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お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今日はM社話の続きをしようと思います。
前回までが、夢のインテリアコーディネーター業に就けたんだけれども、
M社という会社はややヤバい会社だったというお話をしたんですけれども、
私はY社という老舗の非常に古い体質ではあるんだけれども、
とても良い商材を扱っている会社から、今度はもうちょっと若くて、
規模も当時大きい会社で、上場もしている会社だったんですけれども、
結構、ここの表の顔と裏の顔を使い分けている企業だということに、
大変違和感を感じたということを、前回は結構詳しくお話したんですけれども、
でもね、面白いもので、私のキャリアというのは、
結局、本当に一番表の理想的なスムーズなエリートガイドというのが、
例えばですけれど、名の知れた名門大学ですね、国公立とかの名門大学を出て、
そこから一流の会社に入って、なおかつその一流の会社でも、
女性の場合は特に、ちゃんと良い部署に配属されて良い上司とか、
そういった人脈にも恵まれ、そこで引き立ててもらって、
バリバリの総合職で活躍できるという、この路線に上手く乗っからなかった場合は、
私と似たり寄ったりのキャリアを歩むしかないわけですよね。
もっと酷い場合ももちろんあるでしょうし、実際にたくさんいたんですよね。
私よりはるかに優秀な大学を出た人たちも超氷河期、
私の世代よりもっと下の人たちとかでも、数年おきに就職氷河期というのは訪れていますので、
そういったところにたまたまはまってしまった人たちというのは、
もう本当になかなか良いところに就職できなくて、
本当に能力も高いし、もちろん学歴も良い人も非正規で働いたりという人はたくさんいましたよね。
ちょっと話がキャリアからそれるんですけれど、
私本当にちょっとバカというか世間知らずなところがあって、
いろいろ家庭の事情だなんだで、中学高校とかちょっと出遅れてるんですよね。
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詳しくは言いませんけれども。
いろいろあって、人生にはちゃんと切符が必要だということを知らずに20歳ぐらいまで過ごしてしまったんです。
20歳どころじゃないですね。もう20いくつぐらいまで知らなかったんですよ。
だから良い人生って言うんですかね。
ちゃんと日の当たる人生を歩むためには叱るべき学校に行き、叱るべきちゃんと会社に入って、
ただ会社に入るだけじゃダメで、ちゃんとどういうセクションに行くべきなのかとか、
そういうのがちゃんとあるっていうことを全然知らなかったんですね。
ある意味、私はすごいブルジョア家庭で、すごいアカデミックなおじいちゃんおばあちゃんがどっちも大学の教授で、
母は音楽家っていう大変特殊な家庭で育ってて、そういうことにはちゃんと長けた人たちかと思いますよね。
もう全然だったんですよね。
母は自分の人生の方が忙しくて、全然私の進路とかっていうのは気にしてないわけじゃないんですよ。
これは私と母の関係っていうのは、ぜひともどこかで特別に甲斐を設けたいんですけれどね。
母は母で非常に厳しい管理教育っていうのが、英才教育を受けた人なので、
逆に野放しっていうんですかね、自由にさせると。
自由に自分の子供が好きなように生きて、自分で選択できる人生を送ってくれる子になってほしいっていうのがあったので、
なおさら全然私のこの進路とかそういったことには介入しなかったんですよね。
なので、高校とかも結局、ちゃんと進路とか考えなかったんですよね。
その辺の話はまた詳しくするんですけれど、とにかくそんなんで全然ダメダメで、
ちゃんと就職とかも全部出遅れてるんですね、私ね。
っていう感じでですね、裏口っていうのかな、言葉は悪いんですけど、
成功法っていうか、王道のルートからっていうのは全然自分のキャリアを形成できなかったんですよね。
なんですけどね、今こうやって振り返ってみると、結構それが良かったのかなっていう気もするんですよね。
例えばね、これM社の話にまた戻ると、なぜ私がこんな華やかな仕事を中途入社で急にできたかって言いますと、
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結局ね、この前回言ったみたいに、このM社っていう会社はもうすごいキラポエの会社で、
でも販売が一番偉いっていうか、一番花形の仕事なんですね。
店頭で、特に婦人服のセクションが一番力を持ってて、紳士服とかね、眼鏡とか靴とか、
またね、ダッサイ自前のブランドも持ってたんですよね、M社ってね。
もうどっかからパクってきたみたいなね。
結局ね、こういうビジネスって、やっぱファーストファッションが出てきたおかげでね、
淘汰されたんで、本当に良かったですよね。
こんなのね、全然遥かに安い金額で、遥かに品質の良いものをね、
やっぱりユニクロとかね、そういったところが作り、
なおかつね、欧米のZARAとかね、H&Mとか、
ああいったところが、本当に一番最新のデザイナーズブランドみたいなものを安くして、
もう2週間おきにね、在庫を入れ替えるみたいなね、
新しいこの小売りのビジネスを確立したことによってね、
こういう中途半端な自社ブランドとかね、
やってるようなアパレルはね、やっぱ淘汰されていくっていう運命をたどりましたよね。
ファッションと全く同じで、インテリアもね、同じなんですよ。
結局こういう中途半端な、中の下のね、
ブランドとかを適当にやってたらですね、
ここへ黒船であるIKEAとかね、あとニトリとかね、
こういった会社がついに対等してくるわけですよね。
ここはもちろん全然安い値段でね、
10分の1とかね、そんなぐらいの値段でもなかなかいい品質の商品を出していて、
こういうところがね、一気にヒットしてきたので、
ここもね、同じようにやっぱり淘汰されていったんですよね。
なのでね、やっぱ中途半端なことをやっぱりしてるっていうのはね、
何においても良くないんですよね。
ちなみにフランフランとかはね、
フランフランとかにね、実際勤めてた仲良い人とかもいるんですけれど、
ちゃんとね、やっぱり戦略立ててね、頑張ってやってるんでね、
なんとか生き残ってますよね。
アクタスもいろいろ多分ね、台所事情はね、
いろいろ大変なことあると思うんですけれど、
ちゃんと生き残ってるのでね、やっぱり面白いなと思いますね。
逆にもう王道だったね、大塚家具ですよね。
ここはね、ちょっとまたまた話が逸れるんですけど、
私こういうね、同業者で違う会社で働いてる人たちのね、
こういう人とね、百貨店とかね、
いろいろ取引先を介してね、
いろんなところでね、話したりする機会ってやっぱあるんですよね。
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でも全体的にインテリアっても全然剥離多倍っていうか、
大してお給料とかね、良くないんですね。
ところがね、王塚家具の社員ね、
私とそんな年も変わらなくて、
当時30代のね、半ば前後ぐらいの年の女性の給料を聞いてびっくりしたんですよね。
王塚家具はね、その当時ね、年収800万以上もらってるんですよ。
それぐらいの年齢の女性のね、販売員が。
もう完全部合だったみたいで、売れば売っただけ給料をもらえたみたいなんですよね。
それもあるからみんな頑張って働いてたんだと思うんですけれど、
結局今いろいろ良くない状況になっていってますよね。
なかなか難しいもんななと思いました。
ちょっと話をまた戻して、
結局M社っていうのはね、そういうふうに販売が一番威張っている会社だったんで、
結局ね、こういうふうに中途入社で入ってきた私みたいなね、
社員にこういうマンション事業みたいなのはね、
M社としては全く本来やってなかった事業なんですよね。
なんでこれをM社がね、M社っていうかこのインテリアの事業部が、
これをね、やり出したかっていうと、やっぱりもう売り場にね、
なかなかかつてほどね、たくさんお客さんをね、
集客できなくなってきてるっていう背景があって、
せっかくなのでね、ある程度この知名度のあるブランドなので、
マンション事業ということで、いろんなデベロッパーとかに営業をかけていけば、
いろいろこういうモデルルームの仕事とかも取れて、
それ以上にですね、そこでタイアップしたマンションのお客さんが、
新しくできているトヨスとか、いろんな店舗に、
その周辺ってニョキニョキといろんなマンションとかが建ってた時代だったんですね。
なので、そこにお客さんがまた売り場の方に来てくれるだろうという、
あくまでも集客目的でやり出したんですよね。
やるとなるとですね、やっぱり元々M社はそれなりに大きな企業なので、
いろいろデベロッパーとかも信頼して取引先として、
やっぱり業務提携とかできるようなポジションにいたんですよね。
なので、着々とそういったところで仕事が取れるようになったんですけれど、
いざ、今現状いる社員の中からこういった仕事ができる人材がいるかというと、
いなかったってことですよね。
やっぱり店頭で販売するっていう仕事の人が、
急にプレゼンやったりとか、いろいろインテリアコーディネートをしたりとか、
そういうスキルはやっぱりないし、
また残念なことに、私がY社の時は、
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ぜひこういう仕事をしたいって思って、売り場に配属されてたり、
営業だったりとかした時は、そういう仕事に憧れてたんですけれども、
M社の場合は、そういうふうに憧れてる人とかも全然いませんでしたね。
なので、戸様の中途入社の私ごとき者がこういう仕事にありつけたっていうのと、
私が一緒に仕事を組んでた営業の人は、仮名でサブローさんという仮名で呼ばせてもらいます。
このサブローさんという人は、私が数少ない、本当に仕事が優秀な人の一人でしたね。
この人も私と同じように中途入社だったんですけれど、
有名なSOGOでありますよね。百貨店のSOGO。
ここが結局倒産したので、このM社に転職してこられた人だったんですよね。
なので、もうバリバリでSOGOで中間管理職とかやってたような人なんで、
すごい外営業とかもできる人だったんですよね。
なので、こういうキラポエの、完全に私としては肌が合わない会社ではあったんですけれど、
このサブローさんと一緒に、結構楽しく中途採用組で2人でいろいろ仕事をやってたっていうことがあったんですよね。
なので、この環境とか、必ずしも理想的な環境じゃなくても、こういうチャンスの芽っていうのがあって、
そういうのを運よくつかんで、いろいろやりにくい状況の中でも面白い仕事をやれて、
そこで一生このM社に骨を薄めようなんて思っていれば、こんな部署にいちゃダメなんですよ。
もちろんね。どっか新宿店とか渋谷店とか、そういったところの店舗の売上のいい店舗に配属されて、
花型のセクションにちゃんといなきゃダメなんですよ。
なんですけどね、やっぱり私の目的はインテリアコーディネートの仕事をしたいということでね。
それをやれる環境があれば、もう少々やりにくかったり、
オフィスがなくて、バックヤードの窓もないようなところで仕事をしているとか、そういうことは全然平気でしたね。
周りがね、どんどんね、それも面白かったですね。
M社はね、逆にY社と違って、毎年毎年、その当時はね、今はわからないですよ。
あの当時は、もうちゃんと一定数の新卒採用をちゃんとしている会社なので、男女の比率とか年齢の比率もちゃんとバランスいいんですよね。
なので、男女ね、いろいろたくさんいて、いろんな年代の人もいているんですけれど、
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まあね、私たちの仕事っていうのはちょっと、なんか変な仕事している、変わった中途入社の人がいるなっていう目で見られていたと思います。
はい、というわけでね、今日はちょっとこのあたりで終わろうと思うんですけれども、
またね、このシリーズは続けていきますので、またお聞きください。
それでは今日は終わります。ごきげんよう。