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お聞きの皆様、ハッピーバレンタインステーですね、今日は。
はい、聖バレンタインの日なんですけれども、これはちょっとね、本当はキリスト教の意味合いのある祝日というか、そういう日なんですけれども、
日本ではめちゃくちゃ意味合いが変わってしまって、チョコレートをあげる日になってしまってますよね。
それもギリチョコとかね、本命チョコとか、いろいろ、こんなことしてるのは日本だけなので非常に面白いんですけれども、
私はやはり古い人間なので、ずっとお世話になっている会社関係の人とか、取引先のところとかにもチョコレートは一応配るという習慣を長年やってきています。
もちろん自分の夫とか、仲良くお世話になっている人たちにも送ったりしてるんですけれどね。
はい、で、こんなね、一応愛の日とされている日なんですけれども、たまたまね、ちょっとものすごい怨念と呪いと呪詛にまみれた配信をちょっとうっかりXから拾ってしまって、
えーとね、もうすげーと思って、ちょっとね、あえてバレンタインの日にね、呪いっていうかね、呪詛まみれの配信にちなんだお話をちょっとしようかなと思います。
えーとね、この呪詛っていうのは、ちょうどね、年末にね、年末というか去年の大河ドラマですね、NHKの光る君へ、これで平安時代の源氏物語の作者である紫色部の繁盛というか、一生を描いたドラマだったんですけれど、
ここでね、ちょうどだから約今から1000年前の歴史背景なんですよね、この紫色部のね、生きていた時代というのがね、で、この頃っていうのは、科学技術とかそういったものはまだ当然発達してなかったので、病気とか、あと天災とかね、飢饉とか、いろんなね、そういったことに対して、
打つ手がね、その技術的には打てなかったので、いろいろね、魔事内というか占いとか、そういう神頼みとか、そういったことでね、すべていろいろ見てたんですよね。で、あの例えば病気になった人には何か悪い例が取り付いているのではないかということで、いろいろこの前置けというか、悪い例を追っ払うための儀式をしたりとかですね。
で、なかなか雨が降らない。雨が降らないことによって穀物が育たないっていうね、そういった時にもですね、雨漕いをしたりとか、そういう時代だったわけですよね。で、この時にですね、主人公の藤原道長の成功を妬む別の派閥のね、一家が、この藤原道長に嫉妬をして、ありとあらゆる呪いをかけてですね、この家の中にいろいろ仕込むんですよ。
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呪いのこの文字でしたね。文字とか記号とか、そういったものを畳の下とか、いろんなところに隠しておいて、あと床下とかね、そういったところに潜めておいて、じわじわとね、呪いの力で相手を弱らせていこうっていうね、そういったところが描かれていて、ものすごく面白かったですね。
やはりね、この時代は当然ね、こういったことが本当に信じられていたんですよね。それはいいんですけれどね、なんていうのか、この呪いっていうのはね、すごいエネルギーを生むので、ある種ね、すごいことですよね。
例えばですね、すごく挫折して悔しい思いをした人は、その挫折をバネに、何が何でも次は成功してやるとかね、あと失恋した人は、もう次こそ絶対いい人を見つけてね、今度こそ幸せになろうって思ったりですね、いろんな挫折とか失敗っていうのは次の成功につながるので、私はね、こういう必ずしも悪いことじゃないと思うんですよね。
そういう悔しいとか、あと時にはライバルを憎んだり、自分を裏切るというか、自分の意に沿わないことをした相手を恨んだりとかっていうことはね、最終的にはそれをバネに人間は立ち上がっていこうとするのでね、別にそれは悪いことばかりじゃないんですけれど、この光る君へのドラマを見ている限り、結局ね、この呪って呪って呪ってるうちにですね、
だんだんね、やっぱり呪ってる方が、最後ね、やっぱり自分のこの呪いが、いわゆる邪気ですよね。邪気がどんどんどんどんね、自分の内側に溜まっていって、結局ね、自分自身が蝕まれてダウンしちゃうんですよね。
自分が呪いたい相手よりも、それがね、結局巡り巡って自分を蝕んでダメになっちゃうっていうね、だから本末転倒というかね、そういう結果に終わってましたね、この光る君へに関して言えばね。
実際にもうそうだと思うんですよね。世の中にはいろいろ、異のままにならないことがほとんどですよ。正直ね、私自身も、もうその、例えば仕事でもね、一生懸命やってても報われることなんていうのはほとんどありません。
一生懸命やってもお客様から見ればですね、6、7割ぐらいしかやってくれてないっていうふうに取られて、当たり前なんですよ。でも逆にすごく喜ばれていたとしても、それぐらいの認識だっていうつもりで仕事っていうのはしなきゃいけないんですよね。
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いつも2割3割ぐらいはまびいて、自分の仕事の完成度っていうのは見るべきなんですよね。やったわー、もうめっちゃいいわーとかね、そういうふうに思っちゃダメなんですよ。まだまだね、まだ不十分だな、まだここまでやってもまだダメだろうなっていうぐらいの気持ちでやって、それでもね、絶対100点にはならないんですよね。
仕事はもちろんそうだし、人間関係もそうなんですよ。これぐらい気持ちを伝えればね、相手に自分の誠意は伝わっているだろうと思ったら、全く誠意なんていうものは伝わらないんですよ。
しかもその誠意っていうのは、自分側からの気持ちでしかないので、相手にとってそれが誠意だったりとか、いいね、ありがたいものとは限らないんですよね。あくまでも自分本位で見ているので、結局はね、全て仕事においても人間関係においても、全体的なことでおいてもね、すごく自分本位で、
上から目線で何でも見てるんですよね。こういうことを思う人っていうのはね。だから自分が言葉を尽くして誠意を伝えれば相手が分かってくれるはずなのに分かってくれないとか、これぐらい自分が一生懸命仕事やってるのに相手に感謝されないとかね、こういうことを思う人っていうのは
大体においてものすごくね、自分本位なんですよね。自分から再度しか物事が見えてないですし、結果的に自分サイドからしか見てないということは、ものすごく自分が上から相手を見下ろしている形にね、結果的になってるんですよね。
これはおそらく本人はそういうつもりはないんでしょうけれども、やはりね、そういうふうに何でもここまでね、私が一生懸命やってるのにどうして分からないんだっていうね、全部自分主体でものを見てるんで、これは私が前回ちょっとお話しした
やはりその俯瞰してね、物を見れるようにならないと厳しいよっていう話に繋がってくるんですけれど、これではね、どんなに頑張って呪っても呪ってもうまくいかないだろうなと思いますよね。
もうね、呪ってる暇があったら、もうちょっとね、やっぱりその、だからね、さっきも言ったようにある程度はね、やっぱりリベンジ。リベンジっていうのは大事ですよ。リベンジっていうのは本当に相手をやっつけたりしちゃダメですけれど、心の中でね、自分が思い通りにならなかった、例えば失恋した相手を見返してやりたいとかね、
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いろいろその仕事で自分が嫌な思いをした、例えば得意先がいたり、お客様が嫌なお客様だったりとか、そういう人をいつか見返してやりたいとかっていう気持ちはね、次の自分のやっぱり挑戦に繋がっていくことなんで、決してネガティブなことはプラスに転じることもあるので、
全てを否定するつもりはないんですけれども、一体ね、いつまで、いつまでこうやって呪い続けているのかっていうね、呪って呪って恨んで、もうギャーギャーギャーギャー言ったりとかって、だから、なんていうかな、このSNSっていうのは私はあんまり一生懸命今までやったことがなかったんですけれど、
ここはね、そういうネガティブな気持ちを持っている人にとってはすごく居心地がいいところなんでしょうね。いつでも不特定多数の人に向かって、自分のそういうネガティブな言葉っていうのは吐き散らすところがあるわけなんでね、なんかこう昔で言うなんかタンツボみたいな、あまりね、古い液とかをね、知らない人には何のことだろうと思うと思うんですけど、
昔はね、みんなタバコをね、特に男性はほとんども、ほとんどの人がタバコを吸ってたので、多分それでだと思うんですけれど、液のね、あのだから灰皿があって、そのすぐそばにはね、タンツボっていうのがあったんですよ。タンツボは炭をね、ぺって吐いて、あの溜めておく場所ですよね。
今思うとほんと汚いんですけれど、でもそれ普通にあったんですよね。でまぁこれがね、このソーシャルメディアっていうか、このSNSの世界っていうのは、本当にね、こういうちょっとある種ね、メンタルがちょっと偏っている人とか、その自分がもう邪念でまみれてたりとか、自分じゃないものに自分をね、こう演出しようとしたりとか、
メンタルが狂っている人とかね、そういった人には大変快適な場所なんだなっていうことは、今自分がね、こうやってこの1年近く、こういう音声配信とかで関わった結果、なんとなくわかってきました。
でもね、これは巡り巡って自分に帰ってくるので、どこかでね、やはり変えた方がいいんじゃないかなっていうね、バレンタインの日にね、やっぱり世の中を呪ってるっていうのは、ちょっとおかしいんじゃないかなと思ったので、
ちょっとね、このSNSでちょっとうっかり見てしまった、そういう非常に呪いにまみれたコンテンツを見てしまったので、ちょっとそんなお話をしてみました。
でもね、別に今誰か愛する人がいようがいまいがね、感謝したいけど、感謝したい人がいないとかね、今もう友達が一人もいないとか、家族が誰もいないとか関係ないですよ。
心穏やかに自分自身を慈しんで、自分を愛しましょうよと思いますね。隣人を呪う暇があったら、自分を愛してあげてほしいなというふうに思いました。はい、では今日はこれで終わります。ごきげんよう。