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いつの時代もアーティストを魅了してきた青顔料(ブルー)は,化学者たちの挑戦の結晶でもあります.この号ではフェルメールのブルー,エジプトのブルー,広重のブルー,藍染,呉須,あの国宝の青,そして最先端の「ブルーティフル」まで取り上げます.最後にちょっと珍しい「ブルー」の使い方も.(ニュースレター本文

毎週金曜日朝7時にアート,リベラルアーツと科学技術に関するニュースレター『STEAM NEWS』を発行しています.詳しくは STEAM.fm をご覧下さい.

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[音楽]
いちです。こんばんは。 このポッドキャストは僕が毎週お送りしているニュースレター「Steam News」の音声版です。
Steam Newsでは科学、技術、工学、アート、数学に関する話題をお届けしています。
今週のテーマは「Blue」。 青の顔料についてお話をしていきたいと思います。
今を遡ること、12年前の2009年、およそ80年ぶりに新しいブルーが発見されました。
この新しいブルーは「隠民ブルー」と呼ばれています。
これは当時結構大きなニュースになったんですけれども、まあそういったことを踏まえてですね、
今日の話聞いていただければと思います。
人間の目には2種類の細胞が備わっています。
一つは寒帯で、もう一つは水帯です。
寒帯はお菓子のポッキーの形をしており、水帯の方はタケノコの里の形をしています。
ポッキーの方は暗闇で物を見るための細胞で感度が高いのですが、色を識別することができません。
タケノコの里の方はさらにL、M、Sの3種類があり、それぞれ固有の色、赤、緑、青を識別するのですが、暗闇ではうまく働きません。
哺乳類のほとんどはM水帯、まあつまりタケノコの里の方の一種ですね。
これを持っていないために2種類の色しか区別ができません。
人間の場合も日本人男性の5%程度、白人男性の8%程度がM水帯を持っていないと見られており、
彼らの色格から2種類の色というのが黄色と青だということがわかっています。
マーク・ザッカーバーグもまた赤と緑が見えないために自身の創設したFacebookのテーマカラーをブルーにしたというふうに、彼はニューヨーカーという雑誌の取材で答えています。
生理学の知見からまたアイザック・ニュートンが発見し、写真技術者やテレビ技術者が再発見した通り、
黄色は人間の多数派にとって根源的な色ではないんですね。
一方で、ブルーはほぼ全ての人にとって根源的な色と言えるんじゃないでしょうか。
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ブルーは空や遠くの山、海に見られるユニバーサルな背景色と呼んでも差し支えないかもしれません。
なお、艦隊は色角に影響を与えないとされてきたのですが、
月明かりの環境ではわずかながらブルーの色角を人間に与えるそうです。
この現象はブルーシフトと呼ばれています。
現代の都会ではブルーシフトを体験することは不可能だとは思うんですが、
古代の人々を頻繁に体験していたかもしれません。
また、工業化される前の日本人は青く自発光する海蛍、
これを海辺の方は日常的に見ていたと考えられます。
古代の人々は、こんな風にブルーを神秘的な色ととらえていたんじゃないかなというふうに思います。
自然界にはいくらでもあるブルーですが、いざエア、放射性物質にしようとすると入手が困難なことに気づくと思います。
現代でもブルーを示す顔料は他の顔料よりも高価です。
例えばアクリル絵の具ですが、代表的な銘柄であるリキテックス社の価格表を見てみると、
代表的なブルーであるコバルトブルーというのが、代表的な黄色であるイエローオキサイドの2.4倍の値段がついています。
顔料の採掘とか合成技術が格段に良くなった現在でさえ、価格差がこれだけあるということは、
古代の人々がブルーを手に入れるためにどれだけ苦労したのかというのは想像がつくと思います。
古代エジプトの王たちはブルーに輝く石、ラピスラズリを大変に賃賃しました。
ラピスラズリは当時アフガニスタンだけで産出していたため、長い航駅路を経てエジプトに運ばれていました。
ラピスラズリは日本語では「ルリ」と言います。
ラピスラズリを粉末にしたブルーである天然ウルトラマリンは、現代に至るまで非常に高価であり続けています。
ラピスラズリは地中海、つまりマリーンを越えてヨーロッパへやってきたので、ウルトラマリーンと名付けられたわけですね。
また産地に近いペルシャでよく用いられたことから、ペルシャンブルーとも呼ばれました。
17世紀の画家ヨハネス・フェルメールは実家が裕福だったため、当時ゴールドと同じ価値だったウルトラマリンをふんだんに使った絵を制作しました。
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そのためウルトラマリンはフェルメールブルーとも呼ばれています。
ただフェルメールは晩年金作に苦労したようで、42歳または43歳という若さで亡くなっています。
ニュースレターの方にはこのフェルメールの絵もご紹介していますので、よかったらメールアドレスをご登録いただいてお読みいただければと思います。
さて、話を古代エジプトに戻しましょう。
エジプトの王たちは人工的にブルーを生産することに奉償金を出したようで、実際に職人たちがエジプシャンブルーと呼ばれる顔料の製造に成功しています。
現在知られている最古のものはおそらく紀元前3250年のもので、エジプト中央国時代には盛んに用いられるようになります。
中央国時代というのは紀元前2050年から紀元前1642年までを指します。
エジプト人たちはこの合成されたブルーを「合成ラピスラズリ」と呼んだようなんですが、古代ローマ人たちによって名付けられたセルリアンの方が有名な名前だと思います。
このセルリアンブルーなんですが、ローマ時代が終わると製法も徐々に失われていきました。
エジプシャンブルーはシリカ、石灰、銅、アルカリから作られています。
ローマにある「Academia dei Linchei」、和訳すると「山猫学会」、または「山猫アカデミー」という楽しげな名前ながら、有名な学術界のメンバーであるアントニオ・スガメロッテ教授によると、
15から16世紀イタリアの画家ラファエロ・サンティはフレスコがガラテイアの勝利を描くために、エジプシャンブルーを再発明しているんですね。
おそらくはこう失われたブルーを再現して見せたかったんじゃないかと思います。
エジプシャンブルーは石灰に含まれるカルシウムと銅によって色を出しています。
古代中国人たちも似たような方法でブルーを合成しようとしていました。
ただし、古代中国人たちはカルシウムの代わりにバリウムという金属を使いました。
このブルーは「缶」のブルー、または英語で「半ブルー」と呼ばれています。
エジプシャンブルーと半ブルーは祖先が似ているため、シルクロードを通って西方がエジプトから中国へ伝わったのではないかとする説もあります。
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ただし、中国からエジプシャンブルーが出土していないため、その可能性は低いかもしれません。
半ブルーは紀元前1045年に始まる周の時代に発明され、缶の時代まで使われ続けましたが、その後は使われなくなりました。
地球上のバリウムの確認枚増量の約50%は中国にあり、ヨーロッパや日本ではあまり産出しないため、半ブルーは中国に留まった可能性があります。
一方、エジプシャンブルーの原料は世界中で産出します。
コロンブスがアメリカ大陸に達する前の西暦800年頃に、南アメリカではマヤブルーというブルーが発明されています。
こちらは植物から抽出した天然インディコと地元の粘土を混ぜ合わせた顔料で、16世紀頃までは使われていたようなんですね。
しかし植民地時代にその技術が失われました。
この泥は中央及び南アメリカでしか見つかっていないため、マヤブルーは他の地域では生まれませんでした。
天然インディゴはヨーロッパ以外では豊富に取れ、顔料、染料のどちらにも使えるのですが、扱いが難しい素材です。
天然インディゴは水に溶けないため、染料として使うにしてもいろいろの工夫が必要です。
日本、とりわけ徳島で行われている藍染めは天然インディゴによる染色なんですが、これは天然インディゴを一度微生物によって発酵させてから染色を行うという高度な技法です。
日本の江戸時代、幕府は武士以外に絹を着用することを禁止しました。
となると、人々が着るのは、もめんと朝だけということになるんですね。
絹は草木でも染めることができるのですが、もめんや朝はインディゴ以外で染めることが難しかったために、インディゴで染める藍染めが日本を代表するブルーになりました。
日本のブルーといえば浮世絵に使われるブルーを思い出された方も多いのではないでしょうか。
宇田川博史家は作品の中でブルーを非常に印象的に使っていますし、同時代の葛飾北斎も多用しています。
そのため、浮世絵に使われるブルーを「ひろしげブルー」あるいは「北斎ブルー」と呼ぶこともあります。
実はこのブルーは日本原産ではないんですね。
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1704年、ベルリンの錬金術師ヨハンディッペルとヨハンディースバッハによって発明された根性という顔料が江戸時代に日本に入ってきます。
最初に使ったのは江戸時代のマルチタレント「ひらが玄内」。
その後、大量に輸入されるようになるんですが、これはベルリンの藍色ということで「ベロ藍」と呼ばれました。
広茂や北斎が使ったのはこの「ベロ藍」の方です。
ベロ藍はベルリンが当時プロイセンに属していたことから現在では「プルシャンブルー」と呼ばれています。
名前が似てるんですけどね。プルシャンブルーとペルシャンブルー。名前が似てるんですけど別物です。
ペルシャンブルーの方はウルトラマリンの別名です。
ラピスラズリを粉末にしたものは天然ウルトラマリンと呼ばれて現在に至るまで大変高価であることは、先ほど述べた通りなんですね。
そのためイタリアを中心にアズライトという同種成分とする鉱物がウルトラマリンの代替品としてよく用いられるようになりました。
しかしこのアズライトはアルプス山脈を越えなければならないドイツやオランダには届かず、
それゆえにディッペルとディースバッハにプルシャンブルーを発明する余地が残されたとも言えます。
またアズライトが届いていれば、フェルメールや他の画家たち、ドイツ、オランダの画家たち、ウルトラマリンを使わなかったかもしれません。
アズライトは世界中で産出します。
ただ緑色のマラカイトと一緒に産出し、分離が難しかったこと、
それからウルトラマリンほどの深いブルーを出せなかった頃から普及はしたものの、どこかちょっと偽物という色合いが聞けずにいたんですね。
日本古来の岩絵の具である岩根性もまたアズライトです。
マラカイトの方は古代エジプトのクレオパトラがアイシャドウに使っていたことで有名です。
酸化コバルトと酸化アルミニウムを混ぜて1200℃で消結させたものをコバルトブルーと呼びます。
この青の発色は酸化コバルトによるものなので、酸化アルミニウム以外の金属を混ぜ合わせる場合もあります。
コバルトブルーはプルシャンブルーよりも明るく薄いブルーなのですが、
ガラス質に焼き付けられた場合には価格的に非常に安定しており、陶器の染め付けにぴったりなんですね。
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発明されたのはおそらく中国で8世紀頃から使われています。
長崎のハサミ焼きはゴスというブルーで染め付けを行うポップな焼き物なんですが、このゴスもコバルトブルーです。
コバルトブルーで着色された陶器やガラスを粉末にしたものはスマルトと呼ばれる顔料なんですが、
こちらは残念ながら科学的に不安定なんですね。そのために現在では使われていません。
19世紀に入ってフランスでコバルトブルーの製法が、これは再びなんですが、発見されたためにこの時代の画家、
例えばターナ、ルノワール、モネ、ゴッホはコバルトブルーを多用しています。
一方で確実に人間が合成したにも関わらずその製法がわかっていないブルーもあります。
12から13世紀の中国の南曹で焼かれたものの、その後二度と焼かれず、
また日本にしか現存しない「洋辺天目蛇丸」です。
その日本にも3点ないし4点しか存在せず、3点は国宝に指定されています。
記録によるともう一点日本にあったようなのですが、本能寺の辺で信長とともに焼かれてしまったようです。
僕は藤田美術館修造の「洋辺天目蛇丸」を見たことがあるんですが、これはもう息を呑むブルーでした。
洋辺天目はコバルトブルーのような釉薬による発色ではなく、表面の微細構造による発色ではないかと見られています。
2020年、京都の陶芸家の方が洋辺天目に近い色を出すことに成功しているんですが、
この時も予約ではなく焼き方に工夫を加えたとのことなので、焼き方によって微細構造が変化したのかもしれません。
このような構造によるカラーを「構造色」と言います。
生きた宝石とも言われるモールフォ帳の羽のブルーは、その微細構造が生み出していることがわかっています。
他にですね、焼いて色を出すと言えば腕時計に使われるブルースティールもその一種です。
これはステンレスを焼いて表面に青い酸化皮膜を作るものなんですが、焼き具合が大変難しいということで、一部の高級腕時計の針に好んで用いられています。
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ブルーほど科学者とアーティストを同時に刺激したカラーは他にないかもしれません。
ブルーを合成したいという欲求は現代にまで続いているんですね。
石灰でできた釜の内側にウルトラマリンのようなものができているのを最初に記録したのは、なんとドイツの詩人ゲーテでした。
1787年、シチリアのパレルモで発見したそうです。
また1814年、フランスの画家アータサエールが偶然、石灰製の釜の中でウルトラマリンのような加合物が生まれていることを発見しました。
1824年、フランスの工業推奨協会は、ウルトラマリンの代わりになる顔料を開発した人に6000フランを与えると発表しました。
そしてついにウルトラマリンを合成する方法が、フランスのギメとドイツのグメリンによって開発されました。
ギメは製法を公開しなかったのに対し、グメリンは製法を公開したため、合成ウルトラマリンを開発したという栄養はグメリンに与えられています。
現在、ウルトラマリンというラベルが貼られて売られている絵の具は、ほぼすべてが合成です。
絵の具から少し話がそれます。
2014年、日本の赤崎三、天野博、中村秀次がノーベル物理学賞を受賞しました。
彼らの受賞理由は「青色発光ダイオード」(青色LED)の発明です。
発光ダイオードは光る半導体として1962年の発明以来、大きな期待をかけられたデバイスでした。
当初は赤色にしか光らなかったのですが、1972年には緑色のLEDが発明されています。
今見ると黄緑色に見えるのですが、当時は緑色と呼んでいました。
その後、世界中の研究者がLEDでブルーを再現することを目指し挑戦しました。
当時、ブルーは大きな壁だったんですね。
1993年、徳島の日夜科学工業の中村秀次が、ついに青色LEDの開発に成功します。
彼の辞聴を読むと、中村自身は普遍性を追求する科学者というよりは、徹底した現場主義の職人なのですが、
それゆえに開発後、いきなり実用レベルという、たとえて言うと、オリコン初登場1位みたいな開挙をやってのけられたのかもしれません。
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さて、再び顔料のブルーに話を戻します。
1927年、新たなブルーが生まれています。
フタロシアニンブルーという顔料がそれで、現在の絵の具の基本的な材料になっています。
科学的安定性に優れ、また量産技術が確立しており、現在は1g当たり50円以下で手に入ります。
2009年、オレゴン州立大学の科学者マス・サブラマニアンと学生のアンドリュー・スミスは、偶然新しいブルーを発見します。
それは完璧に近い青色で、近赤外線を強く反射するという性質も持っていました。
合成ブルーの歴史の最新版です。
このブルーはオレゴンブルー、またはマスブルー、そして成分の名前を取ってインミンブルーとも呼ばれています。
「インミン」と言ってもそう呼ばれる物質があるわけではありません。
イトリウム、インジウム、マンガンという金属の名前を並べて縮めて「インミン」と呼んでいるんですね。
それぞれに面白い歴史があるのですが、この話はまた改めてさせていただければと思っています。
現在のところ、インミンブルーの使い道に「ここぞ」といったものがありません。
インミンブルーは1gあたりおよそ400円で市販されています。
天然ウルトラマリンは1gあたり2000円から3000円と基金属クラスなので、それよりはお買い得かもしれません。
2016年、半導体メーカーAMDは自社製品RADION PRO-XXの表面をインミンブルーでコーティングすると大々的に発表したのですが、
後が続いていないようですね。現行製品もブルーではあるんですけども、もうすでにインミンブルーではなくなっているようです。
2017年、アメリカのクレヨンメーカーCLEOLAは自社のクレヨンにインミンブルーを加えると発表し、名前を「ブルーティフル」としていましたが、現在は販売していないようです。
クレヨンにするには高価すぎたのかもしれません。 流通在庫はまだあるようなんですが、ブルーティフル入り124本セット、こちらがですね、14000円ほどします。
同じくCLEOLAの通常の96色セット、こちらが1500円程度なので、お値段のほとんどがインミンブルー代ということになってしまうじゃないかなと思います。
これは本当におだんなんですけれども、2019年豊洲市場会場後初の競りでですね、278kgの黒マグロにですね、なんと3億3360万円の値がついたんですね。
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加食部を50%とすると、グラムあたりのお値段が2400円。 今後は同じ重さのウルトラマリンとほぼ同額のマグロというふうに通ぶって言ってみたいなとちょっと思いました。
最後に意外なブルーの話題をお届けしたいと思います。 皆さんもステーキ食べられますよね。ステーキの焼き具合どのぐらいが好きですかね。
ステーキのほうはアメリカでは焼き具合が細かく決められています。
よく焼けてる順番に、焼きすぎを意味するオーバークックトというのがあって、それからよく焼けてるウェルダンですね。 それからミディアムウェル。中ぐらいがミディアム。
少し赤みが残っているのがミディアムレア。 そして生に近いのがレアなんですが、さらに生に近い焼き具合をブルーと言います。
いつか行ってみたいと思います。僕のステーキはブルーで。
今日も最後まで聞いてくださってありがとうございました。 ニュースレターの方ではですね、今週は写真もふんだんに入れていますので、いろんなブルーを見ることができます。
よろしかったらご登録していただいて、歴史上のいろんなブルーを見ていただければと思います。 最後まで聞いてくださって改めてありがとうございました。
いちでした。
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(♪~ED)
26:34:00

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