マライアキャリーの来日
お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
もうすぐ、今年の秋口ぐらいに、マライアキャリーが日本に来るんですよね。
関西で言うと、神戸にマライアが来るんですけれど、
私は、ここは日にち的な面でも、場所的にも厳しいなと思って、チケットは買わずにいたんですよね。
すごいことですよね。久しぶりの来日で、マライアキャリーは私、同い年で大好きなシンガーではあるんですよね。
曲によって好き嫌いはありますし、間違いなく、近年で最も歌が上手い人だと思うんですね。
だから、マライアを聞き慣れているので、最近出てきているビヨンセとかね、
私はね、物議をかもすかもしれないんですけど、ビヨンセはね、すごい人だっていうことは思うんですね。
ジェンスさんとかもね、ビヨンセ大好きで、ビヨンセは実はそんなに好きじゃないんですよ。
もう全然マライアとかね、そして今からお話しするもう一人の人、これらの人の歌を聴いていればですね、
ビヨンセはね、確かに歌も上手い。そして彼女の場合は、色々メッセージがあってですね、社会に対して、
女性に対してね、ジェンダーの問題、あとその黒人差別の問題とか、色んな社会的メッセージを持ったエンターテイナーなんで、
そして自分で曲も作れて歌詞もかけて、複合的に、そして見た目も美しくて、複合的に全てが整っている人なんですが、
私はね、彼女の裏にJay-Zという人がいるだけでも、すでにずっと怪しいと思って、あんまり個人的には実は好きじゃないんですよ。
一歌手としてね、見ただけでもですね、やはりマライアとかの方がもう100倍も1000倍もね、上手い人だなぁとずっと思ってました。
そしてこのマライアの少し先輩にホイットニーヒューストンという人がいるんですよね。
ホイットニーヒューストンは、私はマライアの方が好きです。ですけれども、歌の上手さという点においてはですね、ホイットニーヒューストンほど歌が上手い人はいないんじゃないかなと思ってるんですよね。
マライアも本当に上手くて、この2人はコーツつけがたい歌姫だと思うんですよね。
今日はね、あのちょっとまぁそんな感じで、あの頃の、だからもう本当老害話ですよ。
あの頃の人はすごかったよね話、年寄りのね。
ちょっと親しい人とホイットニーやマライアの方がね、もうすごかったよねっていう話をたまたましていて、そういえばね、なんでホイットニーはあんなに早く死んじゃったんだろうねっていうね話にたまたまなったんですよ。
なので今日はちょっとね、そんな話をさせていただこうと思うんです。
これはですね、私がいつもよく聞いているTBSラジオの歌丸師匠の番組で、アフターシックスジャンクションっていうね、人気ラジオ番組があるんですけれど、ここにね、時々定期的にあのゲストで出てくる西寺剛太さんでね、ノーナリーブスっていうグループをされているシンガーソングライターですよね。
この方が出てきて、この方はソウルミュージックの研究家でもあるんでね、あのマイケルジャクソンとか、いろいろこういう80年代から現在に至るいろんなブラックミュージックの研究家でもある方なんで、この人がねラジオに出てきてホイットニーの話をした時があったんですよね。
この時に、ドキュメンタリー映画がちょうど公開されるタイミングでホイットニーヒューストンの特集をラジオでやったんですよ。コロナの時期ぐらいに放送された回だったと思うんですよ。
この頃にホイットニーのドキュメンタリー映画、オールウェイズラブユーっていうね、あの映画が公開されたんです。この映画の公開の時期に合わせて、この西寺剛太さんがラジオでホイットニーのちょっと振り返りみたいな特集番組をされたんですよね。
これでね、私もこの映画を早速見に行って、かなり衝撃的な内容だったんですよ。なので今日お話しする内容っていうのは、あくまでもこのオールウェイズラブユーっていうホイットニーのドキュメンタリー映画に即した内容になっています。
そして、このドキュメンタリーがあまりにも衝撃だったからだと思うんですが、まだね、このドキュメンタリー映画をね、制作した頃はご存命だったホイットニーの親族、特にお母様が猛反発しましてね、この内容に。
で、もう慌ててね、多分それが引き金になって、割と最近に公開された全くホイットニーに似ても似つかない人が主演をやって、しかも口パクだったっていうね、非常に評判が悪かった電気映画がありましたね。
その後、クイーンの電気映画、ボヘミアンラプソディーっていう映画が大ヒットした後ですね、いっぱいこの辺のね、私が青春期に大好きだったスターたちの電気映画っていうのが流行っていっぱい今映画化されてるんですけれど、その一つみたいな感じで、ホイットニーヒューストンのアイワナーダンスウィズサンバディーっていうね、なんかとんでもない電気映画がね、3年ぐらい前に公開されて、
これ本当にひどい内容でしたけどね、こんなのを作ったりして、このドキュメンタリー映画の衝撃を払拭するために作ったとしか思えないような映画だったんですよね。
何が本当だったかっていうのはね、実際当事者しかもちろんわからないんで、これを実際がどうだったかということを精査するのは、もちろん私たちのやることではないんですが、これはあくまでも私がなんとなくいろいろ見てきた、この映画であったりドキュメンタリーであったり、後はこの当時の生存しているホイットニーの周りの関係者の証言とか、そういったものをもろもろ複合的に見たらですね、
どう考えても、この2018年に制作されたホイットニーの電気映画、オールウェイズラブユーの方がね、かなり現実に即した内容だったんじゃないかということは、なんとなく推し量ることができるんですよね。
はい、というわけでね、まずホイットニーヒューストンは、これもこんなに前だったのかと思ってびっくりしたんですけれど、2012年にちょうど仕事で、工業先ですかね、これは地方のホテルのお風呂場で死んでいるところを発見されるんですよね。
ホイットニーの私生活とドラッグ
これはあの出来死なんですけれど、つまりその後ですね、解剖した結果、体から大量のドラッグが出てきたので、また薬物で、明定状態のままお風呂の中でね、ブクブクと沈んで、出来死したんだというふうに言われています。
だからね、生涯ホイットニーはジャンキー、ドラッグでね、ドラッグ中毒で苦しめられる生涯を送っていたっていうことがね、後々わかったんですが、ずっとこの人はね、とにかくこれほど歌が上手い上にですね、モデルのような八頭身のスラッとしたね、美しいプロポーション。
そして顔も絶世の美女で、二仏も三仏も神様から与えられたような、もうスターになることを運命づけられたような人なんですよね。
この綺麗なホイットニーがある時期ね、急激に痩せたんですよ。ただでさえスラッとして細いのに、激痩せして、鎖骨とかが痛々しいくらい骨張って、足とかもね、ガリガリになってたんですよ。
それで世間がちょっと騒ぎ出して、なんかおかしいんじゃないかって、バレちゃったんですよね。
そうやって見ていくと、なんとなくいつも目がね、トローンとね、ホイットニーの目ってね、トローンと寝起きみたいな目をしてるんですよ。
これがね、逆に優しそうに見えてね、すごく温厚な優しい人柄に見えるんですよ。
これはね、明らかに今になったらですね、ドラッグでちょっとファーっとラリってる、トローンとした状態なわけなんですよね。
だんだんだから彼女がドラッグ中毒だっていうことが途中でわかるんですけれど、これはね、かわいそうなことに当時ホイットニーが結婚していたボビーブラウンっていうね、もう一人人気歌手がいるんですけれど、
彼のね、責任に全部なっちゃったんですよ。で、日本でもホイットニー・ヒューストンは大変人気があったんで、もうボビーとさえ結婚してなければね、ホイットニーがこんなドラッグ中毒になることはなかったのにというね、
そういうふうな、世間の風当たりがね、すべてボビーに行っちゃったんですよね。
それぐらいホイットニーが本当に貧困法性な美しくて優等生的な綺麗な人なんでね、なんかちょっとそういうバッドガールの例えばマドンナとかね、ああいう人と違ってこの人本当に優等生的なイメージで売ってた人なので、
なんかね、すべての悪い評判がボビーに行っちゃったんですよね。だからボビーがドラッグをホイットニーに教えた悪いやつなんだっていうことでね。
またちょっと話がそれぞれ、ボビーブラウンっていう人は、ニューエディションっていうね、人気ボーイズグループのメンバーだったんですが、そこからソロに転校した後、もう大ブレイクして、
もうあのボビオって日本でもボビオとかね、あとダンス講師園とかっていう番組で、今だから令和新選組のリーダーみたいになってますが、山本太郎とかが当時出ていた、竹志がね、司会している番組でこの高校生たちにいろいろダンスをさせるね、
番組があったんですよね、バラエティ番組が。そこで山本太郎もね、なんか変なキューチャンダンスとかやったりしてたんですが、この時にね、すごい踊りがうまくて、当時ね、いつも優勝してたような人たちって今どうしてるんでしょうね。
でも彼らなんかが真似していたファッションとか髪型とかが、このボビーブラウンが元祖なんですよね。ちょっとこのアフロヘアをちょっと斜めにカットしてね、ちょっとこの耳の横のところに筋入れたりとかしてね、踊りがうまくて、すっごいかっこよくて、ボビーは当時最も女性たちから抱かれたい男だった人なんですよね。
今はね、ただのおじさんになってて、もう嫌になっちゃうんですけど、この人も同い年なんですよね。でも学年は一個上ですね。早生まれなんで。ボビーとかマライアとかね、私同い年だったんですね。すごい人たちですね。
でもそれはいいんですけどね、ボビーブラウンといえば本当に本当にすごくてですね、この当時のモテぶりっていうのはね、すごくて、実はね、マドンナとかね、みんなが狙っていて、たぶん1回や2回ね、何かあったと思いますよ、彼らね。
当時ね、ボビーブラウンは人気絶頂だったんですが、彼が夢中になっていたのはね、実はね、ジャネット・ジャクソンだったそうなんですよ。これはね、西寺剛太さんがラジオで言ってたんで知ったんですけれどね、もうびっくりですよ。
ジャネットに夢中だったんですが、ジャネットは実はその前のね、この人は早く自分のジャクソン家から自立したくて、すごく早くね、20歳前ぐらいで最初の結婚をしてたんですよね。
ホイットニー・ヒューストンの恋愛
最初の結婚相手っていうのも、エル・デバージーっていうね、デバージー兄弟っていうね、人気ファミリーでやってるグループがあったんですよ。ここのイケメンのね、シンガーだった男と結婚していて、これがね、大変なバッドボーイだったらしいんですよね、不良で。
酷い目に遭ってるんですよ。裏切られるわね。浮き輪されるわ。もしかしたらDVとかもあったと思うんですよね。これですごい酷い目に遭ったんで、ボビーブラウンともその後ね、離婚してフリーになってから実はボビーともちょこっと付き合ってたんですが、こういうバッドボーイタイプの人とは長く付き合っちゃダメだと思ってですね、さっさとボビーを振ったんですよ。
ジャネットね、ボビーブラウンを振った女なんですよ。どこまでもかっこいいですよね。それはいいんですけど、それでボビーはね、すごい昇進で、この当時ね、だからジャネットに夢中だったのに失恋して、辛い思いをしている時にね、ある音楽祭、たぶんグラミ衣装だったんじゃないかなと思うんですが、ここでね、後ろをね、会場で座ってたら、後ろのね、座席をね、トントンって蹴られたらしいんですよ。
で、はぁんって振り返ったらホイットニーヒューストンが座ってたらしいんですけれど、全然ね、自分の方見ないで、ステージの方静かにクールに見てたらしいんですよね。
あ、だから気のせいかなっていうかね、単に足が当たっただけだなと思ってね、ホイットニーヒューストンが俺のね、その座席の背中のシートを蹴るわけないなと思ってね、またぷっと前を向いて、あのこのショーを見てたらしいんですよ。
そしてまたね、トントンって蹴られて、え?またかよと思って振り返ったら、ホイットニーがね、にかって笑ってたっていうね、逆ナンされてるんですよ、ボビー。
ホイットニーヒューストンにね、逆ナンパされてるんですよね。で、なんだよみたいな、それで2人はね、すぐに恋に落ちて付き合って、そして結婚まで行っちゃうっていうね、すごい夢みたいなね、ラブストーリーなんですが、
実際はね、これ何があったかっていうと、ボビー・ブラウンはね、ちょっとね、悪ぶってただけの人なんですよ。だからイメージでね、ちょっとヤンキー風を装ってたけども、別に大したことない普通の年頃の男の子だっただけで、ちょっと悪ぶってマリファナ吸ったりとかね。
で、その当時、コカインとかってのは結構誰でもやってたんですよね、あのセレブの人たちはね。で、ちょっと悪ぶってコカインを少し吸う程度だったんですが、もう出会った頃にはホイットニーヒューストンはね、完全に柔道のジャンキーだったそうなんですよね。
で、もう俺よりはるかに彼女の方が、あのバッドなんだよって、バッドガールなんだよって言って、バッドガールっていうのは、ちょっと褒め言葉、イケてる女の子みたいな意味もあるんでね。
当時インタビューでこれをボビーが言ってるの、私も聞いたことあるんですよね。ですけども、それはね単に褒め言葉で言ってるだけだと思ったんですけど、本当だったんですよ。
本当にホイットニーは、もうすでにね、かなりそこに問題がある若者だったんですよね。
とは言ってもですね、大天才で、これはとてつもないダイヤの原石だっていうことで、このホイットニーをね、あの紹介された大物プロデューサーのクライブ・デイビスっていう人がいるんですけれども、この人がこれはとんでもないスターになるっていうことでね、ホイットニーを預かるわけなんですが、
売り出し方にすごくね、どういうふうに売り出そうっていうことで悩むんですよね。まずこの当時はまだまだ黒人のアーティストたちっていうのは差別的に見られる存在だったんですよね。
マイケルとかと同じくらいの時代なのでね、まだまだ黒人アーティストが世界規模、もう白人の人にも聞かれるようになるっていうのはね、かなりハードルが高かったんですよ。
なのでこのクライブ・デイビスはすごくね、このマーケティングにすごく気を使ってですね、ホイットニーのこのブラックなイメージね、だから純然たる彼女はアフリカン、アメリカンなんですけれども、その部分よりも白人の人たちにも受けるような上品で洗練された、もともとこのホイットニーの美しさをだから利用して、
アフリカ、アメリカン色をちょっと薄めて洗練されたモデル風の女性っていう風にパッケージしたんですよね。これによってホイットニー・ヒューストって本当は結構ボビー・ブラウンなんかよりも遥かにやんちゃな女の子だったんですけれども、
表白されてしまってですね、すごくグッドガール、優等生女性みたいなイメージに生まれ変わらされたという舞台裏があったんですよね。そして曲調もですね、みんなに受けるね、ああいうちょっとメロウなソフトななんかこうコンテンポラリーミュージック的なね、ああいう感じになるんですよ。
ホイットニーだったらゴリッゴリのね、ソウルミュージックとかもガンガンに歌えると思うんですが、そういう黒人色をすごく薄める必要があったんですよね、マーケティング的にね。なので誰からも万人から受ける、私が大嫌いなアンダーっていうあの曲とか、ああいう曲調ばっかり歌ってる人なんですよね。
だから私はホイットニーは大好きなんですけれども、あのやっぱり曲がね、どうしてもちょっと万人受けする、なんかこういう演歌チックな曲が多いところがちょっと残念だったなといつも思ってたところはね、そういったところが原因だったんですよね。
逆にマライア・キャリーはですね、やはり同じようにね、彼女は見出されて、その時見出されたソニーミュージックの社長と結婚してるんですよ。まだ彼女が20歳ぐらいで、相手はもうだいぶ何十歳も年上のおっさんで、大金持ちの音楽の権力者の人と結婚して、やはりマライアもああいう風に誰にでも受ける、白人からも受けるような演歌調の曲を歌いまくって、
大スターになったんですが、マライアの場合はですね、反抗したんですよね。私はR&Bも歌いたいって言ってですね、もう絶対に私はもうそんな言いなりにならないって言ってある時から反抗して、その当時の権力者の夫とも離婚してですね、自分のやりたい音楽をやりたい人たちと一緒にやるっていうね、そういう風に方向転換できたんですよ。
だからね、マライアは偉かったなぁと思ってね。でもホイットニーヒューストの場合はそこに至る前に、結果的にはね、才能を枯渇するような形で終わった悲劇の人だったなというふうに思うんですよね。というわけでね、まだまだこの話続くので後半に続きます。はい、それでは一旦ごきげんよう。