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撮り流し、ひとりごとラジオ、はじめるよ。
ということで、本日収録は、12月の12、3、14日、水曜日です。
えー、今日はですね、以前のまだひとりごとラジオに、名前を変える前のひとりごと的放送で話しておりました。
故郷徳島にて、ひとり暮らしをしておりました。
父が少々あって、現在入院しております。
えー、弱い90にして、肺がんステージ4という状況なんですが、
がん菌の飢餓を起こしていまして、
いろいろ、比較的体のインパクトの少ない処方で、
肺が縮む状態を軽減しようという努力を、市の方でやっていただいておったのですが、
処方を尽くしても、なかなか肺の萎縮が止まらず、
本人も高齢であることは自覚しておりましたし、私含め息子である私の兄弟たちも、
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本人がこれ以上の外科的措置は望まないなら、今のままでいいかなと思っておりました。
が、現状、強状態のままの肺を抱えておりますと、
どこかの時点で、呼吸が苦しく、本人の苦痛になったり、
それ以外に何かしらのリスクを伴う症状が出たり、
そして気経による苦痛が発生すると、再び今の病院に戻って陰圧をかけて肺が膨らみます。
その時にドレインを抜き差しがあったりするので、
それに伴う感染症のリスクも否定はできないというような心地をしたままでのリスク。
少しではありますが、外科的措置をした時のリターンリスクを、
父親と家族、私、家族代表の私、それぞれ説明を受け、
最終的に本人が魔道なんでしょうね。
最後の外科的措置を受けてみると、ある意味、命を落とした一か八かの術式とも言える状態なんですが、
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本人がまずやってみるという意思を示したという連絡が病院からあったという流れで、
本日午前、90歳の父親が肺栓がん菌の危怯状態の改善を目的とした
胸腑甲手術というんですかね。
体に3か所かそれ以上3、4か所の小さい穴を開けて内視鏡で歩きますとか、
いろいろ操作するためのマジックハンド的なもので、
突っ込んで肺に入っていると思われる微細な穴を探し、
無事部位が特定できれば、そこを薬なり布なりパッチ貼るなり、
あたかもパンクした自転車のタイヤのチューブの修理のような術式を行います。
もし仮に可能性としては全くゼロではない。
穴の正確な部位が特定できず、このあたりであろうというあたりを付けたところに当たらめたら、
空気が漏れないような処置をしておくという、
肥胸に対して100%効くという術式ではないのですが、
こっちしたところで何かしらの影響が出ることのリスクを考えた上で、
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父の決断と思うのですが、一発勝負の手術をしてみよう。
本人がそう考えたので、そう返事したので、
本人の意思を尊重するという意味で家族としても承諾します。
という回答を昨日も行い、めでたく今日の午前の手術となりました。
正直なところ手術そのものも安全性100%とは言えない。
これはどんな処置にも言えることですが、
医療行為に100%安全はない。
これはまた、父のケースに限ったことではなく、
100%安全ではないというリスクは覚悟してくださいという術前確認、
必ずとられるわけです。
しかし、父の場合、90歳高齢でかつステージ4の頑丈代ということがあるので、
リスクはさらに高い。
そこを考えた上での父親本人に信順したのかどうか。
昨日から私の奥さんが話をしている感じでは、
信順したというよりは何となく、
私の説明を聞いたイメージで放置しておくよりは、
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手離れがいいかなと。
とりあえずやることをやってみてダメだったら、
諦めつくかという心情なのかなと息子は推察するわけで。
そういう思考の過程を思った上で、
手術に同意しますよと、
お世話になる呼吸技術家の先生には答えました。
あとは何事もなく処置が終わることを、
完全な治癒はどのみち望めないわけですが、
それでも手術後のしんどい1週間になるのか、
高齢なので2週間も3週間も続くのか分かりませんが、
今日の手術で父親の急を得るが、
少しでも良くなることを祈りながら迎える朝でございます。
父の判断、私の判断、それが今日と出るか、
吉と出るかが終わるまで分かりませんが、
何と言いますか、DNAに組み込まれているような気がする。
運の強さに思いを託して、
父を祈るばかりであります。
おお、だらだらだらと長い一人言になりましたが、
終わり良ければ全て良しになることを、
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矢をよろずの神々に祈りっつ、
ありがたおしまいにいたします。
それでは、バイバイ。
おわり。