1. りこのAI時代の生き方を考えるらじお
  2. 自分がどう生きてきたかは、自..
2025-02-23 13:15

自分がどう生きてきたかは、自分で答え合わせできない

どんな風に生きてきたか、誰かに喜んでもらえたのかは自分では答え合わせできないんだなという事を考えたお話です✨

📣忙しいママのためのAI時短術セミナー
3/8(土)
https://ailabo.hp.peraichi.com/osaka_ai_seminar_240308

📣3つのスキルが全部学べる!5日間限定 最安値クーポン
https://riko-ai.com/p/r/ibz2HNrG

📣ゼロフリ講座 in 大阪チケットページ
2/26(水)
https://freelance-gakkou-0226osaka.peatix.com/

💌りこの公式メルマガはこちら⬇
https://riko-ai.com/p/r/mq4RDcc7

#AI #毎日配信 #フリーランス #フリーランスママ #フリーランス #在宅フリーランス #ワーママ #子育てママ
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/647e7ece590eb774d1755c07

サマリー

このエピソードでは、自分自身の生き方についての答えを見つけることができないテーマが議論されています。特に、友人の告別式を通じて、他者に与えた影響の意味が深く考察されています。そして、最終的に自分を悼んでくれる人の数が重要であると述べられています。自分の生き方に関して、他人からの評価や感謝の数を重視し、周囲の人々に役立つことの大切さについて語られています。最終的には、子供たちに感謝され、良き母であり続けることが幸せな人生の一つの形であると考えられています。

告別式を通じた気づき
おはようございます、AIラバーのりこです。このラジオでは、1日30分家族時間を増やすAI家長図や、AIジャイのママの生き方について考えたことなどをお届けしております。
はい、ということで皆さん、おはようございます。2月23日の日曜日ですね、いかがお過ごしでしょうか。
はい、3連休中日ということで、今週はね、夫が帰ってきているので、家族でね、ゆっくり過ごそうかななんて思っております。
今日はですね、本題に入る前に一つお知らせをさせてください。
フリーランスの学校の代表を務められているしゅうへいさんが、ボイシーパーソナリティでもあられますが、2月26日の水曜日、午後1時から3時半で大阪に来てくれます。
はい、ゼロからのフリーランス講座ですね。
はい、こちらの講座はですね、会社員とかフリーランスじゃないためとか、そういうのは一切関係なくてですね、フリーランスとはとか、フリーランスに的に生きるってどういうことだろうとか、
それに必要なスキルだったり、マインドの話をしてくれます。
私もですね、主催した時は、ちょうどフリーランスになったぐらいだったんですけれども、主催するって決めた時はですね、まだ会社員だったので、全然関係なく、
これからの生き方と働き方ってやっぱり道義の時代だから、どんなふうに働いていくのか、どんなふうに生きていくのかっていうのは、結構皆様にね、割と短いというか、大切なテーマだと思います。
ぜひですね、ご都合を合えば生きていただけると嬉しいです。
あとちょっとかな、十数人ぐらいの枠はありますので、ぜひですね、半数以上申し込みいただいておりますので、30名定員でございます。
ぜひお越しください。私ともいますので、何かAIのこととかあればぜひご質問ください。
はい、ということで早速本題に移りましょう。
はい、ということで今日はですね、自分がどう生きたかというのは、自分では答え合わせができないんだよねっていうお話をしていこうかなというふうに思います。
自分がどう生きたかというのは、自分では答え合わせができないというお話ですね。
これちょっとAIとは関係ない話なんですけど、でもAIを使う使わないとか、AI時代からどうとか、パパだからママだからとか、そういうの関係なく、どう生きていくかっていうテーマは、一人一人にとってすごく大事なテーマかなと思うので、
今日お話をしていきたいと思います。
このことを考えたきっかけが、昨日、知人のお世話になった方の告別式がありまして、その夫婦はものすごい突然やってきて、
いやそんなまさかみたいな、すごい元気な、本当に直前まで元気な方だったし、夫とお世話になった方だったんですけど、
夫はその方とのアポイントが入っていたぐらい、本当に不法は突然すぎて、あまり実感なかったんですけど、
他者への影響
昨日さすがにその場所に行ったら、本当にお亡くなりになったんだなぁみたいな実感して、ご遺族の方とかのお話とかも聞いていたら涙が止まらなかったんですが、
お式がね、やっぱりすごく会社に貢献された方だったし、長くお勤めになってたし、いろんな成果も出されていた方だったから、本当にホールに飾りきれない、
あふれんばかりの各社様からのお花とか、三列車の方もすごい人数の方々が来ていらっしゃってて、
それを見た時に、国別式の時の挨拶でもあったんですけど、こんなにたくさんの方が、そしてこんなにたくさんのお花と長年が、こうやって個人に当てられているということは、
すごくいろんな方に影響というか、優しい気持ちと出席してくれて、すごくお世話になった、ありがとうって感謝を持っている人が多いことなんでしょうっていうふうにお話をされていて、
本当にそうだよなと思ったんですよね。で、いう時に考えたのが、やっぱりこう、人生すごくいろいろあるけれど、
その本当の最後のこの瞬間に、悲しんでくれる人が、人数が多ければいいっていうものでももちろんないと思うんですけど、
少なくとも心から悲しい、寂しいって思って忍んでくれる人が、どれぐらいというか、どんなふうにいるかっていうのが、自分がどう生きてきたかの答え合わせなんじゃないかなと思うんですよね。
やっぱり、もしそういうふうになった時に、誰もってことはないと思うんですけど、誰もそういうふうに忍ぶとか、ご冥福を祈ってくれる方とかがいない人生っていうのは、やっぱりものすごく寂しいだろうなって思うし、
でもそれって自分じゃ答え合わせができないんですよね。自分はいないからね、この世にその時に。
だから自分で自分の人生が他人にとってどうだったかっていうのは、自分では結局答え合わせができないんですよね。
やっぱり自分の最後にわかるもんなんだなっていうのを、久々にすごく近しい方のそういう場に向き合ってというか、そういうことに向き合ってすごく思いました。
生き方の再考
もちろん、これからだったし、これからご夫婦である小家族での時間を大事にするっていう時だったからこそ、もちろん胸の気持ちとかがたくさんあるんだろうけど、
でもあんなふうに駆けつけてくれる人たちがいたっていう人生は、たぶん本当に素晴らしいものだったと思うんですよね。
って考えたら、やっぱ自分も、もちろんこの今からその最後、人間は人に等しく平等に与えられていることは死ぬことだっていうのはね、ハイリーがあまりにも有名な考えというか言葉ですけれども、
人はね死に向かって生きているというのがね、なんていうか避けられない現実ではあって。
その死んだ時とか、その最後の時に人にどう思ってもらえるのかっていうのが、やっぱりどう生きてきたかっていうののそのままの答えなんだろうなっていうのをすごく思いました。
じゃあ、悲しい思いをさせたくないとか寂しい思いをさせたくないという気持ちもありますけど、例えば私が死んだ時にそういうふうに思ってくれる人がどれがいるのかなとか、
でもあの人とあの人は寂しがってくれるかなとか顔がかんだりしますけども、もちろんね、子供たちが一人で生きていけるようになるまでは元気になきゃいけないんで、
自分の健康を大事にね頑張っていきたいと思うんですが、でもそれもほらわからないですよね、本当にわからない。
私たちはあまりに今日という1日を当たり前のように過ごしていて、当たり前のように明日が来ると思っているけれど、でも今このボイシー撮ってる瞬間にもしかしたら心臓止まるかもしれなくて、
そういうものを怖がって生きるのとは違うけれど、でもそういうのがあるということを意識して生きるのと生きないのでは全然違うと思うんですよね。
だから私はそのハイデ側の哲学をすごくわかりやすく物語一立てで書いてくれた、明日死ぬ幸福の王子という本があるんですけれども、その本を読んでからはやっぱりとにかく子供たちには本当に大好きだよって絶対毎日伝えるようにしてて、ギューってするようにしてますね。
もし仮に本当にね、今日明日何か私に会った時に、少なくともでもママは大好きだったよって、ママは娘たち、あなたたちのことがすごく好きだったよっていうのだけはやっぱり伝えておきたいなって記憶に残してほしいなってすごく思うので、
それはとりあえず、もちろん具体的にお金のこととかパソコンのパスワードとかNFTのメタマスクのシートフレーズとかそういうのを言い出すときなんですけど、少なくともそれはお金のことだからお金のことはもったいないけれどすごく重要なことではなくて、
他人の役に立つことの重要性
それよりもやっぱり娘たちの記憶に残る母でいたいと思うと、やっぱり娘たちの時間とか娘たちに自分が私がどう思っているのかっていうのを伝え続けるっていうことはやっぱりすごく大事だと思ったんですよね。
じゃあ自分が最後の時に悲しんで忍んでくれる人がいるために、そのために生きるわけでもないんですけど、それってどういう人なのかな?悲しんでくれる人って、私がいなくなったことを悲しんでくれる人っていうのはどんな人なのかなって考えたら、
多分何かしらでお役に立つ人だと思うんですよね。まずはねきっかけは。純粋に多分、仲良しというか友達とかっていうのもあるかもしれないけれど、感謝の総量だと思うんですよね。その忍んでくれる人の数というのは。
ということはやっぱり自分ができることで周りのためになること、誰かの役に立つことを引き続けた結果が最後に現れるんだろうなっていうふうにすごく思いました。
どう生きるかの答え合わせは自分ではできないんだけれど、経過観察ぐらいはできるのかな?みたいなふうに思っていて。経過観察もできないのかな?だってそれって測れないもんね。
だからやっぱりそういうこと、他人から自分はどう思われているのか、自分のことを他人がどう思っているのかっていうのをすごく意識しすぎて生きていくと、それはそれでしんどいんですけど、そうじゃなくて、他人がどう思っているかわからない。
わからないけれど、少なくとも今目の前にいる人、身近にいる人、目の前にはいないけれど、自分の何かしらのコンテンツでとか情報発信で誰かに役に立てる人たちが波紋のように広がって輪にいるのであれば、その人たちに役立つことをし続けるためになること。
ありがとうの気持ちを持ってもらえるように生きていくと、最後そんなふうに忍んでくれる人が多いような、よかったね、こんなふうに送り出していただけて本当に嬉しいねって他の人に言ってもらえるような人生になるんじゃないかなっていうのをすごく思いましたというお話でございました。
どう生きるかっていうのは永遠のテーマですよね。永遠のテーマなんですけど、人生の最後に自分では答え合わせができないけれど、こんなふうにたくさんの人に見送ってもらえて、しのんでもらえて、いい人生だったねっていうふうに誰かに言ってもらえるような人生っていうのが一つ幸せな人生なのかなというふうには思いました。
はい、ということで今日はですね、自分がどういうふうに生きてきたのかは自分では答え合わせができない。
なので、自分がこの世からいなくなった時に、でもりこさんにおさようなったなーとか、りこさんいなくなって寂しいなーとか、そんなふうに思ってもらえる人が、一人でもいたら幸せなことだと思うし、
そういう人たちにそう思ってもらえる自分の生き方っていうのは、私なりにはやっぱり役に立ったというか、ありがとうの感謝の送料なのかなっていう気がしますので、そんなふうに生きたらなーって思いました。
はい、でも何よりね、子供たちにとって良き母でいたい気がしますね。
今いろいろな顔があって、母であり妻であり、AIラボのオーナーであり、インスタでAI一段ずつ発信している発信者であり、いろいろな顔があるけれど、
最後、自分の最後の時には、娘たちにね、やっぱりありがとうというか、お母さんがお母さんでよかったっていうふうに思ってもらえるような、そういう人生が送れたら一番幸せかなという気がしますね。
だからやっぱり大好きってね、やっぱり大好きな人に伝え続けることもすごく大事だし、誰かの役に立つこと、私ができる限りのことをね、続けてやっていきたいなというふうに思いました。
今日のお話でした。ちょっとね、日曜の3時の朝から聞くにはちょっとヘビーなお話だったかもしれないんですけど、逆になんかこういう話とかがないと、皆さんなんか意外と考えなくないですか。
なんかね、ちょっと避けているところもあったりするかもしれないんで、もしよかったらね、私の今回の話をきっかけにですね、
生きるってどういうことだろうというか、どういうふうに生きていくことが自分にとって理想なんだろうみたいなね、ことを少し考えるきっかけに、今日の放送がなっていたら嬉しいです。
はい、ということで最後まで聞いてくれてありがとうございました。お仕事の方は行ってらっしゃい。また次回のラジオでお会いしましょう。
じゃあまたね。さよなら。
13:15

コメント

スクロール