかみたいな感じになるんですけど。
なんかそういう中で、ちょっとその上の文章の難しさっていうのが、これ多分表現するのがすごく難しかったからちょっと難しい文章になってると思ってるんですけど。でも確かにこの下の画像のところ、第25条の画像って表現するの難しいんですよ。これがじゃあ日本的なものなの?アメリカ的なものなの?って聞いたときに何とも言えなくなると僕は思います。
僕はちょっとそれは説明できないくらい。でも1960年代までにはもうこれが普通のものとして受け入れられていくと。この中で多分アメリカ的なものとか日本的なものっていう意識はだんだん薄れていったんだと思うんです。
これはもう中身をよく見るともちろん個別のことで言うとアメリカ的なものがあったり日本的なものがあったりするかもしれないですけど、それが結局この画像みたいに一つの中に同居してると。しかもそれを我々は疑いようもなく、これを見ればナショナルの家電製品が売れると思ってこれを出すわけですから。
ということになってるっていうことなんですよね。で、こうなってきたときにもちろん今まで日本がどれだけアメリカを好きかっていう話をしたんですけど、既に好きだったわけではないんです。
さっきの安保闘争の時とかに一回その好きの感情がちょっと下に下がってる時期とかがあるんですけど、前のページのグラフ戻ってもらうとちょっとあれですよね。こっちの中でジグザグがあるじゃないですか。
で、67.5っていうところを示している左からのところだとこれが1986年のあたりとかにもなってたりして、しかもこの前はさらにもっと反米感情っていうのもそれなりにあったんです。
一つの理由としてはビキニワンの水爆実験の問題もあって、あれは1955年くらいの話だったと思うんですけど、大獄龍丸の事件。ちなみに初代ゴジラはあれをモチーフにしてます。
あそこで水爆の実験を行ったので、太古の生き物であるゴジラが活動するようになったっていうのがゴジラの話なので、あの時にやっぱり反米感情も高まってましたし。
あと、アメリカ軍基地が各所に出てくることを全部の日本人がいいダクダクと受け入れてたわけでもなくて、一つ、佐川闘争っていうのはすごく反基地で盛り上がった闘争でもあるんですけど、あれは立川市、今の東京の立川市あたりで起きた闘争だったんですね。
で、その時に一番反米の主体になってたのは、その場所にある農家の方たち。結局農地を接種されるのものすごく嫌がったんですよ。そんなの当然なんですけど、今まで先祖代々で耕してきた土地を結局米軍基地の飛行場を作ったりするのに接種させろと。
こういうのでものすごい反米闘争とかが行われたりもしたんですね。だから、この本は新米と反米というタイトルなんですけど、常にずっと新米だったわけではもちろんないっていうことはちゃんと書いてあって、反米の要素もあったというところもちゃんと書いてあるんです。
そうなんです。でもそれが結局70%になっていくっていうのは、もう我々は新米とか反米とかの意識がほぼない。結局新米一辺倒になっていくっていうところなんですね。
だからちょっとこの画像の下のところで書いたのが、70年代半ば以降、このプロセスのいわば臨界面で、新米と反米という対抗自体が人々の意識に浮上しなくなっていく時代が来ると。
当然、反米運動をしている人たちの自宅にも冷蔵庫やらテレビやらがあるわけですよ。そこではもうブロンディやら、奥様は魔女やらを見てるわけですよ。
で、なってきた時に、もう新米的なものと反米的なものっていうのがほとんど浮かび上がらないくらい人々の生活の中にアメリカ的なものが流入していって、それがもう完全に定着していっているのが、もう70年代以降っていうふうな話なんですね。
で、こうなってくると、あとはもう理由もなくアメリカ大好きっていうふうになっていくっていうのが、このグラフの1978年以降の話。で、その時に、僕もちょっとこれもまだ読んでないんですけど、限りなく透明に近いブルーって、あの芥川賞取ったやつが多分出版されたの70年代の終わりくらいだと思ったんですけど、
あれと同じくらい争った小説で、なんとなくクリスタルっていう本、あれもものすごい人気で流行ったやつだったんですけど、つまり、で、あの時にその文学としての評価っていうので、あの文学書の名前忘れちゃったんですけど、限りなく透明に近いブルーっていう村上隆の作品と、このなんとなくクリスタルのやつが、
こう比較されてた時に、どっちが日本の、そのアメリカとの向き合い方に合ってるのかっていう発想だったんですね。その評価の軸の時に、村上隆が書いたのは、基地の街に住む若者の話で、それが限りなく透明に近いブルーっていう。で、この時の評価が、
結局限りなく透明に近いんだけど、ブルーはあるっていう。で、これはちゃんとアメリカ的なものとか日本的なものとかっていう、最後のブルーは残ってるっていうふうに読み取られてしまうという評価に対して、なんとなくクリスタルは本当もうそういうことが仕分けできない。
アメリカ的なものも日本的なものも、結局クリスタルとして透明なものとして受け止められないっていう。だから、私はこのなんとなくクリスタルの方を評価するっていうふうに評価してた文学者の人がいたんですけど、それがちょっとこの本の中でも紹介されていて、でもそれはもはやアメリカを明確な限界や輪郭を持った他者として想定できないと。
それは空気のように日常に浸透し事故を構成しているのだというふうに書いてあるんですね。
で、そうなってきたときに、ちょっとこの中でまとめっぽく感じになってくるんですけど、つまりアメリカっていうものは、もうもはやね、言ってしまえば1920年代の大正期の頃からもうアメリカ的なアメリカがない日本はないっていうふうに言われているところとかを踏まえた中で、やはりかなり日本の近代化というもそのものに関わっていった国家であると。
で、日本の近代化っていうことは、つまり今の日本、我々が考える日本っていうものの中にもうアメリカっていうものがずっと入り込むような形でしか我々は日本という国家を形成してこなかったっていう言い方ができると思うんですね。
で、そうなってくると、我々がアメリカ的なものと思っていることは日本的なものの一部であったり、逆に日本的なものだと考えているものの一部はもうアメリカ的なものだったり、そういう区分けがつかない、こういう無意識レベルでも我々は結局アメリカ的なものをよくわからんけど、アメリカ的なものが日本的なものだったりもして、もうとりあえず大好き。
70%以上の人が大好きっていう感じになってしまうと。