00:02
おはようございます、まーくんでーす。
今日は9月5日、木曜日ですね。
持っていきたいと思います。
少し前から何度かお話ししているんですけど、
最近本を読んでいて、
心のティースプーンっていう本、
ハビエル・ガラルダさんという神父の方の講話を聞いてる人が書き起こしをして、
出版まで持っていったという本ですね。
神父の方が、キリスト教系の学校の保護者向けの講和の会みたいなのがあって、
それを書き起こしたもので、
なので、キリスト教系の学校の保護者なんで、必ずしもキリスト教徒ではない。
たぶんいろんな仏教の人もいるだろうし、何も信じていませんの人もいるかもしれないし、
わかんないけど、一般の方向け、キリスト教の教徒以外の人にもわかりやすいように講和をしているという内容ですね。
結構面白くていいなと思って。
昔は図書館で借りたんですけど、やっぱりこれ手元にあったほうがいいなと思って、
最近買い直したような本ですね。
ここのティースプーン、たぶん何冊か出てるんですけど、
上と下とあともう一冊あるみたいで、最近上が読み終わったんですよね。
その中でちょっとこれいいなというか考えさせられるなとか、
あー自分これできてるかなっていうのがお話があったんで、その話をしてみたいなと思って。
主に聖書の内容に沿って話を取り上げながら、
そのテーマについて話をしていくみたいな、そういう進行の仕方をしていくんですね。
聖書の内容でこういうのがあるそうで、
ぶどう畑を持っているお金持ちですよね。
ぶどう畑の作業をしてもらうために、労働者を日雇いで雇いますと。
労働者がいっぱいいて仕事を探している場所に行って、
03:02
1日のうち何度かに分けて労働者をスカウトしに行くと。
朝5時に1回行って、うちでちょっと人手働かない?
日給1万円でどう?みたいな誘い方をする。
あーいいっすよって言って、労働者がついて行って作業を始める。
朝の9時にもう1回行って、1日1万円でどう?って言って、
で、誘って連れて行く。で、分かんない、あと何回だ?
お昼ごろ?お昼過ぎ?
例えば午後1時ごろに行って、また1万円でどう?って誘ってくる。
3時、夕方の5時、また行って、誘ってきて働いてもらう。
で、日が沈んだので、じゃあみんなにお金を払いますって言って、
じゃあ一番最後に誘った人から来てくださいって言って、
夕方5時とかから働き始めた人が前に来て、
じゃあ、はい、1万円って渡した。
で、朝から働いてる人は、
あれ、じゃああいつ1万円もらえるんだったら、俺もっともらえるはずって期待するわけですよね。
で、みんなじゅんぐりに、はいはいはいはいって賃金を渡してって、
結局みんな1万円払われました。
朝から来た人は怒るわけですよね。
なんで夕方から働き始めて、昼間全然暑くない時間で働いてた、
全然昼間暑くて暑い中働いてた俺と、
なんで夕方涼しい時間帯から働いて、しかも短い時間しか働いてない奴と同じ賃金なんだって怒る。
気持ちはすごくわかるし、たぶん自分がそういうふうになっても、
え?ってちょっともやると思うんですよね。
ただ、それも受け入れなさいっていうか、この教えは何なんだろうな。
このお話の意図は何なのかなっていうのは、僕ちょっと考えてるんですけど。
でも考えさせられるところはある。
いろいろこのお話から引き出せる教訓を考えてたんですけど。
最後に来た人と最初に来た人で待遇が違う感じがするのは、
まあまあ感覚としてはあっている気がする。
一番最初に朝5時の段階で、今日1万円で日給って言って来た人と、
夕方から日給1万円で来た人は、一応日給1万円で合意してるんですよね。
06:07
同じ金額で合意してるんですよ。
で働いた。
なので、はい日給1万円って渡されて、もう合意した内容を履行されてるだけなんですよね。
なので、自分で決めた、自分で合意した報酬額だからそれで満足しなさいっていうのはそうだなと思う。
あと何だろうな、他の人と比べちゃうのが良くないのかな。
人と比べると待遇が違うじゃねえかって思う気持ちは分かる。
ただ自分だけで見ると、1万円は履行されているので、
他の人と比べるからおかしなことになるんだなーと思ったりするんですよね。
最初に朝の段階で、今日1万円でどう?って誘われた時点で、
今日1日働くんだったらたとえば5万くれよって言えばよかったんですよ、最初の人が。
そしたら、ああわかりましたって額の変動が起こるかもしれないしね、わかんないけどね。
でももしかしたら、夕方から来た人に1万円ずつ予約がある雇い主だったら、
朝来た人が、1万円じゃやだから5万円で今日1日どう?って切り返したら、
もしかしたらじゃあ5万円でって言うかもしれないんですよね。
契約の段階でそれを言えばよかったんですよ、最初から。
望むものがあれば言えばいいんだなとは思う。
でも決まった金額で合意したんだったら、それで満足して喜んで仕事をしなさい、
が教えなのかなと僕の中では考えています、この話から。
最近の内容だと、自分に引き比べて考えてみると、
フリーランスの仕事を7月から始めていて、そのときに単価を決めました。
僕は最低金額いくらだったらこの話受けてくれますかって聞かれて、
それまで派遣社員として働いてたんで、
それと同じ水準だったら最低金額としていいなと思ったんで、
09:01
手取りが同じになる金額で60万円でって言ったんですよ。
雇われの身と個人事業主として計算すると、手取りの金額がまあまあ変わってくるんですけど、
それで同じくらいの手取りになるように、
じゃあ月額60万円でこれが最低ラインって言って契約をして、
最低ラインの60万円でオファーが来たんですよね。
最低ラインって言っといて、自分で僕がね。
言っといて、最低ラインかと思っちゃったんですよ。
その時点で、ちょっと失敗したなっていう、ちょっとした後悔が。
ちょっとしたじゃないな、結構な後悔が自分の中であって。
手取り60万円で計算すると、今自分のお家の家計状況を考えると、
ちょっと厳しいなっていうふうに思い立って合意した後に。
ひどい話なんですけど。
今子供さんにいるんですけど、
子供の将来に向けて今何も貯金ができていない状態で、
これの延長戦で60万円という単価を最低ラインとして考えていたんで。
やっぱあれだな、子供の将来のことを考えたり、
今後の暮らしのことを考えると、60万円じゃやっぱり足んねえなって思ったんですよ。
思い直して、あ、だめだこれって思って、単価交渉したんですよね。
単価交渉して、結局60万円じゃ足んないんで80万円にしてくれって。
ひどい話。本当にひどい話。
契約して2ヶ月しか経ってるのに60万円じゃ不服だから80万円にしてくれって。
なんだそれって僕も思うんですけど、ただ必要なんだからしょうがない。
必要。必要。これも必要。
自分の中で必要だと思ったんで、貯金できねえなと思ったんで、
単価を上げてくれて交渉したんですよ。
そしたら向こうの視点はそんなの受け入れられないっていう。
まあ当然だなと思うんですけど、決裂しちゃったんですよ。
なんかね、この僕の体験とこの武道園の、さっきの聖書のお話が結構、
僕の中ではリンクしてきていて、
望む金額はちゃんと自分の望む金額を最初に契約の段階で言いましょうと。
12:08
この金額でどうって言われてから合意するんじゃなくて、
自分で必要な金額を計算してとか、
必要な金額は自分で決めましょうかなって思ってます。
自分の望む金額を設定して、あくまでそれを守る努力をして、相手とも交渉をして、
最終的にその金額に、どういう金額で合意するかわかんないですけど、
合意したらそれに満足しましょうかなって思ってます。
今回は僕は、僕の経験の方で言うと不服だったんで、やっぱり不服だなってなっちゃったんで。
これは最初に自分で望む金額をちゃんと考えてなかったからだなっていう反省がすごくあるので。
こういう聖書の話っていろんな捉え方ができると思ってるので、
もしかしたら人によっては違う解釈をするかもしれない。
それでいいかなと思ってるんですよね。
なんかね、ここのティースプーンとか読んでると、めちゃめちゃ聖書と引き合ってきた人たち。
このファビエル・ガラガラさんという方はずっと神父をやってて、
その方がその聖書の解説というか、その聖書の内容によっていろんな話を出てるわけなんですけど、
見るのも楽しいし、自分は違う解釈だなっていうのをやるのもまあまあいいと思うし。
いろいろ考えさせられる内容が多い。
イリスト教徒じゃない人も、読んでみるといろんな発見というか気づきというか、あるんじゃないかなと思うので結構おすすめです。
今日の教訓は何でしょうね。
自分の望みは自分で決める。それが叶ったら感謝する。
感謝して、精一杯この仕事をやる。
人と比べないっていうのが結構鍵なのかなって思ってます。
15:00
参加参考になれば幸いです。
ではまた明日。さよなら。