【山本龍之介】 その幸いって何だろう? みたいに思ったら、割とそういう選択肢を減らさないことだなって思ったんですよ。
【山本龍之介】 で、よく言うじゃないですか、子供にもなるべく選択肢を与えたいとか、教育とか。
この番組は、宮沢賢治の銀河鉄道の夜がボードゲームになるまでの物語です。
【山本龍之介】 あのゲームの全体的な感覚とか、ゲームとしてプレイできるみたいな形まで仕上げたんですけど、
【山本龍之介】 もう一度ちょっと立ち返ってみると、本にあってもゲームにないけど、こういう要素あった方がいいんじゃないかなっていうのがあったんで、
【山本龍之介】 そこをちょっと入れられないかなと思って、今日話してるみたいな感じです。
【山本龍之介】 で、それがキーワードで言うと、ちょっと大きく二つかなと思っていて、
【山本龍之介】 一つが、みんなと道連れっていうところ。
【山本龍之介】 で、もう一つが、自己犠牲ですね。
【山本龍之介】 で、作っていくときに、この感覚ないなみたいなのを思い、
【山本龍之介】 で、そのときは割とその二つのキーワードが割と一色端に考えていたんですけど、
【山本龍之介】 分解すると違うなっていうところがあり、
【山本龍之介】 で、それをどっちをどのようにとか入れていこうかなみたいなところの相談です。
【山本龍之介】 で、それぞれちょっと話すと、
【山本龍之介】 自己犠牲は分かりやすくて、銀河鉄道の夜で、
【山本龍之介】 サソリの例とかありましたね。
【山本龍之介】 サソリがこの最後食べられて、食べられそうになって逃げる最中に、
【山本龍之介】 僕はいろんな命を殺してしまったのにみたいな。
【山本龍之介】 僕は井戸にポチャンと落ちちゃって、結局捕食されずにそのまま死んでいくときに、
【山本龍之介】 この命でも捕食されて、何かの命を繋ぐためになったようになみたいな。
【山本龍之介】 それでサソリのアンタリスやったかな。
【山本龍之介】 光みたいな、赤い光っていう風になったりとか、
【山本龍之介】 そもそもカムパネルラっていうのはザネリのために死んだみたいなとこもあったりとか、
【山本龍之介】 タイタニックもそういうところがあったりとかみたいな。
誰かを助ける的なところですよね。
【山本龍之介】 そうですね。
【山本龍之介】 っていうものが自己犠牲と、もう一個、みんなと道ずれみたいな。
【山本龍之介】 これみんなと道ずれ、みんなと一緒に道ずれになるっていう話じゃなくて、
【山本龍之介】 みんなっていう社会全体と道ずれっていうのは、
【山本龍之介】 自分の親しい人とか好きな人、どっちを優先するんだみたいな話ですよね。
【山本龍之介】 もちろんどっちも優先しないといけないけど、難しいけどどっちも考えないといけないみたいな。
【山本龍之介】 っていうその、賢治の思想みたいな。
【山本龍之介】 っていうこの、なんか大きく2つがあるかなっていうところで、
【山本龍之介】 これは確かに新潟鉄道の夜とか、宮沢賢治を読んでいるときに、
【山本龍之介】 なんか大事な感覚だけど、今の前回テストプレイしたところでいくと、
【山本龍之介】 他人の幸せってなんだろうみたいな考えるっていうことはするけど、
【山本龍之介】 そういう概念はない、感覚はないなみたいな。
【山本龍之介】 でもあった方がいいんじゃないかなっていうところです。
【山本龍之介】 なんかなんかゲームにおいては、特にこれ2人でやってるからっていうのもありますけど、
【山本龍之介】 2人でやってるからこそ、割とその相手のことを考えるみたいなことっていうのはしてるんだけども、
【山本龍之介】 そこから先にある、みんな言い換えると社会とか世界って話だと思うんですけど、
【山本龍之介】 世界が良くなるみたいなことっていうのが、あんまり考えられてないかもしれないっていう感じですよね。
【山本龍之介】 世界みたいなものが、それこそ環境問題とかも例えばわかりやすくて、
【山本龍之介】 例えば自分が快適なために冷房を16度でつけますとかなんですけど、
【山本龍之介】 そういうのは環境には良くないけど自分は幸せになるっていう、
【山本龍之介】 これはそのみんなと道連れというのは自分の幸せってところですけど、
【山本龍之介】 それがなんか、じゃあ相手のために良くするっていうこと?
【山本龍之介】 誰かのために冷房を16度にしているんだけども、
【山本龍之介】 実は社会としては良くないみたいなことだったりとか、
【山本龍之介】 これはあまりにも引きなりすぎるんですけど、
【山本龍之介】 そういうみんなとの道連れっていう話で言うと、
【山本龍之介】 社会とそれぞれの関係性の中での幸せっていう二項対立というか、
【山本龍之介】 その二つがあるよねっていうことですよね。
【山本龍之介】 作っていって、その感覚を入れようと思って、
【山本龍之介】 考えていったときに、難しいぞみたいな。
【山本龍之介】 こうやって生きるのかなみたいなのもあったりして、
【山本龍之介】 ちょっとそこを相談したいなと思ってて、
【山本龍之介】 まず、僕の認識として整理すると、
【山本龍之介】 自己犠牲の方は銀河鉄道の夜に明確に入っていると思うんですね。
【山本龍之介】 みんなと道連れは、
【山本龍之介】 宮沢賢治の思想といえば多分いけると思うんですけど、
【山本龍之介】 銀河鉄道の夜にダイレクトに入っているかっていうと、
【山本龍之介】 いけなくはないかみたいな。
【山本龍之介】 サソリの例はみんなと道連れではないし、
【山本龍之介】 それこそ先ほどの自分とみんなみたいな感覚ですし、
【山本龍之介】 ザネリも誰かのためにとか社会のためにっていう感じもあったのかなみたいな。
【山本龍之介】 ザネっていう第三者性ではあると思うんですけど、
【山本龍之介】 みんなとか社会とかそういう感じはないしなみたいな。
【山本龍之介】 タイタニックも同じようにっていう認識があるので、
【山本龍之介】 もし銀河鉄道をめちゃくちゃ強調するのは
【山本龍之介】 自己犠牲っていう方が重要なんじゃないかなみたいな感覚として、
【山本龍之介】 と考えたんですよね。
【山本龍之介】 その場合、自己犠牲の方でいくと、
【山本龍之介】 ちょっとボードゲームの限界なのかなと思っていて、
【山本龍之介】 あんまりその状況を作り出せないなっていうのが現状なんですね。
【深井】 そもそもゲームという体裁を取る以上、
【深井】 自分が何かしらの手段で勝つというか得をするというか、
【深井】 勝者になる上で、自己犠牲すると勝者になるっていうところの矛盾みたいなことですよね。
【山本】 そうなんですよね。
【山本】 ゲームって基本的に勝ち負けとか成功失敗があり、
【山本】 それは定量的には測ってしまうもんなんですね、数値を用いて。
【山本】 なので、どこまでいっても自己犠牲的な動きをさすことができるんですよ。
【山本】 なんか自分が勝ったら1ポイントで、みんなが勝ったら3ポイントだと、
【山本】 それはみんなが勝った方がいいから自分が死ぬみたいな。
【山本】 でできるけど、そこに自己犠牲的な感覚はなくて、
【山本】 本当に嫌だけど、でも社会とか誰かのためにみたいな、あの感覚みたいなのは発生しないんですよね。
【山本】 なのでちょっとそこが難しいなっていうのが自己犠牲側の話で、
【山本】 一方なんか、みんなと道連れ。
【山本】 みんなをこう、社会全体をか愛する人でいくと、
【山本】 これはいけるんじゃないかなと思っていて、
【山本】 今、せっかく2人とか3人でやったときに、
【山本】 幸いカードみたいな、幸いを感じるだろうカードを、
【山本】 お互いそれぞれ見せずに取って、それを銀河鉄道に乗って探しに行きましょうみたいな。
【山本】 でも、この散れば見舞えてるヒントとかもその人のパーソナリティからとかで、
【山本】 推測して探しに行こうみたいな感じなんですけど、
【山本】 そこに普通に社会の幸せみたいな感じで、
【山本】 その山札から3枚取っておくとか、
【山本】 それか、社会の幸せとして、ちょっと極端にカタカナ言わないとか、
【山本】 そういう別のルールとか入れるっていう、
【山本】 第三者的な目標も用意しておけば、
【山本】 ちょうど悩ましいというか、基本的に目の前の人が大切な人、
【山本】 同じようにプレイヤーしてるから大切な人なので、
【山本】 その人の幸せも探したいけど、
【山本】 同時に社会の幸せも探していかないといけないみたいな、
【山本】 っていうトレードオフが発生するかなみたいな。
【山本】 社会全体もあるけど、
【山本】 もう普通にゲームやってると、
【山本】 同じ点数で目の前の人のために喜んでほしいみたいな、
【山本】 感覚は若干あるらしい。
【山本】 そこをすれば再現できるんじゃないかな、
【山本】 ミニノート未知人の方は、っていうところですね。
【山本】 なので、まとめると、
【山本】 銀河鉄道の夜により感覚近づけるなら、
【山本】 自己犠牲だけど、ちょっとルールでは不可能そう。
【山本】 で、もう少し解釈を広げて、
【山本】 宮沢賢治ぐらいまで行くと、
【山本】 ルールとしては表現できるんじゃないか。
【山本】 で、なんかドッキリをどうしようみたいなっていうのを、
【山本】 悩んで、今って感じ。
ありがとうございます。
なんかあの、
これみんなと道連れの話を、
まあ、自己犠牲も含めてですけど、
悩んでますっていうところで、
なんか事前に話もらってて、
で、なんか僕なりに、
ちょっと考えたことがいろいろありまして、
で、それをちょっと今話せればっていうのは思うんですけど、
聞きたい。
まず、銀河鉄道の夜の作品の中における、
自己犠牲というもので考えていくと、
分かりやすいので言うと、
カンパネルラがザネリ、川で溺れたザネリを助けるっていうのが1個目ありますよね。
で、さらにカンパネルラはもうそこで亡くなるわけじゃないですか。
で、銀河鉄道の夜の最後のシーンにおいては、
序盤にはずっと鉄道にカンパネルラと一緒に乗ってますよね。
で、一緒に行くんだみたいにずっと言ってるわけじゃないですか。
で、一緒に行くということは、
カンパネルラについていくことだから、
それは自死をするっていうことなんですよね。
要はその、黄泉の世界に一緒に行くみたいなことなんだから、
例えばですけど。
で、それをじゃあ結局なぜ序盤にはそこでそういった自死を選ばずに、
そのまんまこう戻ってきたかっていうと、
そこはなんか突然母親っていう存在が出てくるわけですよ。
で、結局母親にその牛乳を買いに行かなきゃいけないみたいなことが最後、
結構この話、銀河鉄道の夜僕、それも読み直したんですけど、
ずっとなんか不思議だったのが、
なんで牛乳の話ずっと最初も最後も出てくるんだよって思ってたんですよ。
確かに。
すごい必死じゃないですか。
最初の方にそのお母さんの牛乳がなんか届いてなくて、
牛乳屋さんに行ってなんで届いてないんだよみたいなことを言うみたいなシーンが入ってたりとか、
それで帰りまたその牛乳屋さんに行ってもらって帰るみたいな話とか、
牛乳を届けなきゃいけないからみたいな理由で、
いわゆる序盤にはカンパネルラを後追いすることなく、
つなぎ止める存在として母親っていうのはいるわけですよね。
これがなんかぐるっと回ってる気もしていて、
ザネリー・カンパネルラ、序盤に母みたいな。
その母の牛乳みたいなところが、
実は第、いわゆる最終盤と言われる、
僕らがよく読んでいるやつで言うと、
最初が天の川が土の流れになっていてみたいな話出てくるじゃないですか。
多分あそこともつながってくるんですよ。
ってことは、いわゆる天の川が土の流れになっていて、
母親っていう存在があるから、
多分この場合のぐるっと回ってるのは母親っていうのは、
さっきの話で言うと世界みたいな話。
つなぎ止める、イコール天の川のわけだから。
世界が結局そうやってカンパネルラを後追いするのを止めたっていうことなんですね。
だから母親っていうのは具体的な像が全く描かれてなく、
そんなに話してるシーンとかはあるんですけど、
どんな母親かっていうのはわかんないみたいな。
それは抽象的な、そういう世界みたいなものを象徴としているっていうことなんじゃないかなっていうのが、
結構これは作品ガチ解釈みたいな感じですけど、
ガチ解釈上はいろいろ考えていって思っていると。
っていうのがまず、銀河鉄道の夜における、
自己犠牲、みんなと道連れみたいなことの解釈かなっていうのはまず思ってるんですよね。
とはいえ、ここからは作品から一瞬離れるんですけど、
僕らがどれぐらいその作品に忠実になるかっていうことと、
あとは僕らが作るなりの思想感っていうか、
そういう解釈みたいなのを入れていいと思っているんですけど、
前どっかの回でリュウさん言ってたんですけど、
結局その本当の幸いみたいなものが結局生き死になるんじゃないかみたいなことを多分言ってたと思ってて、
それはそのケンジの時代においては妹が亡くなったりとか、
そういうことがあったりしているから、まさにそういう命のやりとりなんじゃないかみたいな。
だから今話したみたいな話も結局基本ガンパネでも亡くなっているみたいな。
なんですけど、今で言うと強すぎるみたいなことあるじゃないですか、言葉が。
結局別に臨時体験をするようなボードゲームでもないし、
これやっぱり自己犠牲っていう言葉がずっと僕ピンときてなくて、
やっぱり言葉として強すぎるんですよね。
で、やっぱり今自己犠牲って言ったときに若干ある、
これは別に僕が半分ひねくれてるからかもしれないですけど、
偽善感っていうかうのぼれ感っていうかある気がするんですよ。
確かに。
っていうか自己犠牲っていうことをわざわざ言葉に出すことが、
そんな別に出さなくてもいいじゃんみたいな。
だから自己犠牲ゲームですって言うとやばいゲームな気がするみたいな。
めちゃめちゃ偽善にまみれてるみたいな気が若干するっていうのは、
まず自己犠牲ってワードとかに対して、
これ2つ目ぐらい発信して思ってるってことなんですよね。
じゃあみんなとかそういう社会、
いわゆるみんなと道連れにおけるみんなって、
あと本当の幸いですよね。
で、何だろうって考えたときに、
これはまたより僕個人の話になってくるんですけど、
幸いって選択肢が多いことなんじゃないかなって思うんですよ。
なるほど。
で、これはまず僕で言うと、
すごいピーターパン症候群みたいで嫌なんですけど、
あんまり選択肢を減らさずに僕は永遠に生きてきていて、
仕事も何やってるかよくわかんないし、
いろんなことをポートキャスでやったりとかもそうですけど、
結構いろんなことをやっていると。
その根本にあるのは自分の幸いって何だろうみたいに思ったら、
割とそう選択肢を減らさないことだなって思ったんですよ。
で、よく言うじゃないですか、
子供にもなるべく選択肢を与えたいとか、
教育論とかでもそういうことをよく言ったりするじゃないですか。
それが実は本当の幸いなんじゃないかって思うんですよ。
これはめっちゃ個人的な感覚で、
そこから一気に銀河鉄道のような話戻ってくるんですけど、
その象徴が多分切符なんですよ。
つまり切符はどこへでも行けるっていう話を言うじゃないですか。
天井へだって行けるって。
それってめっちゃ選択肢があることだと思うんですよ。
だからこの作品っていうのは実は本当の幸い、
最後切符持って帰るじゃないですか、現実世界に。
それはあれかな、最後の3ですよね。
3個の時だけ持って帰るのかなってなんですけど、
やっぱ切符を持って帰るってことは、
切符自体が本当の幸いの、
絵のもちろん切符って意味もあるけど、
象徴だと思うんですよ。
その繋がりで言うと、
どこへでも行けるとか誰にでも会えるとか、
選択肢がたくさんある。
そのたくさんの選択肢にアクセスできるもの自体が切符な気がするんですよね。
だから本当の幸いは、
こういろんな作品を今見た結果、
僕が思ったのは本当の幸いは切符であると。
つまりそれは選択肢が多いことであると。