埼玉県しりたがりラジオ『サイタマニアクス』
#36「真福寺貝塚ってなんで国指定史跡になってるの?」
スピーカー:こけ お相手:うおのめ さん
さいたま市にひっそりと佇む「真福寺貝塚」。
国指定史跡になってるのですが、貝塚がなんで国指定史跡になってるの?
そんな謎を歴史ガチ勢・うおのめさんにガチ解説してもらいました!
▼考古学史的にも重要な場所だった!
▼貝塚を辿れば昔の海の様子がわかる
▼みんなも現地説明会に乗りこもう!
この番組は「埼玉県」というコンテンツを様々な角度からいじり倒して、おもちゃにして楽しんでみようというコンセプトでお届けするラジオです。
埼玉県に馴染みのある方もそうでない方も、この番組を通して埼玉県だけでなく、身近な場所について考えてもらうきっかけになればいいなと思っています。
■番組についてのご意見・ご感想・コメントなどは是非下記フォームからお寄せください。 https://forms.gle/a6oCJfuuFUQ8vCYy9
サマリー
真福寺貝塚は埼玉市にある縄文時代の重要な遺跡で、1975年に国指定史跡として認定されている。環境データを含む貝塚や村の跡がしっかりと残っており、発掘前から知られている歴史的価値がある。真福寺貝塚は、発掘調査を通じて縄文時代の村の構造や土器の進化に関する理解が深まる重要な遺跡である。この遺跡は国指定の史跡として、その価値が認められ、考古学における新たな発見をもたらしている。毎年の発掘調査によって新しい情報が公開され、縄文時代の土器や道具の発見を通じて、当時の生活や文化への理解がさらに深まっている。
真福寺貝塚の概要
埼玉県しりたがりラジオ『サイタマニアクス』、スピーカーのこけです。
本日はこの方をお呼びしております。
歴史大好き、宇尾のめです。
宇尾のめさん、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
前回に引き続き、宇尾のめさんに登場していただきました。ありがとうございます。
よろしくお願いします。
宇尾のめさん、ちょっとご相談があるんですけども。
何でしょう。
私、いろいろ埼玉のことをちょこちょこと調べているんですけれども。
そうするとですね、結構調べていく中で、国指定史跡っていうんですかね。
重要な場所だよ、ものだよっていったところがちょこちょこ出てくるわけですよ。
ありますね。
ただ、これってなんでその指定になってるんだろうっていうのが、ちょっとわからないものが出てきまして。
なるほど。
もしかしたら、宇尾のめさんだったらわかるかなと思ってお聞きするんですが。
はいはい。
新福寺海図家って何なんじゃろうっていうところですね。
新福寺海図家。
はい。
あの岩月の。
そうですそうです。
はいはいはいはいはいはい。
ただ、そう、新福寺海図がこれが、なんでそんな国の史跡に指定されているのかっていったところもあんまりピンとこないというか。
ありますし。
なるほど。
何がそんなにすごいんだろうっていうのはちょっと気になってるんですけど。
渋いところついてきましたね。
渋いんすかね、やっぱりね。
渋いですね。
それもね、あんまりよくわかってないんですよね。
そう、決して新福寺海図家といって、決して新福寺時代とか、新福寺時とか、そういう名前があるわけではなくて。
あーなるほど。
普通に、普通の縄文時代の遺跡なんですよね。
なるほどね。
なのに、国がちゃんとここは史跡ですよ。国が指定するべき遺跡ですよっていう風に指定したのにはちょっとまあ訳があるんですよと。
おーはいはいはい。
話をじゃあ今日は。
ありがとうございます。
はい、ぜひよろしくお願いします。
はい、じゃあよろしくお願いしまーす。
はい。
ということでですね、新福寺海図家っていうのは、岩敷にある縄文時代の遺跡の名前ですね。
はい、埼玉市岩敷区ですね。
国指定史跡の理由
そうですね、今は埼玉市岩敷区になりましたから。
ところが、縄文時代の遺跡って、ほらあの山内丸山遺跡とか。
あーはいはい。
まあいろんな遺跡があるんですけれども。
そうですね。
埼玉県内にも他にもいっぱいあるんですよ。
あーなるほど、はい。
例えばあの埼玉市内だけでも、えーそうだな、黒屋多端前とか。
えー。
はい。
これも岩敷の遺跡ですね。
あーそうなんだ。
えー。
あるいはあの裏側の方にある万馬尾室山とか。
おーはい。
あるいは大宮の川神社。
はいはい。
あそこも神社の本殿の裏手の方が遺跡なんです。
縄文時代の遺跡なんですね。
あーそうなんだ。
へー。
だからちょいちょい点々とそういう縄文時代の遺跡っていうのはあるんだけれども。
ところが新福寺貝塚はちゃんと国の指定の遺跡にする価値があるよ。
うーん。
っていうのはまあいくつか理由があるんですけれども。
はいはいはい。
えーまあ国指定の史跡になったのが昭和50年。
今1975年今から50年ぐらい前ですね。
なるほど。はい。
その当時では新福寺貝塚ぐらいしか。
うん。
はっきりとここが縄文時代の遺跡だねって言えるところがなかった。
マジで?
で、しかも。
そうなんだ。
あそこはその縄文時代の終わりの方。
縄文時代の後期とか晩期とか。
ふんふんふんふん。
もう貝塚とそれから村の跡が。
うーん。
どうやらあそこは丸ごと残ってるらしいぞっていうのが。
へー。
はっきり分かるんですね。
結構規模的にも大きいってこと?
大きいし。
うん。
家とか畑とかで破壊されてない。
おーはいはいはい。
濃いぞっていうのが発掘調査によって分かってきたので。
うーん。
じゃあこれはちゃんと史跡に指定しようってことになったんですね。
はーなるほどね。
発掘の歴史
で。
うん。
ここからが面白いのが。
はい。
新福寺貝塚なんでそれを発掘するに至ったんですかっていうことで。
あーなるほどはい。
うん。
まずその指定する前に遺跡の発掘をしなくちゃいけないわけだけれども。
そうです。
発掘をするに至ったまでのことなんだけれども。
はい。
まずね、あそこに遺跡がどうやらあるぞっていうのは。
うん。
実はどうやら明治時代とか。
へー。
あるいはひょっとしたら江戸時代ぐらいからもう知られてたみたいなんですね。
やっぱり何か貝が出てくるぞみたいなことなんですか。
そうそうそう。貝が出てきたり、この中に何か変な石器がちょっとおかしな形の石が。
あーなるほど。
ほいほいほい。
っていうのがあったんですね。
うーん、なるほどね。
ちょうど江戸時代の終わりから明治時代ぐらいにかけて。
うん。
あのー発掘趣味っていうのが有効するんです。
発掘趣味。
そう。どうやら我々の国にも大昔に何かこういう変な形の土器を使ってた人たちがいたらしいぞっていうのが分かってきて。
なるほど。
変な形の土器を集めてみようよっていうのが有効した時期があったんです。
へー、なるほどね。
それをただただ集めるのが趣味の人たちがいる一方で、これどうやら本当に本当に全部こう集めてみたら、
こういう土器が日常的に使っているものの形を集めて、それがどういう風に変わっていくのかっていうのを並べてみることで、
はいはい。
時代の物差しができるんじゃないかっていう風に考えた人たちがいるんですね。
あーなるほどね、はい。
例えば今だったらさ、携帯電話の破片をずらーっと並べてみたときに、
あ、これはまたカメラがちっちゃいなとか。
あーなるほどね。
これはカメラが3つ三角形に並んでいるから新しいやつだなとか。
うん、はいはいはい。
今、携帯電話を我々日常的に使っているからそれ分かるわけじゃない?
そうですね、うん。
ところがそれと同じようなことが土器でもできるんじゃないかなって。
へー。
そういう風に考えた人たちがいたんですね。
なるほど、はい。
で、そういうことを考えた時に、じゃあそういうのがちゃんと出るようなところで資料を集めてみようよ。
うんうんうん。
そういうところで選ばれたのが、どうやら何かいろいろそういうものが出るらしいぞって言われてた新福寺貝塚。
へー、あ、そうなんだ。
その一つとして選ばれたんですね。
あ、いくつかある点のうちの一つみたいなイメージ。
あーそうそうそうそう。
あーなるほどね。
で、江戸時代明治時代から何かそういうものが出るっぽいぞって言われた中で、
最初15年に新福寺貝塚は一番最初の発掘が行われます。
うーん。
で、この時にね、いくつか発掘やるぞーってなった時に、いくつかこのやりたいことを整理して発掘をしたんだけれども、
はい。
これが実は3つやりたいことがあったって言われてます。
なるほど、はい。
まず一個がさっき言った、土器の資料をきちんとした資料を集めて、
それが一体どういう風に物理化わっていくのかっていうデータとして使えるものを集めよう。
なるほど、はい。
っていうのが一つ。
うん。
もう一つは、えーとそうだな、縄文時代、今と海岸線が違ったよって話聞いたことありません?
あーなんだっけ、縄文開信?
そうそれそれそれ。
開信、更新はそんな感じの話がありますよね。
縄文時代は今よりも海の面がちょっと高くて、
うんうんうん。
ずいぶん内陸の方に海岸があったよっていう。
うんうん、はい。
っていうのはその当時にも仮説としてあって、
だとすればよ、
はい。
金服寺貝塚、要は貝がいっぱいあるとかですね。
そうですね。
ってことは貝の種類を調べれば、
うん。
それが川に住んでる貝なのか、それとも海に住んでる貝なのか、
なるほど。
それの比率とかを調べていけば、そこが今縄文時代に川の浅瀬だったのか、
それとも川と海が混ざり合うような浅瀬だったのか、あるいは完全に海だったのか。
なるほどね。
そういうデータをあっちこっちでも同じようにやっていけば、海岸線って復元できるんじゃない?
あー確かに。
っていうことが考えたんですね。
うんうんうん。
それがもう一つ。
うんうん。
これに加えてさらに、
うん。
えーとその当時、遺跡の発掘っていうものをやった事例ってそんなになくて、
へー、ないと。
なかった。
でもただ理論的には、
うん。
やっぱりこう、土って古いものがだんだん積み重なっていくから、
うん。
遺跡の重要性
やっぱりその土と同じで、新しいものが上の方にあって、
うん。
古いものが下の方にあるんじゃないの?
はいはいはい。
っていう仮説があったわけですね。
うん、なるほど。
うん。
それを、地層的な、
うん。
火山灰みたいな、1万年前の火山灰です、2000年前の火山灰です、100年前の火山灰ですみたいな、
はいはい。
そういうスケールのデカい話じゃなくて、
うんうんうん。
数百年単位ぐらいの、ちょっとスケール短い中で、
あー。
古い土器が下の方にあって、
なるほど。
それよりもちょっとだけ新しい土器がちょっとだけ上の方にあって、
うんうんうん。
みたいなことが、確認できるんじゃないの?
はー。
ということでやってみようよ。
なるほど。
これが3つ目の目的だったんですね。
はいはいはい。
で、ま、あのー、新福寺貝塚だけじゃなくて、他にも10カ所ぐらい、
うんうんうん。
その時に、発掘をやって、解消15年。
なるほど。
で、それの成果として、
今言ってた3つのことが、どうやら確かに立証できるっぽいぞ。
へー。
で、それがうまいこと、あのー、資料として、まとまった資料として確認できたのが新福寺貝塚だったと。
なるほどねー。
ということが時代を下るにつなって、分かるようになってきたわけですね。
うーん、なるほど。
じゃあ、あれですか、その新福寺貝塚以外にも、
その同じ大正15年とかに、その標本点として選ばれた貝塚っていうんですかね、遺跡みたいなものは、
結構まとめて国指定の史跡になってたりとかするんですかね。
他には実はそんなにはなってない。
あ、そうなんだ。
へー。
ま、多分、笠利貝塚とかそれ、同じぐらいの時期ですか。
発掘調査の成果
えーとね、新福寺もそうだし、
えーと、えーと、深策とか、
あ、深策?ほうほうほう。
浮屋とか。
あ、浮屋ね。
いろんな、その地点が候補にして、その当時上げられているんだけれども、
うーん。
あんまりヒットしなかったところもあったみたいで。
あ、そういうことなんだ。なるほど。
そうそうそう。
うーん。
一番大当たりで、その大正18年の計画されていた10箇所の貝塚の中では、新福寺が一番大当たりだった。
あー、そういうことなんだ。はい。
みたいですね。
なるほどね。へー。
で、大正10年、15年からやってるんだけれども、
実は大正15年の資料っていうのは、空襲で焼けちゃったりなんかにして、
あら、そうだ。
うん。
ただその後も、戦後になっても、
うん。
何回か発掘調査っていうのはやってる中で、
へー。
やっぱりそういう資料がまとまってるし、まとまってるどころじゃなくって、
うん。
これはどうやら村一つが丸々、集落一つが丸々残ってるんじゃないかな。
うーん。
いうことが分かってきた。
はいはいはい。
で、もっと言うと、
はい。
村一つが丸々残ってるってどういうことかっていうと、
うんうんうん。
縄文時代のその終わり頃、後期縄文時代、後期とか晩期の村のあり方。
うん。
つまり、えーと、大地があったところに谷が這い込んでいて、
うんうんうん。
その谷の一番端っこのところを取り囲むようにぐるっと、
うん。
馬の蹄形に村が展開するよっていう。
はーはーはーはーはー。
この村の造営スタイルが明らかになった。
はー、そうなんだ。
そう。一番下の谷の頭の部分っていうのは水が湧くところだから、
うん。
そういう水の湧くところを取り囲むように村ができていくんだっていうスタイルが明らかになったっていうのが、
なるほど。
西福寺貝塚の非常に得意なところであると。
はいはいはいはい。そういうことなんだ。
うん。
やっぱりそういう取り囲むっていう形になってるってことがわかるぐらいの大きさの貝塚っていうか、
まあ遺跡っていうのがあんまりないって言ったところなんですかね。
それ自体はいろんなところにあるんだけれども、
それがかなり完全な形で残っているところっていうのがそんなにない。
そうなんですか。
逆にこれがこういう形だっていうのがわかるようになって、
国指定史跡の意義
他のところもどんどんどんどん。
あーなるほどね。
そういう形として見つかるようになっている。
そういうことか。
はー、じゃあ本当に考古学というか縄文を知るための本当に一つの起点になったところなんです。
そうそうそう。そういう学問の歴史。
実際の歴史だけじゃなくて、学問としての歴史を考える上でもとっても大事なところだねっていう価値があったので、
出来になったんですね。
えー、でも教科書ではそんなこと教えてくれてない気がするな。
だってあのほら縄文時代とか弥生時代って教科書2ページで終わるやん。
確かに。確かに確かに。
そうか。
修行最終の時代でした。
ところが米を作るようになりました。
終わりっていうさ。
あー、確かになー。
ところが実際にはその修行最終の時代でした。
その一行だけじゃなくて、いろんな植物を利用したりとか、
あるいは修行をやってるのも30年で一つの集落から別の集落に移動してましたとかさ。
へー、遅かった。
その辺の細かいことがどんどんどんどん分かるようになっていった。
その偉大一歩が新福寺改造館ぐらいになったんですね。
へー、そうなんだー。
えー、じゃあ結構すごいですね。
そういう意味では。
エポックメイキング。
結構すごい遺跡なんですよ。
はー。
全然知らなかったなー。
なんか、私そもそも昔川口に住んでたんですけど、
川口で改造館って言うと信号改造館一帯なんですよ。
あー。
信号改造館ねー。
で、なんかその辺は知ってるんですけど、やっぱりそれ以外の周りの話になっていくと、
やっぱりいきなり多分、新福寺じゃなくてかそり改造館とかに行っちゃうんで。
あー。
だからそう。
川口はねー。
うん。
あのー、赤山神谷とか石上貝塚とか。
知らねーなー。
あー、そうなんだ。
それこそ信号改造館って立派な改造館だし、すごくいい遺跡がいっぱいあるんですけれども、
はいはいはい。
それをデータとして利用できるような、
うん。
そのー、これを発掘してみたら成果はこういう感じでしたよーっていう基礎データになる情報が、
うんうんうん。
まだまだ公開が落ち着いてないんですね。
あー、そうなんですね。
そうなんです。
うんうんうん。
だから、あのー、例えばその時代の土器を示す土器として、
うん。
暗行式土器。
データ暗行、はいはい。
はい。
あー。
っていうその時代の土器を示す言葉があるんだけれども、
ありますなー。
で、その本当にこうメッカみたいな場所なんだけれども、
うん。
いまいちまだ知られてないっていうのは、
うんうんうんうん。
基礎データの公開がまだまだ進んでないっていうところがあるんですね。
あー、そう。
いや、めちゃくちゃ暗行って文字見るんですよ。
やっぱり、
うんうんうん。
土器の資料とか見ると。
そうね。
だから暗行式っていうのは一つのその土器の多分形式?
なんですかね、種類というか。
そうそうそうそう。
属性とか。
うんうんうん。
としては、
アイフォンみたいなさ、
うんうんうん。
そういう種類を示す名前なんだけれども。
はいはい。
うんうんうん。ってことですね。
あー、いやなんかそっちも全然、
なんか川口にいたけど、そんなにそこを知る機会はなかったなーと思って。
ねー、意外とやっぱり地元の人は知らないんだよねー。
うん。
これ暗行もねー、暗行式土器もこれ離すと長くなるんですけど。
あ、なっちゃうんですね。
うん。
なるほど。
これめちゃめちゃ1時間コースで喋るんですよ。
あ、マジで?
そういう感じなんだ。
ははははは。
よりマイナーだからちょっと触りかなーと思ったけど、がっつり。
まあまあ今日は新福寺貝塚っていうところですね。
はいはい、そういうことですね。
はいはい。
あー、ありがとうございます。
ということでですね、
はい。
国指定史跡になって50年を迎えたということですね。
うーん。
で、新福寺貝塚も、
まああのー、ちょいちょい埼玉市の博物館で、
はいはいはいはい。
展示のとき。
あ、そうっすよね。
うんうんうん。
うんうんうん。
真福寺貝塚の発掘
なんかそれでちらちら、
うん。
見てる気がします。
で、もっと言うと、
うん。
最近毎年発掘やってます。
あー、そうなんだ。
うん。
すごいな。
毎年発掘をやって、
うんうん。
現地説明会とか、
はいはいはいはい。
やってますので、
うんうんうんうんうん。
そうだな、いつもだいたい1月とか2月とかこのくらいの時期になると、
あー、そうなんすか。
うん、やってるんですよ。
へー、そうなんだ。
最近だと、あ、
うん。
最近だと12月にやりましたね。
はい。
で、やっぱり冬の方がそういうのって向いてるんですか?
まあ、だいたいあの4月から、
うん。
まあ、あのー、変な話、お金がついて、
あー、なるほどね。
あれこれやって、
はいはいはい。
あのー、夏の暑い時期をちょっと、
うんうんうん。
開けて、秋から調査に取り組んで、
うんうんうん。
だいたい成果が整ってくるのが、まあ冬ぐらい。
そういうことか。
そんなイメージがありますね。
なるほどなるほど。
じゃあ、そういうのが好きな人はもう冬にいろいろやられるわけですね。
結構その新福寺貝塚については、
情報公開が冬に結構あったりしますので、
へー。
あー、そうだね。
その辺ちょっと楽しみにしておいていただければなって思います。
まだだから、これからも新しい情報が続々出てくる可能性があるってことですよね。
そうそう、毎年ね、なんかいろいろ面白いものが出てきたりするんですよ。
おー、すごいな。
パイ玉とか、その北関東独自の耳づく型の道具。
あー、なんか、はいはいはい、見ますよね。
なんてあったりするんだけれども、
その完全個体が出てるのは新福寺貝塚。
あ、そうなんだ。
ですね。
へー、しっかりしとんな、そうなんですね。
ということで、そういうなんかいろいろ貴重なものが出てきたりしている貝塚でもあるよ。
うん、ってことなんですね。
うん。
それは勉強になります。
そんなことで、皆さん気にしていただければいいんじゃないかなって思います。
一旦気にするだけで大丈夫ですか?
一旦気にするだけで。
縄文時代の文化
なるほどね。
まずは知ってもらわず。
はいはいはい。
まずはみんな知らないからね。
うーん、そうですよね。
まずは知ってもらうこと。
で、このGoogleでも新福寺貝塚って検索すると、
毎年毎年、その埼玉市が一生懸命、
今年はこんな発想やりました、こんな成果がありました、
へー。
っていうデータを出しているので。
お、そうなんですね。
それも見ていただければちょっと面白いかなって思います。
なるほど、ちょっとチェックしてみましょう。
はい。
埼玉県知りたがりラジオ埼玉にアクス、
この番組はSpotify、Apple Podcast、Amazon MusicとYouTubeで配信されています。
番組宛にご意見ご感想などありましたら、
番組説明欄にGoogleフォームのリンクがありますので、
そちらから何でもお寄せください。
番組のフォローやYouTubeのチャンネル登録、
コメントなど残していただけると嬉しいです。
ということで本日は新福寺貝塚について
上野めさんに語っていただきました。ありがとうございました。
もう1時間ぐらい喋れる。
まあ、そうなんでしょうね。
たぶんね。
今回は私がね、そもそも歴史とかあんまり知識ないって言ったところもあって、
本当にね、中学生に教えるがごとく
ご説明いただいたところはあるんだと思うんですけど。
本当に触りの部分だけ。
うーん、ということなんですね。
ちなみにもう1トピックぐらいあるとしたら、
トピックだけでいいんですけど、何かありますか?
新福寺貝塚で見つかった土器とかあるわけですけど。
なるほど、さっき見つけたとか含めてですね。
そうそう、あるいは日常的に使っている器みたいな。
ああ、なるほど。
それを分析することで、縄文時代の改造度が少しずつ上がっていくんだよっていう。
へー。
縄文時代っていうものがなんとなくこう、
縄文時代前期、中期、後期、晩期だけじゃない。
もうちょっと詳しく分けられるようになったんだよ。
いやー、すごいな、それ。
やろうと思えばあと1時間コースでできるんですけれども、
まあもうちょっとそろそろお時間かなっていうところで。
なるほど、はい。
ちょっと一旦ね、また別の機会ね。
もしある人とその辺りも。
ちょっと私の基礎知識もつけた状態で話を聞いた方がいいかもしれない。
いやいや、すいません。
この話題になると歴史の話題になると早口になっちゃいますので。
いやー、いいと思います。早口になっていきましょう。
ということで、本日は小野部さんにお会いしていただきました。
ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
はい、ではまた。
23:39
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