自己価値の再考
こんにちは、ゆいです。
今日はね、また働き方について考えていることを話そうと思います。
こないだ読んだ本に、「優秀な人なんてそういない。優秀そうに見せているだけ。」って書かれてて、
ああ、いい言葉だな、その通りかもって思ったんだよね。
みんなさ、本当にでも優秀な人もいるんだよね。
でもさ、優秀そうに見せているだけの人も確かに多いなって思いました。
で、この言葉から何が言いたいのかっていうと、
みんなね、飾り付け、自分を着飾って優秀そうに見せているだけなんだから、
どうせ私なんてって、自分の価値を下げる言葉はやめようと思います。
実際ね、言っていることはすごいなって、実績とかもすごそうに見える人でも、
よく見るとね、大したことやってなかったりするんだよね。
言葉はすごいんだけどね。
だから、自分にもできるかもって思って、
自信はないけどやってみるかぐらいの軽い気持ちで、
仕事にチャレンジできればいいかなって思います。
私もやっぱりアラフォーまで来てくるとさ、
世の中さ、自分の価値観とか先入観、バイアスにすごいまみれているなって感じることがすごいあるのね。
子供はさ、まだまだこの世に生まれて数年だから、子供まだ小さいから、
そんな先入観とかなく、自由に生きている、今を楽しんでいる姿を見ると、
興味あることに純粋にチャレンジする姿を見ていると、
私も自分の今までの凝り固まった価値観で、
やる前からああだこうだ言うんじゃなくて、
実際にチャレンジしてみたいなっていう気持ちに今はなっています。
で、そのさ、でもやっぱり、
やっぱり自分の中では、
今まではちょっとなんか嫌だなとか、見たくないなって思っていたものを、
ちょっとね、見たりするようにしています。
どういうことかというと、
やっぱり、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
どういうことかというと、
結構さ、
自分はこう思っているっていう意見をさ、
他者の意見の受容
なんか反対意見をちょっと言われただけで、
あ、意見を否定されたとか、
自分が否定されたって勘違いしちゃって、
なんかね、もうそれ以上、
反対の意見を受け入れられなくなっちゃう時がたまにあります。
でもさ、そうじゃなくて、
自分の意見と異なる意見があった時に、
なんかね、逆に興味とか関心を持って、
そこから始められるかどうかが、
やっぱりね、
生きやすくなるんじゃないかなって最近は思うようになりました。
なんか人にさ、聞いて行動するより、
やっぱり自分で主体的に興味持ってやって、
言っちゃった方が、
人生簡単だし、生きやすそうだなって思ったね。
やっぱり他人はね、
その私の表面的なところ、
実際そうしか分かってないのかなって、
分かってくれてる人もいるけどね、
みんながみんな、
私のことを分かってくれてるわけじゃないから、
やっぱりね、自分のことをちゃんと、
自分で分かってあげて、
自分にとって、
どうしても好きなものとか気になるものを調べた方が、
やっぱりいいっていう結論に、
最近仕事を探してて思いました。
でもね、来月、高校時代からの友達と会うから、
その友達はね、もう本当に20年以上の付き合いがあって、
私のこといろいろ知ってるから、
そういう人はね、私のことをどう思うのかっていうのは、
すごい客観的な意見で参考になると思うから、
そういう人の言葉も聞きつつ、
自分とね、
その時に反対意見を言われたって、
そう思うんだって、そういう意見もありかもねって思ってね、
逆に興味とか関心を持てるような人間になれたらいいなと思います。
以上です。