1. 独身貴族の生存戦略
  2. 「マイボ!マイボ!」っていう..
2025-04-06 16:25

「マイボ!マイボ!」っていうやつ、大体苦手

[まえがき]

言うまでもなく文化系の僕ですが、実は(無駄に)運動神経が良いです。小中高とリレーの選手に選ばれるくらいには脚が速く、小学校高学年はスクールカーストの上位にいました。人生のピークだったのかもしれませんね。今全力疾走したら5mくらいで脚攣りそう。

[index]

会話におけるドリブル問題/飲み会後のひとり反省会/西瓜糖の日々/飲み屋スタッフの大変さ/俺はいつまでピエロをやるのか問題/パブリックイメージとの合致・乖離/人には多くの顔がある、分人主義の話/『よりすな』#129、嘘と真実の話/感情の爆発を見たくない/飲み込むことで溢れる水/健康が欲しい

[本日の飲み物]

ニッカフロンティア ソーダ割り

[紹介したもの・こと]

西瓜糖(ゴールデン街 5番街のお店)

⁠https://x.com/bar_suikato⁠

分人主義(平野啓一郎氏が提唱している概念)

https://dividualism.k-hirano.com/

上坂あゆ美の「私より先に丁寧に暮らすな」#129(好きなPodcastの好きな回)

https://open.spotify.com/episode/54zbtqfjjDUgMAoAL7dq5d

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#独身貴族の生存戦略 

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サマリー

「マイボ!マイボ!」をテーマに、コミュニケーションにおける自己中心的な話の持ち方について反省が語られています。酒の場での立ち振る舞いや、周囲との関係について考察し、自己表現と社会的役割のバランスについて深く掘り下げています。今回、SNSにおけるリアルな自分との乖離や本音を話すことの難しさについて考察されています。また、友人との交流やパートナーシップにおける嘘と真実の重要性にも触れられています。

自己中心的なコミュニケーションの課題
独身貴族の生存戦略、第3回、「マイボ!マイボ!」っていうやつ、大体苦手。
3回目でございます。2本撮りです。酒に関しては、ジンからハイボールに戻しました。日課セッションはソーダで割っております。
ちょっと炭酸入れたばっかりなんで、もしかするとプツプツこう炭酸が弾ける音がしてるかもしれませんが、ご容赦ください。
マイボ!マイボ!みたいな話から始めたんですけど、ちょっと前に余人と飲んだ時に、会話におけるボール持ちすぎみたいな問題の話をしてて、
すごい良い表現だなと思って、それを真似させてもらったんですけど、自分の話をずっとしてる人って確かにいるなというふうに思っていて、
なおかつそういう人って多々にして、こっちが何か別の話題振った時にあんまり反応が良くなかったりするじゃないですか、することって確かにあったなと思っていて、
Aの話を多分その人は主体であろうという中で、これぶっちゃけ興味ないだったり、ちょっともうそろそろいいかなみたいな時期に別の話題を投げた時に、
Bのまた別のボールをずっと持ち続けるみたいなことって、まあまああるよなというところで、そうなりたくないよなみたいなことをこの間、友人と話したりしてました。
飲み会の後に家帰りながら、一人反省会じゃないですけど、あれちょっと余計なこと言ったなとか、この表現よりこういう言い方した方が伝わったかもしれないなみたいなことを結構自分はやりがちで、
聞いていただいている方の中にもそういう方いらっしゃるかもしれないんですけど、100%のパーフェクトコミュニケーションが取れればわけないというか、もっと楽に生きられていただろうなっていうこのめちゃくちゃ簡単で、
ちょっとすいません、撮り直してるんですけど、そういうふうに思うところが往々にしてあるわけで、そうじゃなかったらこんな面倒くさい感じになってなかっただろうなと思うんですけど、
一人反省会ができるということはそれだけ人のことを考えているというふうにいいように撮るようにもしておりますという感じですね。
ゴールデン街での経験
そんな一人反省会みたいな話もありつつ、酒を一人で飲みに行く機会っていうのが自分は結構多くて、大学生の時からゴールデン街に入りびたり、
こないだありがたいことにゴールデン街の5番街のスイカ爽さんというお店がありまして、本当にそこのお店が前はシンコというお店だったんですけど、その時代から通わせていただいているので、
ゴールデン街で待つ50年くらいになるのかなと思うんですが、昨年はゴールデン街にあるムメキサアイオという朝の時間帯と夜の時間帯とで別れていて、お金さえ払えば誰でも曲がりできるバーみたいなのがあるんですけど、
そこでバースデーイベントとして、自分でちょっと友人と一緒にやったりもして、今年も同じ時期くらいにやろうかなと思ってたんですけど、なんか気づいたらすごい人気のところになってたみたいで、もう全然空いてなかったんですよ。
その話をちょっとスイカ等でしていたら、じゃあうちでやればいいじゃんというふうにありがたいことに言っていただいて、オーナーさんのご行為と、あとは普段立ってらっしゃるスタッフさんのご行為で立たせていただいたりもしたんですけど、やっぱり中に入るって難しいなって改めて思いましたね。
特に今回に関しては普段すごくお世話になっているお店さんだったので、自分の立ち振る舞い次第で、ありがたいことにバースデーイベントとして友人をたくさん誘っていたので、知っている方がほとんどというところもあったので、そこまで引きつかうことはなかったんですけど、
新しい、初めてお会いする方とかがいらっしゃった時に、その人にとってはここのお店、スイカ等さんにとってこういうスタッフがいるんだっていうふうに思われるんだなみたいに思ったり、あとはそこの場の空気感を壊さない。
僕も面識がある常連さんとかもいらっしゃったんですけど、そういうことを考えた時にめちゃくちゃ最初手が震えて、結果としてお酒飲んだら落ち着いてきたので、シンプルに酒が足りなかったあるという説みたいなのもあったんですけど。
あとは特に一緒に入っていただいてた友人でありスタッフさんの立ち入りフロアにめちゃくちゃ助けられましたし、中に入るのと外から見てるのって全然違うなっていうのは本当に思ったし、ずっとできることではないなと思ったので、定期的にというかスポットスポットで年に何回かやらせていただくぐらいがちょうどいいのかなっていうのは改めて思いましたね。
その中でというか、酒を飲みに行った時、それは一人でもそうですし、友人と飲んでる時もそうなんですけど、ピーロになりがちというか、俺はいつまでピーロやるのか問題みたいなのを自分の中で定めているというか考えることがあるんですけど、
笑いを取りに行くとか、気の利いたことを言うとか余計なことを考えながら喋ってるなって思うんですよね。
特にお部屋が回ってきた時に、そういうちょっと気の利いたことを言うみたいなことをやはり定期的にすべったりしてるなっていう自覚があるんですけど、何でやってるんだろうって思った時に、多分不安みたいなのがあるんだろうなって自分の中で思っていて、
自分の素を見せる、見せないみたいな話ってあると思うんですよ。
自分の中でピーロをやっている、ピーロがやっているというのがどういうことかというと、自分の不幸だった話、大変だった話みたいなのを笑いに消化させて、ある種の自分にとっての救いになっている部分もありつつ、
ただ、そういうダサいところ、格好悪かったところみたいなのをさらけ出すことによって、人に受け入れてもらいたいと思っているのか、はたまたそれを消化させて楽になりたいと思っているのかみたいな余計なことを考えつつ、ただ多分その場において楽な立ち振る舞いではあるんですよね、そういうピーロになることが。
ただ、それをずっとやっていると確実にすり減るだろうなという自覚もあるし、今31歳なんですけど、これを40,50経った時にずっとやっていると痛いおじいさんになるなというのをまた他方で自覚があって、
じゃあピーロをやれる時期っていつまでなんだろうみたいなことを思った時に、マジでわからんと。いつまでやれるか問題みたいなところで言うと、服の話も自分の中であって、豆黒ゴーチだったり、レディーズの服を自分は着る機会が多いんですけど、
ただ、今の荒さだから着れている服でもあるなというふうな自覚はあって、じゃあ40,50どこまで生きているかわからないですけど、それっていつまで続けられるんだろうなみたいなことをいろんな節目で考えるたびに、どうしようマジでっていう正解の出ない話を。
それこそセカトさんだったりゴールデンガイとかで飲んでたり、頭、友人と朝、朝というか2時とか3時とかのカラオケのダラーっとしたタイミングとかで話しながら、マジでこういう話してる限りは正解見つからんし、ずっとこれやってるんだろうなと思うんですけど、どうしたらいいかの正解を持ってる人がいたらぜひ教えてほしいなと思う今日この頃でございます。
ピエロが悪いみたいなニュアンスで喋ってはいたんですけど、とはいえピエロも自分の一部だし、僕平野圭一郎さんの文人主義の話がすごく好きで自分の中でしっくりきてて、文人主義が何かというと、
それこそ飲み屋における自分、家族といる自分、職場にいる自分、それぞれ多分皆さん立ち振る舞いて違うと思うんですよ。ただそれは一人の自分というか、それぞれ全て自分であるみたいな定義というか主張されていて、まあそうだよなと思うんですよね。
場所によって場面によって立ち振る舞いを変えるというのは社会性であって嘘ではないというふうに思っているし、この場にとって自分のこういう人格、こういう文人を出すという自分の中の選択の話なので、
なんかこう場面によって場所によって自分のこうスタンスを変えること自体は悪くないと個人的に思っています。ただそれをこう何ですかね、文人が辛いみたいになるとそれはそれで自分が苦しくなるので違うというふうに思っていて、
最近こう一つ考えているのが、パブリックイメージとのガッチ会議みたいな話で、前の回でもうすいさんって美味しいもの好きなんですよねみたいなSNSを見ていただいておっしゃっていただく方の話みたいなのをしたんですけど、
ぶっちゃけこのSNSって綺麗なところしか出さないというか、こう鍵屋家だったりインスタの親しい友達とかで世話に入ったりもしてるので、なんか出し分けはこう自分の中で実際確かにしていて、綺麗なところだけパブリックには出してるなというふうに思いつつ、
SNSとリアルのバランス
ただこう実態としては本当に大正ぐずぐずで部屋が本当にって溜めるぐらいマジで汚くてどうしようと思いながらこう見てみぬふりというか見てみぬふりができないぐらいマジで汚いのでマジどうしようかなっていうマジでってギャルみたいに繰り返すぐらいどうしようもないなという感じなんですけど、
なんかこう綺麗なところばかり見せてきた自分に対してのしっぺ返しが来たというか、なんかその辺のバランスの取り方みたいのが年々こう自分の中で難しくなっているなーっていうのがあって、
何者やねんお前という話でもあるんですけど、こういうなんですかね、SNSの立ち振る舞い、リアルの立ち振る舞い、これもなんか文人主義に通じる話かなとも思いつつ、なんかどういうふうにバランス取ったらより生きやすくなるんだろうみたいなところはなんかずーっと考えてるところがあるなと思いますね。
でなんかなんでここまでいろいろ考えるんだろうな自分みたいなことを思ったときに、なんか本音をしゃべりづらいというか、それはなんかすごいずーっと仲いい友人とかもありがたいことにいるし、朝まで飲んだ日もあったねとか、ああいう時にこういう話したよなーみたいな通貨の中っていうとすごい昭和表現みたいな感じにはなりますけど、
それが相手もいるし、なんか話してもいいはずなんですけど、なんかどうにもこうにも格好をつけてしまうというか、取り繕うというか、こういう話してる時点で別に取り繕えているわけではないんですけど、
なんかそういう本音の出しづらさみたいなのが自分の中の生きづらさみたいなのをたぶん増長させてしまっている気はして、なんかどうしたらいいんだろうなっていうことをずーっと考えながらもう30数年生きてはきたんですけど、
なんかみんなの折り合いのつけ方、ピーロ問題の話でも問いかけさせていただきましたが、なんか教えてほしいなと思いますね。
なんかこういうことを考えるというか、今回のテーマの話をしようと思ったのが、その友人のトリブルの話と、あと飲みに立たせていただいた話、あとは前回も好きなポッドキャストが一緒に仲良くなったフォロワーさんの話したと思うんですけど、
これが植坂あゆみの私より先に丁寧に暮らすなよりすなの第129回ぜひ聞いてほしいんですけど、ざっくり言うと嘘と真実の話、恋愛の話みたいなことをされていて、嘘つくぐらいだったら全部教えてほしい、
やましいと思っていたらそこからが浮気みたいな、すっごいざっくり言うとそういう話をされていて、パーソナリティの植坂さんと岡井さんは嘘をつかれるぐらいなら全て真実を知りたいという話をされていて、
なるほどなと思ったんですよね。というのも僕の中ではシュレリンガーの嘘と真実じゃないですけど、嘘であると知るまではそれは嘘にならないので、知らなければそれって真実なんですよ。
例えば僕にパートナーがいたとして、相手に浮気相手がいましたと。明日の予定は?って聞いたときに、友達とご飯行くっていう話をしていて、僕はその表面の言葉をそのまま受け取る。
で、その上でパートナー相手は実は男とセックスしてたってなってても知らんことは知らんので、蓋開けるまではそれは嘘とかではなく、友達とご飯を食べに行っていたという一つの事象なので、蓋が開いてみてからしかわからんので、
あ、そうか、その全ての真実を知りたい人もいるんだなーっていう、これはなんかあやゆうでも嘲笑でもなく、そういうこともあるんだなーっていうふうに思ったんですけど、ある種のたぶんそれって自営だなと自分の中で思ってるんですよね。
一つ自分の特性というか思ってることとして、人間の感情の爆発ってどういうものであれあんまり見たくないんですよ。特にネガティブなものに関してなんですけど、これも自分の良くないところだなと思うんですけど、その場において謝れば済む。
ただ、自分の人と全く合致していないことみたいなのって、まあ、生きてたら皆さんあると思うんですけど、ただ、なんか、刺激する?対話することによって人がバーってこう怒ったり泣いたり悲しんだりするのってすーげー疲れるし、だったらこっちが飲み込むことによって、
その場が解決するって思うと、躊躇期で考えた時に絶対しんどいし、やんない方がいいなっていうのはよくよくわかってるんですけど、まあ、なんか、ごめんねそうだよね、俺悪いよねみたいな感じでやっちゃうんですよね。
ただ、まあ、それをなんか飲み込むことでコップの水がどんどん溜まっていって、溢れた瞬間にはもう無理終わりでーすってなるんで、良くないなーとは思いつつ、なんかそういう生き方をしてしまっているので、もう少しいい塩梅でできるといいなーというふうには思ってますが、まあ、ここまでこういう生き方をしてきてしまったので、じゃあどうしようかなーというところでもあるなっていう感じです。
はい、なんか、また2本撮り、手ちょぐずぐずの中で撮っているというところもあり、あまり頭がまとまってねーなーという、すいません、自覚はあるんですけど、話したいことを話させていただく場がポッドキャストだなー、特に一人語りの部分に関してはと思っているので、どうかご容赦ください。また次回もお会いしましょう。さようなら。
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