コラボライブの振り返り
おはようございます。野菜がつなぐ人と人、ハーティッチファーム代表 もとです。本日も農業と学びで、心も懐も豊かにするチャンネル、始めていきたいと思います。
この番組は、国内最大手エンジニアリング企業で、17年間世界を飛び回っていた企業選手香川本文が、40歳を機に脱裸収納した経験をもとに、農業、ビジネス、キャリア、学びなどに続いて話すチャンネルです。
おはようございます。昨日は、ハットリさんとお昼の時間帯にコラボライブをさせていただきまして、
ハットリさんのチャンネルの方では、私が農業を始めることになった経緯とか、改めてその辺の質問をいただいて、お話しさせていただきましたが、その後、私の方のチャンネルに来て、
いやー面白かった。ハットリさんのね、ずっこけ話、なんであの話になったのかなんも覚えてないですけど、ハットリさんのね、ずっこけ話になって、
これがね、ハットリさんのリスナーの方も、私の方のチャンネルに来てくださって、みなさんイワイワイガヤガヤコメントしてくださいましたが、
もうハットリさんの鉄板ネタなんですね、あれね。みんなで、もうそれ、あれね、みたいな。あの時はね、ずっこけましたね、みたいな。
本当ね、みなさんで楽しくワイワイやらせていただきましたので、ぜひともみなさん、この前にね、アーカイブされている、ハットリさんとのコラボライブのアーカイブをね、ぜひともお聞きいただければなと思います。
ちょっとね、タイムスタンプなどつけてないので、どの時間帯に何を話しているかとか、細かくなっておりませんが、30分ぐらいですので、
よろしければ、最初から最後まで聞いていただいて、見ていただければなと思います。
ハットリさんもね、まだ聞いたことのない方は、ぜひともね、聞いてみてください。ハットリさんのチャンネル。
みなさん、本当ね、コメントの量がすごいんですよ、ハットリさんのチャンネルは。
ハットリさん自身ね、他の方のところに行って丁寧にコメントされている、そして自分のところにコメントしていただいたものへも、
そのね、さらにコメントしていただけるような文章にするにはどうすればいいかっていう、そういうところも考えながらのね、
コメントされているような方ですので、丁寧にね、そういうスタイルに向き合っている、そういうハットリさんの配信でございます。
今はね、営業職でサラリーマンをやっているのに、ここまでスタイフとしっかりと向き合っている、本当に頭が下がる、見習わなきゃなと思っておりますね、私なんかも。
そんなハットリさんと楽しくお話ね、させていただきましたので、ぜひとも聞いてみてください。
このままちょっと本編に入っていこうと思いますが、そんなハットリさんとのコラボの中でもね、
カザフスタンでの経験
ハットリさんが、私のね、全職の頃の話好きなんですよーなんて言ってくれてたんですが、
最近全職の頃の話あんましてないなと思ったので、今日は久々にその全職のエンジニアの頃のね、お話を、海外駐在も含めた話をね、ちょっと思い出しながらしてみようかなと思います。
これは一番最初に海外駐在になった時の話なんですが、私は全職エンジニアリング業というか、何回かお話しておりますが、
地下資源、石油だったりとか天然ガスだったりとか、そういうものもオイルメジャーがね、オイルメジャーというのは例えばシェルだとか、ロイヤルダッチシェルだとか、
日本で言うとインペクス、今はねインペクスっていう社名で会社ですが、あれは昔は日本資源開発とか言うんでしたっけ、ちょっと忘れちゃいましたけど、
そういうインペクスだとかね、そういうところが天然資源の開発をして掘り出すんですけれども、それを要は生成する、私たちが使えるような形にきれいにするような生成するプラント、工場ですね、生成工場、それを設計して建てるような会社でしたので、そこで働いていました。
一番最初入社、3年目の時だったかな、に駐在したのがカザフスタンという国で、中央アジアの国です。
世界地図で言うとモンゴルの左上とか、モンゴルのちょっと上あたりとか、ロシアの下みたいなそんなところの国ですが、本当に土漠が広がる、砂漠じゃないんですよね、土漠、草原が広がるような、そういう国です。
その真ん中、あれはカスピッカイの近くですね、それ沿いあたりには結構天然資源が眠ってますので、そういうところから掘り出した原油だったりとか、そういうものを生成する、要は原油の生成工場ですね、そういうプラントのプロジェクトをやっていたんですね。そこの建設現場にも駐在しました。
カザフスタンの様子から言うと、あのカザフスタンという国はロシアの影響、昔の共産国家ですからね、ロシアにずっとまとめて支配されていたような、そういう国ですので、共産主義の色がまだまだ強い感じで、それこそ私たちが関わっていたプロジェクトは、
国として工場を持って石油生成をしている、そういう現場でしたので、まあ国のそのルールというかね、しかも共産国家のその体制を、ルールを押し付けられるようなね、そういう現場でね、なかなかこう日本でのやり方とは全然違うね、仕事のやり方みたいな、そういうのがね、
びっくりするような国でしたね。本当に未だにああいうプロジェクトないですけど、一番大変だった一つの作業は文章作りなんですよ。これがね、ロシア語と英語の兵器を全部の文章にしなきゃいけないので、
ロシア語で書かれている文章、まああれはどちらから作るかといったら、例えば私たちが作る文章はもちろん英語で書いて、それをロシア語に訳してもらって、それからお客さんに出ていくという感じで、もう文章一つを作るにしても今までよりも倍ぐらいの時間がかかるんですね。
という意味で、ミーティングもロシア語英語両方を使いながらのミーティングだし、文章もそういうふうに兵器をしなきゃいけない。それが図面から文章から全部ですからね。
という意味で、もう自分たちの中にも駐在している私たちの社員としては、社員というか派遣の人たちもいますが、それは全部で100人はいないぐらいでしたね。そのプロジェクト時代で現場にいたのは50人から80人とかそれぐらいの人数だったと思いますが、それに対して通訳は本当に20人ぐらい雇って、
その通訳と張り付きでどこかお客さんと話しに行くときは通訳一人連れて行くっていうような感じで、本当通訳を通してロシア語と英語でやり取りするようなそういう言語の意味でもなかなか骨の折れるプロジェクトだったんですよね。
環境としてはね、本当に冬は寒いんですけど、マイナス38度とか私一番寒いとき経験しましたが、そのぐらい寒い。夏は暑いんですけれども、ドライなので結構ね日陰にいれば涼しいような、そんなに暑くないような、温度は高いんだけどすごくドライで過ごしやすいようなね、やっぱり大陸の中の方もね。
気候というか大陸性気候ですよね、あの辺はという感じで過ごしやすい夏場を過ごしてました。冬は寒い。まあその温度差がね、結構まあ心地いいっちゃ心地よかったですけどね。でも本当冬は寒かったですね。
厳しい環境での挑戦
まあそこの現場で1回死にそうな思いもしましたが、今まで死にそうになったランキングの4回ぐらいあるんですけど、それの1回はその現場でやったっていう配信も以前しましたが、よろしければ聞いてみてください。何回目だったっけな、ちょっと貼り付けておきますね。
という現場で、まあなかなかの現場でしたけど、まあそれはそれでね楽しくやってましたが、まあねその今日のお話のメインですけど、そのプロジェクトでも一つね本当学びになったのは、やっぱりあの仕事って最初のステップでどれだけ丁寧にやっておくかっていうのが、後で楽をできるというかね。
それの一番最初の学びがその現場だったんですよね。というのは私が担当していた仕事というのが、国外のメーカーがね、いろんなパーツをまとめて梱包してきたものを現場で組み立てるような、そういう私たちの業界ではパッケージものって言うんですけど、そういう機器を扱っている部門だったんですね、その頃は。
なのでその国外で作ったメーカーさんが、その部品とかをバラバラバラバラなものを何十個っていうコンテナの箱にね、詰めてそれを出荷してくるんですよ。現場ではそのコンテナを開けて、どれがどの部品かを図面と一緒に照らし合わせて現場で組み立てていかなきゃいけないんですね。
今までは結構プロジェクト自体もね、お金がないので、その部品を詰めるときの作業、あるいは図面との照らし合わせとかを、もう結構なんていうかな、なあなあでやってしまっていて、現場でどれがどのパーツかわからないですごい苦労するっていうのが、その部門の中でも私たちが私が所属していた部門の中でも結構問題になってたんですよ。
なので、その私が所属したそのプロジェクトでは、私その頃新人でね、会社に入りましたけど、その私が担当したものは、お金をちょっとね、今までよりはかけてでも最初からちょっとちゃんと丁寧にやって現場に届けようと。
で、私自身現場に入るんで、そのためにも出荷するそのメーカーの方での準備のところから私が入り込んで、現場まで届けて、現場で自分が立ち上げてっていうことをやろうっていうふうに最初決めてたんですね。
ということをちょっとお金、プロジェクトのお金が使っちゃいますけど、そういう対応をしたことで、自分がね、図面と照らし合わせながらどの部品がどこに、どのパッケージに入れられたっていうことも、その時韓国のメーカーだったんで、韓国に行ってパッキングの時に立ち会って。
で、どの部品がどこのパッケージに入ってる。それがこの図面のこの部品っていうところまで自分で認識できたんですね。その状態で現場に行って、パッケージを開ける、組み立てるっていう作業を立ち会えたので、結構やっぱりスムーズにできた。
それでもね、やっぱり現場で開けると、あれ、この部品がないみたいなことがいくつか、どこに入れたっけみたいなのも含めてね、いくつかありましたけど、でも今までのプロジェクトよりはよっぽどスムーズに立ち上げられたなという経験をできました。
という意味で、やっぱりね、時間をかけてでもお金をかけてでも、最初の段階で最初のステップでどれだけ丁寧に仕事をやっておくかっていうのが、後々ね、その実際そのものを扱う段階になった時に、とてもスムーズにいくんですよね。
こういう経験ってね、どの仕事に対しても一緒だと思うんですけど、最初のその基礎作り、土台作りというか、その時にどれだけ丁寧にやっておくかっていうのは、本当に意識した方がいいなということをそのプロジェクトで学びました。
現場での教訓
まあね、とは言ってもそれが難しいんですけどね、ほんと忙しくてバタバタっとやる仕事だと、その最初ね、どれだけ丁寧に作り込むかっていう、そこにね、なかなか時間が割けずに、でこう、なあなあのうちに流れてしまって、後で大変な目に遭うっていうのはね、まあ皆さんもよくよく経験していることかと思いますけれども、
そこで一歩立ち止まって、最初の最初作り込むときに、その後使いやすいようにあるいは混乱しないように、どれだけ丁寧に作り込むか、ちょっとね、意識してみたら、その後のプロジェクトのスムースさが違うかなと、皆さんもぜひともね、意識しながら、どれだけ最初丁寧にやるか、最初のステップ丁寧にやるか、意識してみてください。
はい、ということで、今日もここまで聞いていただいてありがとうございました。何か皆さんのね、こう、プロジェクトの、そういうね、最初の立ち上げの時の失敗談、あるいはこうやって成功しましたみたいなものがあれば、シェアいただければなと思います。
はい、よろしくお願いします。それじゃ、今日も良い一日をお過ごしください。またねー。