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2024-07-31 17:40

ある肌寒い日の公園で【後解説】 #149

バンクーバーの肌寒い日に出会った、不思議な青年の話の、解説では触れなかった数々の伏線についてお話します。

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お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今日はですね、前回までお届けしました、このフランシスのね、奇妙な物語のちょっとね、解説というか、あらすじを話しているところではね、ちょっと言えなかったこと、言い逃したこととかをね、ちょっと話したいなと思ったんですね。
はい、これは何度かお伝えしているように、1969年の映画で、アメリカが大きく変化をしようとしている時代の映画なんですよね。
そのちょっと前にですね、私がお話ししていたヒッチコック、これはちょうど最高とかね、そういった映画が1960年だったんですよね。
この頃はまだ非常に保守的で、金欲的な社会だったんですよね。
で、これはもう70年が目の前まで来ている、この1969年あたりになってくると、もう全く全体的なね、若者たちの価値観とか、結婚感とか、恋愛感とか、そういったものが大きく変わってきている時代の映画なんですよね。
で、一方ですね、この主人公のフランシスという女性は、相変わらず非常に保守的で、古い価値観の中で生きている女性なんですよね。
しかもですね、裕福であったがためというのが、結局この親の家にずっと親とともに暮らして、自立する機会及び、自分が社会に出て働く必要性もなかったこともあってですね、ひたすら年老いた親とともに生きていくのが、彼女の社会のすべてだったと思われるんですよね。
だから同年代の友達は一人もいない。もう全部結局、彼女が食事会やったりですね、招かれて行くパーティーとか、これはもうすべて老人ばっかりがいるところに彼女は行くわけですよね。
これっていうのは全部、ご両親の友人たちとかね、そのとにかく親の人脈の中で、このまだみそ地を迎えたばかりだと思われるフランシスはずっといるわけですよね。
言い寄られているこの老人の医者、この人もおそらくお父さんお母さんの知り合いの医者だったと思われるんですけれども、こういった人となぜか彼女が横並びで付き合っているんですよね。
今、医者の話が出たので、ついでに言いますと、この医者は精神科の医者だということが、この会話の中から出てくるんですよね。
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ちょっと私が語り目解説で言い忘れている可能性があるんですけれど、この口を聞かなかった金髪の子の青年、この青年に対してずっと最初全然彼が喋らないので、一方的にフランシスがあなたなんて言うのとか喋れないのとか話しかけているシーンがあったときに、
知り合いに精神科のお医者さんがいるから見てもらったらいいわとか言っている場面があったんですね。なのでずっとこの医者とは婚姻にしているっぽいんですけれど、これが何でなのかというところも全く映画の中では説明がないんですが、
おそらくフランシス自身に精神疾患があるのか、もしくは彼女の映画の中には全く出てこない、もうとっくになくなっているお母さんですね。お母さんの主人だった可能性も考えられるんですよね。
ちょこっとこの内容の中でお父さんはだいぶ前に死んでるっぽいんですよ。お父さんの話はほとんど出てこないんですよね。お父さんが死んだ後、長らくこのお母さんとフランシスは2人でこの高級マンションで暮らしているということを、彼女自身が一人でトツトツと喋っている中で出てくるんですよね。
なので、このお母さんと彼女の知り合いだったとするならば、この精神科のお医者さんというのはお母さんの主人だった可能性もあるんですよね。なので、もともと精神疾患を患っていたのではないかという、ほのめかしの一つとして、この医者が登場してきているという部分もあると思います。
そしてもう一つ、この絵が奇妙なところは、私がやたら登場人物は名前で呼ぶようにしてたんですよね。フランシス。そしてこの青年のお姉さんのニーナ。ニーナの彼氏のニック。この精神科のお医者さんでさやもが、チャールズというちゃんと名前がついてるんですよね。
このように、あんまり登場回数が少ない人にも、ちゃんと名前があてがわれているのに、なぜか私はずっと、この家に公園で拾ってこられてね、甘えどりさせてもらったこの純主役である青年は、ずっと青年とか男の子とかいう呼び方をしてきました。
これは本当に最後この映画がエンドロールで終わって、登場人物のキャスト、スタッフの名前がバーと流れるところがありますよね。ここで登場人物たち及びその役者さんの名前が出てくるところで、この青年はザ・ボーイとしか書いてないんですよ。
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だから、もともとこの男の子だけが名前をもらってないんですよね。ここもすごく不気味ですよね。結局、このお姉さんの彼氏とかなんて、ちょこっとしか出てこないんですよ。この医者とかもそうです。本当に映画の中で言うと、わずかな登場シーンなんですけれど、彼らにですら名前があてがわれているのに、結局この青年は最後まで名前で呼ばれるところは一度もないんですよね。
お姉さんとすごい親密で、ちょっとね、近親相関を思わせるような、ちょっと不思議な関係性まで提示されているんですけれど、このお姉さんが彼の名前を呼ぶシーンは一度も出てきません。
なのでね、これは意図的にこの青年には名前を与えてないと思われるんですよね。つまり何者でもない、というか何者でもなくされてしまうというね、彼の未来を暗示してるんじゃないかなというふうにも取れますよね。
そしてね、このインテリアも見物なんですよね、この映画ね。とにかく重厚なマンションの室内なんですよ。とにかく全てが本物でね、扉とかそういったところも全部本物の木で作った重たい、天井高をちゃんと活かした、背の高い扉だったりするんですよね。
石とか鏡とかね、そういった硬質なものね、こういったものもふんだんに使ったインテリアなんですよね。やたらでもね、日光が入らないというかね、暗い内装なんですよね。
なのですごく年寄り臭いというか、この30前後のフランシスの年齢からいくとだいぶ老人が好むような重厚なテイストであるということもありますし、あとはですね、よく私が言うパフパフですよね。
こんな30くらいの女性と若い20くらいの青年なわけなんでね、こんな若い男の人が本気を出せばですね、こんなマンションは扉を蹴破ってでも脱出できそうに思いますよね。
ですけどね、このインテリアがね、やたら重厚で重々しいんですよ。扉とかもね、すっごいなんかね、重くて硬そうで、玄関の扉はね、しょっちゅう出てくるんですよね。お客さんを招いたりとかするシーンとして出てくるんですけど二重なんですよね。
これね、私バンクーバーって行ったことあるんですけれど、別にね、本当に寒いね。カナダって言ってもね、本当上の方とか本当に寒いエリアがありますけれど、バンクーバーはね、寒いって言ってもちゃんと一応四季もあるところなんですよね。
夏とかね、あってもそんなもう冷戒何十度みたいにね、そこまで寒くなるエリアではないんですけれど、玄関が二重になってるんですよ。だから最初の入り口があって、もう一度玄関扉があるみたいな二重玄関になっていて、すごい重厚な作りになってるんですよね。
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だからこの青年がね、閉じ込められて、もう出ていけない感じがね、この映像を見てるだけでもね、よくわかるんですよね。扉とかもね、とても蹴破れそうもないし、あと窓枠とかもね、ガチガチに作られてね、ちゃんと木枠の窓サッシなんですよね。
ここを釘でね、打ち付けられたのでは、この青年がね、いくら若くて力持ちだったとしても、簡単にね、道具なしではちょっと抜け出せなさそうな感じっていうのもね、だからちょっとこう、老屋というんですかね、牢獄のようなね、そういった感じが、もうこのインテリアからもね、伺えるんですよね。
あとね、このカメラワークもすごい絶妙で、このカメラマンはね、ラズロ・コバックスっていうね、すごく有名なカメラマンで、この映画の時はね、まだそこまで有名じゃなかったんですけれど、この後ね、歴史的傑作であるイージーライダーを撮ることで有名になる監督なんですよね。
で、その後、私たちにとっても結構なじみのあるですね、マーティン・スコセッシー監督とね、仕事したりとかしているすごいカメラマンなんですよね。
この人のね、やっぱり撮影が絶妙で、時々ですね、フランシスの不安定な精神状態を表すかのようにしてね、あっちこっちにガラスブロックが多用されているんですよね。ガラスブロックって皆さんお分かりになりますかね。
キューブ状のガラスが二重になっていて、中に空気層を閉じ込めたキューブ状のガラスなんですね。すごい厚みもあるんですよ。15センチとか20センチとかそれぐらいあって、これがね、昔とかはね、結構内装にこれを使ったりするのが人気があったんですよね。
日本でもバブルの頃とかね、このガラスブロックを外壁面に埋め込むのが流行ったりとかした時期がありました。これがね、いたるところに埋め込まれているんですけれども、わざとね、このガラスブロック越しにフランシスを撮影していたりとかね。
つまりガラスを通しているので、ちょっとぼやけるんですよね。こういったすごくね、ガラスとか鏡に映る窓越しのショットとか、こういった何かを通して人間の表情を映すみたいなシーンがやたら出てくるんですよね。
これも、なんかちょっとね、不安定だし、ちょっとね、ピントがぼけるし、ここもね、すごい怖いんですよね。なんとなくこう、ちょっと不安定な不確かな感じが映像を見ているだけでも伺えるんですよね。
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そしてね、私が個人的に本当に怖いなと思ったのは、このフランシスの幼児性ですね。幼児性、幼い。ミソジの女性とは思えないぐらい幼稚なんですよね。
その幼稚さを表すところがですね、この学生時代に着用していたネクタイを持ってくるシーンであったりとか、あとはこの青年が自分がベッドで寝ているように見せかけるために使った人形類ですね。
金髪のお人形さんとかね、こういったものが普通に部屋にあるということをほのめかしていたりとか、あと私がものすごく後々考えると不気味だったなと思ったのが、音楽を鑑賞するシーンですね。
ここでは、だからこんなハンガリー舞曲とか、こういうね、なんか要するにあのなんか賑やかな音楽のレコードしか持ってなかったりね、この頃だったらもうジャズとかロックは出てるわけですよね。
こういった音楽ではなくて、こういうあのなんかけたたましい、子供にも好まれるような、こういうクラシック音楽の中でもね、比較的聴きやすくて、あのちょっと楽しいようなレコードしか持ってないということもすごくフランシスの幼稚性を感じるんですよね。
で、そのその場に即した音楽をセレクトできないっていう、そういうなんて言うんでしょうね、音楽的センスの未熟さも暗示してますよね。あとはですね、あのちょっとこのテレビをね、最初この青年が見ていたんですけれど、それをバチッと消して、でまぁレコードをかけるという風になるんですけれど、このテレビで映っていたのは男性のゼンラーですね。
あの、川かなんかで泳ぎたいために、あの男の人が服を脱いで、まあすっぱだかになるっていうところがちらっと映ってるんですけれど、これはね、別に全然いやらしい映像とかとしてではなくて、ごく普通のあのね、この川にただ入るために、あの服を脱いでるだけのシーンなんですけれど、これをね、男の人が脱いでるとこ見た瞬間にね、テレビバチッと消すんですよね。
これも、ある種、男性のそういう裸とかに免疫がないということを暗示してるんですよね。こういったところも全然説明もないし、さらっとね、この映画は流れていくんですよ。全然ね、何かこうここをクローズアップにしたりね、なんかここですごく表情をドアップにしたりとかね、そういうわかりやすい演出っていうのが一切ないので、
後で気づけば、そういえばというね、そういうことの連続なんですよね。でもここも、このフランシスの幼さ、未熟さを表すエピソードとして導入されているシーンだと思われるんですよね。
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で、後はこの彼女のファッションですよね。いつも固いスーツにね、ヒッツメガミで、およそね、この青年のお姉さんのニーナのようなね、おしゃれで、もういつでも裸になれるようなね、そういうこうラフな感じっていうのは一切なくて、ものすごく気まじめなファッションでね、隙がないんですよね。
で、すっぴんで、ここは彼女の幼児性と、全然この時代とミスマッチなね、流行は全く追ってない感じが出てるんですよね。で、後はいつもね、部屋で着ているネグリジェ、これもね、首まで詰まっていて、長いんですよ。
だからもう一切肌が露出しない、どこも肌が見えないみたいなね、正直年寄りとかが寒くなるんで、好みそうなね、そういう年寄り臭い寝巻きを着るんですよね。
で、こういったところもね、なんかこう、幼いし、かといってなんかこう、年寄りじめていたりっていうね、この非常にフランシスのバランスの悪い感じっていうのが出てるんですよね。はい、そんな感じでね、いろいろ見てない人にしたらね、なんだろうっていう感じなんですけれど、この映画ね、今回の私のこの解説で興味を持たれたら、ぜひ見ていただく機会があったら見てほしいんですけれど、
あいにくね、これは今私調べた限りですと、DVDというかブルーレイで見るしか多分なさそうなんですよね。いずれね、またどこかね、アマプラとかね、ネットフリックスとかそういったところで配信される機会があるか、こういったDVDとかを借りるか買うかしてご覧になる機会があればね、ぜひまたちょっとこんなところにも注目して見ていただけたらなと思います。
はい、というわけでね、ちょっとこの雨に濡れた歩道というね、映画を今回はご紹介させていただきました。
結構ね、皆さん楽しんで聞いていただけたみたいだったのでよかったと思います。
はい、またね、こんな感じであまりみんなから知られてないようなね、ちょっとサスペンスやホラー映画をご紹介していこうと思いますので、引き続きよろしくお願いします。ごきげんよう。
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