2025-03-27 20:23

やりたいことがない長男へ、自分が学生のとき何を考えてたか思い出してみた

■内容
今日は先日の長男の留年・休学の話から、自分が学生時代どのような思考でいたかを改めて振り返りしてみました。

■【長男問題】大学留年そして...
https://stand.fm/episodes/67e0ebb3674782d4ff2012d0

■タイムスタンプ
オープニング
ベースの思考
小学校・中学校時代
高校時代
: 大学時代
エンディング

#留年 #休学
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Summary

長男が大学の留年や休学を気にする中、すぎひろは自身の学生時代を振り返り、モテたい、稼ぎたい、未来に貢献したいという3つの思いを語ります。彼は、学生生活をどのように充実させ、将来の方向性を見出していったのかを共有します。また、学生時代の経験を振り返り、進路についての悩みに対するアドバイスを述べ、就職活動や自身の興味がゲーム業界にあったことも交えながら、方向性を持つことの重要性を強調します。

学生時代の思い出
どうも、Gallup認定コーチのすぎひろです。 今日はですね先日、スタイフの方でですね
長男の問題ということで、大学留年して休学すると。 だからやりたいことはないっていうね、お話しさせていただきましたけど、
ではですね、じゃあ自分が当時学生時代、どんなことを考えたのかなっていうのをですね、 ちょっと改めて考えてみたので、それについて今日はお話をしていきたいと思います。
このチャンネルでは、周りから仕事ができると言われているのに、上司に評価されてなくてもやまやしていたすぎひろが、 転職で年収400万アップ、仕事でもどんどん開運していく、そんなチャンネルです。
はい、ではですね、私が改めましてね、あの学生時代の時にどういうふうに考えたかっていうのをちょっとね、話していきたいと思いますけれども、
これね、もうね、もう学生っていうか、たぶん小学生ぐらいから普通に考えたことがありましたね、ベースとして。
これで実はね、今でも変わんないんですよね。それは3つあります。 1つ、モテたい。
もう2番目、稼ぎたい。 3番目、未来に貢献したい、役に立ちたい。この3つでしたね、なんかね。
これね、本当に今は考えても変わらない。今でもモテたいみたいにね、思われている方もいらっしゃるかと思いますけど、はい、モテたいです。
男ならね、それはモテたいですよ、はい。 あとは、やっぱり稼ぎたいですね、未来に貢献したいですね。
この3つがね、なんか自分のベースにね、あるかなと思います。 はい、でね、じゃあちょっとどっから行こうかなと思いますけど、
まず未来に貢献したいっていうところから行こうかなっていうところですけれども、これがたぶんね、一番わかりやすいかなと思うんですけど、
私、小学校の頃からちょうどドラえもんが小学1年生の時にね、テレビで始まったんですよ。
すごいドラえもんが大好きで、本当にね、こんな未来があったら面白いなってずっと思っていたっていうのがあって、
で、なんかね、漠然と未来に貢献したいとかっていうのがあったんですよね。 その頃、コンピューターのゲーム、ゲーセンであるようなゲームですかね、そういったのも出だしてきたりとか、
あとは、なんかね、親がアメリカ出張に出てきた時に、まだね、当時ファミコンもなかった時代なんですけど、
今のファミコン、昔のファミコンみたいにカードリッジを交換することによってゲームができるみたいなね、そういう本体を買ってきて、
で、なんかね、そのゲームを何個か買ってきたんですよね。 で、それを初めてやった時に、なんかすごいなって思ったんですよ。
なんか、同じハードウェアなのに、ソフトが変わるだけでいろんなことができるっていうことって、なんかすごいなって思ったんですよね。
なんか例えばさ、家電製品とか、例えば洗濯機だったら洗濯しかできないじゃないですか。 テレビはテレビを見ることしかできないし、冷蔵庫はね、物を冷やしてとかね、そういうことしかできないんだけど、
コンピューターっていう存在は、ソフトウェアが変わることによっていろんなことができる。 今ではすごい当たり前のことなんだけど、
今だってスマートフォンって何でもできるじゃないですか。 でもそれって昔だって全然当たり前じゃなかったんですよ。
それができるのにすごく感動して、なんかそういうことをやってみたい、そういうのに対して貢献したいみたいな、役に立ちたいみたいなことが、
それが結構あったかなと思いますね。 あとはね、モテたいっていうところで言うと、
私は多分勉強が結構できる方だったんですけど、何せ運動が全然ダメだったんですよ。
見た目もね、そんなにかっこいいわけではないしっていうところなんですけど、それでやっぱり思ったのが、
でもやっぱりモテたいっていう欲求は、本当に小学校の頃からすごいあって、
でも運動もできないっていうところもあるから、すごい勉強を頑張ってた感じですね。
なんだろう、運動できないって、やっぱり小学生の子って運動できる人ってモテるじゃないですか。
男の子ってモテるじゃないですか。そういうのもあって、でも私には絶対これできないっていうのがあったので、
じゃあこれをカバーするにはどうしたらいいかっていうところで、勉強できるしかないかなって。
将来絶対、これはちょっと稼ぎたいにも別に絡んでいくんですけど、将来お金を持っている奴が絶対モテるだろうみたいな、そういった発想もあってですね。
それで勉強頑張ってましたね。それもあって結構、小中学校はできる方でしたね。
クラスで2番くらい、1番にはなれなかったんですよね。
必ず頭のいい奴がクラスに一人いたりとかして、そういったのは勝てないみたいなね。そんな感じでしたけど、
まあできる方だったかなっていうところでしたね。
その頃は結構ね、未来に貢献した未来志向が強かったりとか、
あとは勉強頑張るとか、最上志向が強かったというところはありましたね。
あとはね、母親に教えてもらって、私が前に住んでいたところで、
結構医学部を排出している塾っていうのがあって、それが中学高校とある個人の塾だったんですけど、
未来への貢献
そこに教えてもらって、通ってみたい、そこでもっと勉強したいみたいな感じで通ってたというのがありましたね。
小学校、中学校は調子に乗ってね、そんな感じでやってたんですけど、
高校になって市内のトップの県立高校に行ったんですよ。
本当にその時に自分がうのぼれてたことを改めて知りましたね。
クラスで2番くらいだと、本当にその高校に行くと中の下みたいなね。そんな感じでですね。
どんなに頑張っても敵わないみたいな感じでした。
例えばクラスでもね、私の行った高校って3年間同じクラスでクラスが得ない高校だったんですけど、
そのクラスに中学の時に生徒会長をやってた人が確か4人だか5人いたんですよね。
恐ろしくないですか、そんなハイスペック野郎たちに。
ハイスペック野郎でもなかったんですけどね、実際には。みんな面白い人たちばかりだったんですけど。
そこにも驚いてね、高校時代は完全に劣等生みたいな感じでしたね。
さっきの話で、医学部を目指していたんだけど、
そもそも、なんだろう、俺そんなに勉強できないなとかね、っていうのもあったりとか。
あとは改めて自分の中で医療に興味があるのかっていうことを問い正した時に、興味ないなみたいな。
そもそもチーミノとかやらしいみたいなね。そんなようなのもあったりとかして、興味もないし、自分の学力的には無理だなみたいなね。
高校2年生ぐらいの時から、やっぱり自分に何の興味があるのかなっていうところを考えて、コンピューターだったりとか、あとは稼ぎたいってことですよね。
経営をするっていうところを考えなきゃいけないのかなっていうところで、そういったコンピューターとか経営とか両方勉強できるところって何かないのかなっていった時に、
私が最終的に大学に入ったところで言うと、経営工学科っていう学科があるんですけど、そういったところに入った、目指すっていうことにして勉強しましたというところですね。
とは言いつつも、なんか結構楽しい高校生活を送っていたのでですね、現役時代はですね、
結構、上れてたのもあったし、もうちょっと自分でできるのかなと思ってたけど、実際は勉強不足みたいなところで、
センター試験は失敗するわですね。受験した私も結構高望みして、上位校しか受けなかったんですけど、
そして結局、全落ちしたんですよね。もう行く大学もないから、当然浪人みたいな感じですね。浪人をしたというところでしたね。
浪人の時には、私、基本的に国語とか社会とか苦手だったんで、
ただ、もうこれは私立に理系に絞って勉強しないと無理だなみたいなことだったりとか、
あとは理科とかも、現役時代は物議をやってたんですけど、絶対確実に点数取るのが科学だったんで、科学に変更したりとかして、
それでですね、1年間勉強してましたね。
浪人時代は今でも思い出したくないくらい何もつまらない1年間だってひたすら勉強してたんですよね。
滑り止めは落ちたりとかね、そういうのもあったりとかしたんですけど、なんとか第三規模ぐらいの大学に入れたというような感じでしたね。
大学生活とキャリア
大学生の時は、とにかくそこの大学に行きたいっていうところを目標にしていたので、それが一応叶ったんだけど、
大学時代って私の時代っていうのが、大学はテニスサークルでVV言わせるみたいなのをドラマとかでもやってたりとかしてて、そういう大学生を夢見ていたんですよ。
なので大学は本当に遊びたかったっていうのは、実際の自分の思っていたところなんですけど、全然叶わなかったんですよ。
なんでかっていうと、私立の理系の大学だったんですけど、特に私が行った大学自体が理系しかないような大学だったんですよね。
それもあってですね、周りがみんな真面目な感じだったんですよ。チャラチャラしてない。みんなどっちかって言うとオタク。
もう大学の中が秋葉原みたいな感じだったんですよね。秋葉原が大学のキャンパス近かったんですけど、
秋葉原にいるのか大学にいるのかでわかんないような大学だったんですよ。オタクばっかりで。
自分の思い浮かべていたような感じが全然違かったかなと思います。
だからって言って、今だったらもっと外に出て、外に出てみたいなことやっていたんだろうけど、
その時はそこまで自分も活動的ではなかったし、平凡に暮らせればいいっていうような感じだったんですよね。
大学卒業して大人になって就職して、いい会社に入って、綺麗な奥さんと結婚して、家族2人くらいで幸せに過ごしたいみたいな、平々凡々に暮らしたいみたいな、そんなことを夢見ていた感じなんですよ。
自分の大学時代をもっと充実させようとか、そんなようなことはなくて、だらだらとは過ごしていましたね。こういったことをしたいとか、そういったところがなくて、とりあえず楽しみたいみたいな、そんなような感じではいましたね。
で、だらちゃんと卒業して、ちゃんと稼げる会社に勤めて、やりたい、なんかやりたいみたいなね、そんなような感じでしたね。
だからなんか、こないだちょっとね、長男の大学の生まれる年、休学したところの話で、コメントで私、今の息子の立場だったらワーホリーとか行くよなとかってね、そんなコメントをちょっとしたんですけど、でもその時は全くこんなこと考えませんでしたね。
学生時代の振り返り
当時英語も嫌いだったし、海外で生活するなんて考えてもいなかったですね。だから留学とかワーホリーとかも考えなかったし、もう一刻も早く卒業したいみたいな感じだったから、休学とかも全然考えなかったしみたいなね、そんなような感じで終わったかなっていうところですね。
で、そうですね、そんな感じでした。だからあとは本当にね、あとは就職で、まあちょっといいね、就職先で就職できればいいなっていう、なんかね、そんな感じでしたね。
当時なんか、私の時代っていうのが参考って言葉がすごい流行ったんですよ。参考って分かりますか?えっと、高収入、高学歴、高身長っていうね、もうなんか男が持てる三大要素みたいな、なんかそんな感じだったんですよ。またここでね、モテたいの出てくるんですけど、はい。
でね、なんかそんなような感じですね。まあなんか本当に、うん、じゃあこの後いいとこに就職してみたいなね、なんかそんなようなことを考えてたというような感じでしたね。高身長はね、私あんま身長高くないので、どうにもこうにもできないって感じでしたけど、はい。
はい、でね、じゃあ実際就職する時どういう風なことを考えてたかなーっていうと、えっとね、まあ元々その小学生とかそういった頃に、まあ一番最初にコンピューターっていうところの中で、さらにやっぱりゲームってすごい、なんかね、すごいなーって思ったことがあったっていうのもあるので、ゲーム会社に行きたいなっていうのをなんかおぼろげやつでゲーム作ったりとかね、そんな苦労なことを考えてたんですけど、
で、それもあって、実はね、なんか、まあちょっと違うの、あんま結びつかないんですけど、あの当時あのゲーセンでバイトしたんですよ、私。大学2年生から卒業するまでからしてたんですけど、それで実際にゲーセンで働いてて、まああの具体的にはセガで働いたんですよね、セガのゲーセンで働いてたんですけど、
で、その時にやっぱり、セガのオリジナルで結構ゲームで出したりとかも当時してたんで、そういうのを見てると、あのゲームってめちゃめちゃ当たり外れが多いものだなっていうところを見てて、なんかね、当たるゲームすっごい当たるんだけど、まあ外れゲーム全然当たんないんですよ。
あのね、ゲーセンとかでも見ててもさ、これ全然、これすっごい人気あるよなとかっていうのもあれば、これ全然なんかね、やられないで、なんかすぐね、いつの間にか無くなっちゃうみたいなね、そういうのもあったんですけど、そういうの結構見てて、いやなんかね、これゲームって、なんていうのかな、当たり外れあるから、仕事としてやっぱりどうかなみたいなね、ところもちょっとあってね、だからそこもそういった経験もあって、
であればなんかそういうシステム導入みたいなシステムを、B2Bの会社の方が、ITの会社の方がいいなってところでですね、それでそういった会社を中心に就職活動をしたというところでしたね。
で、じゃあ最終的にはですね、就活中にたまたまある外資系のITの会社のイベントに行った時にですね、なんかノートPCが当たったんですよ。当時すごいですよね、ノートPC。当時のスペックもすごい良くて、それが当たったんですよね。
で、それをきっかけにですね、なんかその会社を知ってですね、でそれを、で、ほんとね、まああの、なんていうかね、まあ、あの、就活エントリーしたんですよね。で、そしたらですね、まああれよあれよって、まあ相性も良かったんでしょうね、たぶんね、だからあれよあれよといううちに、なんかね、先行進んでて、結局ね、その会社に入社したみたいなね、そんなようなことがありましたね。
で、その会社ね、結構、まあ当時として初任期もね、高かったんで、自分のね、そのなんか公収入みたいなところもね、あの、見させて、見させたりとか、あとはね、その、まあそのITの仕事というところで、未来にも貢献できるような仕事になるかなっていうところでね、まあそこを選んだっていうのがありましたね。
はい、なんかね、ちょっとね、つらつらね、あの、自分のなんか学生時代どうだったっけなみたいなことをね、話しましたけどね、あの、うーん、結果的には、なんだろう、うーんと、私は、なんかね、目指す方向性みたいなのはなんかずっと子供の頃からあったのかな、まあ途中でね、あの、なんかそういう変更みたいなものはあったんだけど、うーん、なんかそういう、うーんと、なんかね、そういう、こういう方向性みたいなのは結構ね、
結構昔からあったので、うーん、だからそうするとね、なんかね、やっぱり、うーん、なんかそういう方向性があると、やっぱりいいのかなっていう、うーん、やりたいことがないにしても、そういうことがあるといいのかなと思います。
ただ、じゃあ、自分がすっごい考えて、なんかね、あの、職業に就いたかっていうと、まあそうでもないかなっていうところですね。
なんか結構行き当たりばったり的なとこもあったりとかもするので、まあだからそういったところもわかるし、あとは、うーんと、なんだろうな、なんかもっと、あの、若い時にいろいろとやっとけばよかったみたいなことを実際にはやれてなかったっていうところもあるので、まあその気持ちはすごいわかるなと思いますね。
なんか無駄に時間を過ごしてしまったところも全然あるかなと思うので、まあそういった気持ちはわかるけど、なんかね、うーん、やっぱりもうちょっとね、そこを、うーん、なんかね、少なくとも方向性だけは、でもなんかね、うーん、ヘルプできないかなーみたいなところはね、ちょっとね、やっぱり思いましたね。
進路についてのアドバイス
はい。
はい、皆さんいかがだったでしょうかね。あの、たぶん、まだ、もしかしたらね、あの、この話聞いてる方って、えーと、お子さん、まだ小さい方とかね、まあ多いかなーと思います。で、やっぱこの先、えーと、ね、まあ今、たとえば小学生ぐらいのお子さんだったりとかするとね、まあ中学になって高校に入っていった時に、やっぱり進路だったりとかね、そういったとこ悩まれる、えーとね、方も結構多いのかなーと思いますのでですね、何かの参考にしていただけばと思います。
はい、本日も最後までお聞きいただきありがとうございました。今日の話がちょっとでもいいなと思っていただけたら、いいね、コメント、フォローしていただけると嬉しいです。あなたのキャリアと未来をもっと輝かせるために、杉広でした。
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