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お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今日は久々に、私の履歴書シリーズM社編の続きをしようと思います。
前回までがですね、モデルルームですね、マンションの新しく建ったマンションのモデルルームを作る仕事をしていて、
自分がやりたかった仕事に就いていて、とても充実はしていたんだが、M社的にはこれは非常に窓際の仕事だったんだよ、というところまでお話ししていたと思います。
M社っていうのは、本当に今思い出しても面白い会社だなと思って、圧倒的にね、やっぱりテンポが強いんですね。
そういうバックヤードの仕事とか、こういう結構外向きの対会社のような事業とか、そういったこととかはやってはいるんですよ。
それこそカード事業なんかはいろんなところに、このカードの提携先になってくれっていうので、外向きの営業っていうのがいっぱい、そういう舞台もたくさんあるんですよ。
なのでね、全体的にはですね、普通は若いうちは店舗で自社のブランドとか、紳士服、夫人服、あとメガネとか雑貨とか靴とか、全部その当時、私いた頃は全部自社ブランドを持ってましたので、
こういったところを主体に仕事して、ある年齢を超えてきますと40過ぎたりとかして、店舗で偉い人、係長とか部長職みたいなところまで上がってない人とかっていうのはね、物気並みカード事業の方とかに回されるんですよね。
ここで、いろいろね、ここはね、みんな言ってました。おじさんたちが結構大変な仕事だって、提携先を見つけたりする仕事はね、割と普通だと思うんですけど、やっぱりね、改修部隊もあるんですよね。
取りたてですね。要するに、なかなか支払いを滞らせている一般のね、このカードに入っている人たち、一般顧客のところにやっぱりお金を回収に行ったりとかね、そういったね、やっぱり泥臭い仕事とかの部門も実はね、あったようなんですよ。あったようっていうか、あるんですよね。
そういったところは巧みにね、若くてキラキラしてね、希望にあふれて働いている人たちには比較的見えないところだったんですけれども、実際はそういったところにおじさんたちがね、いっぱい配属されてたっていうのがありました。
で、今この、私はこの時はね、インテリアの方にね、どっぷり入っていて、当時はですね、M社は部門ごとに会社を分けるというふうにしていました。なので、Mグループっていうようなね、会社名にして、小分けにしてたんですよね。
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だから、このファッションのグループと、インテリアのグループと、あとこのカードのグループと、みたいな感じでね、5個か6個ぐらいに株式会社を分けて、で、それが全部グループで、Mグループっていう大きな一つのグループ会社みたいなふうになっていました。
今またもしかして変わってる気がするんですよね。とにかくね、こういう経営とかがね、あの生き残り戦略っていうのかな、なんかこういうのがね、なんかすごく巧みな会社なんですよね。
なので、いろいろね、その時その時で、業態をね、うまくこう転換させながらね、やっているように見えましたね。
だからね、実際は、言ってもね、本社がね、東京のね、とあるところ、もう言っていいですよね、中野に本社があるんですけれど、こういったところで働いている人たちが一番、そういう意味ではね、
中枢というんですかね、もう中央でね、いろんなことが分かっているエリート集団っていうんですかね、M社の中でのエリート集団だったと思うんですけれども、多くの人がですね、店舗で販売をやっていることに生き甲斐を感じている社員ばっかりでね、成り立っていて、みんなそこでもすごい激しい競争をしていて、
やっぱり最終的には、例えばM社、渋谷店の店長とかね、副店長とかそういうところに上り詰めていくというシナリオが、一番みんなが目指しているところだったんですよね。
実はですね、このインテリア部門というのは、M社にとっては、創業の頃の、最初に家具屋から始めている会社なので、大変プライドと誇りを持ってね、ずっと継続してきた事業だったと思うんですけれども、実はね、どんどんどんどん赤字にはなっていたんですよね。
この家具って本当に効率悪いんですよね。広いね、店舗面積が必要で売れるかどうかもわからないけれども、もう一旦ザーッとね、商品を並べて展示して、この展示している商品というのも時々やっぱり入れ替えていかないとね、お客様にとって目新しさがなくなってきますのでね、こういう形で非常に効率の悪いビジネスなので、
やっぱりね、大変だったんだと思うんですよね。どんどんどんどん雑貨の比率を増やしてね、雑貨は回転率が良くなりますのでね、こういうことをやったりとかっていう状態だったんですよね。
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なので、私とこのサブローさんがやってた仕事っていうのは、あくまでも非常にデベロッパー相手にプレゼンバンバンやってね、モデルルームの仕事を取って、取った後は本当にこれモデル設営してね、素敵な部屋を作り込んで、それをちゃんとプロのカメラマンに撮影してもらって、
このデベロッパーさんたちのマンションの販売員たちをみんな呼んで、私はそこではインテリアコーディネーターの先生という形になってですね、今回このお部屋はこういうコンセプトで、こういうテーマでお部屋を作りましたとか言ってね、
販売のデベロッパーの人たちの前でいろいろ講習したりとかですね、結構なんか派手な仕事だったんですけれど、もうね、ひとたび車内に戻ってくると、もうずるずるずるずるっと広い店舗をね、ずっと奥まで歩いていって、カーテンコーナーがあるんですよね、一番奥にね。
カーテンの裾に従業員用の入り口があって、そこを切って開けるとですね、もうすぐそこはもう配管が向き出しの壁が見えるようなね、狭い従業員の休憩スペースみたいなところになっていて、そこにもう本当に壁を真ん前にしたようなところにね、長テーブルを置いて、そこにね、もうほんとしょぼいパソコンを置いてね、仕事しているようなのが私たちのオフィスだったんですよね。
肩やね、この店舗でね、働いている人たちはなんか生き生きとね、なんか本当になんかやりがいを感じてね、キラキラと働いておられましたね。
ここで、もう私とサブローさんはですね、もうすごい数字は一応上げてたんですよね。もう何千万とかっていうのをもうバンバンバンバン上げて、でまあほんと寝る暇もないぐらい忙しくしてるけれども、もうお互いに助けてくれる相手がいない状態でね、
他にだってこの仕事ができる人っていうのは、東京の中野の本社にはね、ちゃんとこのインテリア事業部がちゃんとあって、この仕事をやっている人たちがもちろんいたんです。そこはね、なんか結構華やかでしたね。
なんですけど、こういう店舗の中でね、やってる我々みたいな弱小部隊で、すごく固みが狭くて、徹夜しようが何しようがですね、誰も別に助けてくれるわけでもないので、ただですね、やっぱりその外部でね、出稼ぎ部隊っていう形では見られていたので、
ここが頑張ってくれてね、モデルルームを取れば、そこのモデルルームを作ったところのね、マンションのお客さんが店に来てくれるっていうのがあるので、まあまあ役には立ってくれてるというふうに思われてたと思うんですけれど、
基本的にはね、なんとなくこのM社の評価軸からはね、完全になんかもう外れたような仕事をしてたんですよね。で、面白いなと思ったのが、この店舗でね、非常に評価されている人っていうのは、もちろんね、売上がいいに越したことないんですけれど、そういったことだけじゃなくてね、
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例えばこのいっぱい雑貨とか扱ってたので、プレゼント放送がね、めちゃめちゃ上手い人とかね、あとこのM社が導入しているPOSっていうんですかね、このレジシステムとかの扱いがめちゃめちゃ上手くて、もうちょっとレジのね、レジで人がぐがって行列ができないように、ちゃっちゃかちゃっちゃか上手く操作できるとかね、
そういったことが、仕事ができるっていうところの基準になったりするんですよね。なので、仕事って本当に面白いなっていうか、役に立つ人と役に立たない人っていうのが、結局私たちの仕事を正しく評価してくれる人がいなかったんですよね。
店長は売り場だけを管理していて、で私とサブローさんがやってる仕事っていうのは、なんかもうよくわからない仕事。でもまあ外部からお客さんを呼んできてくれるから、まあ頑張ってくれてるけど、まあ知らないみたいな感じだったんですよね。
これにね、徐々にもうこのサブローさんもめちゃめちゃ優秀な人なんで、そのやっぱり評価されないこととかね、その給料がやっぱり上がりにくいこととかね、いろいろね不満が溜まってきたんですよね。
でね、めちゃくちゃ頑張ってね、でも私のこと心配してくれたんですけど、もうちょっとね我慢できないわって言って辞めちゃったんですよね。
でね、やっぱりサブローさんに辞められた後がね、やっぱりすごい大変になっちゃったんですよね。
あのこのサブローさんと私はだから結局お互い中途入社同士っていうこともあって、そこでもねお互いにこうね、この何て言うんでしょうね、このまだ馴染んでないM社でお互いにこう、中途入社同士のこのM社に馴染めないでいるね、二人がある意味協力して一緒にいるという部分もね、あったんですけれど。
サブローさんが辞めた後はね、あのこの中野の本社からね、配属されてきた人がね、この法人営業っていうんですかね、デベロッパー営業として私のところに今来たんですよね。
この人はね、別に悪い人じゃないんですけれど、基本的にはやっぱり全然この仕事を喜んでない人で、またこういう外部営業とかがね、全く慣れてない人なんですね。
ずっとだからそのインテリアの売り場で、もう結構この服ショップ長とかね、あの店長まではいかないけれども、そのナンバー2とかナンバー3ぐらいの仕事をずっとしてたような人が、なぜかね、こっちに配属されてるんで、本人もあまり楽しんでやってない部分もあったりね。
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こういう人と組み出すとね、だんだんだんだんやっぱすごいやりにくくなって、まあでも私は、私でとにかくもバンバンプレゼンやって、得意先みたいなのもできてくるのでね、前回やったモデルが評判良かったからまたやってよみたいなね、感じでお得意さまみたいなのもできるので、相変わらずずっと忙しかったんですけれど、
社内でね、味方になってくれる人がいなくなったっていう感じはね、あったんですよね。そうしてくるとですね、数字は結構稼いではいたんですけれど、だんだんだんだんね、守ってくれる人がいなくなっちゃったらね、店長、その売り場のね店長のだんだん稼い当たりが強くなってきてですね、
まあ言ってみると、こういう外部でね、自分たちは言ったらこの売り場の中でね、シフトを決めて、もうその店舗の開店時間に合わせてね、朝10時から下手したら夜9時までの営業時間の店舗だったら、その時間までずっとね、朝晩、早晩、遅晩か、とかね、そういった形でシフト組んでローテーション回して、
で、みんな、そうそう、お昼ご飯はおいせ、とかね、いろいろね、言い方があるんですよ。おいせがトイレだったかな。お昼休憩があかし、とか言うんですよ。
いんごで言うんですよね。お客さんにこの、お昼行ってきます、とか言うと、なんか感じ悪いと思われるからか、なんかわかんないんですけど、百貨店も全部そうなんですけどね、こういうね、いんごで言うんですよね。トイレ行ってきます、じゃなくて、ちょっとおいせ行ってきます、とかね、そういうふうに言うんですよね。
で、まあ、そんなんでね、あの、とにかくだから、そうやってこう、あの、店舗は店舗でね、みんなで協力し合って、ね、あの、みんなでこう、あの、休憩もずらしてね、ね、休みの日もずらしてね、やったりしてるっていう、やっぱフラストレーションはそれなりにあって、で、私とサブローさんはね、外にもうバーンって行きっぱなしでね、で、なんか大きなこの製図カバンとか持ってなんか、もうバリバリやってる感があって、
それはそれでね、たぶん目の上のタンコブっていうのか、まあ気に入らない部分はあったんでしょうね。
で、まあサブローさんが辞めた後ね、だんだんだんだんで、店長にいじめられるようになってきたんですよね。
ね、私もその頃すでにも結構いい年のベテランだったんですけど、まあ私とね、年があまり変わらない店長でね、K店長っていうね、もうなんかね、あの、アンディ・ガルシアっていう俳優わかりますかね、あのイタリア系のね、あのめちゃめちゃイケメンの俳優なんですけど、イケメンじゃないんですけど、アンディ・ガルシアに似た店長だったんですね。
で、この店長がね、ほんとイケイケのね、あの高卒だけど、めちゃめちゃ多分、あの売上とか上げて、あのね、あの実力がまあそれなりにあって、登り詰めてるようなね、もうイケイケの人だったんですよね。
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で、この人がね、まあね、こういう、私ね、あの中途入社で、でまあこうちょっとインテリアコーディネートやってますみたいなね、もうめちゃくちゃイケスかなかったみたいで、まあでもね、売上上げてるしっていうことでね、一応こうサブローさんがいる間はね、あのそっとしてたんですけれど、サブローさんがいなくなってくるとね、じわじわじわじわとね、いじめ始めて来られたんですよね。
はい、というわけで、今日はあのね、ここで終わりにします。またね、この慶店長がね、どういういじめをしてきたかっていう話はまた次回させていただきます。はい、それではごきげんよう。