アマゾンすごい数の雇用を削減するんだっていう話が、
もう数週間前だと思うけどさ、
6、なんだっけ、すごい数だったよね、600万人?
違う?ちょっと桁間違ってる?
ちょっと覚えてないけど。
なんか、600万人嘘か。嘘だよな、さすがに。
でも、ものすごい数のこのデリバリーに関わる人?
特に梱包だよね。
梱包に関わる人たちを削減するんだっていう話をしてて、
まあそうなるよねっていうところで生きておりますけども、はい。
ねえ、今日はなんだろうな、変わらないものの話ですね。
変わらないものなのかな、わかんないけどさ、
なんか、ちょっとね、X、旧ツイッターで気になるポストがあって、
なんだろう。
なんかね、田畑さんっているじゃないですか、田畑慎太郎さんが、
なんかね、意見を整理しておきますって言って、
どういう話をしたかっていうと、
ツイッターとかYouTubeとか、
ポッドキャストもそうでしょ、
こういう発信、発せられた言葉には当然ながら、
公開空間での応答がつきまとうっていうことで、
要するに、ツイッターとかで何かを発言したらね、
カギアカとかじゃない限りね、公共に発せられた言葉なので、
その内容の妥当性を評価を受けて、
間違ってるとか、それは嫌だとか思った人が文句を言ってくるとかね、
議論を吹っかけてくるみたいなこと、
ツッコミを受ける、ツッコミを入れるみたいなことをね、
表現使ってるけど、それっていうのは、
それに向き合うことは税金みたいなもんなんだと。
公共に発せられてるんだからと。
で、なのにそのツッコミを入れられて、
その言葉が不快だから、なんか精神が参ってしまって、
病気になりましたとか、で、こう開示請求して損害賠償だとか、
そういうふうに直結してしまうのって、
論理が飛躍してませんかという話をしていて、
もちろん人格への攻撃ね、バカだとか、解消なしとか、
わかんないけど、人格への攻撃と建設的な議論っていうのは、
明確に分けられるべきものである。
けれども、建設的な議論や議論をツッコミに対しては、
しっかり対応していく必要があるんじゃないかと。
で、本当に気に逃げられないならば無視をすればいい。
ブロック機能がある。無視をすることもできると。
だから、SNSが健全に成立するためには、
内容には自由にツッコミを入れられること。
そして人身攻撃っていうものとは距離を置くこと。
そして、これらの自由なツッコミから生まれる感情の揺れ。
攻撃と受け取らないでさ、
うわーと、なんかめっちゃ正論で叩き潰されたみたいなところの感情の揺れは、
各人の事情として尊重すると。
この3つが大事なんじゃないのっていう話をされていてね、
すごい理路整然とした文章で、淀みのないやつでね、
あったんですけど、僕すごいなんかもやったんですよね。
うん、なるほど。
そう、なんかこう、
僕らもね、こうやってポッドキャストで毎週発信をしていて、
なんだろうな、波風の立たない、
某堀本健さんに言わせればつまらないコンテンツを量産してる気はするんですけども、
でも、僕が結構真剣に悩んでることをありのままで話をしてるし、
山崎くんからいろいろな面白い話を聞いてるって僕は思ってるわけなんですけども、
まあまあいろんな話をしてるんだけれども、なんだろうな。
このね、聞いてるあなたも含めてこっそりやってるポッドキャストを、
例えば田畑さんみたいな人がバーッと取り上げて、
なんかこう、アラフォーの男が無職だ、ひもだって言って、
傷をなめ合うようなコンテンツを毎週配信して、
再生数とかフォロワー数が増えてることを喜んで、
とはいっても数百人じゃねえかって、
こんなことやってるから日本は衰退してんだよとか、
例えば取り上げられたら、彼の影響力とか踏まえたらさ、
無視するわけにいかないというか、
勝手にリングに引き上げられて、
ここでボクシングのルールで戦ってくださいみたいな格好にされてしまうことを、
ボクらは果たして引き受けなければいけないのか、
みたいなことを思ったりしたんだよね。
そうね、無視できないよね、そうなっちゃったら。
できないよね。
ブロックしてもしても来るみたいな状況だもんね。
来ようと思えば来れるし、
それが最終的に建設的な議論を持ちかけたのに、
本人たちはブロックしてトンズラをこきました、
とか彼に言われたならばよ、
それは一方的に断罪を受けているのと同じなので、
やっぱりこの田畑さんおっしゃる話を正とすると、
あまりに言ったもん勝ち?
因縁ふっかけて相手が逃げていったら、逃げた相手が負け、こっちが勝ちみたいな、
いわゆる論覇の文化を助長する論理なのかなというふうに思ったんですよ。
だから、もやったっていうのは、
面白いなって純粋に思ったんだよね。
どう思います?
田畑さんは戦ってるからね。
戦士ですから彼は。
戦士ね。いいね、戦士。
戦士であり、ファイターであり、
ずっと強いから、
全てが強いと思うから、メンタルも体もキャリアも。
強者の意見だよね。
強者であるからこれを言えるわけであって、
強者の人ってね、そんな世の中にいないわけで、
心もしかり、キャリアもしかり、
いろんなものが、そういったものもね、全部偶発的に起こっていることもあったりして、
運の中で強者になったっていうケースもあるかもしれないし、
そういうことを言ってる、なんだっけ、何かの本もあったけどちょっと忘れちゃったけど。
少なくともその価値を引くまで戦い続けたっていうところもあるでしょうしね。
そういう性格を引いたという遺伝子もあるしね。
なるほどね。
その話は好きよ。
持って生まれた性格とかも。ガチャの一個。
いろんな変数ってね、世の中めちゃくちゃ多いわけで、
そういうことを考えると全てはガチャっていう考え方もあるわけで、
そういう中でね、
強者としての在り方が全てですっていう風にも捉えられちゃうよね、この文章って。
そうね。
弱者は黙ってろみたいな。
その責任を引き受ける気がないなら、
不要意に発言するなっていうメッセージにも受け取れたし、
僕はどっちかっていうとそう思ったんですよね。
あ、じゃあこれからは発言機をつけようとかね、
そう思っちゃったんだよね、やっぱ。
でもそうじゃないんじゃないのかなと思って。
例えばさ、
仲材に帯同することで専業主婦の立場を経験して、
で、妻に養ってもらうっていうことが最初は恥ずかしいことなんじゃないかみたいな。
もしかしたら、
その、やわな判断をして、
あ、こいつはこのトラックを降りたんだなみたいな。
その陸上のトラックというか、
リングから降りて、
安易な道に行きやがったなみたいなことを思われてしまうんじゃないかみたいなことを思った上に、
実際に行ってみてメンタルがちょっと不調になりかけたりとかね、
そうした経験を結構話すわけですけども、
あの、
なんだろうな、
教者としての発信じゃないわけですよ、やっぱり。
なんかこう、なんだろうな。
何なんだろうね。
そのレールから外れた人の発言ではあるよね。
教者として歩むべきキャリアであったり、
諸法主義の枠組みの中で稼ぐとか、上に立つとか、
そういうとこから、レールから外れて、
リフという、また全然違う生き方だけども幸せな生き方を選んでいるっていうところだとは思うんだけども、
そうすると、教者のレールで引き続き走ってる人からすると、
このレールからはあなた外れましたよねっていうので、
なんか無駄に攻撃されちゃうみたいなこともある。
そうなんだよね。
ほっといてくれよって言ったことなんだけど、本当にあれは。
おっしゃる通りだと思う。
それぞれのゴールじゃないけどさ、
満足を得られるラインというか、
いろんな生き方があるよねっていうところを、
みんなでどっちが強いか決めようぜみたいなさ、悟空的なさ、この。
なるほどな、でも彼は戦ってるっていうのはそうだろうね。
逆に戦ってるという以外の生き方がわからないのかもしれないなと思う。
どうなんだろうね。
二元論で生きちゃってるから、勝ち負けであったり、
議論という時点でね、議論した時点で誰かが負けるわけだから。
議論って言葉って結構、対話じゃないじゃん、議論って。
あー、なるほどね。
議論はどっちかというと、お互いのいい意見とかを手繰り寄せながら、
その中で調和を図っていくっていうことだと思うんだよね。
議論っていうのはどっちかを打ち負かすとか、どっちかが勝つとか、
そういう感じの質感があるなと思っていて。
うん、なるほどね。
そうすると誰かは絶対傷つくわけでね。
だから論破の文化もそうだよね。絶対誰かが傷つくんだよね、論破されちゃったら。
そうだよね。
論破だからね。
そう、論破だから。
でも論破された側がどういう気持ちになるかとか、
で、論破された側がその後どういう行動を起こすかとかって、
結構社会の歪みにもなるなと思っていて。
だからそういう、まさに今資本主義というものがそういう状態にもなってるよね。
すごく少ないわけで。
で、論破されてしまった弱者がすごい増えてきてるわけで。
だからそういう革命みたいなものも起こっちゃうし、
そういう構図を生んでしまうと。
本来であれば、
そう、調和とか対話とか、対話の中で調和を生んでって、
みたいなところがね、
日本人がそういったところが本当は得意なところだと思うんだけど、
和の文化があるんで。
でも、そう。
この投稿の内容は結構、やっぱりファイターだなって感じしちゃうよね。
そうだね。なんか、
あの、