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はい、みなさんこんにちは。私は清瀬敏、そしてこちらは、川端輝之です。
はい、STORYS 人生相談室、ここでしか聴けない心の対話ではですね、私たちの日々の生活の中で、あえて言わないけど、感じていてモヤモヤを取り扱っていきます。
毎回ゲストをお迎えして、ゲストの心の中を覗き込みながら、私たちのこれからの人生について、みんなであれこれ考えてみる人生…
ポッドキャストになってます。
そうですね、なんだかんだ3回目の収録ですね。
3回目ですね。
続いてますね。
意外と続いてる。
はい、意外と続いてる。
今日もね、お互い持ち寄った一行日記をもとにですね、心のモヤモヤを。
今日もゲストはまだまだお迎えせずに、2人で話してみようかなと思っているんですけども。
どっちから行きますか。
じゃあ今日は、前回僕だったから、今日は清瀬さんからお願いします。
えーとですね。
最近ね、もうパパにもなったばっかだし。
いろんなことが起こってそうだなっていう清瀬さんの中でね。
そうだね、怒ってますね。
いやー、怒ってる。
自分の認知が変換してるようなのを感じますよね。
事故の認知と。
奥さんだけだったところにもう一人いるっていう、僕らが集団になるっていう。
3人になるっていう。3人以上って集団じゃない。
集団になったことによって、また生まれてくる自分の新しい認知があったり。
あとは、自分が家族を持つことによって、自分も家族を育ててきたんだなっていう自覚がようやく出た。
よく言うじゃん。親になったら親のありがたみがわかるよっていう。
はいはいはいはい。
もうまさにあれな感じというか。
今ゼロ歳でてんやわんやしてるわけだけども、ここからもう、あと10年、健康でいけば10年、20年と続いていくわけじゃん。
うんうんうん。
その間ずっとこうさ、
わがストーリーを振り返って、親のストーリーも振り返りというか、こうやって生命は続いていくのだなというか。
はいはいはいはい。すごいね。一週間でもうそんなに感じたって。
そうだね、一週間。
早いね。感じるのはめっちゃ感じてるね。
そうだね。
03:02
一週間で感じましたね。
今日の一行日記はですね、ちょっとね、それに関連する話はあるんだけども、
一人おじ好き嫌いはあるかもしれない。
まあでも、起こせずちょっと伝えようかなと思うんだけども。
僕の一行日記。
お願いします。
この国にどうやったら希望が持てるんだろう。
僕、僕という国民一人にできることはあるのかな、みたいなことですね。
重いね。
重いよね。
国民としてね。
これ収録してるのが1月8日、2024年の1月8日なんですけれども、
ちょうど一週間前に元旦に野戸国の震災がありましたね。
僕は富山県出身なので、富山も神戸五郷かな。
富山で神戸五郷ってまじで珍しくて、日本一。
お子さんも富山出身で、
生まれはシカゴなんだけど、親がみんな富山にいる。
ご親戚も富山にいらっしゃって。
富山も珍しく揺れて、
いう中で、石川、僕の親戚もいるし、僕の友達も住んでたりするし、
本当に被災したりして大変な時があったりとかね。
僕は今回、子供が生まれてきてくれて、
幸せだなっていう気持ちを感じてるわけなんだけども、
素朴に生きていこうと、これから。
でも多分同じような思いで、
被災されたところに住んでた人たちも絶対いらっしゃっただろうし、
妊娠されてる方とか、これから生まれたばかりの赤ちゃんがいるとかね。
どういう未来が来るかなって思ってた時に、
生き有名になった人もいるわけじゃん。
人の生き死にの無常さというか、
まさか自分が明日生きれなくなるとは思ってもなかった人たちが、
亡くなったりするわけで、
っていうのを感じて、自分の生き方を改めさせられるなというか、
本当に何ができるのかなって思ったりもするわけですよ。
でも何もできないなって思ったりもして、
ここから、
06:00
君田首相は我が国の、
我が国って言ったら、
そんなに僕が我が国の人間みたいな気持ちはないんだけど、
内閣総理大臣の岸田さんが、
ツイッターでも結構バズってるんだけど、
視聴連会に行きまくってたみたいだとか、
生放送番組に出て、
震災起こった直後よ。
後よ。
後に、
正月番組に出てきて、
これからの日本をこうしていきたいとか、
内閣をこうしていきたいとか、
そういうことを語って、
総裁選どういうふうにしていこうかなとか、
そういうことを語ってらっしゃると、
いうときに、
新年会、
通信社とか、
新年会に出席されたときに、
洋服にお花の、
お祝い事のときにつけるお花のバッチみたいなのがあるじゃん。
あれをつけて登場してみたいな。
とかが出てきてですね。
まあ、
言葉を選ばず言うと、
本当に偽善的な人であっても、
モラルがないけど、
偽善的な人であっても、
そんなことはしないというか、
人からどう見られるっていうふうな視点が、
完全に欠落している上で、
本当に偽善的な人であっても、
そんなことはしないというか、
本当に偽善的な人であっても、
完全に欠落している上で、
人への思いやりがなく、
トップを張ってるっていうことだと、
僕は解釈してしまって。
政治の知識もそんなにある方ではないんだけども、
ちょっとしてそれを見たときに、
まあね、おかしいなというふうに思うわけですよ。
で、
頼りがないというかね。
もちろん、
迷い訳はないんだけど、
いろんな事情があって、
そういうところに行かれたのもわかるとは思う。
いろんな事情があったんでしょうね。
いろんな大切にしたことがあったんだろうけど、
人命に勝るものはないというか。
これぐらいの規模の災害は、
大きな予算をかけないと、
大きな人員をかけないと、
道路も修復できないし、
瓦礫も適応できないし、
被災された方の支援にもいけない。
09:01
誰が動く、
誰がそのポジションというか、
立ち回りを取れるかっていったら、
国っていう存在しか機能できないと思う。
チョコチョコチョコってやって、
じゃあ全体解決しますか。
しないわけじゃない。
予算とか人員規模を出せる人が、
責任を持ってやらなくちゃいけないから、
リソースはそこに投下すべきであって、
ある意味見てるわけじゃないわけだよ。
有限な時間でリソースを。
思考リソースもそうだし、
感情リソースもそうだし。
なんなんのアリエンっていう。
人が自分の国、
僕が好きだって思ってる、
この日本でマルチュースやってて、
34歳になりましたと。
これから若い若子と暮らしていくことを考えた、
国のリーダーを張ってて、
僕が彼のことを止められないというか、
とはいえ僕は国民一人であって、
どうすることもできない。
もちろん国民一人の力から、
何か物事が動いていって、
物語が始まると映画によく映るかもしれないけど、
実際問題にせいぜいツイートしてとか、
本当に高かし出てる。
国民一人の声というのを。
僕の絶望感をここ1週間、
感じておりまして、
これはすさまじい。
グレタさんみたいなことをすればいいのかもしれない。
もちろん何かね、
すごい怒りを感じるね。
そう?
怒ってる感じが伝わってくる。
おかしいよね。おかしいと思うんだ。
怒りだね、これは。
怒りだし、やらせなさだし。
個人の心みたいなものが、
何が支障にされるのっていうのは、
僕は許せないですね、たぶん何か。
自分の過去と通じる部分もあるんだろうけど、
個人個人が思ってる心みたいなものが無限にされるのは、
すごく怒りがあるよね。
12:01
もう一個あって、小泉慎二郎さんが、
募金箱を持って、小っちゃな子供に、
ノートの震災の募金を募るっていうのを、
インスタグラムのSNSにあげたんですね。
スーツ姿の慎二郎さんが街頭募金をやってます。
街頭募金の募金箱を、小っちゃな子供に向けてるっていう。
その写真が今ネットでバズってる。
賛否わかる?
ワンサイドは、すごい素晴らしいっていう。
慎二郎さんらしいみたいな。
いいねっていうふうに。
募金大事だよねっていうふうに、がワンサイド。
もう一サイドは、僕はこっちサイドなんだけど、
国は予算を投じればできるわけじゃん。
募金しなくても。
むしろ税金っていうことでベッドされてるわけじゃない。
特に募金箱を持って、自分よりもお金を持っていない、
小さな子が募金をもらおうとしている姿を写しとってる。
募金活動してる暇ないじゃん。
そんな時間ないじゃん。
72時間で人命生存率がグッと下がるわけじゃん。
人が死ぬっていう、今まさに瓦礫の下で愛する家族、愛し合った人たちから、
孤独死んでいっている、その様子をたぶんこの人たちは描けてないんじゃなかろうかというか。
もちろんあると思うんだ。
一方向しか見ていないかもしれないけど、
これはね、と思ってしまい、
募金で!みたいな。
募金でなんやねんって思って。
そんなと思っちゃいましたね。
でも僕は国民一人であって無力であると。
そういうのが大事だと思う。
何かが大事なのは、
自分の生きるものをやる。
自分が自分を活用することにすること。
そうすることが大事だと思う。
僕は自分が活用しているものをやる。
自分が活用しているものをやると、
めちゃくちゃ感情が乗ってるね。
あ、そう。
いやー、そうだねー。
15:00
国民として、一国民として、きょうぜさんとしては、
どうありたいとかしたいって感じなの?
まずは自分がおかしいと思うこととかは言語化して、
少しでも誰かの目に認知されたら、例えばSNSとか言語化してあげたらと思うし、
あとは、自分よりも声が大きい人、フォロワーがたくさんいて、っていう人たちのリツイートだったりとかをしてもそうだしって思っていて、
あとはそうだなー、どうなんだろうね、何ができるだろうか。
自分の仕事をただやるとか、要は経済活動回そうみたいな、自分の持ち場で頑張ろうみたいなのは、
それはそうなんだと思うんだけど、それは当たり前の話。
プラマイゼロの持ち場。
行動が変容しなかったら何も生まれないじゃん。
何か自分は今いる場所からっていうふうに思ったりして。
ちょっと思ったのは、発信力を持つことってすごく大事なんだなって思った。
SNSの時代で何か変えたいとか、社会に対して自分の中で意義申し立てがある場合には、
その発信力をつけることって大事なんだなって思ったし、
今、いろんな経営者の人たち、IT業界で佐藤勝明さんとか、
あとはちょっと前までにクラウドワークしていた成田さんとか、
とか、ゆうすけさんの弟さん、塩田さん、成田さんも発信してたりするのね。
時にちょっとくだらないとか、この人たちの頭の良さ的にはすごくくだらないことをツイートしてるなって思う瞬間があるんだけど。
これって、要はそういうことなのかなというか。
真っ直ぐすることを発信して、サウンドアテンションを取っていくために、
心を集めるためにそういうふうにやってるのかなと。
今改めてようやく思うというか、これぐらいにするのかね。
そういうことを思いましたね。
力をつけていかなければと思った。
自分にね、誰かに変えてもらおうっていうのは、
希望が良いんだったら自分が変えられるような力?
影響力?お金?とか、あるいはそのポジション?分かんないけど。
18:04
こういうのを思いましたね。
うん、うん。
っていうんだよね。
なるほどね。
でも、そうだよね。いろいろ思うよね、こういうことが。
しかも身近な地元で起こるとより感じるよね。
感じるね、地元で起こると。
自分ごと化するよね。
自分ごと化ですね。
そうね。いつも以上にというか。
たぶん熊本で静岡あったときよりも全然自分ごと化されてると思う。
不思議だよね。
僕普段こんなに政治的にすごい強い関心があるかって言ったらそうじゃないと思うんだよね。
でも、こういう折に触れて。
今回は政治の話だったけど、自分の内面みたいなものって時々風が噴火するみたいに出てくるよね。
こんな環境で人が眠ってたんだみたいな。
こういう痛みが自分の中にあったかっていう。
今こうやって川端さんに聞いてもらって、喋る中で、たぶん言葉に乗っていったんだと思うし。
一人でもう本当にこれまでは1週間考えてたけど。
やっぱり自分は。
そうだよね。
今日言ってたのは、家族とか身近な人がとか、
普段の当たり前の日常生活が突然失われることへの寂しさとか、
それをどうにもしてくれない政府に対する意気通りとか怒りみたいな。
そういったとこすごい大事にしてんだなっていうのを改めて聞いてた感じだね。
確かに、そうか。
僕、会社のビジョンとかよくあるじゃんね。
あれを調べるときに、こうかな、ああかなっていうふうに思ってた中の1個が日常を守るみたいなことだったね。
今言われてみて、自分はそういうとこに関心があるのかなと思ったけど。
その話聞いてて、そこに対する感情の言葉に対する乗り方がすごい乗ってるなっていう感じが。
日常身近な人とか、その人たちが突然いなくなるっていう。
うーん、そうねー。
21:01
で、それを政府は何もしてくれない、助けてくれないみたいな。
そこに対する意気通りと怒りをそういう感じだね。
いやー、それはそうかもしれませんな。
これは振り返ると常に、僕は実家が中華料理屋で、営業で。
家族が同じ、家の中にお店があって、家族と一緒に過ごす時間が長かったというか。
で、ドアを開ければそこに鍋振るお父さんの姿が見えるとか。
そういう中で育ってきて。
で、親の喧嘩というか、仲良かった家族なんだけど、家庭の不安みたいなものがあったときに、
なんかまあ嫌だったんだろうね。
僕の人生の中で一番苦労しかったことは、日常の安定感がなくなっていくこと。
家族がのんびりほのぼのを過ごしてること。
ビスビスして。大和歌。くだらない冗談を言ったりとかね。
そういう瞬間が幸せだなーっていうふうに思う。
そういう素朴なものはやっぱり一番大事というか幸せだなーって思うね、僕は。
みなさんもそうなのかも。どうなんでしょうね。
本当に名前のつけようがない、うるおいみたいな幸せ感ってあるよね。
日常スケールの花話もなんでもないわけですよ。
そういう素朴なわけないおせんべいみたいな。
幸せを同じ人間であろう、別の人が奪うっていうのが本当に許せないですね、僕は。
犯罪もそうだし、政治もそうだし、戦争もそうだし。
もう本当に許せないと思うで。
コミュニケーションとかも思うと思う。
相手に自分のプライベート領域を両輪される感じ?
両輪、結構押してくるね。
そうねーって思うかなー。
24:01
この一行日記っていうのも心の記録だったりするわけじゃないですか。
人って死んだときに残るのは記憶だったりとか、
後味のようなものなのかなーっていう気持ちもあって。
その日々の、何気ない日々の。
もちろん何気ない日常の中で悲しんでる人、つらい思いをしてる人たち、いろんな日常があるからね。
なんだけど、そういう素朴なものが大事だなーって思ってほしいですね。
だから僕はこの一週間、怒りに震えながら、かつ絶望しながら、
僕の希望を見出せばいいんだろうと思ってTwitterをスクロールしてる感じですね。
なるほどねー。
でもすごく何かしてあげたいって気持ちも同時にすごい現れてるんだね。
そうだねー。
日常をね、自分の日常もその中に含まれてると思うけど、
それ以上にこう、みんなの日常もどうにかしてあげたい。
そうだねー、やっぱ。
そうだね、してあげたいですね。
なんか、してあげたいよねー。
なんかねー、いやー、つらいなって思うもんね。
いやー、つらい。
だってさー、もう元旦帰ってさー、家族とねー、写真みたいな。
そう、分かる分かる。
いやー、そう、いろんなエピソード今出てきてるじゃん。
うん。
泣きそうになるよね、一個一個見ると。
そうねー、ほんとに。
そう、しかも元旦帰ってなきゃ、なんかそう、
元旦帰って孫と親が死んだっていうの読んだ?
あー、見てない、うわー。
それ見て、なんか泣きそうになったよね。
うん。
元旦で残された、その、両親だけみたいな。
たまたまなんか、おじいちゃんのとこに畑かなんかで、孫たちがこう、一緒に連れてったら、
そこの苗が潰れちゃって。
あ、そうだな。
そう、おじいちゃんと自分の子供たちだけ死んじゃったっていう。
うわー。
親だけね。
そうそう、そうそう。で、親だけ残るっていう、その。
元旦帰ってなければ、そんなことなかったのにっていうさ。
いやー、それがもう生き抜けないわ。
いやもう、いやー。
おーい、なんかそういうの聞くと泣きそうになるよね。
そうだねー。
だからねー、そう考えるともう、何お前死んでんかよ、かしこましてんねんって思うわけですよ。
27:00
ほんとに。
そう、いやー、リーダーだろと。
笑顔で、笑顔で生放送出てる場合じゃないっすよ、と。
呼んだ側も呼んだ側なんだよね。受け入れた側も受け入れた側でさ。
周りの関係者もね。
それがやっぱり社会の、ほんとに上位層じゃん。
政治もそうだし、テレビ番組、報道マスメディアもそうですよね。
あとは、お金持ってる人たちもそうだし。
そういう人たちが、おかしいって言って、皆さんちょっと行きましょうみたいなことを言わない、変えられないっていう、変えてないっていう現状。
で、それが投稿されてて、それに何も意義を思わない人たちもたくさんいらっしゃるっていう。
無関心のゆえっていう。
この国にどう希望を乱せばいいのかっていう。
それって難しいよね。ただ、メタ認知するとさ、今回は富山っていう近く石川で大地震があって、すごく我々が自分ごと化できたかってとこもあると思うんだよね。
で、これをもう一段メタ認知すると、アフリカとかの子どもも今まさに、気がれ苦しいってわけじゃん。
じゃあ、我々はそこ行けますかって言ったら、行けないじゃん。何が行けますかって言ったら、そうそう。
もう一段レイアー上げると同じことが起こってんだよね。
確かに。
同じことが起こってんだけど、どうしても目の前の日々の生活とか、資本主義的なお金稼ぐとか、そういう生活のほうが優先されてしまうっていう状態じゃん。
本当だったらね、そんな高級な車とか買わなくても、アフリカのほうでもっと何かできたりするわけじゃん、富裕層の人たちは。
もちろんね、トップオブトップはしてるけどね、ビル・ゲイツ・ザイダーとかね。
公にはそういうふうに出てるけど、でも他の小金持ちたちはそんなことしてないわけじゃん。
してないね、確かに。
構造としてはね、たぶん全く同じことが起こってんだよね。
そうだね、確かに。
なるほど。前回の放送で、収録で川端さんが、港小路さんに助けたくなるってね。
以前の自分だったら反面教師にしてたけど、よりステージが進んで、反面教師というよりはその港小路さんに大丈夫かなって。
愛が足りないんだなって、愛を与えたくなるっていう話があったじゃん。
だからそういう、自分の感情レイヤーというか、自分のレベルというか、どういう意識レベルに持っていくかによってだよね。
30:08
だから俺もたぶん、アフリカの人たちを自分ごとのように思えてる人たちもいれば、全然そう思えてない人たちもいるし。
そうそうそうそう。
あー、そうね。
それもやっぱりみんな自分ごと化できてる人がそれやってんだよね。
昔国際機関でちょっと働いてて、そこで子供たちを見て、本当にやばいなってことを実感したからこういう仕事をしてますとか。
なるほど。
やっぱり自分ごと化すると人間はそことすごく共鳴するよね。なんかしてあげたいって気持ちが湧くよね。
はいはい。
アメリカさんとかはそれがたぶんないんだよ。自分ごと化してるよりしてない。
うんうん。
確かにそういう雰囲気はあるような気がしますね。
でもなかなか難しいと思うんだよね。そこのレイヤーに行くのって。
まあでも国の総理大臣だったらその意識持ってるよとは思うけど。
思うけど結構難易度高いことでもあるのかなと思う。
うんうん。
全てを自分ごと化するって。
うんうん。
そうそう。だから結構苦労してる人はそこを自分ごと化しやすいなとは個人的には思ってる。
あー。
過去にものすごい壮絶ないじめに遭った人とか、幼くした両親を失った人とか、子供を失った人とか、そういった人はやっぱり自分ごと化しやすい人多いなっていうのは個人的には思うね。
確かに。経験がない人は想像力でさ、そういうふうに自分ごと化を進めていける人もいればいけない人もいてってことだね。
そうだね。多分出世とかはただひたすら考えて資本主義だけを攻略順調にしてった人はあんまりそういう自分ごと化できる人が少ないのかもなっていう。これは仮説でしかないけど。
あー。
でももう順調に資本主義ゲームをクリアしてって、例えば朽者さん全然知らないけどバックグラウンド、総理大臣になりましたみたいな。
うんうん。
そうするとそのゲームの資本主義の大統領になる出世ゲームというものをクリアしてった人でしかないから、そんな国民がどうこうみたいなことを自分ごと化、たぶん1ミリもできてないと思うんだよ。
さっきの子供を失った人だからこそ、子供を失った人の気持ちがわかるっていう話だよね。
33:02
そういう挫折とか苦悩とか、自分の中での欠落みたいなものを感じてこなかった人は、そういう人たちに対しての当事者意識を持てない。
持てないんじゃないかな。
そうだね。
もちろんその人はその人は違う苦悩があると思うんだけど、あいつに負けたとか、あいつの方が全然頑張ってないのにみたいな。
片言の外国人みたいな感じだった。あいつの方が全然頑張ってないのに。
違うプレイヤーの苦悩はあるかもしれないけど、精神的なもっと深いところの苦悩はない人も多いのかもなっていう気もなんかするよね。
順調にね、スタートアップとかでも順調に上手くいって上場した人がその後にあんまり満たされてないっていうパターンとかも。
やっぱり資本主義ゲームをクリアするってところと人間的な人格が伴うってところは全然違うものだなっていうのを感じるよね。
うーん、なるほど。確かに。分かる気がする。
もちろん両方このやつ、金揃えてる人ももちろんね、中にはいるけど。
でもそこは必ずしても比例してないなっていうのをね、感じる。
うーん、そうだね。
今は社会は資本主義経済だしな。
その資本を持ってる人たちがパワーを持ってね、発言権もあって。
評価経済になってきたけど、SNSとか出てきて。
確かにね。
どうしたらいいんでしょう。
結構ね、深いよね。
もう本当仕組みの問題だと思うから、人というよりも。
ああ、そうだね。
そういう仕組みになってる今の世の中の方に問題があるのかもなっていう。
確かに。
どうしても目の前のお金とかを優先してしまうっていう。
そういう構造になってる。
それよりもね、もっと大事なものは本当はあるはずなんだけど。
こっちの質感とか実感とかがないゆえに、
36:00
なんかね、目の前のことにね、目を取られてしまうというか。
確かに。
そうね。
ちょっと思ったんだけどさ、
どういうふうな条件を満たしたら人はそういう、
他者に対して当事者意識を持てるような苦悩とか挫折をくぐり抜けるのかって思ったんだけど、
基本的に嫌なことって逃げたいじゃんね。
ストレスかかるようなことって。
どうにもここにも逃げ場がないっていうストレスの、
大きな風邪みたいなものに遭遇したときに、風邪にめり込まざるを得ないみたいなさ。
だから、
今仮説だけど、お金持ってた方、風邪が裕福とか、たまたま自分がお金持ったとか、
そういう人たち、お金を使えばある程度のストレスみたいなのを緩和できたりするのかもしれないね。
逃げられるとか。
わからんけど。
逃げることができない苦悩にぶち当たってたとしたら、
人はそういう意識を持つ。
なるほどね。
その定義も面白いね。
僕も、人によって同じ経験をしても、
その経験の中で気づく人と気づかない人がいるなってすごい感じてて。
そうだね、わかる気がする。
その経験を通じて、
より人のために働こうと思う人もいれば、
そうではなくて、そのままもっとお金を稼ごうと思う人もいたりとか、
また同じレールの上をお金稼ぐっていうゲームを続ける人もいれば、
そのゲームをやめて全然違う、気づきを得たことは違うことをするっていう人もいればっていう。
っていうのが今の清瀬さんの、逃げないというか、
向き合い切るみたいな。
そういうことをできる人は、
そういう新しい気づきをちゃんと得て違うことをする人なのかもなっていうのを聞いて感じた。
そうだね、確かに。
向き合い切る、そうだね。
日常生活でも、自分の中でも向き合えてる事柄と向き合えてない事柄とかもあるもんね。
39:04
向き合えてる事柄については、そこから汲み取れたりもするし、
学べたりもするけど、向き合えてない事柄からはずっと現状維持な感じがする。
なーと思った。
今、そういう2タイプの人の話なんだけど、
1個人だけのことを見た時でも、ケースバイケースで向き合えてる場合と向き合えてない場合で、
今川端さんが言ったような、同様に挙動の変化があるなというか、
思いましたね。
多分、港区おじさんとかは向き合ってないと思うんだよ。
港区おじさんは例えば、嫌なことが目の前で退治した時にパパカッとするとか、
そういう違う刺激の方でごまかすよ。
本来向き合うべき自分の内側の、繰り返されて痛みみたいなものを取る。
本当は退治するべきなんだけど、
そうじゃなくて、パパカツでお寿司屋さんのカウンターで女の子と喋ることでごまかしてる。
確かに。お酒を飲んでパーっとしてとか。
向き合うんじゃなくてごまかすことをした結果、港区おじさんが歓声していくのかな。
向き合うんじゃなくてごまかすね。
これめちゃめちゃ重要だわ。
我が人生においても。
ごまかしごまかし生きちゃうとそうなっちゃうね。
そのうちまひってくるもんな。
まひってくるよね。ごまかしし続けてると。
まひってきて、仕上がっていっちゃうよね。
それは、右覚えがたくさんありますね。
そうだね。
大事ですね。向き合う。
42:00
めちゃくちゃ味わってるね。
大事ですね。今自分は向き合ってるのか、ごまかしてるのか、自覚的になることはめちゃくちゃ大事だなと思ったね。
物事を処理するときに、情報を処理するときに、今俺はこれを向き合った結果なのかどうか。
どうなった結果なのかってところがね、すごい。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。