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はい、今回も前回の続きの前に、ちょっとお知らせです。サポーター会員よろしくお願いします。
ラジオを継続するにも先立つものが必要なので、何卒よろしくお願いします。
毎回ね、本何冊か、これどっかの真似みたいですけど、一生懸命本買って勉強して読んでますんで。
少なくとも本一冊分くらいの価値はあるかなと勝手に思ってます。なのでいいなと思ってくださる方がいたら、
もしくは応援したいなと思ってくださる方がいらっしゃったら、ぜひお願いしたいと思います。
ということで前回からの続きをやっていきたいと思います。
はい、では前回からの続きです。今回は、
正義ロックに描かれた当時代頃の豆腐について。
また冒頭から意味がわからない。
まあ前回ちょっとお話しましたけど、当代民間発祥説。
民間から発祥したのでどんな系だったのかなっていう説をご紹介します。
前回最後のところで正義ロックからわかることっていうのを少しお話しましたけど、一回整理しますね。
当時代の後半には少なくともですね、安基礁という地域では豆腐が一般的だったと。
前回話した西洋圏っていうのは現在の安基礁という礁の中にあるからですね。
この辺りには豆腐が一般的になってましたよねということが一つ。
それから清廉潔白な人は肉を食べないという思想が根付いていたと。
豆腐は代替肉だった。
そういう扱いをされていたということでですね、
現在の我々日本人がよく食べている豆腐よりもずっと硬いと。
身がしっかりしてる。
だって肉だもん。
これね僕ら日本人特に現代の日本人はピンとこないと思うんですけど、
今でも例えば八甲山豆腐とかね中国の豆腐なんかは売り場に行くと、市場ですね行くと売ってるんですけど、
今エラスト言ったけど僕も写真で見たことしかないんだけどね。
まな板みたいな板の上に豆腐が何枚も重ねて置いてあるんですよ。
重ねて豆腐が?
そう。水に浮いてない。
浮いてないんだ。
浮いてない。
前見た写真か。
そうですそうです。
チーズを重ねてんじゃねえかっていう。
そうだね。
でっかいチーズ。
あれの半分カットしてるやつとか4分の1カットみたいなちょっと円形というか。
丸いのをケーキみたいにカットしたものだったりとか四角い板状のものだったりとか、
ああいうのが積み上がっているのがマーケットに並んでるんですね。
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あったね。
なのでやっぱ豆腐って硬いんですよ。
あれ見ると硬いね。
硬いって言ったら語弊あるけど、今の日本で食べてるもめん豆腐やきぬごし豆腐に比べて硬い。
ちなみに今アメリカで売られてる豆腐も日本のものよりもだいぶ硬めですね。
そうなんだ。
水を含んでる量が違うんですね。
しっかり絞ってあるよということで、だいたい肉っていうからにはそれなりに硬さがあったよということがわかります。
これはもう現代の文脈から見てもそうですよね。
で、この詳細用について少し掘り下げてみますね。
詳細用ね。
肉イコール羊というね。
前回ね。
ほんとかよって思ってる人いると思うんですよ。
なので違う角度から当時は肉イコール羊だったんだよということを言っていきますね。
漢字です。文字。
漢字。
文字に美しいという漢字ありますよね。
美しいね。
あれ分解すると上が羊で下が大きいという字なんですよ。
確かに。
大きい羊は美しいということなんですよ。
そういうこと?
そうなんです。マジでそうらしい。
そうなの?
そうなんですよ。羊という文字、結構ねあちこちに出てきて、例えば義。義難いの義。
あの義の字は上が羊ですよね。
で、下が割れという字になってますね。
で、この割れという文字は昔はノコギリを形容した小形文字だったらしくてですね。
羊をノコギリで解体する様を表してるそうです。
だいぶひどい感覚だね、急に。
なんでかっていうとね、神様に捧げる供物、神仙として最も正しいものが羊の肉だったと。
そういう扱いなんだ。
だから義という意味で義という言葉が誕生したらしいんですね。
それ以外にも善悪の善とかね、あちこちに羊という文字が見られるのはやっぱり肉イコール羊という文化が成り立っていたことを表していると。
そのように本に書いてありました。
ただですね、羊って結構高価だったらしくて。
高級官僚とかね。
王朝貴族とかね。
まあ神聖に使われるぐらいだからそういうことだよね。
いいものだという扱いだったようです。
これねちょっと時代跡なんですけど、荘の王朝では1日、王朝で消費される羊の量が280頭。
280頭も使われるの?
1日でね。
1日で?
むちゃくちゃやな。
すごい食べるね。
すごい食べる。
じゃあ庶民も羊食べてたのかっていうと実はそうでもなくて。
主に豚。
そうなんだ。
だから中国の料理は豚肉料理が発達してるんですね。
確かに多いね。
豚という漢字もやっぱりそれを表してるらしくてですね。
左側に月という字が書いてありますよね。
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これ肉月で肉を表してるんですよ。
肉月の肉はそこから来てるんだ。
そうですそうです。
体の部位でも例えば腹という字は肉月編ですよね。
編という言い方じゃないですけど部首が肉月。
右側は家の浮かんぶりがない状態ですよね。
屋根のない家のところの脇に肉がいるという意味で家畜を表すのが豚だったそうですね。
すごいストレートな語源だね。
だから豆腐は羊なんだけど
憧れがあって称妻妖という風には記録されてるんだけど
どうも高級官僚は食べなかったっぽいです。
そうなんだ。
ちゃんと記録に書いてあるのが豆腐は一般に広まっているけれども
死大夫って言ってね。
過挙という試験に受かった偉い人たちは食べませんよ。
食べないんだね。
蒸留層が食べるようになるのは民の時代に入ってから。
秦の一個前。
1368年から1644年。
モンゴル帝国が原作って原がなくなった後に民が来るから。
蒸原民秦の民か。
民の時代に来るまでは庶民の食べ物であって蒸留階級は食べませんでしたというのが豆腐だそうですね。
ちょっと面白いなと思うのが
肉の代わりとして食べられてた豆腐がだんだんと柔らかくなっていくんですよね。
柔らかくなっていく?
もちろん固いまま残っている豆腐もあるんですけど
例えばあちこちに電波していく過程で
水にふわっと浮いている豆腐が登場してくるんですよ。
そうなの?
発祥地がどこかっていうのは明確にはなってないんですけど
長安とかカナン、コーナンかな南の方とか東寄りのところで作られていて
そこが一部地域ではだんだん柔らかくなっていく。
本を記した方、著者の方も
僕その方が初めに調査に行ったある地域は固かったんだけど
次に行った時はもう水に浮いてたっていうね。
そんな風変わったのね。
みたいですよ。
朝鮮半島とかインドネシアとか今のベトナムとか日本にもやってくるじゃないですか。
その地域地域でちょっとずつ変遷をしていって
日本はめちゃめちゃ柔らかくなりましたよね。
これ何が言えるかというと代替肉であることが忘れ去られて
一家として豆腐は豆腐という独立した食べ物に進化していく。
進化していく?
だってもう今の日本人さ豆腐って聞いていや代替肉って思わないでしょ?
思わないね。
代替肉はもう大豆ミートって別物になっちゃってるじゃん。
あれ豆腐やけ?言ってみれば。
昔の豆腐復元みたいなね。
そうだね。
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これなんでかなっていうのをちょっと考えようかと思うんですけど
まだ今日はそれはいきません。
いかないんだ。
そうなんですよ。
じゃあ今回の期待はですね。
この生威力から読み解く当の時代あたりに豆腐が民間から発祥したという背景を
えぐってみようかと。
もし仮に民間発祥説だとするとその根拠どこにあるんだっていう話ですね。
その話をしていきます。
これはね北方遊牧民族の影響があるんじゃないかという説です。
北方の遊牧民族。
もうパッと思い浮かべてもらうのはチベットとかねモンゴルの遊牧民。
キバ民族いますよね。
あの人たちの影響を受けて豆腐が生まれたんじゃないかと。
謎でしょ。
謎だね。
先に後で話そうと思ったら先に言っちゃおうかな。
遊牧民の人たちはね主に穀物とかは育ててないので。
まあ遊牧してるからね。
遊牧民が食べるものといえば肉とミルクですよ。
主食じゃないにしても他奪ってくるんで。
そうするとね肉を食べるんですけど肉は簡単に潰せないわけね。
贅沢だから。
家畜いなくなったら食料ゼロだもんね。
ということは肉よりもミルクの方を徴用するわけですよね。
ミルクなら再生産効くから。
結果としてヨーグルトとかチーズとかいったものが発達する。
チーズはよく聞くよね。
あれはミルクだと持たないので。
チーズとかバターとかヨーグルトみたいなのに変換しておかないと保存できないわけですよ。
そういった乳製品みたいなものが北方遊牧民の中から出てくる。
これが漢民族当時の中華帝国と融合することで文化が入り混ざっていく。
それいいな、うまそうだねって言って慣れていったんだけど
羊とかラクダとか馬のミルクじゃなくてなんか大体ひねできんかねっていう中で豆乳を用いるようになったんじゃないかって話ですよ。
似てるといえば似てるか。
という風な流れなんですね。
この背景ちょっと詳しく話します。
せっかくなので僕らなかなか特に我々兄弟あまり中国の歴史詳しくないじゃないですか。
俺は別に歴史全般わかんないけど。
僕も改めて勉強し直したのでざっくりしたところからちょっと掘りますね。
漢帝国が滅ぶと三国志の時代にきますよね。
義、吾、蜀。義の曹操、吾の孫、それから蜀の劉備の時代にきて義が一番強いわけですよ。
曹操の義が。義が劉備の蜀を滅ぼします。真っ先に。
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そうなんだ。
蜀消えます。
当時劉備死んでますけどね。
諸葛孔明が軍師で劉備の息子のなんとかが頑張ってたんだけど義にやられます。
義と吾だけが残りますね。
よし行くぞーってなった頃にもう曹操の代じゃなくなって曹操の息子の代になるんですけど。
そうすると義の家臣に国王の座を禅定つって譲るんですよ。
これ譲ったって聞こえがいいですけど譲らせたですね。
乗っ取ったんですよ。
そうすると秦という国ができるんですね。
普通の夫の字の上のちょんちょんがないやつですね。
夫の字?
普通の夫という字から上のちょんちょんがないという秦という。進むという字ですね。
ができてこの秦という国が吾を滅ぼして中華帝国を統一します。
これで中華が治まったぜって思ったら急に地球全体が冷えるんです。
ここで環境問題。
寒冷化します。
大体この辺り寒冷化だったねってことは分かってたんですけど
2016年の研究論文によって明確な年数が分かったらしくてですね。
西暦536年から660年この間はユーラシア大陸全体が冷えた。
ヨーロッパから中国帯とか今のロシアとかですね。
あの鳥が全体的に寒冷化現象で気温が下がりましたと。
北方遊牧民族っていうのはもう名前の通り北方にいますから。
この人たちが南下してくるんですね。
寒すぎてね。
家畜を育てるにも牧草が生えてくれないわけ寒すぎて。
南下せざるを得ないわけですよ。
この人たちのことをあまり良い言葉じゃないですけど子族。
子族の子は古生の子。
異民族って意味ですよ。
これはねちょっと別称というかちょっと卑下したような名称なので最近はあまり使われてないようですけど
一応子族と呼ばれてたそうです当時。
その中に先輩族とかね。
郷土とかね。聞いたことない?
突厥とか。
京族とか。
帝族とか。
先輩とか郷土とか突厥ぐらいじゃない?
分かんない。
郷土なんかはあれだよね。
キングダムとか出てくるよね突厥とかね。
まだ出てきてない。
出てきないですか。
じゃあそれは見てください。
キングダムちゃんと見る。
こういう人たちが南下してくるわけですよ。
この人たちってさっきちょっと触れましたけど基本的に略奪民族なわけですよね。
貿易とか自分たちで農業するとかではなくてずっと遊牧してるんで。
穀物食べたかったら近隣のところから奪ってくる。
それデフォなんですよ。
それが良い悪いとかそういう生活スタイルなんですね。
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いわゆる山族みたいな。
山族というかそれを生業としている。
それが生活スタイルなんですね。
肉食動物だと思って。
草食動物対肉食動物みたいな関係。
良いとか悪いとかないじゃないですか。
この戸族は基本的に肉食系なんですよ。
南下してくるじゃないですか。
南下してきた結果、秦は南に追いやられる。
そんな勢いで追いやられるんだ。
黄河から上半分みんな持ってかれちゃうんで。
南下して秦は分かれて東秦、東の秦って書いて東秦っていうところで
下の南側の方に国をもう一回作り直すみたいな。
長安も取られちゃうから南側に戦として南京作ったりとか。
国自体移動するんですね。
上はもう戸族が群雄合協してバッコしてる状態。
これを五湖十六国時代って言うんですよ。
そうなんだ。
五つの戸族が十六国作りましたよって意味。
そういうことね。
北が五湖十六国で南は東秦、秦のままじゃないですか。
これを対別して北朝南朝で南北朝って言い方をしてる。
北朝の中に五湖十六国あるっていうそんなイメージですね。
南北朝って南北朝時代?
日本でも南北朝あるけどそれまた別の話ね。
これは中国の南北朝時代。
名称がいっぱい出てきてややこしいんですけど。
南北朝の北朝の中に五湖十六国っていう状態があったっていう理解で。
厳密に言うと違うかもしれないですけどザクッとそんな感じだと思ってください。
これね、戸族の人たちは初め奪うことをやってたじゃないですか。
あると気づくんですよ。
こいつら農業生産しよる。
奪うより勝った方が良くねって。
手名付けたらこいつらずっと生産し続けてくれるからもう。
羊と一緒ですよ。
ミルクずっと作ってくれた方が殺して肉にするより良いわけじゃないですか。
襲うよりも一緒にいてこの人たちに生産してもらった方が良いよねってことになるわけですね。
気づいたんだ。
でここでね融合して始めるんですよ。
この五湖十六国時代もだんだん時代が経ってくると
戸族の間で国としてバトルするんですね。
そうすると北朝の中でもだんだんと統一国家が出てきて一個の国にまとまっていく。
そしたら北義。また三国志の義と同じ感じで義が出てくるってややこしいんだけど。
これ別の国ね。
北の義と書いて北義っていうのができます。
これはね、戦匹族の人たちが作った。
北方遊牧民が打ち立てた国なんですけど
義という中国風の国名にしてる。
遊牧民としては確かに中国ではないもんね。
そうなんですよ。もともとね高架創造っていうね西洋人系の人たちですから。
それが融合していって漢の文化いいよね。
ああそうなの。
こっちの方がなんか文化水準高いし。
当然ですね定住してるから文化が発達しやすいんで。
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遊牧民って物持たない生活なんで文化って発達しづらいらしいですよ。
ああそりゃねそうだろうね。
漢族の方がこれ文化的にもいいし。
支配するにしても人数多いんですよ漢民族の方が。
移動してる人たちって人数増やせないじゃない。
民族増やしたら大移動になっちゃうからね毎回。
移動ができないし生産してないから人数増やしたら食べ物が足りなくなる。
でも漢民族ってのはずっと農耕やってるから結構いっぱい人いるんですよ。
丸ごと漢民族みたいな状態なわけだから。
この人たちを統治する上でも漢の文化にある程度染まった方が統治コストが低いんですよ。
武力で統治するって結構大変じゃないですか。
なので文化的融合を図って仲間だよってなった方が国家としてまとまりやすいっていう状態があるんですね。
そう考えた結果古漢融合ということを政策として打ち始めます。
北義の王様が漢化政策っていうのを政策として出すんですよ。
漢化政策。 漢化、漢になろうって。
そういう意味ね。 俺たち漢字になろうぜみたいな。
いいんだそんな名前でね。
何をやったかというとまず服を変えます。
もともと北方民族の方々ってのはツツ袖、今の洋服みたいに袖がツルッとしてるんですよ。
ワイシャツとかみたいな感じ。
漢民族ってのは日本で言う和装みたいに袖がペローンと垂れてる。
この服を漢民族風に変えていきます。
変えていくんだ。 変えていく。
自ら率先してね。
名前もモンゴル風とかセンピ族風ではなくて、中国風の漢民族風の名前に変えていく。
そこまで変えるんだ。
思想も儒教に寄せていく。
そして言語もセンピ語やめようゼって中国語に変えていく。
すごくない?自分たちの言語捨てるんだよ。
自分たちが統治してるのに統治されてる側の方に寄せるってすごい珍しいよね。
これね、儀の皇帝が言ってるのこれ。
文字もいろんなこうセンピとか突厥とか郷土とかでいろんな文字が漢字に似たようなのがあったんですけど、小型文字で。
それも漢字に統一しようゼって。
だんだん融合していくんですよ。
当然ですけど、民間の方でも一混していきますよねどんどん。
グシャグシャグシャグシャって混ざっていっちゃう。
一応、北方遊牧民系なんだけど中国人でもあり、純粋漢民族でもないけどやっぱり中国人だなみたいな。
こういうまとまり方をしていくんですね。
で、この北義が分裂して州という国ができるんですね。
東州、西州って言って東と西の州という国分裂するんですよ。
で、東の方がでかいんだけど、どいわけかが超頑張って西の州が勝つんですね。
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勝ったら隋という国になるんです。
隋が何十年かちょっと頑張るんですけど、滅びて唐ができるんですね。
ザクザクっといくと。
隋とか唐っていうのは国名として代表的に日本人も習うような国名ですけど、
もともとこの隋と唐は北方遊牧民族系の系譜を引き継いだ国なんですね。
そうなんだね。
で、これで何が起こるかっていうと、政治体制的には寛化政策を取ってるんですけど、全体的に互換融合していくので、
北方遊牧民の文化もやっぱり入ってきちゃうんですね。
お父さん寛民族、お母さん戦備族みたいな状態になるわけですよ。
これおじいちゃんおばあちゃんとかその暇子の代とかになったらもうわけわからなくなりますよね。
どっちもどっちでどっちもいいじゃんみたいな感じに。
だんだん融合していって、この南北朝時代って300年くらい軽くあるので、
そんな長いんだ。
唐ができるのが600年代で、寛が滅びたのが200年くらいかな。
なので、軽く400年くらいなのかな。
結構あるね。
そのくらいあったらですね、もうごちゃごちゃになってわけわからんようになるんですよ。
で、めでたく北方遊牧民のミルクとか肉を使った文化がギュッと入っちゃう。
そこで入ってくるんだ。
だからこれは北方遊牧民からの影響だよねみたいな説です。
そういう流れか。
めっちゃ根欠してますもん。
もう一つですよ。面白いなと思うのが、漢帝国はそれこそ劉安がいた時代ですね。
国の思想を儒教に統一をします。
儒教って結構頑張り屋さんで真面目に頑張れよって一生懸命自分のことを鍛えて立志して、
身を磨きなさい、一生懸命頑張りなさいみたいな感じなんじゃん。
すごい雑だけどね。
に対して老僧思想ってもっと緩いんだよね。
無為自然だからそんなにごちゃごちゃやらんともっと緩やかに生きようぜみたいな。
約400年間儒教でガチガチにやってきて、儒教ベースで政治闘争をやってるわけじゃないですか。
皇居官僚マジ疲れるっすよ。
疲れる。
漢の終わり頃とか三国志の時代って、
政治の皇官たちって一個判断間違えたら首飛ぶみたいな時代ですから。
それも全部儒教観念で縛られてるでしょ。
頑張らない頑張らないってなってくると疲れるわって。
老子みたいな緩やかなのいいよね。
漢が滅びた途端にカウンターカルチャーで老僧思想をベースとした道教がボコッと上がってくる。
同じくらいの時代に仏教がインドの方からやってきてボコッと上がってくる。
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結果として中国の教え、思想っていうのは三つの教えが並列で並ぶことになる。
儒教、道教、仏教。
三教並列っていう時代になって、
それが全ての影響とは言わないですけど、
結果ですね、唐の都長安、完全なる国際都市になります。
国際都市?
人口100万人程度。
当時世界最大ですよ。
当たり前ですけど、紀元600年なんで。
600年代に100万人都市を作ります。
すごい広さだね。
そう、すごい人数がガッている。
平安京みたいに真っ近くなんですよ。
壁で囲まれていて。
平安京みたいにっていうか、平安京は長波の都を模倣してるだけなんで。
ああそうか、逆ね。
逆なんだけどね。
ああいう状態の中に100万人が住まう。
これ面白いのが、仏教の寺院もあるじゃん。
仏教の寺院的なものがあって、道教の寺院的なところがある。
だけじゃなくて、キリスト教の教会的なところもあるし、
マニ教の教会的なところもあるしみたいな。
めちゃくちゃ混ざってんね。
いろんなイスラム教の人たちもいて、そこで寺院みたいなのがあるし。
割とね、ウェルカムみたいな。
だから当然その教えに紐づく人種ですね。
ごちゃごちゃにいる状態なんですよね。
たぶん当時最大の都市であり、国際交流都市でもあった。
この状況下でね、異国文化の影響を受けない方がおかしい。
それはそうだね。
ここでね、ちょっと異説があって。
ちょっとこれ毎ツバかなと思うんだけど、
インドの方からダルマ大使が仏教を携えてやってくるんですよ。
ダルマ大使。
ダルマさん。
見たことあるでしょ、ダルマさん。
お着物の赤いの。
あの人。
あの人?
ダルマ大使って人。
元人なの?
人。
人形の名前ではなくて?
ではなくて。
あ、違うんだ。
生まれは伝承では南インドか、
もしくは山頂ペルシアの第三王子だと言われてる。
へえ、ペルシア。
どっちか分からんけど。
どっちもその記録に残ってるからどっちやね。
弟子言うこと違いすぎやろって。
同じ弟子なのにね。
二人の人が違うこと言ってるからよく分かんないんだけど。
これが5世紀の終わりだから400年代の終わりから
6世紀、500年代の前半くらいに生きた人らしいんですけど。
この人が禅宗。
仏教の中でも禅宗って禅を門じる宗派ありますよね。
これをインドの方から携えて中国にやってきたと言われてます。
興味ある人いたらもうダソコですけど、
ググって画像を見てください。
マジでダルマさんだから。
マジでって?
インドとか中東の方々って
頭から頭巾のようなマントのようなものをバサッと被ってるじゃないですか。
27:00
手がそのマントの中に隠れますよね。
で、ひげぼうぼうでその状態で歩いてやってくるわけですよ。
手が見えない状態で。
マジダルマだから。
そうなんだ。
それを模してダルマさんっていうね。
青人形ができるわけですけど。
相当影響あったんだね。
この人がもしかしたらペルシア地域なのかインドの方なのかわからないけど
あっちの方のやっぱり同じく落納の文化を持ってきたのではないかっていう説もあります。
どれが本当かわかんないけど。
とりあえずこんだけ国際交流都市になってればどっちもあるかな。
一つ面白いなと思ったのは
豆腐の豆の字を乳に変えて乳腐。
というものが今でもあるんですけど。
乳腐っていうのが中国にはあるんですけど。
それとはちょっと別物ね。
乳腐というのが昔のモンゴル系の言葉では
スーフとかルーフとかって発音するらしいんです。
古族いっぱいいるから言葉が違うんだけど。
このスーフが豆腐になっていったんじゃないか。
その言葉からね。
父をお豆に変えただけ。
豆腐の腐の字って腐るっていう字を書くじゃないですか。
あれ腐るっていう意味で使ってるわけじゃなくて
フワフワとしたヨーグルト状のボロボロの
モワモワした塊みたいなのできるでしょ。
あの状態のことを腐という感じで
表していたんじゃないかっていう風にも言われてますね。
そうなんだ。
確かに豆腐腐るって意味わかんないもんね。
豆が腐ったわけじゃなくて
そういう風に凝固したみたいな言葉だという風な説が
一般的ですが、一方で
腐の字はそれは後付けだろっていう人もいますよ。
それは時間軸が逆じゃん。
乳腐が元って言ってるけど
いやいや豆腐が先でしょみたいな。
そんなパターンね。
これはね、もう
豆腐の起源説がいろいろあるんじゃないですか。
もうリュウアンと東の時代から全然違うわけだから。
その間にもあってもおかしくないねみたいな話をすると
乳腐と豆腐の時間軸がよくわからなくなっちゃうので
明確にはなりません。
という感じで
とにかくこんな国際都市になったら
少なくとも東の時代に豆腐があっても
おかしくないよねという説ですね。
これを支えたのが東時代の豊かさです。
豊かさは?
めちゃくちゃ豊か。
へえ、そうなの?
それこそ東って
3つか4つに区分されるんだけど
歴史の教科書に載ってるのは初東とかね
東西って言って東が最も盛り上がる。
で、東の中東中頃だよね。
で、後東終わり頃っていう風に
時代区分が書かれてるぐらい
これおかしいんだよ。
初東と中東と後東はいいよ。
なんでそこでね
西東とか東西とかって盛り上がるっていう字が入るの?
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確かにね。
意味不明でしょ。
そのぐらい盛り上がっとるね。
そんな表現したかったよね。
街自体も国民自体も豊かだし
なんならね、長安の都で家に鍵かけなくて
もうヌスットが入らないってぐらい
治安も良くなるし。
そんな時代あったんだね。
それこそ側天武皇くらいの時代ですよね。
へえ。
それから周辺国と長江貿易の関係を築くわけですよ。
長江貿易って俺前説明したっけ?
長江貿易っていうのは
進化ないしはそれに準ずる国だよねっていうのを認めさせるんだよ。
だから日本もその中に入ってるんだけど
党に対して見継ぎ物を送ります。
向こうが皇帝で偉いから。
そうするとお礼に
それと同等かそれ以上のものを返してくれる。
ということで
党は周りから認められてるよねっていう地位を固めていくわけですよ。
そういうことか。
これ検討士ね。
それこそ朝鮮半島からも来るしベトナムからも来るし
フィリピンとかインドネシアからも来るしみたいな。
だから検討士の時ってフルエンドリーな感じがするんだね。
仲良くやろうぜっていう感じなのかな?
分からんけど。
前例を作るみたいな。
周りから認められることで
自分の国家としてのアイデンティティを高めていくみたいなところなんでしょうね。
考えたね。
めちゃくちゃ豊かになった。
だから大体どの時代もそうなんだけど
環境が豊かになると職文化が発展するんだよね。
そうだね。
一番生活のベースだしね。
一番コストかかる部分だよね。
いろんなことにするにしても。
そうなんですよ。
そうか。
全然それもある話だからね。
分かんないねもうね。
もはやね、この時点で説がいっぱいありすぎてもうフワッとしてるから。
いいの?今回豆腐だけに言ってもなくて。
いや言わない。
豆腐固めだって言ったもんねさっき。
でもそうなってもフワフワなってるから。
まあね。また結局フワッとするんだけど。
とりあえず確定してるのは少なくとも東が終わる頃ぐらいには豆腐があったぜっていう話。
でこれが日本に伝播しましたよ。
じゃあそれいつって話に行くんだけど。
これどうしようかな。
もう一個ね、僕の妄想話があるんだよね。
妄想話。
気になるのがあってさ、仮にですよ、当の時代に豆腐が出てきたとするじゃないですか。
さすがにリュウアン伝説だろと仮にしますよね。
確定してないけどそういう風に仮定します。
だとしたらなぜリュウアンの豆腐起源説という伝説が生まれて受容されていったのかという妄想です。
受け取り側の問題じゃないですか。
そうだね。
誰が言い出したのか知らんけど、それをみんなが納得するっていうのには何かしらの背景があるんじゃなかろうかということを。
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もうねこれね初め仮説だったんだ。
仮説を4つぐらい重ねるともはやこれは妄想だろうと思って。
確かにね。
妄想話を紡ぐためにいろんなところの本とか情報を読んだら、こういう風なつなぎ合わせもできんことはねえのかなみたいな話を。
一本やろうかな、やろうかな。
そうね、ちょっとたまにはそういう完全な妄想っていうのを、まあ史実に基づいた妄想ね。
そうですね、いろんな研究論文を元にした妄想です。
もう学者だねそれね。
それちゃんと参考文献からすべてちゃんとやったら単なる学者よそれ。
なのかな。勝手に考察してるだけで僕は学者でもなんでもないので、ゆるっといきましょうゆるっと。
ゆるっとね。
では今回はこの辺で終わりたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。