お聞きの皆様、おはこんばんちは。現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
先日、久しぶりに、うちの岡田社長と一緒にご飯を食べて、飲みに行くっていうね、 めったにやらないことをやってきたんですけれども、
あのー、今ね、私たちは、私は一応、社長が私の雇い主になるんですけれども、
めったに顔を合わすことがなくてですね、 ただ、大事なコミュニケーションとかはもちろん取ってますし、色々相談したりもね、
したりして、まあ、良好な関係性っていうのをずっとキープはしてるんですけれども、ほとんどね、
私が一人焦点状態なので、実質的にはね、何も絡みがないんですよね。
たまーに、一緒に営業に行くっていうかね、ちょっとややこしそうな案件だと、一緒に来てよって言われて、
現地調査行って、お客さんの話聞いたりとかっていうことがね、もう1年に1回あるかないかみたいな、そんな感じで、
たまーに、私が今いる大阪の拠点に、彼がたまに訪ねてくるぐらい。
彼もプレイング社長なんで、もうたくさんの案件を抱えてね、
もう、その、悠々と経営だけに専念できるっていうような、そんな大した会社じゃないので、走り回ってるんですよね。
なのでね、私が今いるオフィスにたまに来ても、基本的に、彼は彼で仕事をするために来て、
さっさと色々資料とかね、サンプル帳とか持って、バーッとまたお客さんに会いに行ったりとかして、
ほとんど、ゆっくり話すことないんで、ちょっとね、私が色々話したいことがあったんで、
ちょっとどっかで時間作ってよって言って、で、機会を設けてくれて、一緒に結構いい感じのね、
店をね、珍しく岡田がセレクトして、あの岡田はね、私何度も自分の配信の中で、割とよく登場してくるキャラの一人なんですけども、
あのすごいね、元モデルなんで一応、あのすごいね、背が高くてイケメンではあるんですけども、
全く、なんて言うんでしょうね、その男っぽさとか、色気とか、なんかその怪しい魅力とか、もう皆無の人間で、
もう牧突っていうか、なんかもう仕事だけやってるようなタイプの人ですね。
なんですけどね、いい感じのお店を選んでくれてて、矢口マリって、モームス、モーニング娘。にいた矢口マリにね、
そっくりな、かわいいママがいるね、居酒屋というかね、カウンター居酒屋みたいなね、ところをね、予約してくれてて、
そこでめっちゃ美味しくお酒も飲んで、美味しいんでね、私そんなお酒強くないんですけれども、まあまあね、私としては結構飲んで、
で、そっから、兼ねてから行きたかった、もう一軒、こっちがね、本当に行きたい方のお店で、
そこはお酒しか出さないとこなんで、先に腹ごなししてから行きましょうって言って、
社長がね、予約してくれた、初めて行く、泊まり居酒屋みたいなとこに行って、めっちゃ美味しいし、
お酒も美味しいし、矢口マリにのママがいい感じで、そこでね、結構長居して、カウンターだけのお店なんで、他にも常連さんとかがポロポロとやってきて、
で、常連さんとママと、私たちがね、わきあいあいとちょっと会話を交わしたりとかね、
ああいうこじんまりしたお店ってね、そういう、なんていうかな、その、一期一会の出会いとは言っても、なんかああいう、なんかこう、交流が生まれてね、すごくいいですよね。
で、まあ、一期一会って言いましたけど、ああいうとこ行きつけにしてしまえば、すごく親しくなるのかなと思って、まあ、いい感じだったんですよね。
まあ、もう、ちょっとしばらく止まってるというか、まあ、ある意味も現代に近づいてきたんで、まあ、ちょっとシリーズが、あの、止まってるというか、終わっている、あの、キャリアのね、話をしていた、えー、あの、好きなことを仕事にしたはいいけれどっていうね、配信で、えー、結構詳しく話してたんですけれど、
私のキャリアの出発点である、まあ、あの、某照明のね、会社、Y社の、まあ、社員だった頃に、私が、まあ、大変憧れていた、あの、まあ、女性のね、あの、なんていうかな、照明デザイナーがいたんですけれど、まあ、彼女が、この中野島公会堂から、えー、あの、この中野島のね、この界隈に、まあ、あの、橋が何個かあるんですけれどね、で、ここに、まあ、街灯、あの、夜のね、
このライト、あの、照明が、まあ、ばーっと並んでるんですよね。で、これが本当に綺麗で、で、これをね、あの、まあ、昔の古いものを、えー、まあ、これ、カレコレだから、20年ぐらい前に、全部、これ、大阪市が、あの、改、改修というかね、あの、リニューアルしてるんですよね。
で、あの、橋の改修したり、まあ、中野島公会堂自体も、えー、あの、直したり、えー、それから、この、街灯のね、ライトとかも古いんで、それも全部新しくしたりとかして、それをね、私の、その、Y社の、あの、当時の、その、照明デザイナーの方、今も、あの、現役で、Y社に、あの、室長、あの、デザイン室のね、室長になって、まだ今も活躍されてると思うんですけれどね。
で、その人がね、あの、毎晩、徹夜しながらね、これの、あの、なんていうか、模型作ったりとかしてたのが、今でもね、あの、懐かしく思い出すんですけれどね。
で、まあ、その、まあ、一大、すごい、その、行政の、あの、すごいプロジェクトを、まあ、彼女が任されてね、で、最終的には大阪市長賞を取ったりしてるんですよ。
いやー、もう本当にすごい人でね、なのに気さくで、全然威張ってなくて、で、誰からも人気があって、で、恋大きい女性でね、あの、社内の、まあ、ちょっといい男は、もう全部彼女が過去に付き合ったことがあるっていうのはね、
あの、Y社なんてもう、あの、おっさんばっかりだったんですけども、もう片手で数えるぐらいしか、なんか、いい男っていなかった気がするなとかって思うんですけど、それ全部、このね、あの、S先輩がみんな、あの、彼女の昔の男みたいなね、あの、私にとっては憧れの女性だったんですけれど、
まあ、その彼女がね、手がけたこのライトがね、今もばーっと、美しくね、この中野島の川沿いをね、ライトアップしてるんですよね。で、まあ、これを見るたびにね、私は自分のなんか、こう、原点っていうか、あの、キャリアのね、で、まあ、自分のやってる仕事っていうのは、まあ、超絶つまらない仕事で、当時ね、あの、どうでもいい仕事って言ったらアレなんですけども、まあ、もう、私じゃなくても誰でもできるし、
まあ、誰でもやりたくないような、まあ、そんな仕事だったんですけれど、まあ、こういう立派な仕事している先輩がいるんだっていうね、ことをね、もう本当に遠くで光っている星を見るような気持ちで、あがめていたんですよ。
で、まあ、自分は決して、まあ、どんなに頑張ってもね、あの、この彼女のいる場所にはいけないだろうなと思いながらも、でもね、いつも、あの、なんていうかな、あの、まあ、彼女みたいになりたいとはね、だからもうおこがましくて思わなかったんですよね。
ただ、まあ、ちょっとでもあの人のように、あの、いつか、あの、自分も、なんか、やりたい仕事っていうかね、こう、大きなプロジェクトとかをやれるような、あの、なんていうかな、その、専門性を身につけてね、まあ、仕事で、なんかこう、輝きたいみたいなのがね、当時の若い私はいつも彼女を見ながら、なんか、うん、そんなことをね、眩しく思っていたんですよね。
で、今、現時点で私がどうなっているかって言うと、まあ、いろいろ配信でお話ししているような状況で、決して、まあ、その、彼女ほどすごいところには到達できないんですけれども、まあ、でも、あの、まあ、もう本当に地べたを這うような、あの、仕事をしていた私がね、から比べれば、今こうやってね、憧れの京都に行って、で、まあ、地区、おそらく150年ぐらい経ちました。
で、その地区、おそらく150年ぐらい前の家をね、あの、直したりっていうことに、まあ、携われたりとかするっていうのは、まあ、まずまずなんじゃないかなと思って、まあ、ちょっと、まあ、毎回ね、なんかこの中野島っていうエリアを通るときは、いつも自分のその苦い、その若かった頃のね、苦くて、もやもやして、えー、こんな仕事を何年やったとてね、一体自分はどうなるんだろうと。
で、かたや、自分とそう年が変わらない。今思うとね、彼女は私の4つぐらい上だったと思うんですよね。で、それぐらいしか年が離れていない人が、こんな、まあ、その、まあ、大阪市からね、発注受けているような仕事をしているんだっていう。
で、大手ゼネコンと、まあ、蝶々橋で、ね、この街灯のデザインどうすんだとか、ね、ここの光源はね、あの、これぐらいのルックスで、とかルーメンでとかっていう、まあ、すごい、あの、照明のね、ものすごいディープな打ち合わせとかをね、けんけんガクガクやってるのとか見てて、いやー、なんという差なんだろうと。
うーん、だからその年齢の、その4歳の、その年の差っていうか、そんなことよりも、そもそも出発点が違いすぎて、なんかね、自分がいかに小さくてどうでもいい、もうゴミのような存在なのかっていうことをね、その頃よく思ってたんですよね。
で、そこから、まあ、かれこれ、まあ、20数年、うん、下手したら30年近いのかな、ぐらいの、まあ、月日が流れ、で、彼女は今、非常にね、Y社って、まあ、今も過労死で生き延びてるんですけれど、まあ、でも、いろんな右右曲折があって、会社としては実はもう、あの、他の大手企業に、あの、買収されるという形で、あの、ギリギリ生存してるんですけれど、
まあ、そういう、そのね、いろんな経営機器や、あの、買収とかがあって、まあ、多くの、当時私がね、一緒に働いていた人たちの多くが、まあ、あの、おじさんたちはもう定年退職ですし、えー、まあ、あの、私の年に近かった人たちとかもみんな辞めたり、うーん、あの、してってるんですけれど、まあ、このS先輩っていうね、憧れの先輩は今も、このデザイン室の室長さんとして、あの、Y社にいらっしゃいます。
はい、まあ、でも、この中野島は、まあ、彼女が手掛けた、まあ、その、大阪市からね、あの、発注された、えー、この、大々的にね、この中野島公会堂および、この周辺の、えー、まあ、この北浜に、あの、橋が、この中野島にね、橋が架かってるんですけれど、このあたりの、えー、街灯、あの、ライトね、照明、あの、外用のアウトドアの照明機とかね、そういうのを全部回収してるんです。
20数年前ですか。で、その時のこのプロジェクトに、まあ、彼女がね、あの、まあ、携わってるんですよ。で、その時の、まあ、仕事ぶりで、大阪市長賞を取ってるんですよね。
まあ、当時まだ彼女30ちょっとぐらいだったんじゃないですかね。で、それぐらいの年齢で、で、しかも非常に封建的で、まあ、あの、当時ね、あの、まあ、その、世の中的に、あの、そういう時代だったっていうだけでもなく、えー、特にY社はね、すごく、あの、割と、あの、古臭い会社だったんですよ。男の人がね、みんな、あの、おじさんばっかりで。
で、若い女性たちっていうのは結構契約社員にされてたり、えー、あとは、その、正社員でももう結婚したり、子供ができると、辞めざるを得なくて辞めてったりして、まあ、8割がおじさんで、まあ、2割、あの、独身の女性とか、まあ、若い契約社員とかね、私を含めて、まあ、そんな感じの構成だったんですよ。
で、そんな中で、彼女は一応正社員で、女性なんですが、まあ、でもそのような会社で、そういう大きなね、そういう、あの、逆しっていうか、まあ、行政からの、そういうプロ、プロジェクトを任されるような仕事をね、そんな結構若い時にやってたんだと思って、まあ、いつもね、で、その、当時の私は、まあ、地べたを這うような状態じゃないですか。
だから、あの、なんかね、その、私にとってのこの、なんか、原点に帰る場所になってるんですよね。この中野島界隈っていうのが。私が大好きなレトロビルがいっぱい残っている。
この辺はね、大阪っていうのはもう空襲で、もう丸焼けになってるんですけれど、えーと、この堺筋とね、中野島界隈だけはね、結構残ってるんですね。古い建物が。明治時代や大正期に建てられた家とかね。
で、まあ、町屋も、あの、結構ね、土生町っていうね、あの、薬どんやが今でも集中しているエリアがあるんですけれど、この辺りもね、あの、普通に町屋とかがね、あの、結構あったりして、まあ、その、もう、眺め歩いてるだけでも楽しいエリアなんですよね。
でも、ここをまあ、私は大阪の拠点に、あの、ま、社長に頼み込んでですね、ここに、あの、ここにしてくれって言って、まあ、ここに、あの、オフィスを構えてるんですけれど、いつもここを歩くとS先輩のことを思い出しながら、で、そのS先輩がこのような眩しいね、文字どおり眩しいこのライト、あの、美しいライトをね、作ったりとかしてる一方で、たかだか4つしか年が離れていない。
私がしょうもない仕事をしてるっていうね、その、なんか自分のキャリアの原点にね、いつも帰って、なんか初心に戻れるっていうか、あの頃ほんと地べたを這いつくばってもがき苦しんでたっけなぁなんて思ったりね。
で、離婚して、これからどうしようっていうね、もう途方にくれながら、でもとにかく憧れのワイ社に何としてでも潜り込みたいっていう一心で、しょうもない仕事のね、募集に無理くり自分の履歴書をねじ込んでですね、ほとんど裏口入学みたいな感じで、
まあその、潜り込んで、まあ結果的には、まあでもここで、あの、なんか培ったその、その、なんていうかな、その地べたを這うような、あの、苦い気持ちや、あの、つまらない仕事一つも含めてね、まあこの時のことが全部自分の、あの、なんていうか基礎になってるなっていう感じがしますね。
で、そういういろんなことをね、いつもここに来ると思い出させてくれるっていうのがあります。
で、まあこのS先輩は、今もずっとワイ社にいるわけで、で、このね、そのS先輩を眩しく、あの、崇めていた私は、そこから、えーと、だからいくつだ、えー、2、3、4つ、えー、今4つ目の会社にいるんですよね。
いろいろ点々としたんですけれども、まあどんどんどんどん、あの、逆に言うとね、あの、一度、そのM社はね、めっちゃ、まあ会社自体はめっちゃ大きい会社でしたけれど、その中のインテリア事業部自体は、まあどれくらいいたのかな、当時。
それでもね、何百人かはいたと思うんですよね。で、まあそこにいて、そこから次は、まあその、まあ超ブラックな会社。
ここはね、めっちゃブラックだし、えー、その当時リフォーム事業部にいたのは、言ってもね、30人ぐらいだったんですよ。
ただどんどん業績が上がって、最終的には100人ぐらいになってたんですかね。
まあだから、ちっちゃい会社ではあるんですけれど、母体がね、めっちゃ大きい会社だったんで、まあそういう意味じゃ、まあどうだったのかな。
まあでも、まあリフォーム事業部だけで見れば、まあ小さな会社。
そしてさらに、まあ岡田、そのブラック企業で出会った岡田社長に誘われて、岡田がやっている、この超零細企業の、まあちっちゃい会社に、まあ転職したんですよね。
で、まあ冒頭に戻ってですね、まあ岡田と、まあいろいろ喋っててね。
で、まったくちょっとこのS先輩とかY社とか別件で、実は私、こないだお客様を連れて、リクシルっていうね、あのメーカーがありますよね。
リクシルとかパナソニックとかTOTOとかありますけども、それのねショールームにお客様と同行して、まあいろいろ商品を見に行ってたんです。
その時に、このブラック企業で、ブラックリフォーム会社で、私の上司だった女性が、そこでね、接客スタッフとして立ってるのを見てしまったんですよ。
で、この先輩っていうのは、私とまあほとんど年が近い人で、めっちゃ優秀な人だったんですよ。
ちなみにね、このブラックリフォーム会社って、まあ岡田とここで知り合ってる、この会社っていうのが、まあ岡田もそうですけれど、本当に優秀な人しかいない会社だったんですね、当時。
で、あの、それが証拠に、ここにいた営業マンが、このね、だから、前世紀、私が入ったばっかりの1年半ぐらいが、この会社の前世紀で、そっからどんどん経営が、校長だったために人を増やしたんですよね。
増やしていけばいくほど、どんどん会社としては良くなくなっていって、悪くなっていったんです。皮肉なことに。統制が取れなくてね。
ただ、この私が入った、その1、2年の最初の頃にいた、20数名の人間っていうのが、もう一人、優秀じゃない人もいなくなかったことはないんですけれど、ほぼみんな優秀で、
で、その証拠に、その営業マンだったね、当時。男性たちがね、岡田をはじめ、その25人しかいない中でですよ。今、数えるとね、10人近くが、もう独立してるんですよ。
それって、ちょっとすごくないですか?
でも、逆にも言えて、今独立して、軽々10年ぐらい、もうずっと、それぞれ会社やってて、うまくやってるんですよ、みんなね。
で、みんな結構若くてね、岡田は40代ですけど、まだ30代の子とかもいたりしてね、でもみんな結構、ちゃんとね、会社の経営がうまくいってるんですよ。
それは業界がね、このリフォームっていう業界自体が、まだまだ固い業界だっていうことも、もちろんあるかもしれませんが、
よくやってるなと、昔の同僚に対してすごいなって思う。一方でね、すごい残念だなと思うのが、これだけ優秀な子たちが一堂に会していたのに、あまりにも環境が悪すぎたりとか、
そういう優秀な人たちをある種、例文することによって、みんな逃げてっちゃったんですよ。彼らがまだ今も同じ会社にいたら、どれだけ強い会社になってたのかなと思うんですよね。
会社っていうところはわかるんですよ。理屈としては人っていうのは買いが利く、辞めればまた人取ればいいっていうね。でも実際は人ありきなんですよね。
一人優秀な人が例えばいたとして、その人が辞めればまた新たに優秀な人を取ればいいっていうのは理屈としてはそうなんですけれども、でも同じじゃないんですよ。
確実に今までいた人が持っていたお客さんとかは、その人が辞めることによって離れていくんですよ。
例えば今、もともと20人いた会社から10人の人が辞めて独立しました。
私もそうですけども、独立したそれぞれの人たちは自分のお気に入りのその時の同僚を引き抜いていくわけですよね。
自分の会社のナンバー2とかナンバー3にお気に入りの同僚を引き抜いていくわけなんで、もう抜け抜けじゃないですか。
もともとブラック企業でみんないた優秀な人たちがもうみんなボロボロボロボロ辞めていって、結局イエスマンだけが残ってたり、そのイエスマンすらも辞めていったりとかして、今も本当にほとんど残っていないそうです。
このブラック企業もね。会社自体はね、もちろん残るんですけれど、でも中身がスカスカになってしまって、人は母体がしっかりしてるんで、次々と人は採用できるんですよ。
ある意味こんなに採用できない時代に、なんだかんだ人をかき集めてこれるんですごいなって逆に思うんですけどね。
でも昔のような優秀な人材っていうのは全然来ないんで、もう今となってはあの当時みたいな熱い仕事はもう全然できてないらしいですね。今も残っている人の話。
リクシルのショールームの話に戻りますと、私のブラック企業での設計の先輩だったというか、上司だった女性がですね、土日の休みの時にですね、このリクシルショールームのおそらく接客応援として派遣されてきてるっぽい気がするんですね。
ちょっとねややこしいんですけれど、こういうねリフォームとか新築の家とかでこういったメーカーのショールームって行かれた経験ある方は結構いらっしゃると思うんですけれど、こういうところにね土日、みんなが休みの時に行くとすごいたくさん人が来てるわけですね。
来場者が多いので、当然通常このショールームに勤務している制服を着た女性のアドバイザーがいると思うんですけれど、この人たちだけではおそらく足りないんで、応援で派遣されてきている人たちの中にね、この先輩がいたっぽいんですよね。
あるいはですね、土日とかって結構ショールームの場を借りてイベントをやったりねフェアやったりしてるんです。リフォームフェアとかね。結構大手のリフォーム会社とか新築の住宅メーカーとかがこういうショールームの場を借りてね、お客さんたちを呼んでフェアやったりっていうこともあるんです。
だからもしかしたら、この私の先輩が勤めている公務店内、リフォーム会社から応援できてるのかなとかね、いろんな可能性はあるんですが、私はこの先輩のことはずっとすごく尊敬していて、本当はもっと仲良くなりたかったんですよ。
ところがですね、辞めた時もね、私のために送別会やってくれたりとかしてすごく和やかにお別れしたんですが、その後私が岡田の会社に行ったっていうことで、当時すごく会社の中では悪く言われてたらしいんです。
岡田がある種、そこで営業をやってて、そのブラックリフォーム会社でつながりを持って行ったいろんな顧客とか取引先とかをね、ごっそり持って行ったみたいな、すごく悪く言われたんですよね。
結果的にはね、その時すごく攻めてたお兄ちゃん部長って私よく言ってる、その時のトップの人もね、同じことして自分も辞めて、その時の取引先とか全部持って行ったんで、同じことやってんじゃねーかよっていうオチがあるんですけれど、すごくその時は悪く言われて、
でもあいつらとはね、岡田と寸尺とはもう付き合うなっていうね、あそこと取引するとか、あそこの仕事を受けたらもううちとはもう取引停止だみたいなね、ことを言って、その商社とか職人とかにもお達しが出たっていうぐらい激励に触れてたんですよ。
で、そういうこともあってか、ちょっともうそれっきり円が切れてしまったんですね。お互いLINEの交換はしてましたし、個人のね。だからやり取りしようと思ったらできなくはなかったんですが、なんとなくちょっと気まずくなってしまって、彼女とはそれで円が切れてしまってたのをずっと私はちょっと心のどこかで悔いていたんですね。
ただまだ今もそのブラック企業に働いている人がいて、多少なりとも今どういう状況かっていう噂は入ってくるんで、聞いているとね、その尊敬していた先輩というか上司もその後ほどなくして私が辞めた半年後ぐらいに彼女も辞めて、
そしてしばらくしてから大手の、今度は新築の木立のメーカーに勤務することになったんですよね。正社員で。そこのホームページにもドーンとその先輩が載ってたりして、ああここに行ったんだと思って。
当時一緒に働いていた頃は彼女はこのブラック企業を辞めたらね、私はゆくゆくアトリエ系の設計事務所に入りたいってなことを言ってたんです。アトリエ系の設計事務所っていうのは超過酷な労働だけれども、一方で給料が激安ということで有名なんですよね。
有名か有名じゃないんですよ。建築士の先生の事務所に入ってですね、修行を積ませてもらうっていうことのために行くっていう意味合いがあって、相変わらずこういう業界ってちょっとデッチ暴行みたいなものの伝統が残っているところがあって、安い給料の代わりに食うところと寝たり寝起きする場所は提供してやるみたいなねいうことが、
割と今もそれやってるところは少ないと思うんですけど、そういう慣習が残っているので、指して給料は良くないってイメージなんですけれど、彼女は今の給料が半分になってでも、一からアトリエ系の設計事務所でね、もう一回仕事を学びたいって言ってたんです。
それぐらいね、向上心のある方で、だから自分はリフォームの仕事してすごく能力高い人ではあったけれども、彼女はね、めっちゃ長くなってきてますね。ちょっと一旦ここで切って後半に行きます。