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2024-04-12 17:03

好きなことを仕事にしたは良いけれど‥という話⑧ #39

『私の履歴書』Part 8です。
長年、勤務したY社をいよいよ辞めて、新天地にむかうまでのお話をします。
当時の日本の中小企業の、末期的な状況と断末魔に立ち会いました。
※シリーズは、(テーマから脱線しつつも)当分続きますので、お付き合いください。

入社したばかりの頃のエピソードもぜひ⇩
『北欧インテリア買って、初任給がほとんど吹っ飛んだ 話#16』

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#リノベーション
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#キャリア
#昭和型中小企業の断末魔
#不景気
#失われた30年
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お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今日は、私の履歴書シリーズのパート8、結構来てますね。はい、これの続きをさせていただきます。
前回までの復習が、Y社をいよいよ旅立とうというふうに思い始めている頃に、別の企業が中東採用を大幅に募集しているのを見て、ここに履歴書を送ったというところまでお話ししました。
この会社は、都心の主要な駅前にファッションビルという百貨店形式の小売のお店を持っている会社なんですね。
ここは元は家具屋さんだったんですね。自社で作っているというか、自社で取り扱っている家具を若い人たちに買ってもらいやすいように、月付販売というのは分割払いですよね、というシステムを日本で最初にやり出した会社なんですね。
つまりはクレジットカードを始めた会社ということになります。
意外にファッションのイメージが強い会社なので、家具屋さんだったんだというのを案外若い人たちは知らなかったりするんですけれど、家具って結構お金かかりますよね。
これから田舎から上京してきて、都心で一人暮らしを始める若い人とか、結婚して新居で生活を始める若い人とか、そういった人たちに家具を買ってもらいやすいように、こういったシステムを導入し始めたという、割と画期的な会社なんですよね。
ファッションの方が、今はイメージが強い会社になったんですけれど、私が入社する頃には、結構有名な自社のインテリアブランドをちゃんと持ってたんですよね。
ここで大きな店を出展するというので、求人を出してたということになります。
まず履歴書を送って、すぐに返事が来まして、とりあえず名説説明会をやるという連絡が来て、これに何日何日何日のいずれかで調整してお越しください、みたいなのが来て、行ったんですよね。
そしたらびっくりして、すごい感じのいい、スラッとした人事担当の男性が対応してくれたんですよね。
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結構な人数の人が来て、結構大きな会議室みたいなところをちゃんと借りて、ここにバーッとみんなを収容して、まずはいろんなスライドも見せながら、
当社はこういう会社ですと、こういう歴史があって、今回新しい店を出すことになったという経緯とか、どういった人を一緒に自分たちの会社の仲間に加えたいかという、
そういった会社の歴史から、今回の求人の意図、そしてどういう人を自分たちの会社に一緒に働く仲間として迎え入れたいかということを、全然上から目線じゃなくて、まるでお客様を扱うみたいに丁寧に説明してくれるんですよ。
すごいなと思ってね。すごいおしゃれな30代、まだ入ったばっかりぐらいの若い人々の男性が、これ全部やってくれたんですよね。
なんかワイ社と全然違うわと思って、すげーと思って。いい会社というか、一流企業というのはこうも違うのかと思って、ちょっとびっくりしたんですよね。
これで結局、この会社はトントントンと私3次面接ぐらいまでやりましたね。さすがですよね。
ワイ社なんて一発で、結局百貨店の担当のおじさんたちの面接に一回こっきりで去ってすぐに入社が決まったんですけれど、今回はですね、しかもちゃんと正社員ですしね、すごくきっちりした面接をなんとかクリアしまして、
無事に採用が決まったんですよね。ちょうど採用の通知をもらったのが2月だったはずなんですよね。なので4月から採用になって来てくださいっていう、そういうタイミングだったんですよ。
なのでね、こちらとしてもちょうど3月中の年度末中にね、ワイ社とはある程度引き継ぎとかして、4月1日からは新しい会社でスタートできるなっていうのがあったんですよね。
上司にね、いつ言おうかっていうのでちょっとタイミングを見計らってたんですよね。
そんな時、2月14日のバレンタインデーの日なんですけれど、この日にですね、私ね、おじさんたちからみんな人気があったってちょっと前お話ししたんですけれど、このね、おじさんの一人が私を呼びつけたんですね。
ちょっとカンナ、カンナ、ちょっとこっち来いって言ってね。
どうしたんですかって言ったら、いやーどこどこかのね、何々部長がみんな女の子たちが気が利かなくてな、もうバレンタインデーのチョコを一個ももらってなくてしょげてんだよって言うんですよ。
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しょげてるからちょっとかわいそうだからさ、カンナちょっとチョコ買って渡してきてやれよって言われたんですよね。
これでね、もうおいおいと思ってですね、まだね、そのお立ちに渡してこれで買ってこいとか言うならまだしもですね、私に自腹でチョコレート買って、この部長さんに渡してやってくれっていう、何なんですかね、この変なホモソーシャルって言うんですかね。
もうこれでね、ちょっと私はもうこのM社のね、素晴らしい対応されてたね、この人事の人たちとか、結局3回ね、面接があって、どこ行っても感じよかったんですよね、M社はね。
最後本当に本社の結構偉い人たちとね、面接した時もですね、本当に皆さん腰が低くて、とてもね、誠実ないい感じの人たちばっかりだったんで、Y社は別に感じが悪いっていうよりも、何ですかね、この田舎の寄り合いみたいなね、もう本当に嫌だわと思ってね、これもいよいよ潮時だなって、この時も痛感しましたね。
もうだからもともと全然迷いはなかったんですけど、このね、一見がちょっともう決定打になったっていう感じでしたね。
そして、いよいよ直属の上司にはね、伝えて辞める旨を言ったんですよね。
そしたらまあ形ばかりでね、引き止めはしてくれたんですけれども、まあまあね、まあいいんじゃないのっていう感じで、一応この上司はね、受け入れてくれたんですよね。
この後なんですけれどね、前に百貨店の担当だった時の上司の一人だったおじさんが、結構ね、窓際に追いやられてですね、
なんかもうちょっと辞めてくれていいよ、舞台みたいなね、あのそういう左線組みたいなところにね、結構押しやられてた人がいたんですね、おじさんの一人に。
この人がね、結局私が辞めるって言ったことで、この方が私のポスト、だからハウジングの営業の責任ですね、この人がね、引き継ぎで入ることになったんですよね。
で、この人にね、私が引き継ぎいろいろして、いろんなハウスメーカーとかコーディネーターさんとかに挨拶回り、一緒に連れて行って、業務を全部こんな感じでやるんですよっていうのでね、引き継ぎしたんですけれどね。
で、このね、あのやってる時にね、いやーほんとね、寸釈くんさ、もう君のおかげで助かったわって言われたんですよ。
えー何がですかって言ったら、いやもう君がこれ辞めてくれなかったら、俺ちょっと正直ね、やばかったと思うんだって言うんですよね。
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で、ポストが空きがないから、もう日本って無理やり、よほど何か悪いことしない限り、無理やり辞めさせることできないんで、辞めたくなるようにね、わざと仕事を与えないとか、やりがいのないポストに塩漬けにしたりとかね、そういう形の嫌がらせをして、本人が辞めるっていうのを待つっていうようなことをするじゃないですか。
で、そういう目にあってたのが、私が辞めたおかげで、比較的ね、安定したポストに自分がそこに行くことができてきたんで助かったって言われたんですよね。
まあね、これはもう本当終わってるなぁと思いましたね。もうこの上司自体が終わってるし、まあこういうその何て言うんでしょうね、企業の体質とか、まあそういうね、ことが全てもう全然もう本当終わってる会社だなと、その時にもうこのバレンタインの一件含め、もう本当にね、うんざりするような気持ちになりましたね。
もうちょっとね、また余談なんですけどね、この頃ね、このおじさんたちがね、何してたかって言うとですね、やっぱり本当にね、このおじさんたちはおじさんたちで、このどんどんね、物が売れなくなっている時代で、片身も狭くて、本当にね、もう上からもうボッコボコにね、痛めつけられてたのは確かなんですよ。
で、もう延々とね、もう何時間もね、あの会議したりね、もう本当に意味のない会議ね。この会議やったって、もう別に1円も別に給料が、給料じゃない売り上げがね、上がるわけでもないようなね、ことでもう、わーってもう、で、あの数字が特に悪い人たちを吊るし上げにしてね、あのもういじめてね。
で、まあ、じゃあ売上が上がっている人たちがどうかって言うと、これもこういうね、Y社のこの仕事のスタイルですと、このいい得意先をね、任されている部署にいるかいないかっていう運なんですよね。
運のおかげで、そういう比較的安定した数字を稼げるね、ポストにいる人たちがある程度ノーノートしてられて、で、なんかね、そういうちょっと新規事業とかね、そういった部門はやっぱりリスキーじゃないですか。
で、こういうところにいる人っていうのは、やっぱりこの百貨店事業もそうですけれど、もう袋叩きに合うっていうようなことを延々とやっててですね、非常に不毛ですし。
で、まあね、結局、そういうストレスがね、おじさんたちもすごくて、毎晩ね、会社の経費で飲みに行ってるんですよね。
で、またね、いい感じで、この総務のおじさんとかを抱き込んでるんですよ。仲間うちにね。
すごい仲いいグループがあるわけですよ。おじさんたちもね、いろんなグループがあって。で、決済権を持っている人とかね、この総務のおじさんとかっていうのは、ある程度こういう経理とかをいろいろ任されている立場の人ですよね。
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で、こういう人たちと一緒につるむことでね、ただ酒を飲んでるんですよ。夜な夜な。
こんなね、でもほんと毎晩毎晩ね、飲みに行ってて、今でも忘れないですよ。
あの、駅のね、あの、なんて言うんですか、高架下のね、もうね、ヨレヨレのね、油まみれのね、汚いね、居酒屋があったんですよ。
あの、勾配っていうね、もう名前言っていいと思うんですけど、幸せの梅って書いてね、勾配ってもうね、必ずここにみんないるんですよ。
でも私も何度かね、そこで一緒に飲んだこともちろんあるんですけどね。
で、もうね、いっつもここで飲んでね、バカヤローみたいなね、もう管巻いてね、もうベロベロになるまで酔っ払うっていうことをね、ずっとやってて、
で、これ全部会社の経費でね、あの接待とか、誰か得意先と一緒に飲んでるっていう体にね、領収書、あの、裏工作っていうのを操作してね、
あの、まあこれでね、タダ酒飲んでたんですよ、あの人たちね。
で、それはね、タダでさえね、景気も悪くなってる上にね、もうこういう社内でもこういう、これもう完全に不正ですよね。
あのね、会社の経費で、で、これね、ほんとこの勾配とかね、こういう安い安い居酒屋で飲んでるんですけど、これ毎晩ですよね。
で、しかも、もうほとんどこの大量のおじさんがこれやってるわけなんでね、こんなのすごい金額になってるはずですよね。
それはね、やっぱりこんなことを繰り返していれば、ね、もうどんどんもう内部からもね、それはもう腐敗が進んで、もうどんどんどんどんね、やっぱ崩れていくのは当たり前ですよね。
そしてこれは、あの私が辞めてからの話なんですけれども、結局この当時のですね、トップにいた代表取締役の方は、あの、その後ね、自殺されてるんですよね。
もうあまりにもね、この売上が悪いことに対してね、これ売上が悪いのはこの別に取締役のせいでもなんでもないんですけれども、
会社自体が工夫せずね、やってきてるためだったんですけれど、結局取締役会とかでね、だからこの取締役自体もこの平社員のね、人たちをボコボコにいじめてたんですけれども、この人はこの人で、その取締役会でめちゃくちゃボコボコにされてたんですよね。
結局この方は自分で自殺されて、そのまたしばらく経ってから結局このY社はですね、民事再生になりました。
そして新興の新しい若い会社に今は吸収されて、そこの参加の中にいます。
何度かね、私が名前を出している憧れのS先輩はね、やっぱり実力がある方だったのでね、今もちゃんとこの設計のね、デザイン室の方の室長をされて健在だということなんですけれどもね、
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多くの人はね、もう結局リストラされたり、吸収されたタイミングでもう辞めたりとか、ほとんど残ってないというのが今の状況ですね。
こうやってですね、このちょうどね、景気が悪くなっていった頃にね、弱っていく会社の内部でね、だんだん崩れて朽ち果てていくところを、私はちょっと横で見ていたというような感じだったと思います。
はい、ちょっとね、ほろ苦いエンディングになるんですけれども、いよいよこれで私は、ずっといい加減な会社ではあったんですけれども、かわいがってもくれたこのY社を旅立つことになります。
最後はですね、もうすべての部署で送別会をやってもらったですね、もうすごい数のね、もう営業部から、もう店舗から、営業っていうのもね、いっぱいいろんな部署がありますのでね、もう各部署からね、あの声がありがたいことにかかってですね、
もうみんなで私をね、もう盛大な送別会で送り出してもらって、まあいよいよ私はここを卒業していきました。はい、というわけでですね、今日でこのY社編が一応最終回ということで、次回はですね、いよいよこのY社と違って、もっとなんかピチピチのね、あのなんかあのキラキラしたM社の方にいよいよ再出発していくという第2部に移りますので、
また引き続き私の履歴書編をお聞きください。それでは今日はこれで終わります。ごきげんよう。
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