SNSを見ていると、ネガティブな発信が多く、またそれに賛同する評価が多く、見ているとだんだん悲しくなってくることありませんか?そんな現代社会のネガティブを抱えるSNSを上手に楽しむための付き合い方をヨガの聖典「ヨーガスートラ」から学びましょう。的なお話。
・SNS ・スレッズ ・threads ・ネガティブ ・付き合い方 ・ヨーガスートラ ・ヨガ哲学 ・仏教 ・四無量心 ・慈悲喜捨
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00:04
みなさん、おはようございます。YOGA LIFE smsuun ヨガティーチャーのまりこです。
夫のけんすけです。
この番組では、明日を生きやすくするをテーマに、
ヨガの学びを交えた、私たち夫婦の対愛もないトークを、
月曜から金曜に、福岡の山小屋よりお届けしています。
Om Shanthi 明日を生きやすくするラジオ、始まりました。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
僕たちは、昨年11月末より南のマイソウルに滞在していまして、
本日も現地マイソウルよりお届けしております。
本日は1月の22日、インド生活55日目。
ただいまの時刻は、現地時間で6時半ぐらいです。
今日はですね、サクッと終わりましょう。
昨日、話したかったって言ってた話なんですけど、
最近スレッツやってるじゃないですか。
スレッツって、Twitterとかもそうでしたけど、テキストオンリーじゃないですか。
そうすると、思っていることとか、最近起きたこととか、
そういう文章がね、みんな上げてると思うんですけど。
僕がフォローしてるわけではないんですけど、
おすすめみたいな感じで、結構バズってる投稿とか出てくるじゃないですか。
それを見てると、多くの投稿は、結構否定的な、何かに対する否定的な意見とか、
それを見てると、自分の意見を発信する上で、
まず否定的なこと、誰かの言動とかに対して否定があって、
自分はこう思うっていうような意見とか、
あとは単純にバズってるバズってないっていうのは別にして、
愚痴だったりとか、不平不満っていうのかな。
そういうのがすごく多いんですよね。
それを見てて、やっぱりちょっと寂しいなっていうのと、
それと同時に反面教師というか、
そういうふうにあんまり見ていて気持ちよくないので、
僕はそういう内容を投稿しないようにしようっていうのを常々思ってるんですけど。
バズってるのって、見てる人が多いとか、
いいねがたくさん付くから、そういうことになるわけですけど。
だから今の日本以外は分からないけど、
不平不満とかがすごく蔓延してるというか、
持ってる人が多いんだなって思ったんですよね。
持つのは仕方がないことかもしれないけども、
それを表に出していくことって、
それを誰かに共感してもらいたいとか、いいねが欲しいとかね、
そういうことで出していくのって、
よくないなって思うんですよ。
どこまで強く思ってるかは分からないし、
03:00
SNSなので軽い気持ちで投稿してるのかもしれないんですけど、
そこでたくさんいいねとかをもらうと、
またそういう投稿を上げたくなるじゃないですか。
心理的に。
自分が思ってる以上にそういうことばかり上げていたりとかすると、
もともとそうでもなかった人さえも、
そういうマインドが平常化するっていうか、
染み付いてくると思うんですよね。
なおかつ、そういう投稿を見て、
同じような賛同する人たちが集まってくるじゃないですか。
そうすると、ものすごい負のエネルギーが
どんどんどんどん増えていく、固まっていくというか、
高まっていくということになると思うんですよ。
それで、なれの果てというか、
が今の日本の社会の姿に反映してるかなって思ってね。
まだから何って話なんだけど。
少なくともね、僕たちはそういうふうにはしたくないなって思って、
同じ投稿をするにしてもね、
比較でそういうふうに出すのは僕はやめてるんです。
私の場合はあまり見ないんですよ、そういうネガティブな投稿。
見ないっていうのはさ、出てきちゃうじゃん。
出てきても、パッと見て、じっくり読まずに。
最初の冒頭にそういうのを感じたら飛ばすみたいなね。
見ない。気にも止めないようにしてる。
やっぱり私はアシュタンガヨガをやっていて、
ヤマニヤマってこのポッドキャストでも何回もお話出てきたと思うんですけど、
そのヤマニヤマの中にアヒムサって言ってね、
人を傷つけたり、自分を傷つけたり、傷つけない。
暴力的なことはしないみたいなね。
それは言葉によるものもあるし、心理的なものもあるんですけど、
あと正直であることとかね。
それを自分なりに守ろうというふうに決めてるから、
そういうSNSの使い方とかも、
できるだけこれを言っては傷つく人がいるなって思ったら、
口をつむぐように書かないとか、そういうことを書かないとか、
普段からちょっと気をつけているところがあるので、
そういうヨガをやることによって解決できる部分があるのかなって思います。
アヒムサっていうね、暴力、自分を傷つけないとかっていうのもそうだし、
どっちかというと、傷つけるっていうと他者のイメージが強いと思うんだけど、
見ないっていうことさえもアヒムサの範疇に入るというか、
っていう視点はね、僕もあんまりないかもしれないですね、確かに。
それを見ることによって自分の心がザワザワしてしまうことって多いと思うから、
そうならないように避ける。
それが非暴力っていうところまであんまり結びついてないのかもしれないね。
06:03
自分のことにはちょっとあんまり意識がなかったのかな。
そうだね、直接傷つけられている感じはしないんですよ。
自分が当てはまることを書かれていたら、
そりゃ傷つくこともあるかもしれないんだけども、
第三者に向けて書かれていることだから、
通りすがりでちらっと覗いて、ちょっとザワザワするみたいな程度だからね。
でもそれも必要なことなんでしょうね。
何でもそうだと思うんだけど、僕ら田舎暮らしした時も都会を避けるようにした。
例えば街を歩けば、広告とか企業のマーケティングの中を歩いているようなものじゃない。
それを見たくなければ、そういう消費行動をしたくなければ、
もうそこに行かない。そこから離れる。
いろいろ買い物をしてしまうんだったら、買い物できるところに行かない。
その近くに住まない、みたいな選択でもあったじゃない。
テレビもそうだと思うんだよね。
うちはテレビはもうつながっていないので。
だけど見たくないから、あったら見ちゃうじゃない。
だから見ないっていうことだと思うんだけど。
それで言ったらSNSももう見ない、みたいなのが一番ベストだと思うんだけど、
僕は仕事もそうだし、基本的には好きだから見ないってことはできないからね。
うまい具合にコントロールが僕たちには必要だなって思いますね。
ちなみにそれを意識するために、仏教でも、
慈悲喜捨、慈愛の慈、悲しみ、喜び、捨てるっていう漢字で、
慈悲喜捨っていう4つの言葉があるんですけども、
ヨガの聖典、ヨガスートラっていうものの中にも同じような言葉があって、
それがすごくためになるので、それをちょっと紹介したいと思います。
読みますね。
他の人の幸福に対して有効的に喜び、これが慈悲ですね。
他の人の不幸に共感して哀れみ苦しみを取り除く努力をし、
これは悲しいって言う字ですね。慈悲の慈。
他の人の善行、良い行いを共に喜び見習い、これ喜びって言う字ね。
他の人の悪行、悪い行動ですね。
には無関心でいること、これは心を乱さないために気にかけないでいること。
このような態度を培うことにより心は乱れなき成長、これは清く澄んでいるっていうね。
成長を保つという言葉があります。
最初の他の人の幸福に対して有効的に喜び、慈っていうのは慈愛ってこと?
慈愛のこそね、愛の心。
これね、ちょうど今日まる子さんもセレクトで投稿してたけど、
これがなんか人として生きていく上で、これさえあれば愛し愛されるっていうか、
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幸せになれるっていう言葉だよね。
うまいことを渡っていける、世の中を渡っていけるような人物像というか、理想的な。
うまいことって言うとなんかちょっと違うけど。
どんな環境の中でも上手に幸せに生きていけるような、そういう人物像というかね。
で、その最後のシャ、捨てるっていうところで、さっきのSNSの話とつながると思うんですけど、
ちょっと悪いね、ネガティブな投稿をパッと見てしまった時に、
無関心というか、心を乱すことなく、ちょっと気にかけないようにしようっていう。
もう見ないでおこう、みたいな。そういう態度。
そういうことを書く人もいるよね、くらいの感じで。
まあしょうがないよね、みたいな。
なんかね、これを言うとキレがなくなっちゃうんだけど、
そういうのを、なんだろうな、怖いもの乱さとか、
もしかしたら誰かの不幸を見てみたいっていうようなね、心理が僕の中にもしかしたらあるのかもしれないけども、
なんかそれを見て、その人を哀れみの心で見て、
なんかどうにかしてあげたい、かわいそうな人みたいな感じに思ったりもするんだよね。
まあそれはもしかしたら慈愛の慈と関係してるんじゃないかなと思っちゃうんだけど、
まあでもそういうことじゃないってことだよね。
そうだね。
それはもう捨てるべき。
そうだね。
拾おうとしちゃうんだよね、なんかね。
それはエゴになるのかもしれない。
そうかもね、自分の中での感覚はエゴに一切結びつかないんだけど、
でも本当はエゴなのかもしれないね。
目の前でさ、やっぱりその怪我して痛ってなってる人を助けるとかね、
そういうわかりやすい人の不幸に共感して、哀れみ苦しみを取り除く努力をするっていうのはそういうことではあると思うんだけど、
まああれやね、見ず知らずの人っていうのはまず大きいかもしれないね。
見ず知らずの人じゃなくても、そういう悪業っていうか、そこには関心を持たないっていうことではあると思うけど、
でもまず見ず知らずの人はなおさら関心を持つべきではないのかもしれないね。
なんか今話題になってるさ、芸能界のスキャンダラはいくらでもあるけど、そういうのもそうだよね。
そうだね。
まあそこにはそこまで僕も世間ほど興味はないんだけど、
まあでもどんどんね、芸能人もそうだし、こういうSNSもそうだし、
それができるようになったらもっと身近な人でもそういうふうには思わない。
結局あれやもんね、僕はその人を正してあげようみたいな気持ちで、
もっとも行き過ぎた場合は、その人に注意をしたりとか、助言をしたりしようとしてしまうことあるんだけど、
結局それやっても別にその人何も気づかないもんね。
そうなんですよ。
変わらないよね。
逆にその無関心っていうか、自分に関心を持ってくれる人がいなかったら考えるよね。
自分で。
12:00
ああだこうだって周りが言ってくれることがなくなったら、あれ?ってなるもんね。
自分で考えるしかなくなっちゃうからね。
まあただいいねする人がいるからさ。
だからまあそういうことをしてエスカレートしていくじゃない?
エスカレートしていって、どこかでその跳ね返りを自分が受けて気づくしかないんだよね。
そうね。
よしじゃあ読み飛ばすというか、3行ぐらいまでしておきます。
パッと見てよパッと。
まあそうやってね、みんながしていくことで優しい世界というかね、
SNSもそういう世界観がいいじゃないですか。
まあね、そうね。
見てて幸せになるっていうか、
ああそうだよね、その方がいいよねって思えるような投稿で溢れる方が豊かになると思うんですよ。
そうですね。
分かりました。
じゃあみんなでスルーしていきましょう。
そうですね。
まあ何の話だっていう感じになってしまいましたけど、
でもそのね、自費記者の話は皆さんもね、ぜひ覚えておいていただけると、
人生の指針の一つというか、になるんじゃないかなと思います。
自分を守ってくれる、この思考ですよ。
そうだね、災いから遠ざけてくれるというか、
そうです。
そして幸せを引き寄せてくれる。
そうですね。
ということで、今日はSNSの投稿の話から、
Ryogas Ultraのね、とても素敵な自費記者のお話をさせていただきました。
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皆様からのお便りをお待ちしております。
今日も最後まで聞いていただきありがとうございます。
はい、それでは今日も一日皆さんが心穏やかに過ごせますように、
せーの、
ナマステ。
14:14
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