その中でというか、酒を飲みに行った時、それは一人でもそうですし、友人と飲んでる時もそうなんですけど、ピーロになりがちというか、俺はいつまでピーロやるのか問題みたいなのを自分の中で定めているというか考えることがあるんですけど、
笑いを取りに行くとか、気の利いたことを言うとか余計なことを考えながら喋ってるなって思うんですよね。
特にお部屋が回ってきた時に、そういうちょっと気の利いたことを言うみたいなことをやはり定期的にすべったりしてるなっていう自覚があるんですけど、何でやってるんだろうって思った時に、多分不安みたいなのがあるんだろうなって自分の中で思っていて、
自分の素を見せる、見せないみたいな話ってあると思うんですよ。
自分の中でピーロをやっている、ピーロがやっているというのがどういうことかというと、自分の不幸だった話、大変だった話みたいなのを笑いに消化させて、ある種の自分にとっての救いになっている部分もありつつ、
ただ、そういうダサいところ、格好悪かったところみたいなのをさらけ出すことによって、人に受け入れてもらいたいと思っているのか、はたまたそれを消化させて楽になりたいと思っているのかみたいな余計なことを考えつつ、ただ多分その場において楽な立ち振る舞いではあるんですよね、そういうピーロになることが。
ただ、それをずっとやっていると確実にすり減るだろうなという自覚もあるし、今31歳なんですけど、これを40,50経った時にずっとやっていると痛いおじいさんになるなというのをまた他方で自覚があって、
じゃあピーロをやれる時期っていつまでなんだろうみたいなことを思った時に、マジでわからんと。いつまでやれるか問題みたいなところで言うと、服の話も自分の中であって、豆黒ゴーチだったり、レディーズの服を自分は着る機会が多いんですけど、
ただ、今の荒さだから着れている服でもあるなというふうな自覚はあって、じゃあ40,50どこまで生きているかわからないですけど、それっていつまで続けられるんだろうなみたいなことをいろんな節目で考えるたびに、どうしようマジでっていう正解の出ない話を。
それこそセカトさんだったりゴールデンガイとかで飲んでたり、頭、友人と朝、朝というか2時とか3時とかのカラオケのダラーっとしたタイミングとかで話しながら、マジでこういう話してる限りは正解見つからんし、ずっとこれやってるんだろうなと思うんですけど、どうしたらいいかの正解を持ってる人がいたらぜひ教えてほしいなと思う今日この頃でございます。
ピエロが悪いみたいなニュアンスで喋ってはいたんですけど、とはいえピエロも自分の一部だし、僕平野圭一郎さんの文人主義の話がすごく好きで自分の中でしっくりきてて、文人主義が何かというと、
それこそ飲み屋における自分、家族といる自分、職場にいる自分、それぞれ多分皆さん立ち振る舞いて違うと思うんですよ。ただそれは一人の自分というか、それぞれ全て自分であるみたいな定義というか主張されていて、まあそうだよなと思うんですよね。
場所によって場面によって立ち振る舞いを変えるというのは社会性であって嘘ではないというふうに思っているし、この場にとって自分のこういう人格、こういう文人を出すという自分の中の選択の話なので、
なんかこう場面によって場所によって自分のこうスタンスを変えること自体は悪くないと個人的に思っています。ただそれをこう何ですかね、文人が辛いみたいになるとそれはそれで自分が苦しくなるので違うというふうに思っていて、
最近こう一つ考えているのが、パブリックイメージとのガッチ会議みたいな話で、前の回でもうすいさんって美味しいもの好きなんですよねみたいなSNSを見ていただいておっしゃっていただく方の話みたいなのをしたんですけど、
ぶっちゃけこのSNSって綺麗なところしか出さないというか、こう鍵屋家だったりインスタの親しい友達とかで世話に入ったりもしてるので、なんか出し分けはこう自分の中で実際確かにしていて、綺麗なところだけパブリックには出してるなというふうに思いつつ、