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お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今日も私の履歴書シリーズの続きになります。
ブラック企業でね、車の事故を起こし、起こし淡々と転職しようかと狙っている時期のお話なんですけれども、
結局ですね、このブラック企業があまりにもですね、体力に対して大きなプロジェクトを受けすぎる状況にあり、少ない人数で大きな仕事を結局やらざるを得なくなって、
例えばだから、お兄ちゃん部長とMさんというやり手のNo.2が受けてきた、数千万円の大口の一軒丸々マンションをリフォームするみたいな仕事を受けてきてしまうと、ここに何人もの従業員がこのプロジェクトに携わらないと当然回りませんよね。
だってお兄ちゃん部長とMさんはあくまでも営業のトップになるので、彼らは仕事を取ってきたら後ははいって言って、下々の人間に仕事を回すわけですよね。
ここに対して営業担当とか設計も一人では回らないので、私の優秀だった上司と私と、その時設計4人ぐらいいたんですけれども、全員がこのプロジェクトにかかりきりになる。
施工管理も優秀な一級建築士を持っていた施工管理のトップの人が一人ではもちろん回らないので、ここに若手の施工管理が2人ぐらいついて、何人もこの一軒のマンションを丸々リフォームするというプロジェクトのために、わずか数十人しかいない従業員の半数ぐらいの社員がここにかかりきりになっちゃうんですよね。
そうなるともう他の仕事は何もできないけれども、やっぱり他の仕事もどんどん降ってくるんですよね。
ホームページから問い合わせが来た案件であったりとか、あとエンドのお客様とか、こういうのも並行してこの大口のプロジェクトをやりながら、細かい案件もやっていくとなって、オーバーワークで全く休む暇がないという状況に全員が陥っている。
不眠不休で仕事をしているので事故しまくりみたいなね。そういう状況に自分自身の体力も限界に達していた一級建築士の施工管理のリーダーが、一応この部長に仕事を受け過ぎだと、だからもともとのエンド客を中心とした営業に戻してくださいということで直訴したんですけれど、
部長はもう鼻から聞く耳を持たなかったので、この一級建築士の人が辞めちゃったんですよね。これはね、もう本当に激震が走ったんですよね。この人がいなくなったらどうなるのということで。
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私はね、結構ね、このお兄ちゃん部長とは実はそこそこ仲が良くて、私はこの頃だか設計として仕事をしているので、今の上司というか雇い主である岡田社長を含めて、何和金融道チームとかね、足立とかね、いろんな営業とかと仕事をしていたんですけれども、
実はこのお兄ちゃん部長がね、なんだかんだ言って一番仕事しやすかったですね。営業としてね、極めて優秀な人でしたし、こうやってウェイウェイウェイウェイね、割とホモソの人だったんですけれど、
一対一で喋っているとね、すごく良い人というか、割と好きだったんですよね、人としてはね。テニスの西堀圭にそっくりな可愛い顔しててね、爽やかで良い人でした。
ただ、やっぱ彼は彼でね、すごいね、営業会社だったんでね、社長に対して良い顔をしなきゃいけないしね、この20人、私がね働き出した頃は20人で、だんだんだんだん人数がね、そういったことでね、つまりどんどん仕事を増やしてくるんで、必然的に従業員も増やしていき、私が辞める頃にはね、85人ぐらいになってたんですね。
そういった規模を増やしていったんですけれど、もうね、人を増やした先からね、どんどん辞めていくんですよね。だから毎月のようにね、10人ぐらい中途入社で人が入ってくるんですけれど、10人とっても1人残らないっていうようなね、もう一瞬のうちに辞めていくんですよ。
1年持ったらね、すごい長く持った方っていうね、ほとんどの人は1ヶ月持たないで辞めていくっていう状況だったんで、前からいるメンバーはね、少しも楽にならないんですよね。
私の話に戻すと、こういう中で仕事をしていたので、私も過労気味だったんですけれど、このね、転職するって決めた時に、私が一つやろうとしたことが、設計だと営業が結局メインなんですよね。
例えば中村亭っていう案件をやってたとしたら、一応このブラック企業のやり方としては、300万を超える案件は設計と施工管理をつけてプロジェクトを回すっていうことが一応ルールだったんですよ。
なので営業は一人で仕事を収めずに、ちゃんと設計と施工管理に声をかけて、3人で三味一体で仕事を収めていくってことをやってたんですけれど、これだとね、やっぱり身がつかないなと思って、結局営業はお客様対応の一番の入り口になるんですよね。
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もちろん営業と設計が割と二個一でね、顧客対応して、そのお客様から聞いた内容を現場監督の施工管理の担当者に伝えて、施工管理の人がやることっていうのはお客様対応ではなくて、現場の職人をまとめる仕事になるんですよね。
この3人の連携っていうのはすごく大事なんですけれど、こんなようにね、ブラック企業でみんながもう何十件と同時に仕事を抱えているんで、一件一件の仕事を緻密にやっていくってことは不可能なんですよね。
なおかつ、社内のこの3人が連携をうまく取っていくっていうことも難しいんですよ。これにね、早々に気づいていたので、私の今の雇い主の岡田社長なんかは、もう全部ね、もうその敵地のね、神戸の最果てで一人で仕事しているのをいいことに、施工管理も入れずに一人で全部やってたんですよね。
そこで私と仕事を組んだら、もうすべて100発100中の受注チームになったんでね、私とは2個1で仕事してたんで、連携はうまくいってたんですけれど、基本的には人数は少ない方が案件をまとめやすいっていう彼なりのルールがあったんですよね。
だから、一担当一物件っていうのを本気でやるっていうようなスタイルを、彼はそれが一番いいと思っている人だったんですよね。それに関しては私も全く一緒で、ただこの会社にいるとどうしても私はあくまでも若い営業のお手伝い的なサブの扱いになるんですよね。
まだ建築の知識がない若手の営業担当に私という設計担当がついて、工事のいろんな設計の注意点とか、こういう工事が必要だとかっていう判断とかはすべて私がして、実際の現場の管理は施工管理がやるっていうことで、
ただね、こういうふうにブラックだったのがいいことに、私結構設計の自分の仕事の範疇を超えて丸々やったりしてたんですよね。特に、なにわ金融道チームはお金を負うのが大好きな人たちだったので、もうね、はい、じゃああと神田さんよろしくって言って、どんどん物件を取りに行くことに熱心だったんで、逆にそこはウィンウィンだったんですよね。
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私はやっぱり工事を覚えたいし、お客様と密にやり取りしながら仕事をちゃんと収めていくっていうことにより関心があったので、それと職人さんとね、やっぱり仲良くなって、自分が好きな職人さんで現場をまとめたいっていうこともね、思い始めたんですよね。
で、施工管理の人入れちゃうと、施工管理の人が使いたい職人を使うんでね、だからそこはね、職人さんのコントロールも自分がしたいし、プラス営業だと予算管理ができるんで、そこも自分でやりたいなっていう欲が出てきたんですよね。
だから、この会社を辞めた後、どこかにまた転職するにせよ、自分で仕事していくにせよ、全部自分でできるようにならないとダメだなっていうことを思い出したんですよね。なので、営業になりたいって言って手を挙げたんですよ。
会社としてはすごい嫌そうでしたね。やっぱり設計ができるんだから、設計に専念してくれた方が若いね。営業はどうしても入れ替わりがすごく激しかったので、辞める人が多くて。
そこはね、どうしても経験値がない人も多いから、そこをやっぱりサポートすることも加味して、あなたにはこの舞台にいてもらってるんですから、みたいなこと言われたんですけれど。私はね、営業やりたいって言って。
もう分かったと。面倒くさいからね。西堀経理に似てるお兄ちゃん部長が、面倒くさいから分かった分かったって言って。寸釈さんにはリノベ舞台みたいなのを別に作ってね。そこで営業から接客から現場管理まで、全部一人でワンオペでやるみたいなことをどうぞ、ご自分でやってくださいって言ってくれたんですよ。
ラッキーみたいなんで。もうね、私の優秀な上司にね、本当に大丈夫って。今でさえね、もう倒れるぐらい忙しいのに、数字までやっちゃったらしんどいよって。自分で見積もり。だから今までだったら営業が見積もり作ってくれるんですよね。
なのに、もうこの設計の仕事も大変な上にね、現場も見るは見積もりも作って予算管理もするっていうのは、もうちょっと大丈夫なのって言われたんですけれど、もうどうせ辞めるんだったら、いる間に全部スキルを身につけたいっていうふうに思って、私はね、自ら営業というか、この営業兼設計兼現場管理っていうね、ワンオペで全部やるっていう方に志願して、
一人で勝手に別舞台みたいなのを作っちゃったんですよね。だから一人、一人だけなんですけどね。一人で勝手にじゃあどうぞやってくださいみたいな方に、自分で持っていったということをやりました。
はい、というわけでね、今日はここまでにして、続きはまた次回とさせていただきます。ごきげんよう。