2022-08-26 41:23

第310回【対談】海外駐在員のリアルを学ぶ(第5回 前編、ゲスト:プロフェッショナルコーチ 三宅久裕さん)

日系企業の海外営業部、海外事業部で勤務する上での1つの目標となる海外駐在員。海外駐在員はどのような業務をやっているのか、やりがい、苦労した事、それを乗り越えるコツ等、今回は大手メーカーの生産技術本部で品質・コスト・納期の改善プロジェクトに従事された後、フィリピン、ベトナム、タイ、中国等多くの国の海外現地法人で駐在をご経験され、現在はプロフェッショナルコーチとして活躍されている三宅久裕さんにお話を聞き、海外駐在員の仕事のリアルをお聞きします。

*このご時世ですので、ソーシャルディスタンスに配慮して収録しております。


【ハイライト】

・ロードバイクの魅力とは?

・大学卒業から大手メーカーへ入社されたきっかけ

・海外駐在が決まったきっかけとは?

・三宅さんが海外畑のキャリアを貫けた秘訣とは?

・物事何でもストイックに頑張れば道は開ける論

・三宅さんが自身に課していた海外駐在員としてのミッションとは?

・ブルドーザーから権限委譲型への変化について

・従業員自身が自ら考えて行動できる人材になるために意識していた事

・海外の飲み会事情、海外駐在員の暮らしについて

・単身/家族帯同での海外駐在スタイルの違いについて


本エピソードの後編のリンクはこちらです。

https://podcasts.apple.com/jp/podcast/id1507714225?i=1000578055622


三宅久裕さんのSNS、ご連絡先は以下となります!

note

https://note.com/miyake1959/

Twitter

https://twitter.com/miyake1959


ゲストプロフィール:

三宅久裕さん

京都大学工学部卒業後、大手メーカーに入社され、生産技術本部で品質・コスト・納期の改善プロジェクトに従事された後、フィリピン、ベトナム、タイ、中国での海外駐在を経験されました。その後、日系自動車部品メーカーに転職され、同社のカナダ拠点をコーチングでの権限委譲を通じて、コロナ禍という事業の苦境を克服する事に貢献されました。

海外での会社設立や撤退等含めた数多くの修羅場を今までにご経験され、そして2018年には認定コーチの資格を取得されました。現在は、海外拠点長や海外駐在員、国内でご活躍の方の新たな気づきに繋がるコミュニケーション相手「社外雑談役」、プロフェッショナルコーチとして活動されています。趣味はロードバイクです。


~お知らせ~

サニーデーフライデーは、社会保険労務士として活動する田村が普段のサムライ業という固いイメージから外れ、様々な分野で活躍する方やその道の専門家・スペシャリストと語るトーク番組です。


人生に前向きでポジティブな方をゲストとしてお呼びし、経営者や従業員として働くリスナーの皆様が明日から明るく過ごせて、心や気持ちがパッと晴れるそんな『働き方を考える』ラジオをお送りします。


話すテーマは社労士業、働き方改革、キャリア、海外駐在、外国人雇用、海外放浪等です。


パーソナリティー:田村陽太

産業機械メーカーの海外営業、社労士法人での勤務経験後、海外駐在員や外国人社員等のグローバルに働く社員が輝ける職場づくりを人事面からサポートしたいという想いで、社労士事務所を開業。海外駐在員や外国人社員の労務管理、外国人留学生・技能実習生の就労支援等、企業の国際労務・海外進出対応に強い。ラジオDJ、ナレーター、インタビュアー、MC等、音声メディアや放送業界でも活動。番組プロデュース、ポッドキャストデザイン等のPRブランディング事業も手掛ける。株式会社サンキャリア代表。


カバーアート制作:小野寺玲奈


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社労士ラジオ 【サニーデーフライデー】
社労士ラジオ 【サニーデーフライデー】 田村陽太です。
この番組は、社会保険労務省として活動する田村が、 普段の侍業という堅いイメージから外れ、
様々な分野で活躍する方や、その道の専門家、 スペシャリストと語るトーク番組です。
本日も素敵なゲストを呼びしております。
プロフェッショナルコーチの三宅久裕さんです。 三宅さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
サニーデーフライデーに来てもらいましてありがとうございます。
こちらこそ呼んでいただいてありがとうございます。
三宅さんは、前回ポッドキャストでご出演された 永井さんがきっかけになります。
永井さんは、ハッシーさんと慶子さんがやっている 独立語のリアルのポッドキャストを配信されていて、
100回記念のオンライン会があったんですよね。
永井さんもいらっしゃって、三宅さんもいらっしゃいましたと。
そうですね。
僕も参加していましたと。
永井さんと食事していて、 永井さんも駐在されてたんですねって話してたんですけど、
僕よりも大先輩がいますと。
大先輩って誰ですかって聞いたら、
この前オンライン会に出てた三宅さんですって言われて、
えー!みたいになって。
三宅さんって駐在場だなんですねって思って、
ぜひお話ししたいなってことで、
この前大阪で食事したんですよね。
そうですね。
食事させていただいて、お話もっと聞きたいなということで、
今回は三宅さんにゲストに出ていただいて、
海外駐在のリアルとか、
いろいろお話を聞かせていただきたいなということで、
お呼びさせてもらいました。
よろしくお願いします。
どうですか三宅さん。
今日ラジオ収録ですけれども、どんな心境ですか今日は。
今手にいっぱい汗かいてるし、
そのうち額から汗が滲んでくるんじゃないかなと緊張してます。
今日は暑い6月7月ということで、だんだん暑くなってきますけど、
もっと汗かくような感じでやっていきたいなと思うんですけど、
暑いのは大丈夫ですかね。
フィリピンとかタイとか暑いところばっかり行ってましたから。
そうですよね。
三宅さんありがとうございました。
ご紹介いただきまして、
三宅さんは大手メーカーでの勤務中に、
フィリピン、ベトナム、タイ、中国の現地法人の拠点庁として
海外駐在されてたんですよね。
長年海外での勤務経験というのがあって、
僕自身ももともと日系企業メーカーの海外営業をやってて、
ゆくゆくは海外駐在になろうと思って働いてたんですよ。
でも夢半ばで僕はこっちのシャロー市の方に来たんですけど、
もし僕が海外駐在になってたらどんな風になってたんだろうみたいな話も聞きたくて、
今日ぜひ三宅さんから聞きたいなということで、
ぜひやらせたいなと思ってます。
はいお願いします。
ちなみになんですけど、
今回サニーデイフライデーの収録を依頼したじゃないですか、
出てもらったきっかけってどんなところにありますか?
これやっぱり先ほどの長井さんが、
田村さんはおもろいことやってるんで、
ということで最初に長井さんからそんな話があって、
それから先ほどあったようにね、
独立後のリアルの橋井さんと慶豪さんが、
あれに出てるときにもいらっしゃって、
そこから田村さんのポッドキャストを私もずっと聞かせていただく中でね、
03:01
結構すごい人が出てくるんですよね。
ゲストの方がね。
ゲストの方が。
自分でやりたいことはこれですみたいなのを出す人がいっぱいいる中で、
私は逆に言うとサラリーマンで、
40数年きて普通の人だなと思ってたんですよね。
本当に普通のマスを代表するような人間だと思ってたんですけど、
そんな中でも駐在20年もやってるというのはちょっとマスじゃないところもあるし、
私の24年の海外の生活っていうのが聞いている人に、
ちょっとでもあれ面白いなとか海外は私も行ってみたいなとかね、
あんまり怯まなくていいんだとかね。
そんな風に思ってくれたらいいなというのが今日寄せていただいたきっかけですね。
そうですよね。海外の会社の社長みたいな立場じゃないですか。
本当に日本と違うところで働くって、
サニーデフライデンのリスナーさんとかわからない方いっぱいいると思うんで、
ぜひそらへんのご経験をお聞かせいただきたいなと思っております。
宮田 ありがとうございます。
ありがとうございます。
ちょっと私から簡単に三宅さんをご紹介させていただきたいと思います。
京都大学工学部卒業後、大手メーカーに入社され、
生産技術本部で品質・コストの改善プロジェクトに就任された後、
フィリピン、ベトナム、タイ、中国での海外駐在をご経験されました。
その後、日系自動車部品メーカーに転職され、
同社のカナダ拠点をコーチングでの権限移情を通じて、
コロナ禍という苦境を克服することに貢献されました。
海外での会社設立や撤退などを含めた数多くの修羅場を今までにご経験され、
そして、2018年には認定コーチの資格を取得されました。
現在は海外拠点長や海外駐在員、国内で活躍されている方の
新たな気づきにつながるコミュニケーション相手、社外雑談役、
プロフェッショナルコーチとして活動されています。
趣味はロードバイクですと。
ということで、あってますか?
そうですね。今の私をすごく美しく表現いただいています。ありがとうございます。
本当ですか?ありがとうございます。
三宅さん、ノートでロードバイクとかも乗られているってことを言ったんですけど、
どこらへん乗られるんですか?ロードバイクって。
今は家からうろうろと。私は今、木津川の方に、京都の方に住んでいるんですけれども。
奈良の境のところですよね。
そうですね。川の後半に自転車用の専用道路が作られているんですよ。
今はそこをのどかな雰囲気で走っていますけど、
今私63になってですね、50キロぐらい走るとだんだん足がつりそうになるんですけど、
嵐山まで42キロあるんですよね。
往復すると80キロぐらいあるんで、この夏中までには行きたいなとかね。
あるいは私の実家は岡山なんですけど、岡山からちょっと足伸ばせばロードバイクの聖地みたいな。
島並街道って四国にあるじゃないですか。
あれ片道50キロあるらしいんですけど、まあまあまあ海風を浴びながら行きたいなってのはあります。
06:01
いいですね。
ちなみにロードバイクの魅力って何なんですか?ちょっと教えていただけると。
走っているのが単に楽しいというよりも、私駐在していてゴルフばっかりじゃダメだなというのがスタートで、
中国の時とかタイの時とか、やっぱり自分で仕事の中で苦しい時あるじゃないですか。
その時に自転車って自分でこかないと前に進まないから、中国の時はヒルクライムやってたんですけど、
負けない!負けない!負けない!負けない!ってやってるとね、仕事の中では負けないみたいなことになるし、
タイの時には途中にお寺いっぱいあるから、気に入ったお寺が一つあって、
そこのお寺に必ずちょうど中間のあたりで参って、お寺さんで一人座る時間を持ってみたりね。
瞑想みたいな。
瞑想までいかないんですけど、さあどうするかなーみたいなんで、
じゃあ来週はこんなことしようみたいなね。
そういうのを見つける。
言ったらサードプレースだったり、気分転換だったり、自分の励ましだったり、
それは単に趣味というよりも仕事の延長線で使って、いいのか悪いのかわかんないですけど、
気分転換になりましたよね。
今は単にのどかに走ってますけどね。
これから会社頑張るぞみたいなところの切り替えみたいなね。
なるほど、ありがとうございます。
僕も労働バイク乗ってみたいなって気持ちはあるので、
ぜひまた島並海道で初心者に。
ぜひ一緒に行きましょう。
行ったこともない人がいて申し訳ないですけど。
わかりました。ありがとうございます。
最初の質問からやっていきたいと思うんですけども、
三宅さん最初は大手メーカーで働かれて駐在という長いキャリアをされたと思うんですけど、
そもそもどういうきっかけで会社に大手メーカーに入社されたのかというきっかけを、
大学卒業後からの流れみたいなのを教えていただきたいんですけど。
皆さん今ね就職で苦労されてて申し訳ないんですけど、
私の昭和の時代はですね、あまり就活ってしてないんです。
私実は59歳で転職するまでESエントリーシートって書いたことないんです。
参考にならない。
大学の先生が話してきたぞとか言って、
ありがとうございますって実は決まってしまった会社なんですね。
そうなんですね。
というのは実は大学の先生が共同研究を決めてきてあって、
それの僕が大学側、企業側は私の就職先。
一緒に3年計画でやりましょうって言ったんですけど、
私が院師に落ちて、院師落ちましたって言ったら、
しゃーらなーって。
院入っての3年のうちに、最初の学部でそこで陳になってしまったので、
お前続けてやっとけよとか言って。
大学の先生が行ったところで決まりましたって。
そこで内定みたいな形だったので。
09:01
そんな格好だったんですね。
だからそれが延長で、そういう大学の先生の話、
研究はスケジューリング理論を実践するというものの作り方の順番を変えたら、
生産性にどう影響が出るんだという研究してたんですけど、
めっちゃ難しそうですね。
大学の一応研究ですから。
そんなのやってたんですか。
そんなことを実践したらどうなるんだというのをやろうということで。
企業研究でやっていこうということで。
院まで通してやる予定が、院じゃなくて給料もらいながらやり始めるという、
そういう格好になった。
先に社会に出るのが早かったんですね。
そうそう。2年早かったです。
どうですか実際。
就活っていう形じゃなくてそのまま社会人になったじゃないですか。
最初成り立てのところどうでした?その気持ちというか。
あんまり就活ということで、私ここでこんなことをやりたいですというよりも、
大学の研究でそういうスケジューリングだとか、
ものを作るところでの効率だとかということをやりたいですというところからスタートしたので、
そこの部分に配属をされて、先ほど紹介もいただいたんですけど、
生産性だとかコストだとか品質だとかという、改善をやるという。
そこにすんなり入ったので、目の前に来たそういう改善のプロジェクトっていうのをこなしていく。
そういう形でやりたいですというよりも、
たまたま来たものを目の前の人参をとにかく食らいつくという、
そういうパターンができちゃいましたね。
確かにそうですね。先ほど説明させてもらいましたけど、
品質コストの改善プロジェクトということで、
三宅さんの専門というのは社会人になっても活かせるだろうということで、
そのまま入っていったみたいな感じなんですね。
そうですね。ですから最初の17年間は3ヶ月とか6ヶ月、長かったら1年というような形のプロジェクトが社内にできるんですね。
いろんな事業、製品でここの品質改善したいとか、ここの生産性上げたいとか、
新しいラインここに作りたいというプロジェクトで話があると、
それにプロジェクトメンバーとして入って、
ものづくりをしている事業部の方と一緒にチームになって改善をする。
その意味ではだんだんそれがキャリアが長くなっていくと、
社内のコンサルタントというような、そういう位置づけになってプロジェクトマネージをしていくという、
それでキャリアを積んでいったというのが前半の私ですね。
何か面白いですね。各部署の生産性向上みたいな仕事を
三宅さんが先頭、リーダーになってされているみたいなイメージですよね。
そうですね。ですからプロジェクトが3ヶ月とか6ヶ月とか何ヶ月か単位で動くので、
目先がずっと変わるんですよね。
そうですよ。確かに見方が変わりますよね。
そうするとまんねりしないので、宿々と就寝雇用行くというのとは違って、
目先のプロジェクトがどんどん変わりながら仕事をしていくので、
転職を考えるということはあんまりなくて、永遠と来たというそんな感じですね。
12:06
毎日が新しいことみたいな。
そうですね。新しいことがあると面白いじゃないですか。
面白いですね。
前のところ聞きたいんですけど、三宅さんすごい学歴じゃないですか。
京都大学工学部って普通の一般のリスナー方だったら、
表題とか無理でしょみたいになると思うんですけど、
どうやって勉強されて入ったんですか?
勉強者は当時は深夜ラジオ全盛の頃で、
オールナイトニッポンとか聞きながら夜中の2時3時まで勉強してるんだから
ラジオ聞いてるんだかわからなかったですけど、
ただ時々図書館に行ってとか集中だけはひたすらする。
やるときはやるみたいな。
だから今日はやるぞと言ったら、
お前人の話聞いとらんやろって言って図書館なんかで、
誰かが飯食いに行こうとか言っても無視してたとかね。
めっちゃぼーっとしてるじゃないですか。
ぼーっとして遊んでる時間もあるんですけども、
ガッと集中するというのは習い性としてあったかもしれないですね。
好きなことだからひたすら教団に入るんだったら勉強しようっていう感じで。
そうですね。
挫折しそうになった時は、
担任の先生ともうやめますとか言ったこともあるんですけど、
アホとか言われて、お前は行く言うたじゃないかとか言って、
落ちたらどないすんですかとか言われたら、
お前受かるんやから、落ちたら責任取ってくれますかとか言って、
担任と喧嘩したこともありますけど、
とにかくやれとか言われて。
その意味では高校の担任にやれとか言われて勉強して、
大学の先生にあそこ行って働けって言ったら働いて、
結構自分がない生活だったのかもしれないですね。
ストイックにそう強制されるみたいな。
そうですね。
ストイックにやるのは苦じゃない。
でも自分でやりますというよりもやらんかとか言われたら、
ストイックにやりますわみたいな。
さっきの自転車も自転車は自分で選んだかな。
やりたいなって。
行くと一生くらいも負けるかって言って、
ストイックに漕ぐみたいな。
きっかけは何であれ、目の前のものはストイックにこなす。
それはあったかもしれないですね。
絶対負けないぞみたいな感じで続けるっていう。
負けないぞというのはすごくあります。
じゃないとなかなか分からないですよね、
教題とか無理ですよなって。
でも新学校だと周りが結構ストイックだから、
そうするとあいつこんなに頑張ってんだ、
教題を目指してやってるやつとかいるじゃないですか。
そうするとその人たちはもっと頑張ってるし、
地方でいいよっていう人が、
いやいやもっと頑張らないとあかんで、
あかんで今関西弁でする僕、岡山ですけど、
やらないでっていうような感じで、
自分は自分でストイックに。
ところがあります。
切磋琢磨して勉強されてますね。
僕ももともと小学校の時に京都に3年間いたんですよ。
15:00
京都の時の友達がいたんで、
僕高校卒業したら京都に行きたいなと思ってて、
僕も一応教題行きたいなと思ったんですけど、
諦めたんですけど、
教題入られてすごいなと思いながら聞かせてもらって。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
次の質問なんですけど、
生産技術本部の方で改善プロジェクトされてたと思うんですけど、
その後ってどのようなお仕事されてきたってありますか?
駐在に至るまでというか。
駐在に至るまではさっき言ったように、
生産技術部というところが会社の中の違う事業部門だったり、
違う製品の改善プロジェクトを受け負ってやりますと。
なのでそこをずっと延々やってきたんです。
その中で北は北海道から南は九州まで工場があるところで
ちょっと来てよって言われたら行く。
90年の後半からはシンガポールマレーシアが来てよって言うから行きますと。
シンガポールに私ずっといてますわという提案をして、
シンガポールマレーシアの社長さんに私いたら使ってくれますかって言って
まあいいよって言ってそんな計画を立てたら
ちょうどその頃アジアの通貨危機が起きて、
全部の話がポシャってその話になくなっちゃったんですけど。
もともと仲材したきっかけっていうのは
この生産技術本部でのお仕事きっかけに仲材に行ったって感じですか?
そうですね。プロジェクトで動く。
その中で89年、90年にアメリカの会社が左前だから改善してこいという話があって
それは若きエンジニアとして改善だと言って1年ちょっと
プロジェクトですから長い仲材じゃなくて1年だったんですけど
1年ちょっとのプロジェクトでおかげさまで生産性が上がる基調になりました。
プロジェクト終わりました。
その頃に当時の社長の夫人が
あなたもう絶対海外用意だよねとか言われてたんですけど
その後2代後ぐらいのそこそこ経緯をよく知っている人が社長になられて
アメリカのその方がどんどん上に上がってジョームになったんです。
ジョームがフィリピンの工場を見るようになったときに
豪弁だったんですけど
豪弁さっきから全然儲からないじゃないかと怒られて
なんか昔アメリカであったあいつ呼べとか
それが最初のきっかけだったというのを後で知りました。
なるほど豪弁さっきから話違うやろうと
やっぱそれを改善できるやつおらんのかなと言って
三宅さんが呼ばれて
そこから当時の事業部長に
お前1年で改善してきてくれるかとか言われて
できるんですか?
18:01
できるかできないかわかんないですけど
今までがプロジェクトで動いてたから
できるにはやりますって言ってたんですけど
1年のはずが結局そこの事業部に移って
7年いたというのが
私の海外土砂回りの始まりです。
それから始まって
海外駐在生活何年いたんですか?
国内は何年いたんでしょう?
国内は17年仕事をして
フィリピンに行って
そこから98年だから23年4年弱
途中日本で1年ぐらい
ちょろっとだけ好情緒をした時期ありますけど
22年23年が海外です。
三宅さんの社会人人生は
国内よりも海外の方が長いんですか?
もう長くなっちゃいましたね。
そうなんですか。
駐在編成はどこの国に行かれたんですか?
結局その23年間どんな国を
東南アジア中心で
最初がさっき言ったようにフィリピン
その昔はアメリカで1年間プロジェクトってのがありますけど
フィリピンがスタートで
一瞬日本に帰って好情緒をしたんですけど
その後ベトナムで新しい工場を作るから
行ってこいと
そうしてたら最初にフィリピンに行った
そこがまた赤字になったから
戻れとか言うのでフィリピン
フィリピンの後皇帝を担当する工場を作ろうということで
タイに工場を作れということで
フィリピンやりながらタイに工場を作って
タイの害虫さんが倒れそうだからと言って
そこを強弁というか吸収して
うまくいったからフィリピンに戻れって戻って
しばらくしたら中国もおかしいから
次は中国やってきてよって
中国行って
そこをしてたら私の作ったタイの工場
やっぱり事業的にうまく
工場としてというよりも
製品分野ダメだから
閉めるからお前閉めろって言われて
開けた7年後に私閉めたんですけど
むちゃくちゃなんですけど
タイを閉めたのが59歳と9ヶ月で
60歳になる前
定年ぐらいまではタイにいるかなと思ってたんですけど
居場所がなくなったのね
日本帰ってこいって言われたんですけど
60年超えてますから日本に戻ってきて
再雇用という話もあったんですけど
通勤電車に乗る自分の姿が想像できなくて
タイが長すぎて
それで閉めるちょっと前ぐらいから
人材紹介業のところに登録をしたら
カナダやりませんかという話が来て
原報というか
日経の会社なんですけど
カナダの拠点地を探してる会社ありますけど
そんなあるんですか
21:01
行きます行きますみたいな
三宅さんに打手付けみたいな
リサーチもしないで連絡受けたら通っちゃったから
行きそう
行きますと言って
タイ閉めて日本に帰って
1週間だけで今までの会社挨拶周りして
1週間後には次の会社行って
1ヶ月後にはカナダにいました
激動のところからまた激動のところに行くみたいな
1ヶ月ですごい動いてますね
そうですね
私海外でしか生きていけないんじゃないかなと
その時すごい思い込みがあったのかもしれないですね
日本じゃ生きていけないわと思って
本当ですか
思い切ってますね
1個聞きたいんですけど
例えば検職される前
カナダの原報行く前に
いろんな国で拠点地をされてたじゃないですか
なかなかそんな1回行って
普通だったら日本帰ってきて
ちょっとまた日本で仕事して
また海外行くみたいな感じじゃないですか
本当に海外を行き渡ってるじゃないですか
駐在員としてずっと行き渡ってたキャリアを
築けた1つのきっかけというか
なんでそういう道を行ったかとかありますか
何があって海外バターをずっと
三宅さんは行かれたのかっていう
何か秘訣みたいなのありますか
秘訣というよりも
最初のフィリピンでゴーベン先が
ガチャガチャいう中であった中で
それなりにできたというのは
私の自信にもなったし周りも見てた
その前がアメリカのところで
ガチャガチャやってるのを見てた人もいる
そうするとトラブルあったら
何とかあいつしよんでみたいなような
そういうのでは見てくれたんだと思うんですね
そうするとフィリピンやってるうちに
一瞬日本に帰ったけど
ベトナムって最初に
初めての工場だったんですけど
初めての進出先なんだけど
どんな施設来るのかよくわからんけど
行ってこいみたいな
あいつならできると
やってたら恥ずかしい話
僕が見てたフィリピンが左前になりました
フィリピン人の社長にちょっと任せてたら
なんかおかしくなっちゃった
そうするとダメだから
フィリピン前もう一回戻って
今度は社長やれって
そこから社長なんです
そうやってたら単位に工場も作りたいから
行け
そうしてたらフィリピンにもっと増産するから戻れ
中国おかしいから行け
単位占めるから戻れ
そんな感じになっちゃった
ですから常に火消しをやってる
プロジェクトがあるところをやってると
修練してくると
つまんなくなってくる頃には
どっかが火吹き始めるみたいな
それは自然と火が出てくるのか
三宅さんが必要なときに
そういうキャリアが渡されるのかって
不思議ですね
常に火はどっかで吹いてるんでしょうけど
そろそろあそこええだろうと
こっちのほうがいい
要するに火の大きさが
どっかで逆転するんですよねきっとね
そうするとこっちの火よりも
こっちの火のほうがでかいから
24:01
お前行けみたいなね
そうですよねそんな感じします
しかも三宅さんの海外駐車の経験って
自身のスキルというか
自信につながりますよね
このトラブルでも多分なんとかなるだろうみたいな
そうですね
なりますよね多分ね
そこは最初にお話いただいた
ストイックなという
とにかく何かストイックにやってりゃ
物事よくなるんです
というか僕気が楽というか楽観的なのは
火吹いてるときって悪いときなんですよ
そうですよね確かに
そうですよね
ということは僕が言って
さらに悪くさえならなかったらいいわけです
確かに
何かやってりゃきっとよくなる
そうするとよくなったね
みんな言ってくれるし思ってくれる
三宅さんやったなと
だから火吹いてるところへ行くのは
そんなに嫌なことじゃなくて
これより悪くなんないんだからという
確かに何かそういう開き直りが
良かったかもしれないですね
マイナスにいかないですもんね
絶対プラスですもんねやっぱね
なるほどありがとうございます
次の質問なんですけど
色々国を点々とされたと思うんですけど
駐載員としての業務内容
各国での業務内容と
あとその業務内容をやったことによって
自分はこういうことを達成したいな
という自分に課してたミッションみたいな
ところをそれぞれ教えてもらいたいなというのが
火吹いてる会社の立て直しが中心だったり
新しい会社だったりするんで
日本からもらうミッションって
大体一つなんですね
いつも一つ
成果上げてくれと
それだけなんです
そんだけなんですか
ある意味そうなんですよね
やばいですねそれすごい
ものづくりの拠点なので
新しいお客さんを開拓してくれとか
新しい製品を作ってくれというのではなくて
ものを作ってる
そこが儲からない
何とかしたい
そうすると生産性上げるか品質良くするか
それぐらいなんですよね
そうすると最初の17年間は
それをコンサルタントだと
偉そうにやってたわけで
同じようにここ改善しようよね
ここ改善できるよね
こんなふうにしたら不良減るよね
ということのある繰り返し
それが言葉が違う
一緒にどうやってやるの
だからやることはそんなに
目先が違うことをやってるわけじゃない
相手が違う
国が違う
国が違う
相手の人が違う
相手の人が考えてることが
ちょっと今までとうまいこといかないな
っていうのがある
何工夫してどうしたら
この人たちやってくれるかな
というのはすごく新しい
いやそうですよね
そうなんです
だからものづくりでやることは
そんなに変わらない
言ったら不変的に存在するわけですよね
こうすれば良くなるんです
という本にもなるような
セオリーがあるわけです
でもそれを現地の人と一緒にやる
27:04
それだけが工夫点みたいなところがあります
最初現地に移情していって
どんどん駐在生活というか
現地法人をうまくよくしていく
みたいな話がありましたけど
いろんな人と仕事をするから
相手のことも分かんなきゃいけない
というのもありますからね
そうですね
それを分からずにやったのが
最初の7年のフィリピンで
コンサルタントになれるかな
というような
変な自信があるぐらいだったから
あれしろこれしろ
これもやるぞ
あれやれ
これやれ
とブスブス刺すような形でやってたのね
周りからブルドーザーみたいなやつを
見ましたね
そんな時代あったんだと思って
そんな形で
でも正論だから
みんな言うことを聞くわけです
そうですよね
成果も上がるんです
日本経営品質賞とか
マルコム・ボルドリッジ賞みたいなのが
アメリカにあるところで
フィリピンにも
フィリピンクオリティアワードみたいなのがあって
取るぞとか言って
やってて取れたんですね
すごいですね
成果は上がるんですよ
やることをやれば成果は上がる
ところが私が駐在7年後に終わって
よかったねって言って
日本に2式の宮だと思って帰って
もう凱旋したようなつもりで帰ったんですけど
そんな気持ちですかね
そこから工場長とかやって
フィリピンも頑張ってるはずだよな
はずだよなと思って
ベトナム行って
フィリピンのこと忘れて
新しい工場を作ることにプロジェクトとして入った
そしたらその間に
フィリピンズタズタやんお前
とか言われて
みんな僕がブスブスやってるから
言われてる間はやるん
三宅帰ったら
はーはーはーって
気ぃ抜いて
気ぃ抜いて
僕と一緒にやってたフィリピン人の社長が
好きなようにやったもんだから
そうなんですね
そうです
大赤字にまたビューって戻ってしまって
結局やれって言ったんじゃ
その時はいいんですけど
成果上がりますよねもちろん
でもそれっきりみたいな
だからその次からのミッションというのは
ちょっとずつもうちょっとこの人たちが
というところにちょっとシフトし始めたのが
だから駐在して
ベトナムからフィリピン行けって言われてたんだから
駐在始めてから行くと
10年ぐらい経ってようやくそんなことがわかった
それもこれ私の最初の駐在の時の
いい経験になったのが
ベトナム工場作った時に
いや5Sだ
5Sの基本はまずみんなが
トイレ行ったって
トイレが気持ちよくないとダメだよとか言って
そこからやろうと思って
みんなで新しい工場
出来立ての工場ですけど
ちょっとしか使ってない
みんなでトイレ掃除しようと
綺麗なトイレでなかったら仕事する気しないやろ
みんなひるむのを
30:01
僕が最初になっても便器を磨くところから見せて
そうやってトイレを綺麗な工場で仕事しようね
他のところも5Sで綺麗にしようね
でベトナム立ち上げたんだよね
ベトナムからフィリピン戻ってしばらくして
ベトナム次に行った時に
リーダーがニコニコっとして
トイレ見てくださいって言うわけ
でトイレ綺麗でしょって
三宅さんいなくてもやってますからって
言ってくれたのがきっかけで
人がやらされるんじゃなくて
分かってやるようにならないと
海外の工場ってよくならないんだ
10年そこに気が付くまでにかかりました
普通の人はひょっとすると
3年の駐在5年の駐在だったら
とにかく成果成果で気が付かないところ
僕はラッキーなことに10年経って
フィリピンの失敗はそこで
ベトナムは良かったんだって思える経験があった
さっきのすごいですね
三宅さんがトイレを自分で扇動して磨く
っていうところがやっぱり伝わって
ってことがありますよね従業員さん
それはモノの本で
トイレの汚い工場はダメだとか
いろんなこと書いてるじゃないですか
出来上がった工場だとなかなか難しいんだけど
早く作る工場だったら出来るかなと思って
やってみたらバクリタンみたいな
すごいな
一個質問したいんですけど
例えばさっき三宅さん大事なことをおっしゃってて
従業員さん自身が自分で分かって
自分でやったことが成長に繋がるとか
って話があったと思うんですけど
三宅さん自身が従業員さんをマネジメントする上で
自分自身で分かってやらなきゃいけないんだって
従業員さん思わせるように
工夫したことあったりするんですか
それが出来るようになったのは
実はコーチングを学んで
ちょっと最近なんですけど
その後もフィリピンでもそうですけど
どうすんのどうすんのって
まあまあ小うるさく聞いてる
あんたどうすんの
俺の指示聞くだけでいいのとかね
駐座に行った結構まだすぐの頃から
俺日本人だからそのうち帰るからね
現地の従業員さんに言って
言うんですよ
俺帰るからね
あんたたちはどんな人が来るかわからないけど
あんたたちは残るんだからね
っていうのはね
いろんなところで言いましたね
俺は帰るよ
俺の言うこと聞いてるだけだったら
次の社長来たらまた違うこと言うかもしらんよ
そうするとちょっと考えようかな
私はここで頑張るんだったら
ちょっと自分で考えなきゃとか
やっぱり自分がもうちょっと
こんなことやったら面白いかなっていうのは
面白い面白いっていうことですかね
だからそういう意味では
現地の言う人の話
いろんなところで受け入れるというか
かっこよく言えば
慶長して承認して
そんなんじゃなくて
分かった分かったとかね
いいねとか
33:00
もっと言うとお酒飲みに行くじゃないですか
お酒飲んだら一緒にやろうとか
大臣が踊ったら私も踊るし
大臣がコオロギーこれお酒のあてに
倒れるし
向こうの人が何か言ってきたことを
まず受け入れて一緒にやるっていうところ
そこで一体感作る
そんなことはすごく気にしながらやってましたよね
なるほどいいですね
僕ノートを見て三宅さんの
すごい印象的だったのが
日本の飲み会と海外の飲み会は全然違うと
日本の飲み会は上司とか部長が
おい飲みに行くぞって言って
二次会三次会まで行くと
でも海外の飲み会は上司初じゃなくて
従業員から社長飲みに行きましょうよ
部長飲みに行きましょうみたいな
みんなで盛り上がる風土があるみたいな
とかあるじゃないですか
それって従業員さん同士のコミュニケーションっていうのが
すごい円滑になっていくっていう
そういうのはあるのかなって聞いてて
それはありますね
特に残念ながらアジアはその雰囲気があります
そうなんですか
カナダは行きましょうっていうのは
コロナもあったから
そこまで親しくなる前に
コロナになっちゃったから
っていうのがあるんでしょう
あんまりそうなかったんですけど
タイとかフィリピンとかベトナムとかは
行きたいですみたいなのも
顔見たらわかるじゃないですか
伸びたそうな感じ
でも僕が行こうかというので行く
そうすると日頃と違う話が出てくるとか
今日こんなん持ってきたんですけど
芋虫が出てきたりアリが出てきたり
宮城さん今日はカエルを食べる日ですからね
とか言ってカエル料理頼んだり
マジっすか
とか中国だとね
僕が行き出そうにしたら行こうかって言うとね
今日は私が絶対おごりますから
ラオパンは金出さんとってくださいって言うんです
宮城さん出さなくていいと
そうそうそう
人から聞いたんですけど
そういう時は絶対あんた出したらダメだよと
要するに私が総経理とか
ラオパンに酒飲ましたんや
というのがすっごい自慢もできるし
その人俺は社長とこんなんやと言って
頑張る厳選になってた
ご馳走になって頑張ってくれるんだ
こんな良いことない
そういうところが従業員さんもモチベーションになるんですね
やってあげるだけじゃなくて
やらせてあげるみたいなのもあるかもしれないですね
なるほどありがとうございます
次の質問なんですけど
これたぶん駐在員の方のキャリアとして
たぶん一番気になると思うんですけど
海外駐在の方って
1日どんなことして過ごしてるんですかっていう
平日朝起きて帰ってきて家帰るまで
どんな感じで過ごしてるのかっていうところと
土日の過ごし方仕事終わってオフ何してるんですかって
そこ聞きたいなってあるんですけど
日経企業ですから全然変わんないんですよ
朝起きて違うのは通勤電車じゃなくって
東南アジアだったらドライバーさんがいるから
車で連れて行ってもらって事務所に入ります
36:03
朝から普通に会議をしたり工場を回ったり
ということをやりますし
日本と一緒という意味では
タイの時にはラジオ体操もしましたし
そうなんですか本当ですか
駐在の1日って何が違うんだと言うと
あんまり違わない日本とあんまり変わんないですよね
海外って特別なことをするのと言うとそれでもない
日本の流れで海外も働いてるんですよね
特に日経企業だからというのはあるんだろうと思いますけど
そんなに変わんないです
僕はそんなに1日の仕事の仕方を変えようと思ったことはない
普通の延長上ですね日本で働くのというところで
そういう意味では例えば東京の人が
タイのバンコクへ行って仕事しなさいと言うのと
東京の人が例えば九州支店で仕事してください
何が違うのって言ったら
多分そんなに変わらないと思う
時差ぐらいというか
そうなんですね意外ですね
あまり身構えなくて大丈夫なんじゃないですか
駐在になったらやっぱり生活スタイルも変わるし
どんなことが待ってるのか不安なリスナーさんいると思うんですけど
意外と普通だよみたいな
意外と普通ですよね
なるほどありがとうございます
ちなみに休日は何してたんですか
休日東南アジアではご多分に漏れる図
ゴルフをやるんですけど
まあそうなんですよね
私下手くそだったから
お前ゴルフから逃げただろうとか言われて
フィリピンの時にはダイビングにハマって
ダイビングをしてました
で中国へ行った時には
ダイビングもできないしゴルフ高いし
で近所に自転車屋さんがあったので
自転車乗ろうみたいな
まあもともと嫌いじゃなかったので
自転車乗ろうと思ったら
自転車乗ってる
たまたまあった日本人の人がいてはって
いやもうそれだったらこれ買ったらいいですよ
って言って買って
あの山に時々登るんですわとか
1回だけ連れて行ってもらって
そっからはヒルクライムにハマって
さっきの負けない負けないコールをしながら山登らせ
ロードバイク買ったんですか?
その時はマウンテンバイクだったんです
カナダでロードバイクに切り替えたんです
あと家族といた時は
最初の6年間は家族帯同だったので
その時は家族中心ですよね
ゴルフも行く
嫁さんとテニスもする
子供はプールにも行きたい
そうすると土曜日1日で朝ゴルフして
昼からテニスして
夕方はプールに入る
めちゃくちゃ忙しいじゃないですか
そんなこともやってました
三宅さんあれなんですね
一人で行かれた時もあって
海外の家族帯同で行かれたこともあったんですね
2つパターンやってたんですね
最初子供が小さい時は帯同でフィリピンにいましたけど
39:02
子供が中学校上の子が中学校に上がる時から
あとはずっと単身ですね
最後の最後カナダは子供が片付いたので
嫁さんと二人で行ったんですけど
この時は嫁さん一人で行ったので
寂しいからと言って
コロナになる前に犬を飼ったんですね
犬がいたからコロナになっても
気が紛れたというラッキーだったというのありますか
もう一人の子供みたいな感じですよね
1個聞きたいんですけど
家族帯同のパターンと奥さんだけの帯同のパターンと
一人で行くパターンあるじゃないですか
それぞれ違いはありますか
こう違ったなとかありますか
家族いると家族中心ということで
子供がいたら絶対ですよね
週末がそう
それから奥さん、嫁さん一人の時も
帰ってきてからは仕事のことは置いといてという
そういう意味では切り替えはほっといてもできる
そういう楽さはありますよね
確かにそうですね
あとご飯作らなくていいというのもあって
その間にあった14年ぐらいは単身婦人だったですけど
自分でご飯作ったり
居酒屋に行くこともありますけど
自炊もしましたし
切り替えがやっぱり難しいじゃないですか
そうですよね
だから週末自転車乗ってとか
ダイビングしてとか
ゴルフでストレス貯めるんじゃなくて
自分が切り替わる何かを持つというのは
大事なんかなと思いますね
しがなびから離れますもんね
やっぱり一人で何かサイクリングするとか
っていうのは一人の時間ですね
そうですね
なるほどありがとうございます
いかがでしたでしょうか
次回もこのお話の続編をお送りいたします
魅力的なお話たっぷりです
お楽しみに
シャローシュラジオサニーデイフライデー
DJの田村洋太でした
それでは次回もリスナーの皆様の
お耳にかかれることを楽しみにしております
今日も気をつけて
いってらっしゃい
41:23

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